『麒麟がくる』終わってしまいましたね。
そして、この方の『麒麟がくる』ドラマレビューを拝見するのもラストになってしまったんだなと。
ドラマも楽しみでしたが、レビューを拝見するのもまた楽しみでした。毎回、ドラマを見た後で次の日とかに書かれている内容に目から鱗な気分を味わったり、あぁ、そうだよなあという自分が感じたことをここまで巧みに文章にして伝えてくれるんだと感心したり。
最終回は最終回らしく、レビューの醍醐味を味わわせていただきました。ありがとうございます♪
ふたりの愛の物語だったのだと言い切っていました。染谷さんの演技に引き込まれました。最初はどうなんだろ? 大丈夫か? 若いなと思ったのですが、なかなかどうして。こういう織田信長だったからこそ、今回のドラマで十兵衛と相対してここまで引きつけてこれたんだと思えるようになりました。
染谷さん、この大河で一皮むけた気がします。
そしてもちろん、主演の長谷川さんも。最初の頃の映像が本能寺が焼けているときに十兵衛の脳裏に浮かびます。あの頃の顔、二人の出会いの頃の顔、そしてどんどん過ぎて今になり、その二人の顔がずいぶん変化しました。人間というものは生き方につれ顔が変わっていくものなのだと改めて感じます。
意気揚々と未来を語らう若さ、大きな未来に向かって夢を持つ輝きがそこには見られました。一つの目標にむかえば性格の違いは逆に刺激になって相乗効果を生み出すのでしょう。でも、ずれていくのはどうしてでしょう。
たまに、創業された会社で初期メンバーと会社が大きくなりすぎるとメンバーが解散したり、創業者が出て行ったり(アップルもありましたね)ということが見られます。どこか似ているなと思いながら見ていました。
織田信長は自分でも考えていなかったスピード感(トップになる)に追いついていけなかったのではないかと思います。思いが前に走り、周りの心中にまで考えが追いつかない、というかそんな周りのことなど考える気持ちは鼻から備わっていなかったかもしれません。十兵衛との違いはそこにある気がします。
人はその生い立ちにより将来が見える部分もあるかと思います。でも、翻弄されて生きるのでは無く、自らが変えることだって出来る。信長は強い信念があったのでしょうけど、それを達するためのやり方を熟慮し指南する者を疎んじてしまえば、自分を変えることもなく、ただ排除することで生きてしまう。
経営者と雇用される側の意識の違いは、経営者の雇用者への態度や考え方で歩み寄りが出来るかどうかが決まるように思います。
信長はその歩み寄り、部下や周りへの配慮が出来ていなかった、生きてきた中でそれを自らの反省材料として変えていっていたら、また別の物語が生まれていたでしょうね。
最後に十兵衛が馬で駆け抜けていくシーンがありました。
主君を討たなければならなかった彼は後悔していたでしょうか。そのシーンの彼の後ろ姿からは清々しいものが漂っているように思えました。長い間の苦しみから解き放たれたようでした。
コロナで途中お休みするという事態にもなりましたが、それでもここまで完成にこぎ着けることが出来たのはスタッフさんや出演者さんたちの力が途切れることなく継続していたからでしょうね。素晴らしいドラマを作り上げてくださった皆さんに感謝感謝です。
大河ドラマの時間帯は夕餉の支度とお風呂と重なり、なかなか最初から最後まで見ることがありませんでしたが、それでも今回は私の中では一番だったなあと思います。といっても大河ドラマはこれまでそんなに見ていないのですけど。歴史が苦手、という先入観があったのです。母の影響で見始めました。この次も楽しみです。
そして、先にリンクさせていただいた
「森の中の一本の木」のドラマレビューも更に楽しみにしているわたしなのです♪