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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

藍と白 藍と白・・・・

2011年02月04日 | 絵・粘土(パステル・アクリルなど)
藍と白 藍と白 そればっかり(笑)

娘が教えてくれた。今 東京で平山郁夫氏の展示会が開催されていると。
ラピスラズリを使った青、きっとすごいだろうな。
わたしの手元にあるラピスラズリのネックレスを見ながら、これを砕いたら どんな風になるんだろうとか思ってしまう。
でも せいぜいわたしが使うのは 安い材料。それでも描いていると気持ちがいい。

人が目覚める前の時間、世界は寝静まっていて、さぁ これからだよ、一日の始まりは、といった雰囲気があって、朝のまだ始まらない頃を思う。かすかに夜明けはそこに来てるんだけどね。まだ・・・ちょっと待ってって。そういう時間を描きたいんだけどね。
この二枚は 筆の使い方の練習のつもり。筆の使い方で全然違うものが画面に出てくる。私の場合 その一時的な発見?は次に生かせるかどうかは疑問。忘れてしまうのだ。以前描いたものを見ても どうやってここの部分を描いたの?といった疑問があったりして(笑)勢いで描くことが多いから しかもコンスタントに描かないから、忘れてしまう。まぁ それがわたしの絵に対する距離感なんだろうね。絵はわたしそのものを代弁するものではない。わたしにとっては言葉が最初にありき なんだと思っている。絵はそこに付随するもので、しかも重要な役割を担っている とか?そう思いたい感じで、実はそう言い切れるだけのものがないなぁ・・・もっとこれだ!と言えるものがあればと。
いつだって自信がないのだ。そう思って○○年生きてきた。今 ここに来て自信って 別に持たなくてもやりたいことをやっていけばいいんじゃないかと。自信という言葉は他者と比べるためにあるのかなと。自分の昨日と比べれば、そんなに自信に執着しなくても、あぁ少しは前に行ってるのかなとか 感じれて、それでその日がハッピーに思える、それがいいのかなと。

誰かと比べるより 自分の過去と比べて自分がいくらかでも前に進んでいるとわかったほうがずっといい。だって 自分の人生は誰かのためにあるのじゃないから。誰かと比べて自己嫌悪に陥るためにあうのじゃないから。自分がこんなことをやってみたい、やってみたら自分には合わないなと思っても やってみないとわからない、自分の可能性ってやってみないと全然わからないんだよね。やる前から決めている自分がいるってことが そもそも停滞ってことなのかも。

いつになく朝早く目覚め、なんだかんだと思ってるわたしです(笑)

携帯の待ち受け

2011年02月04日 | ほんのすこし
最近 携帯の待ち受けをクリスマスツリーから替えた(って かなり遅すぎじゃないか/笑)

なんかね、待ち受けを見せてくれる方 みんなというぐらい 自分の子供とか孫とかの画像だったりするんですよ。
単純にいいなぁって(笑)

だから わたしも替えましたよ。
このお正月に帰省していた娘と息子が母と一緒にいたところをパシャりと写した画像があったので、しかもそれがなかなか三人ともにいい顔だったので。
ひとりで何度も開いては 三人の顔を見てほくそ笑んで・・・ただし、なんか画像が小さくていまいち物足りないんだよねぇ~。

さて、この待ち受け 誰に一番最初に見せようかね。美男美女だよと(笑)、母に関してはダイエットを目標にしているけどね。母の足がまたまたむくんでいるようで、弟が昨日話していた。今日も行けないけど、明日には顔を見に行けるはず。早くこの雪の冬が去って 外に出れるようになってほしいなぁ。動かないとカロリー消費は無理な気がする。母が元気でいれくれること、それが今のわたしの願いのひとつだ。
わたしにとって いつも先を見ている母は大事な存在だ。言わなくても必要な時に答えを出してくれたときがたくさんある。それが親の存在なのだとこれまでも感じてきた。特に自分が親の世代になってからは その思いはひとしお。
人の生きる道筋は そんなに大差ない。生まれて成長して大人になり死に至る。その中でどんな風に生きたかが 微妙に違う。大差ない部分で悩むのは止めにして、微妙に違うところでもがいて自分なりの生き方を享受していきたいものだ。生かさせているあとどのくらいの時間かわからないものに対して 大事にしたいと思えるこのごろ。