藍と白 藍と白 そればっかり(笑)
娘が教えてくれた。今 東京で平山郁夫氏の展示会が開催されていると。
ラピスラズリを使った青、きっとすごいだろうな。
わたしの手元にあるラピスラズリのネックレスを見ながら、これを砕いたら どんな風になるんだろうとか思ってしまう。
でも せいぜいわたしが使うのは 安い材料。それでも描いていると気持ちがいい。
人が目覚める前の時間、世界は寝静まっていて、さぁ これからだよ、一日の始まりは、といった雰囲気があって、朝のまだ始まらない頃を思う。かすかに夜明けはそこに来てるんだけどね。まだ・・・ちょっと待ってって。そういう時間を描きたいんだけどね。
この二枚は 筆の使い方の練習のつもり。筆の使い方で全然違うものが画面に出てくる。私の場合 その一時的な発見?は次に生かせるかどうかは疑問。忘れてしまうのだ。以前描いたものを見ても どうやってここの部分を描いたの?といった疑問があったりして(笑)勢いで描くことが多いから しかもコンスタントに描かないから、忘れてしまう。まぁ それがわたしの絵に対する距離感なんだろうね。絵はわたしそのものを代弁するものではない。わたしにとっては言葉が最初にありき なんだと思っている。絵はそこに付随するもので、しかも重要な役割を担っている とか?そう思いたい感じで、実はそう言い切れるだけのものがないなぁ・・・もっとこれだ!と言えるものがあればと。
いつだって自信がないのだ。そう思って○○年生きてきた。今 ここに来て自信って 別に持たなくてもやりたいことをやっていけばいいんじゃないかと。自信という言葉は他者と比べるためにあるのかなと。自分の昨日と比べれば、そんなに自信に執着しなくても、あぁ少しは前に行ってるのかなとか 感じれて、それでその日がハッピーに思える、それがいいのかなと。
誰かと比べるより 自分の過去と比べて自分がいくらかでも前に進んでいるとわかったほうがずっといい。だって 自分の人生は誰かのためにあるのじゃないから。誰かと比べて自己嫌悪に陥るためにあうのじゃないから。自分がこんなことをやってみたい、やってみたら自分には合わないなと思っても やってみないとわからない、自分の可能性ってやってみないと全然わからないんだよね。やる前から決めている自分がいるってことが そもそも停滞ってことなのかも。
いつになく朝早く目覚め、なんだかんだと思ってるわたしです(笑)
娘が教えてくれた。今 東京で平山郁夫氏の展示会が開催されていると。
ラピスラズリを使った青、きっとすごいだろうな。
わたしの手元にあるラピスラズリのネックレスを見ながら、これを砕いたら どんな風になるんだろうとか思ってしまう。
でも せいぜいわたしが使うのは 安い材料。それでも描いていると気持ちがいい。
人が目覚める前の時間、世界は寝静まっていて、さぁ これからだよ、一日の始まりは、といった雰囲気があって、朝のまだ始まらない頃を思う。かすかに夜明けはそこに来てるんだけどね。まだ・・・ちょっと待ってって。そういう時間を描きたいんだけどね。
この二枚は 筆の使い方の練習のつもり。筆の使い方で全然違うものが画面に出てくる。私の場合 その一時的な発見?は次に生かせるかどうかは疑問。忘れてしまうのだ。以前描いたものを見ても どうやってここの部分を描いたの?といった疑問があったりして(笑)勢いで描くことが多いから しかもコンスタントに描かないから、忘れてしまう。まぁ それがわたしの絵に対する距離感なんだろうね。絵はわたしそのものを代弁するものではない。わたしにとっては言葉が最初にありき なんだと思っている。絵はそこに付随するもので、しかも重要な役割を担っている とか?そう思いたい感じで、実はそう言い切れるだけのものがないなぁ・・・もっとこれだ!と言えるものがあればと。
いつだって自信がないのだ。そう思って○○年生きてきた。今 ここに来て自信って 別に持たなくてもやりたいことをやっていけばいいんじゃないかと。自信という言葉は他者と比べるためにあるのかなと。自分の昨日と比べれば、そんなに自信に執着しなくても、あぁ少しは前に行ってるのかなとか 感じれて、それでその日がハッピーに思える、それがいいのかなと。
誰かと比べるより 自分の過去と比べて自分がいくらかでも前に進んでいるとわかったほうがずっといい。だって 自分の人生は誰かのためにあるのじゃないから。誰かと比べて自己嫌悪に陥るためにあうのじゃないから。自分がこんなことをやってみたい、やってみたら自分には合わないなと思っても やってみないとわからない、自分の可能性ってやってみないと全然わからないんだよね。やる前から決めている自分がいるってことが そもそも停滞ってことなのかも。
いつになく朝早く目覚め、なんだかんだと思ってるわたしです(笑)