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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

私だけのテーマ展「花追い人」

2025-07-17 15:27:15 | ありがとう、gooブログ

ある時私は「花追い人」であろうと思いました。

 

「こおひいたいむ」さん企画の

「私だけのテーマ展」に参加させていただきます。

 

それはきっと2017年の花桃の里「古河公方公園」に行ったあたりの頃だったでしょうか。

花は毎年咲いて、この花あの花と区別がつくものではありませんが、それでもいつも何かしら思い出を積み重ねてくれるものですね。

この公園には源平の花桃はあまりなくて、何となく心が満杯にならなかった私と星子さんは、この後地元に帰って来て「ラ・ラ・ランド」を見に行ったのでした。

なんかタフだったね、あの頃は。

 

花追い人になろうと思った私は、その後、今は居ない愛子さんと星子さんと一緒に、花を追いかけてあっちに行ったりこっちに行ったりしました。

 

ひとりでも

隠れた穴場のカタクリを見に行ったり、知ってる人は知っていると言うレベルの穴場スポットに彼岸花を見に行ったりしました。

 

カタクリを見に行った頃、小学生が殺されると言う事件があって、集団下校の子供たちと迎えに行くお母さんたちとすれ違いました。

また、彼岸花の祖行院では花を手折るポーズをして写真を撮っている韓国(または中国☆区別が私には着かないm(__)m)のグループに、勇気がなくて「ダメだよ。その花には毒があるから、人によっては茎に触っただけでかぶれるよ。」と言えなかったことは、しばらくの間だけもやりとした気分になった事を覚えています。まあ、言ったところで触っていたことを注意されたと思って、煩いと思われたのかも知れませんが。

 

横浜では、もう穴場とは言えないと思いますが「横浜イングリッシュガーデン」の薔薇。

ここは本当に素敵なところです。

いつも親子三人やお母さんと一緒のお子さんの写真を「撮りましょうか」の押し売りをして、けっこう喜ばれています(;^_^A

なんか私・・・・

けっこうなおせっかいオババですね(笑)

 

 

 

高山植物とか

上野の蓮とか

 

でもね、何処にも行かなくても、花はそばに行ってそっと私たちを見守ってくれているのですよね。

仕事帰りにいつも励まされた、夜の向日葵。

マンションの自慢の紫陽花

花壇の千日紅

 

ベランダの花たち

 

 

私にとっては大切な思い出の花、十月桜(子福桜)

いつでも妹二人が見上げていたシーンを思い出す、柏の葉公園の桜。

コロナの頃、この花にいっぱい励まされました。その花は、キンラン。

 

そしてトップ画像の花はね、今まで出会った花の中で一番好きな花です。

心に沁み込む美しさがあると思いませんか。

もちろんこの花の事は、ブログで書いた事がありますよ。

ただの一シーズンで枯れていく花だけれど、それでも忘れられない出会いってあるんですよね。

 

誰にも見てもらえなくても、または認めてもらえなくても、私は私でしっかりと生きて行こうって、そんな勇気をその花が教えてくれたような気がします。

 

見てしみじみと思った事を、載せていくことが出来て、幸せでした。
gooブログ、ありがとう。

そして、こんな素敵な企画、こおひいたいむさん、ありがとう💛

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なんだかんだと更新が途絶えていますが

2025-07-01 15:46:11 | ありがとう、gooブログ

元気です。

gooでも、まだもう少し更新する予定です。

この記事も、あとからちゃんと追記する予定です。

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やっとブログも復活しました

2025-06-15 03:23:36 | ありがとう、gooブログ

本当は好きでやっているはずなのに、いろいろ時間などに追われて「ねばならぬ」状態がいっぱいに。

ちっともブログに帰ってくることが出来ませんでした。

 

だけどはてなブログと、日記ブログにしているアメーバブログは更新復活しました。

 

中国旅行記(蘇州☆七里山塘の運河) - 森の中の一本の木

 

「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を見てきました。 | あんずとクウと☆ももちゃんも。

 

宜しかったら来てくださいね。

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これ気に入ってます

2025-06-05 08:27:36 | ありがとう、gooブログ

【はてなにお引っ越しされた方ははてな版の→森の中の一本の木
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10月以降は、新しい記事の更新が出来なくなります。そして11月18日には消滅してしまいます。
このトップのお知らせは、goo終了まで載せていく予定です。】

 

※     ※      ※

 

ブログをウロウロしていたりすると、時には素敵なイベントにばったり出会う時があります。
「写ん歩クラブ」と言うのも、その一つ。

いつも気持ちがそぞろで、そんなには熱心ではなかったけれど楽しかったです。

そんなイベントを知るきっかけとなったこおひいたいむさんの企画の「悪あがき企画ゆあまい」に参加させていただきます。

悪あがき企画『第2回ゆあまい』のお知らせ

悔しいことに第1回を逃してしまいました。今回のテーマは「これ気に入ってます」と言うもの。

それもあってフォトの写真を、つらつらと何年分かを見返したわけですが、懐かしくて思わず過去と言う名の部屋に囚われてしまいました。

でもそんな事をしていたら、またもこの企画を逃してしまいそうです。

花にしようか、それとも猫にしようかと考えました。風景も捨てがたい・・・・

 

花だったら、やっぱり「花桃」かな。

下の画像は2017年に訪れた古河公方公園。

この時も星子さんと愛子さんと三人で行こうと思っていたのよね。でも待ち合わせの場所に来たのは星子さんだけだった。

調子が悪いからと、その日の朝に連絡が来て来ることが出来なかった。

私は「ふーん、そうなんだ。それは残念だったね。」と軽く思ってた。

だけどその翌年の10月2日に彼女は亡くなったのよね。

もう会えないの。

rest in peace

 

 

でも猫にしましょう。

トップの画像は、あんずさん。

副タイトルをつけるとしたら「てつがくの猫」でしょうか。

もちろん「てつがくのライオン」のパクリタイトルですね(笑)

トップ画像のあんずさんの変顔。
でも何か「てつがくの猫」って言う感じがするじゃないですか。

 

今は猫の楽園の住人になってしまったももちゃん。

いつもやって来ては、人の左手を枕にするー。

きっと深い考えがあってのことよね(きっと何も考えていないに違いない)

フーム。猫の人生とは何ぞやとか。(だから何も‥‥)

 

 

 

二匹のてつがく猫のミーティング。

「あのね~、今はももちゃんの代わりに、ぼくがてつがくしてるよ。」と黒猫クウが申しております。

なぜ、ママの服の上に寝ると気持ちが良いのだろうを思考中。

 

「てつがくのライオン」は次にリンクした記事内に解説とさわりだけ載せてあります。

もの考える秋

その記事内に書いてある「ちょ、ちょ、」って何だっけと自分でも思いましたが、たぶん著作権と書きたかったのだと思います。

2011年に書いたその記事を読み直して、秋の帰り道を「人は何のために生まれて来たのか」と考えながら帰ってきた10歳のルート君もめちゃくちゃ可愛いけれど(完全親バカ(笑))、

「『人間は殺しむさぼり続ける葦である』」なんて言っているその時の私にも驚いてしまいます。

あれから三倍は脳内農場に馬と鹿を増やしてしまったなと、思わず嘆く朝です。

 

だけどブログって、そんな風に忘れたくない事やなにげないひとコマを折り畳んで、しまっておける場所なんだな認識を新たにしました。

7年前のあの日。14年前のある時。

去って行ってしまった人、去って行ってしまった猫、だけどやってきた猫・・・・

もう少し人生は続いてほしいと思っている私です。

 

 

 

 

 

 

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べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第21回「蝦夷桜上野屁音(えぞのさくらうえののへおと)」

2025-06-03 02:13:30 | ドラマ (大河)

蝦夷と聞いて、田沼意次は源内を思い出しました。

広い広い蝦夷。そして金も出る・・・・。

蝦夷と金と聞くと、私は「ゴールデンカムイ」を思い出す・・・・・(笑)

 

そして出てきた松前藩の恐ろしい殿様松前道廣。
私、ここでも「十三人の刺客」に出てくる恐ろしい殿様を思い出してしまったのですね。

あの映画の殿様は、明石藩で松平 斉韶。実在の人物と名前は一緒ですが、諸々と性格などはフィックションらしいですね。少々お気の毒。

だけどこっちのドラマの松前道廣は、そうとばかりは言い切れないようです。

後に謹慎になったり・・・・・・

って、謹慎なんて甘いような気がしますよね。

今回の人間の的なんかも酷いお話に感じ、「こんな奴には天罰が下れ。」と思ってしまいます。多分そこが狙いなんですよね。

 

意次がとっても正義の人に感じてしまいます。

しかし意次の息子の意知は、落ち着いて状況を判断できる優秀な人物だったのですね。

父親の方が短絡的・・・・あの家系図を池に投げ込んでしまうようなところも含めて。

こんな優秀な息子がずっといれば・・・・

 

誰袖、田沼一派に、蝦夷上知に役に立つ代わりに身請け話を持ち掛ける・・・・・

ああ、なんか不穏な空気。

 

どんなに春町先生が荒れたとしても、蔦重の世界に話が戻ってくるとホッとします。

しかし荒れた春町が、攻撃的な狂歌を詠み、座が緊迫した状況になっていた時に、「プぅ」という音が。

それ、遣らかしたのはお兄ちゃん。

なんかそれ、天然に出来るところが流石だなって感心しちゃいました。

 

だけど夫殿は、次のみんなが「へ・へ・へ」と言いながら、和歌の名作をもじりながら歌を詠っていく所に、「凄いな。」って物凄く感心していました。

私は感情移入度が、高い時には高い。当たり前のことを言っていますが、あのシーン、自分に回ってきたらどうしようみたいな気持ちになって、ちょっとだけドキドキしました(笑)

 

また私がもう一つ感心したのは、狂歌のお勉強会を吉原でさっそく開いていたところでしょうか。

もてなす力、要求されていたのでしょう。つけなければならない教養もあったと思います。

誰袖が詠って、まんまと大金をせしめた時、「うまいなぁ」って感心してしまいました。

 

でも今週の驚きは、春町先生が筆を折ってしまうところだったかも。

そして更には大文字屋市兵衛の復活でしょうか。

と言っても二代目で、俳優さんが伊藤淳史。

一瞬わけがわからずに、時間軸が前に戻ったのかと混乱しました(笑)

伊藤淳史、もう退場かと思っていたので、再びの登場は嬉しかったです。

 

蝦夷の件がどうなっていくのかも楽しみですが、なんたって歌麿がどうやって売れていくのか、それも含めて、次週も楽しみです。

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40歳の前半か後半か、それが問題だった

2025-06-01 02:46:36 | ありがとう、gooブログ

19年間も続けてきた、楽しいブログ生活の想い出を綴ります。

「gooで良かった、その3」です。

※     ※     ※

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このトップのお知らせは、goo終了まで載せていく予定です。】

 

※     ※      ※

ブログなども長々続いていると、その長々続いていることを少々自慢したくなると言うか、誇らしいような気持にもなるってものじゃないですか。

「そんなこと全くないわ。」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、何事も継続は難しいものです。その難しい継続をしているものが一つでもあったら、私はやはり少しはそう言う誇らしい気持ちになりますよ。

だけど私、ある時に「××年、続いています。」とか言うのも、ある意味怖いなと気がついてしまいました。

1年たったら、年齢も一つ加わっていくのですから・・・・。

 

私はこのブログを40代の時に始めました。

若いですよね~。しみじみ。

今の私から見たら、子供みたいなものですよ。

実は私は、ブログの中で自分の年齢をはっきり言った事がないのです。

むしろ逆に、私自身が「年齢」と言うものを意識する人であったがゆえに、そうであったのかも知れませんが、年齢に縛られたくないような記事を書いていきたかったのだと思います。

すでに2009年に、私はこんな記事を書いていました。

その扉は開いている。その扉は閉ざされている。

歳を重ねていくと、徐々に閉じて行ってしまう扉を感じていたのですね。

 

まあ、19年だったら40歳の初めから始めようが終わりから始めようが、いずれにしてもアバウト60、もしくはアバウト70かも知れませんが、たいして違わないわけです。

だけど15年の頃だと、55歳から65歳までの差があって、それはちょっと大きな違いが、そこにはあったように感じていました。でもまあ、子供たちも大きいと言うよりすでにおじさんなので、バレバレと言って良いのでしょう。

ああ、だけど・・・・

ブログを始めた時には、ルート君は高校生。ラッタさんは大学生だったのですよ。

懐かしいな。胸がキューンとなるくらい。

 

これからもしばらくは私は年齢は、もうバレバレですよと言われても、敢えて自分からは言わないと思います。

 

前にも書いた事ですが、近所のお友達で「砂の惑星」にお誘いできる方がいません。

アニメの話も出来ません。

これは私の扉は閉じられていってしまっているからというわけでは無いと思うのですね。

それはたまたまですよ、きっと。

でも私、まだやっぱりブログを止めたくないなと思う理由が、そこにあるのだと思うのです。

 

下に貼ったものは2009年の記事にも貼ったものです(今は削除されています。)

その頃すでにお友達に、「範囲広いね。笑っちゃった。」と言われていました。

今は少し、歳を取ったのか、昔ほどはのめりこめない感じです。

だけどついつい聴き入って、他の曲やピアノバーとか時間を費やしてしまいました。(;^_^A

 

エルの絵本【笛吹き男とパレード】

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べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第20回「寝惚(ぼ)けて候」

2025-05-31 16:08:14 | ドラマ (大河)

※ この記事は「はてなブログ」と同じものを載せています。

ちょっとサボると、あっという間に1週間が経ってしまいました。

明日はもうその続きですね。

 

時間が経つと、覚えているところが、私にとって印象深かったところと言えるでしょう。

 

私にとって印象深かったのは、短歌と狂歌の違いかしら。

 

俳句と川柳の違いって、間違えていたとしても、意外と説明しやすいじゃないですか。つまり季語があるか無いか・・・・じゃないですか?

 

でも短歌と狂歌の場合は、ちょっと感覚的な何かを説明しなければならないような気がします。

蔦重も「狂歌話し言葉で書いても良いらしいですよ。」と言っていましたよね。

つまりその時代の新しい感覚そのものだったのですね。

技巧とか技には走らず、そしてのちに残すことも意識せず、その場その場の楽しさを求めての句会のように感じました。

 

「短歌と狂歌の違いを教えて」と私のパソコンのAIに聞いてみました。

『短歌と狂歌はどちらも五・七・五・七・七の形式を持つ日本の詩ですが、内容や目的に違いがあります。

短歌は、自然や感情を美しく表現するための詩であり、個人の思いや情緒を込めて詠まれます。古くから貴族や歌人によって詠まれ、文学的な価値が高いものとされています。

狂歌は、短歌の形式を用いながらも、社会風刺やユーモアを交えた詩です。江戸時代に特に流行し、世の中の出来事や人々の生活を皮肉や風刺を込めて詠むことが特徴です。

 

つまり、短歌は美しさや感情を表現するのに対し、狂歌は風刺やユーモアを楽しむものですね。どちらも日本の文化を豊かにする素敵な詩の形です!』

 

大田南畝桐谷健太)が出てきましたね。

何に対してもポジティブな彼の姿勢が素敵でしたね。

彼については→大田南畝 - Wikipedia

それを読むと、「狂詩には寝惚ねとぼけ先生と称した」とありました。

 

「ああ、だからこのタイトル!!」って、遅くてすみません(;^_^A

このドラマ、知らず知らずにほんのちょっとだけ教養が身につくってもんですね。

 

アッ、言いたくなっちゃった。

「教養っていつつくの?

今日よぅ。」って。(;^_^A

 

そして蔦屋と鶴屋はいつか・・・・・。

 

それから江戸城に方々は・・・・。

あっちは気持ち的に辛いので、また今度。

ただ生田さんは大河で、何かを磨いているような気がします。

惡であっても、視聴者には嫌われずに客観視してみてもらえる貴重な存在のような気がします。

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「~様」とお返事し続けていました

2025-05-30 02:20:11 | ありがとう、gooブログ

・「gooで良かった その1」

の続きで「gooで良かった その2」です。

 

その前に

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10月以降は、新しい記事の更新が出来なくなります。そして11月18日には消滅してしまいます。
このトップのお知らせは、goo終了まで載せていく予定です。】

を前回は載せませんでしたので、今回は載せておきますね。

 

人の捉え方は多様だと思うのです。

上の文章を見て、たぶんある人たちは「ああ、そうか。分かりやすかったな。」と思ってくださると思っています。

こんな風に載せているのは、実はワタクシが、皆様にも一つの記事のみの報告ではなくて、同じような事をして頂きたいと密かに思っているのですよ。

ラスト記事にリンクを貼ってくださるのなら、分かりやすいと思うのですが、終わりの時まで2本立てと言うのなら、その報告の記事は埋もれて行ってしまうのがブログだからです。

 

でももしかしたら中には「ああ、この人必死だな。」なんてことを思う人もいるかもしれないななんて、勝手に想像して勝手に不愉快になってしまった(笑)

そうじゃなくて、載せている理由は「分かりやすいでしょ。」なのですが、だけどここで「人の捉え方は多様」を知っているがゆえに、時に勝手に想像して勝手に不愉快になって自滅している自分がいるのです(笑)

 

そう言えばですね、アレはいつからなくなったのでしょうか。

アレと言うのは、病院関係者が、患者さんたちを様付で呼ぶことです。

ちょうどこのブログを始めた事、その様付の呼び方の全盛期だったと思います。

という事はすでに19年前!?

 

あらっ、それってなあにと思う方もいらっしゃるかと思います。
流行っていたのは全国的にではなかったかもしれませんものね。

例えば、佐藤さんと言う患者さんがいらっしゃるとすると、受付から看護士さん、そして先生も(先生はあまり記憶がないが)「佐藤さま~」と呼び出すんですよね。

 

実はアレ、最初は驚きましたが好きでしたよ。

なんか丁寧に接してくださっているような気持になれたからです。

病院と言うところは特別な所じゃないですか。

ちょっと気持ちも重くなるような・・・・・

でも呼び方ひとつで、ちょっと気持ちが軽くなり明るくもなるような気がしましたよ。

それに、これは本当にごくごくごく一部なのですが、トンデモナイ信じられない人が病院には混ざっていることがあると思っていました。

その人たちにとっても、良かったのではないかと感じていました。様と呼んでいる人に暴言は吐きづらいじゃないですか。

と言ってもここの部分は掘り下げませんけれど。

病院がほんの少し心地よい場所になった「様付呼び」。

 

私にとってはそんな風に感じられた、病院での様付呼び。

だけど人の捉え方は多様。

わざとらしくて気持ちが悪いと思っていた人も多かったのかも知れません。

又は呼ばれた方が良い気になって傲慢な態度に出る人もいたのかも知れません。

 

今では番号が主体になっているので、気がついてないだけで、今でもその習慣が残っているところもあるのでしょうか。

いつの間にか無くなっていた習慣に感じています。

 

そしてその様付呼びが全盛だったころに、ブログを開設した私は、その「様」を採用させていただいたのです。居心地のいい場所を目指して。

コメントのお返事のタイトルは「××様」です。

もちろんお手紙のお返事だからという意味合いもあったかもしれませんが、そっちの方が後付けです。

 

これは19年の間にも初めて話したことだと思います。

大した話ではありませんが、ブログ生活、いろいろ考えたり思ったりで楽しかったです。

って、過去形で書いていますが、継続中です(笑)

 

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gooで良かった その1

2025-05-25 16:57:27 | ありがとう、gooブログ

19年間分もの記事をそんなに簡単に引っ越しできるものなのかと、自分の能力で推し量ってしまい、「どんな感じなの。」と、さっさとお引っ越しをしてしまいました。

だけどそれはやってみたらやってみたで、時期尚早だったかとも思ったのでした。

引っ越しして、「では皆様、こちらに来てね。」で移ってしまえば良いものを、gooに未練たらたらです。

で、終わりの時まで居座ることにしたのですが、引っ越し後に、こちらのブログに更新したものだけを簡単に映す手段が私には分かりません。簡単にと思ったらコピペしか思いつきません。

 

しかもこれから先は、出来るだけgooブログで書く意味のあることを書いていきたいと思ってしまったりしたものですから、余計にわけが分からない状態に。

 

それで今までシリーズで書いてきたものは、はてなとgooで同じものを投稿して、gooが消滅してしまっても残せるようにしたいと思います。

 

そしてこちらには、ブログ生活全体の思い出などを、goo様に感謝の気持ちも込めて書いていきたいと思います。

 

だから時には更新が多めに感じる時があるかもしれません。

又は畑生活と陶芸の宿題に追われて、シーンとしているかもしれません。

まあ更新はテキトーです。

 

私はブログと言うものを2006年の1月2日からスタートさせました。

本当は1月1日と言う切りのいい所から書き始めたのですが、慣れていないので数行打ってるうちに日付が変わってしまったのです。

如何にも私らしい。

だからと言って日付修正も出来ず、そのまま1月2日スタートになりました。

でも逆にそんな事が良い思い出です。

 

私がなぜgooを選んだのかと言うと、今ではもうたどり着けませんが、ブログ比較をしてくれているサイトがあって、そこを読んでの決定でした。

「分かりやすく初めての人でも開設しやすい。」という内容が書いてあったと思います。

本当はラッタさんが(息子君です。今ではおじさんです。)やっていたエキサイトブログにしようかと思っていました。

確か、そのサイトには、そこは初心者向きではないと言うようなことが書いてあったように思います。

で、gooにしたのです。

 

初日のアクセス数は「7」。

七ですよ。なな。

でも嬉しかったなぁ。

ラッタさんをつかまえて言いました。

「これ、もしかしたら、全部私自身かしら。」と。

違うよと言われて、私は、読んでくださった人に本当に感謝しました。

なんか今、その時の気持ちを思い出して、涙が出てしまいました。

 

ブログと言うものは育てるものだと思っています。

分かっていますが、「はてな」など、何も更新しないと、昨日などは「6」ですよ。

見向きもしたくない気持ちになります。

もうアクセス数は、どうでも良いなと思いつつ、あまり面白みがないなって思ってしまう自分がいるのです。

思い出せ、自分。あの「7」の嬉しさを。

 

というわけで、又ボチボチと、このシリーズで書いていきますね。

あっ、そうそう。

日記ブログは更新中→売れないもの、見向きもされないもの、売らない方が良いもの | あんずとクウと☆ももちゃんも。

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与野本町にて1万歩。

2025-05-21 23:11:43 | 梢は歌う(日記)

いつもありがとうございます。

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※      ※      ※

5月20日、与野本町に出かけてまいりました。

お目当ては、これ

 

「彩の国さいたま芸術劇場」にての「マクベス」。

とっても楽しみにしていました。感想はまた違う日に書く予定です。

久しぶりの、与野本町。

ふと閃いて、前から行きたかったお店に予約していきました。

 

それは

「ジャルダン ド ヨノ」

凄く素敵なお店でした。

 

お芝居を見た後、駅までの道は薔薇の花がいっぱいでした。

与野本町の駅前は、さながら薔薇の街です。

 

 

駅から「ジョルダンヨノ」、そこから与野公園を通って「さい芸」に、そしてまた駅に。

この日、なんと11000歩越え。

 

アメブロに更新しました。→与野本町駅前は、薔薇の香り | あんずとクウと☆ももちゃんも。

 

 

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