小さい頃から 母の日があることを教えられ、学校では帰りがけに造花のカーネーションを持たされて先生から
「お母さんに いつもありがとうって言うんですよ。」
と言われ そういうものなんだと思ってその通りにしてきた。
母はわたしや弟からのその花を嬉しそうにもらっていたと思う。
あの頃 母は朝早くから遅くまで働いていて、夕食はいつも8時近くになっていた。すぐ近くが職場でもあり親戚でもあったので わたしたち姉弟は 母の顔見たさにそこに行ったものだ。たまには母の手助けをしたがったり。弟はやんちゃで 結構母の手をわずらわしていたことも・・・
母が働いている姿を見るのは 痛々しさも感じたりしたが、安心感も感じていた。いつもそばにいるという安心感。
母はそこで覚えた新しい料理をときどき作ってくれた。材料は高いものは使えなかったので 安いもので代用するのだが、それでもシチューなど市販のルーを使わず作るので すごく美味しかったのを今でも覚えている。そういった洋風の料理を勤め先の社長宅で覚えてくるのだった。
母というと なぜか料理を思い浮かべるのは、わたしだけではない気がする。
自分が育った家の料理、その味がいつまでも脳裏に残り 懐かしさを感じるのは、そこに自分の小さい時の思い出が介在するからだろう。
忙しさの中でもわたしたちのことを気にかけてくれていた母。自分の伴侶は 両親を早くに亡くし 父親というものがどう子供に接したらよいのかわからない人なのだということがわかり、母は「自分がこの子たちの父親の部分もこなそう」と思ったのだという。これは父が亡くなってから 二人で父のことを思い出していたときに母が語ったことだった。
「わたしの父さんは 子供が苦手なのかな?」と思ったこともあったが、それを別にことさら強く感じもしなかったのは 母の努力があったからだろう。わたしたちにそれを感じさせる余裕を与えず、不満を抱かせないように心がけていたからに違いない。
だからといって 父が冷たい人であったわけではない。父は優しい人間だった。黙ってそこにいるだけで なんだか心が休まる そんな人でもあった。母はそういう父の姿が好きだったに違いない。父に余計な気苦労をかけたくないという妻こころ(?) それが一貫として母の中には存在していた。
時折 昔のことをついばむように話す母を見ていると、そんなことがあったの?!と驚くことがたくさんある。それでも 母は苦労してきたことを楽しそうに振り返る。
「そんなことがあっても 今はこうしてこんなに長生きできているんだねぇ。ありがたいねぇ。」
背もたれにどんと寄りかかりながら 目を細めて笑っている母。
そんな母を見ていることが とてもしあわせで、一日一日がとてもしあわせで・・・
病気がちで大変だけど 動ける範囲も狭くて もっと広い世界を見せてあげたいと思うけど、今のこの生活が十分満足できると言ってくれることが とても嬉しくて・・・
小さい頃は思えなかった。母の日があるってどういうことか。何も深く考えずにありがとうと言っていた気がする。
今は 今日があって良かったと思える。
「母の日」
自分がこの世に存在すること それは母や父がいたから。ありがとう ほんとにありがとう。
あなたたちの子どもはもうこんなに大きくなってしまいましたよ。辛いこともあったけど、楽しいことや嬉しいことの方がたくさんたくさんありましたよ。生きていて本当に良かったと思えるようになりましたよ。
今日は母にカーネーション 持って行こうと思う。
「お母さんに いつもありがとうって言うんですよ。」
と言われ そういうものなんだと思ってその通りにしてきた。
母はわたしや弟からのその花を嬉しそうにもらっていたと思う。
あの頃 母は朝早くから遅くまで働いていて、夕食はいつも8時近くになっていた。すぐ近くが職場でもあり親戚でもあったので わたしたち姉弟は 母の顔見たさにそこに行ったものだ。たまには母の手助けをしたがったり。弟はやんちゃで 結構母の手をわずらわしていたことも・・・
母が働いている姿を見るのは 痛々しさも感じたりしたが、安心感も感じていた。いつもそばにいるという安心感。
母はそこで覚えた新しい料理をときどき作ってくれた。材料は高いものは使えなかったので 安いもので代用するのだが、それでもシチューなど市販のルーを使わず作るので すごく美味しかったのを今でも覚えている。そういった洋風の料理を勤め先の社長宅で覚えてくるのだった。
母というと なぜか料理を思い浮かべるのは、わたしだけではない気がする。
自分が育った家の料理、その味がいつまでも脳裏に残り 懐かしさを感じるのは、そこに自分の小さい時の思い出が介在するからだろう。
忙しさの中でもわたしたちのことを気にかけてくれていた母。自分の伴侶は 両親を早くに亡くし 父親というものがどう子供に接したらよいのかわからない人なのだということがわかり、母は「自分がこの子たちの父親の部分もこなそう」と思ったのだという。これは父が亡くなってから 二人で父のことを思い出していたときに母が語ったことだった。
「わたしの父さんは 子供が苦手なのかな?」と思ったこともあったが、それを別にことさら強く感じもしなかったのは 母の努力があったからだろう。わたしたちにそれを感じさせる余裕を与えず、不満を抱かせないように心がけていたからに違いない。
だからといって 父が冷たい人であったわけではない。父は優しい人間だった。黙ってそこにいるだけで なんだか心が休まる そんな人でもあった。母はそういう父の姿が好きだったに違いない。父に余計な気苦労をかけたくないという妻こころ(?) それが一貫として母の中には存在していた。
時折 昔のことをついばむように話す母を見ていると、そんなことがあったの?!と驚くことがたくさんある。それでも 母は苦労してきたことを楽しそうに振り返る。
「そんなことがあっても 今はこうしてこんなに長生きできているんだねぇ。ありがたいねぇ。」
背もたれにどんと寄りかかりながら 目を細めて笑っている母。
そんな母を見ていることが とてもしあわせで、一日一日がとてもしあわせで・・・
病気がちで大変だけど 動ける範囲も狭くて もっと広い世界を見せてあげたいと思うけど、今のこの生活が十分満足できると言ってくれることが とても嬉しくて・・・
小さい頃は思えなかった。母の日があるってどういうことか。何も深く考えずにありがとうと言っていた気がする。
今は 今日があって良かったと思える。
「母の日」
自分がこの世に存在すること それは母や父がいたから。ありがとう ほんとにありがとう。
あなたたちの子どもはもうこんなに大きくなってしまいましたよ。辛いこともあったけど、楽しいことや嬉しいことの方がたくさんたくさんありましたよ。生きていて本当に良かったと思えるようになりましたよ。
今日は母にカーネーション 持って行こうと思う。