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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

母の日に思う

2014年05月11日 | 母のこと
小さい頃から 母の日があることを教えられ、学校では帰りがけに造花のカーネーションを持たされて先生から
「お母さんに いつもありがとうって言うんですよ。」
と言われ そういうものなんだと思ってその通りにしてきた。
母はわたしや弟からのその花を嬉しそうにもらっていたと思う。

あの頃 母は朝早くから遅くまで働いていて、夕食はいつも8時近くになっていた。すぐ近くが職場でもあり親戚でもあったので わたしたち姉弟は 母の顔見たさにそこに行ったものだ。たまには母の手助けをしたがったり。弟はやんちゃで 結構母の手をわずらわしていたことも・・・
母が働いている姿を見るのは 痛々しさも感じたりしたが、安心感も感じていた。いつもそばにいるという安心感。
母はそこで覚えた新しい料理をときどき作ってくれた。材料は高いものは使えなかったので 安いもので代用するのだが、それでもシチューなど市販のルーを使わず作るので すごく美味しかったのを今でも覚えている。そういった洋風の料理を勤め先の社長宅で覚えてくるのだった。

母というと なぜか料理を思い浮かべるのは、わたしだけではない気がする。
自分が育った家の料理、その味がいつまでも脳裏に残り 懐かしさを感じるのは、そこに自分の小さい時の思い出が介在するからだろう。
忙しさの中でもわたしたちのことを気にかけてくれていた母。自分の伴侶は 両親を早くに亡くし 父親というものがどう子供に接したらよいのかわからない人なのだということがわかり、母は「自分がこの子たちの父親の部分もこなそう」と思ったのだという。これは父が亡くなってから 二人で父のことを思い出していたときに母が語ったことだった。
「わたしの父さんは 子供が苦手なのかな?」と思ったこともあったが、それを別にことさら強く感じもしなかったのは 母の努力があったからだろう。わたしたちにそれを感じさせる余裕を与えず、不満を抱かせないように心がけていたからに違いない。
だからといって 父が冷たい人であったわけではない。父は優しい人間だった。黙ってそこにいるだけで なんだか心が休まる そんな人でもあった。母はそういう父の姿が好きだったに違いない。父に余計な気苦労をかけたくないという妻こころ(?) それが一貫として母の中には存在していた。

時折 昔のことをついばむように話す母を見ていると、そんなことがあったの?!と驚くことがたくさんある。それでも 母は苦労してきたことを楽しそうに振り返る。
「そんなことがあっても 今はこうしてこんなに長生きできているんだねぇ。ありがたいねぇ。」
背もたれにどんと寄りかかりながら 目を細めて笑っている母。
そんな母を見ていることが とてもしあわせで、一日一日がとてもしあわせで・・・
病気がちで大変だけど 動ける範囲も狭くて もっと広い世界を見せてあげたいと思うけど、今のこの生活が十分満足できると言ってくれることが とても嬉しくて・・・

小さい頃は思えなかった。母の日があるってどういうことか。何も深く考えずにありがとうと言っていた気がする。
今は 今日があって良かったと思える。
「母の日」
自分がこの世に存在すること それは母や父がいたから。ありがとう ほんとにありがとう。
あなたたちの子どもはもうこんなに大きくなってしまいましたよ。辛いこともあったけど、楽しいことや嬉しいことの方がたくさんたくさんありましたよ。生きていて本当に良かったと思えるようになりましたよ。

今日は母にカーネーション 持って行こうと思う。

あちこちで花が

2014年05月11日 | ほんのすこし
北国の春は 花が一斉に咲き始めます。早朝に歩いていると 朝露に打たれた水仙の花があとわずかの命を懸命に生きながらえようとしているように朝露の重みにも耐えて 地面すれすれのところで踏ん張っている姿を見せていました。

5時半から6時ころというのは あまり人も歩かず、時折 犬の散歩の方と出あうのですが、それも少ないみたいです。それがなんだか気楽でこの時間帯を好んで歩いています。だって通りの真ん中を歩いていても大丈夫なんですよ(笑)。
通りの真ん中といえば 学生の頃、寮の仲間と夜明けの広い通りを手をつないで通りの端から端まで数メートル歩いたことを思いだしました。今は考えられないことですが、わたしが学生だった頃は、明け方に大きな通りを飛ばしていく車なんて そうそういなかったのです。県庁所在地にある駅前のミスドまで繁華街から歩いて(寮の先輩がアルバイトしていたお店からみんなで手伝ったその帰りのこと)いて その途中で誰かが言いだした「この道いっぱいに広がって歩いてみようよ」という言葉に 若さというか馬鹿さというか そんなノリでみんなで広がって歩いた記憶が。早朝のその場面が時折思い出されます。誰もいない、自分たちだけがいるその道を手をつないで ご機嫌なみんながわいわい話しながら・・・今 ずいぶん危ないことをしたものだと。でも 最後まで車が来なかったのは奇跡?今は無理な話ですが。そんな遠い昔のことを歩きながら思いだしていました。

その後 みんなで入ったミスドで何を食べたのか・・・それは思い出せませんが、あのときのみんなはきっとそれぞれの道でそれぞれの生きるすべを考えながら この年月を生きているのだろうなと今朝は ちょっとしんみり。

冒頭の画像とタイトルからまたまた離れてしまいました。いつものことですが・・・。