心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ようやく片付きました

2017年10月29日 | ほんのすこし
東京から戻って、火曜日は母の検査の付き添い。
次の日一日中かかって、工事が入る部屋のものを別の部屋に移動。
木・金とベッドのある部屋の壁紙とフローリングを換える工事が入りました。金曜日は午後には工事が終わったので、すぐ移動したものの整理をしながら元に戻す作業へと。

部屋へ移動する前にクローゼットや整理タンスから出した服を再度見直し。
長年着ていなかった服、買ってそんなに経っていなくても体に合わず(太ったから? そこは追求せず)タグがついたままのもの、高級だったのに使うことがなかった服、などなど。もったいないと思って取って置いたけどここでキッパリと。と言いつつもまだ残したものもあるけどね。
それらを大きいゴミ袋にどんどん入れて、ついでに押し入れにある服も再度見直しして、やはりもうこれは・・・というものを探し、どんどん入れて。
それだけで金曜日は暮れていき。

次の土曜日はいよいよ服と雑貨などを運び出し、元の部屋に収め。
ついでに別の部屋も居間も整理し。
段ボールに詰め込んでいたものも処分したり。クローゼットの上にどどんと置いていた古い旅行バッグを下に置き、インテリアに使ってみたかったという念願のことをやって。旅行バッグは前にオークションにはまっていたときにゲットしたもの。この古さと大きさが気に入って、いつか何かに使おうと思っていたけど、ただ物を入れて上にあげていただけ。
今ももちろん、物は入れているけど、見てるだけでなんだかいいなあと思えて。重いから棚がいつか壊れないかと冷や冷やものだけど。

そのうち飽きたらまたどこかへ移動させようっと。
手前にある大きな水瓶?重くてしかもひび割れしている部分があるけど、この茶色と赤の色合いが大好きで20年以上も手元に。
白い椅子はこのマンションに引っ越してきた当時、椅子に夢中になっていてネットで見つけたもの。座面は白。こんな風に。



白いから汚れやすいなと思って、アジアンテイストのタペストリーを置いていたんだけど、たまには白い座面を出しているのもいいかも。
片付けるとあちこちから忘れていたものが出てきたりして、片付けながら見てしまうから時間がかかってしまう。母に電話したら
「今までかかるなんてどれだけ散らかっていたんだ?」と笑われてしまった。
確かに(笑)。
そして電話したときに、母と叔母がわたしが出した不要の服を出してファッションショーをしているところだと言われた。想像がつく。きっとワイワイ騒ぎながら着ているのだろう。

新しい床が見える。
新しいから見てるだけで気持ちがいい♪


悲しいことがあります

2017年10月29日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

だれにも分からないと思います
わたしだけの辛いことです

そんなつぶやきを何度繰り返してきたことでしょう
そんな心を誰にも分からぬように
自分の胸に入れていたのです

悲しいこと
辛いこと
苦しかったこと
全部はき出して
はき出したことでスッキリできた?
ううん そうじゃない

はき出しても
そこに自分だけしかいなかったら・・・

だから
はき出した自分が自分の一つだと思うことにした
だって
自分はそれだけじゃない
他にももっと違う自分がいる!

そう思ったらすご~く軽くなった
わたしには沢山のわたしがいるんだって

※※※

母の玄関前にある菊
見事なまでのワインカラー
ハッとして目を止める

生き生きとした生命力に
ただただ圧倒される瞬間だ
ありがとう
あなたがそこにいてくれて嬉しいよ
咲き誇る瞬間を夢に描いて育てた母の気持ちが
なんだか見えた気がした

※※※



「嬉しいよね~」

2017年10月29日 | 母のこと
昨年、娘が里帰り出産で三か月ほどここに滞在していました。上の子、まだ三歳になる前の孫を連れて。
孫はおしゃべりが上手で、大人との会話にも慣れていて、母も叔母も母のご近所さんもそれはそれは孫がいると喜んでいました。
小さな子供がいるというだけでその空間がいつもとは違ったものになるという、魔法のような時間だったとも言えるかもしれません。

そんな蜜月?のような時間が過ぎ、今は母との生活に戻っているわけですが。
時折、娘がアップするインスタグラムでの孫たちの様子を母のところに行ったときに見せています。特に動画だと孫の様子(母にとっては曾孫ですが)が分かりやすいのでとても嬉しそうに覗いています。覗きながら手にもつと、どういうわけか「元に戻る」という←を押してしまうようで、
「あれー、見えなくなったよ」と助けを求めてきます。
もう何度もやっているので、すぐ戻してあげますが、最近「自分で持つのは手が疲れるし、お前が持ってくれ」と言われました。
まあ、それが一番安全かなとは思うのですけどね。
スマホぐらいのものも長く持てなくなっているんだなと思ったりします。

そんな曾孫のことを見た後で、母が必ずといっていいほど話すことがあります。
昨年、叔母(母の10歳下の妹)が母のためにとガーゼで出来た部屋着をプレゼントしてくれました。ちょうど孫がまだいたときで、わたしが台所に立っていて、孫は誰も相手がいなかったので母のそばにやってきたらしいです。
そのとき母がプレゼントの部屋着を広げて見入っていたら、
「何してるの」と聞いた孫。
「ん~、○○ばあちゃんからもらったんだよ」と応えると、一呼吸おいて
「・・・ 嬉しいよね~」と言ったんだとか。

母はそのときの言葉と孫の様子がまだ脳裏にあるらしく、ことある毎にそのときの「嬉しいよね~」を言います。
大人だったら言うかしら。
素直に、ひょいと出た言葉なのかもしれませんが、その素直さに母は感動したのでしょう。
プレゼントされた、ということは孫も何度か味わったことでしょう。そのときの自分の気持ちを思いだして言ったのかもしれません。
自分の思ったことを素直に出せる、そんな幼い時が自分にもあったんだよなあと今の自分と比べていました。

「嬉しいよね~」としみじみと言われたり、言ってみたり。
そんなひとときがあったら、わたしもずっと忘れないだろうなあ・・・