日本の地名の読みは難しい。「松代」を見て長野県松代市を思い浮かべられた方もおられるかもしれない。しかし、今回は新潟県十日町市松代地区が舞台となる。「松代」も「まつだい」と呼ぶ。
今から約20年前に、新潟県の中部と北西部を結ぶ「ほくほく線」が開通した。冬場に松代地区が積雪のために孤立する状況があり、大正時代から十日町と直江津を結ぶ鉄道敷設の構想は存在したようだが、実現までにはあまりの年月を要し、上越新幹線にはるかに遅れをとる事となった。
ほくほく線の開通当時、沿線の観光資源が整備されていない事も指摘されていたが、日本の古民家再生に力を注いだカール・ベンクス氏によりかなり解消された感じもする。
廃業した旅館の材を使い、建てられたベンクス氏の事務所。
隣も、ベンクス氏の手により外観に手が入れられ、街並として特徴のある姿を形成している。
ベンクス流古民家再生は、細部の伝統的な意匠を残しながら、全体は彼の出身地であるドイツの建物の文法を踏襲する。
松代にはほくほく線の駅もあり、商店街も存在する。
そのような環境をわざわざ離れてか、国道253号線、403号線と走り継ぎ松代の町から15キロほど離れた山の中に竹所という集落がある。日本の古民家の大変な理解者であるベンクス氏はここに早くから住着き、その影響でベンクス流再生古民家が何件か見られる。
こちらは「べんがらハウス」と呼ばれる。家の前の池が美しいが、虫など大変ではないだろうか。
それから少しだけ登ったところの家は、イエローハウスと呼ばれる。
季節のよい期間はオープンハウスとなり、香り高いハーブティーなどを訪れた人に提供してくれる。
この日、この扉を開けたらベンクス氏自身がにこやかに迎えて下さった(ただし、彼はこの家のオーナーではないそうだが)。
確かに、ベンクス流古民家は、椅子文化に幼い頃から染まっている我々には楽である。薪ストーブの暖かさも、実に快適で、特に夜などは他の暖房器具では味わえない角のとれた暖かみがありそうである。
今から約20年前に、新潟県の中部と北西部を結ぶ「ほくほく線」が開通した。冬場に松代地区が積雪のために孤立する状況があり、大正時代から十日町と直江津を結ぶ鉄道敷設の構想は存在したようだが、実現までにはあまりの年月を要し、上越新幹線にはるかに遅れをとる事となった。
ほくほく線の開通当時、沿線の観光資源が整備されていない事も指摘されていたが、日本の古民家再生に力を注いだカール・ベンクス氏によりかなり解消された感じもする。
廃業した旅館の材を使い、建てられたベンクス氏の事務所。
隣も、ベンクス氏の手により外観に手が入れられ、街並として特徴のある姿を形成している。
ベンクス流古民家再生は、細部の伝統的な意匠を残しながら、全体は彼の出身地であるドイツの建物の文法を踏襲する。
松代にはほくほく線の駅もあり、商店街も存在する。
そのような環境をわざわざ離れてか、国道253号線、403号線と走り継ぎ松代の町から15キロほど離れた山の中に竹所という集落がある。日本の古民家の大変な理解者であるベンクス氏はここに早くから住着き、その影響でベンクス流再生古民家が何件か見られる。
こちらは「べんがらハウス」と呼ばれる。家の前の池が美しいが、虫など大変ではないだろうか。
それから少しだけ登ったところの家は、イエローハウスと呼ばれる。
季節のよい期間はオープンハウスとなり、香り高いハーブティーなどを訪れた人に提供してくれる。
この日、この扉を開けたらベンクス氏自身がにこやかに迎えて下さった(ただし、彼はこの家のオーナーではないそうだが)。
確かに、ベンクス流古民家は、椅子文化に幼い頃から染まっている我々には楽である。薪ストーブの暖かさも、実に快適で、特に夜などは他の暖房器具では味わえない角のとれた暖かみがありそうである。