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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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都会の片隅で

2016年02月18日 | ほんのすこし
化粧を落とした。
まだ水からお湯に変わらないまま、待つのが惜しかったのはなぜだろう。少し待てばぬるま湯に変わっていくのに。
まるで素のままの自分がそこにいなかったということを打ち消すかのように、慌てた様子で化粧落としジェルを塗りこそげとるようにファンデーションを洗い落とした。洗顔料でさらに荒い落とすと、肌が呼吸している気がした。
基礎化粧品をポーチから出すと、旅用にと以前から用意していた携帯用の基礎化粧品セットが出てきた。使い慣れていたはずだったが、新品の携帯用のエキスと書いた文字が見える容器のふたはきつくしまってあり、新鮮な手応えがあった。いつも使っているのに、手の平にぽとりと落とし顔の数カ所に点々とつけたとき、その匂いが違っていることに気づいた。それは昔嗅いだことのある懐かしさを伴って鼻腔をくすぐった。ある種の葉っぱの匂いとでも言おうか、冬の最中に真夏を思わせるそんな新鮮な感覚を覚えた。

新しくなった化粧品です、と宣伝されていなかったか?
これが新しくなったということか。
懐かしさが漂う新しさというものも何か不思議な気がしたが、新しくて古い感覚がまだ自分の中にあるということに驚きを感じていた。この都会の片隅でわたしはひとり、誰ひとり知る人もいない。洗面台の鏡に向かって作り笑いをしてみた。確かに自分だ。少し笑い方がぎこちないが確かに自分がそこにいた。

一日、外に出ないで部屋に閉じこもっていると、せっかく都会に来たのに、どこかへ行って見ればと言われるが、人ごみが苦手だから黙々と作業に徹していたほうが性に合っている。窓から見える空の青さが、どこも同じだということに少なからず驚きを感じながら、都会の空だってきれいじゃないかと。
ほんの少しの日常のフェイントがこの都会への旅だったとしても、何らわたしにとって変化が訪れるとは思えない。確かに身体的にはいつもとは違う痛みもあるが、たぶんそれは一過性のものだ。元の生活に戻れば自然に解消される。
都会の雑踏に立つと、多くの人間が行き交うことに今更ながら驚く。どこから湧いてきたのかと思うほどの人間たち。ここを出てどこへ向かっているのだろう。わたしには行く当てがあるが、行く当てのない人間もいるのだろうか。
都会の片隅でまだ細々と行き急ぐ群れ、その中のたった一人でしかないわたしだが、新しい化粧品の匂いに古い記憶が混ざり合って解け合ったことにわたしだけの秘密を見つけた気がするのだ。

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『怒り」吉田修一著上下巻
刑事物だとばかり読み進めて行くと、徐々に違和感を感じて行く。そこにあるのは人間として信じることがどれだけの意味を持つのかということだ。信じていたものがゆらぐとき、自分のそれまでの人生が変化していく。ひとつの事件はひとつではなく、それぞれの人生をも変えて行く。はたしてそれを無関係だと言い切れるのか、言い切れない何かが最後まで残る。謎解きなどではなく、人間模様の切なさが主体となった見事な小説だ。
テレビを見る時間がほとんどない。というより見る気持ちがわかない。ここへ来て小説を読む時間が増えた。こういう時間もまた楽しいものだ。

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