心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

母の日に

2021年05月08日 | 母のこと
毎年、母の日を祝って、紫陽花の好きな母に紫陽花を選んでいます。
今年はネットで「ダンスパーティ」というネーミングの紫陽花を。
ピンクがとても綺麗な紫陽花でした。

最初は玄関に置いていたのですが、カーテン越しの光が当るほうがいいだろうと居間の窓際においてみました。下にあるのは昔ハーフワインの6本入りを買ったときに入っていた木箱です。なかなかおしゃれな木箱なので取って置いたのです。その上においたのですが、母にはどうもその木箱のままというのが気にくわないらしく、(彫り込まれたワインのスペルもわたしにはとてもいいなと思えたのですが)上に被せる布を探してほしいと言われました。

仕方が無いので(内心しぶしぶ)探してきて、厚手のレースを被せました。
「ほら! こっちの方がずっといい!」
母が満足げな顔で言いました。
被せてみると、ピンクの紫陽花にとても似合っていたので、わたしも母のセンスに脱帽でした。

昨日の夕方、母が突然
「あー!」と叫ぶので指さす方を見ると、なんと紫陽花がみんなだらんと下を向いているではありませんか。びっくりして
「母さん、どうしよ、どうしよ」と言うと
「お前、水をやったか? 紫陽花は水がほしいんだよ」と答えました。

もうすっかり忘れてしまっていたわたしは、慌ててたっぷり水をあげました。
その後、夜に見ると、紫陽花は見事に復活していました!
安心して眠りにつくことができたというお話でしたとさ♪


お休み前に

2021年04月02日 | 母のこと
そろそろ二人共眠る時間が迫ってきた。
母はだいたい午後九時前後にベッドに入る。わたしはその後、ソファで録画していた番組や本を読む。

今日も母が歯磨きと吸入をするためにソファから立ったあと、わたしの巣作りをした。
ちょうど終わったときに、吸入をすませた母が戻ってきた。
わたしが何気なく、「ご苦労様」の意味を込め軽く母をハグした。

すると
「あら、こちょっとしたかったのね」とちょっと嬉しそうな顔をした母がいた。
ふだん、そんなふうに軽くハグすることなんてなかったから、びっくりしたのかも。
でも、嬉しそうな顔を見て、触れあうことを求めているのかなと反省。
言葉では何かしら出していても、触れあいを出すことは苦手だったのかなと反省。

たくさん触れあってたくさんおしゃべりして・・・なかなか出来ないけど、出来ることをやっていけたらなと思う。負担にならないよう、互いに心配せぬように。






大丈夫、大丈夫

2021年03月16日 | 母のこと
昨夜、夜中には更新が無理になるのかなと心配しましたが、母の様子も落ち着いています。
朝になったら病院に連れて行かなくちゃならないと思っていました。

夜中に突然、ベッドで吐いてしまい、それが長く続いたので、前に入院したときのことを思い出し、またそうなのかなと思ってしまったのです。
吐いているときは頭が真っ黒になっていたようで、全部出したらいくらかスッキリしたのか、その後は何度か下着を取り替えたり、汗を取ったりしているうちに眠っていったようでした。

朝は病院に・・・と思っていたので、お粥を準備。
台所に立っているうちに目が覚めたようで、そばにいって顔をのぞき込み
「どう?」と聞いたら、
「頭の暗いのはなくなったし、なんだかスッキリした」と顔色も明るくなっていました。
「病院は?」と聞くと
「吐いたら良くなった」
「何が悪かったのかな・・・同じ物を食べたのにな」
「お前と同じものを食べても、あたるときはあたるんだよ。こっちの方が弱いしな」
そうか・・・
もしかしたら、カニの玉子炒めかな、豚肉焼きかな。まさか切り干し大根煮ってことは無いよね?
無い頭を絞ってもどれが母に悪さをしたのか検討もつかず。わからないのでとりあえず残っているおかずは母には出さないことにします。
というか、処分した方がいいかもしれないなあ。

わたしもこの冬に牡蠣にあたって苦しんだから、あのときは死ぬかと思うほどだったから、母の苦しさがわかる。そして、胃の中に何も無くなったときのスッキリ感もわかる。

今はかなり落ち着いていて、しっかりしているように見える。
しばらくは要観察という感じで見守ってみよう。食べ物は極力、柔らかくして出してみよう。

※※※

昨日は慌てていて、更新できないかも、なんてスマホから発信してしまい、いらぬ心配をおかけしました。
今の所大丈夫そうです。
あ、あまり大丈夫って言わないほうがいいか(笑)心の中で「大丈夫、大丈夫」って言いきかせています。

※※※


冷徹おなご

2021年03月01日 | 母のこと
先週の木曜日、久しぶりに友だちと新しくできたというカフェ&レストランでティータイムを。
同時にそこで開催されていた地元の画家の展示作品も拝見した。
そのことについては後で。

その場所は蔵をリフォームして建てていて、なかなか雰囲気のある佇まい。
入っていくとすぐに消毒する場所があり、その脇に見たことのない装置があった。わたしが首をかしげると、友だちがここの丸いところに手首を見せればいいよと教えてくれた。体温を測る装置らしい。
友だちは「35.1度」だった。
わたしは・・・その通りやってみたら・・・

えっ?

33.1度?

ふたりで顔を見合わせた。スルーすることにした(笑)

その話を帰ってから母に教えた。
そして、昨日の日曜日はほくしか鹿鳴ホールに行って、ゴスペルのミニコンサートを楽しんだ。そのときのことも後で紹介できたらなと思っている。
会場に入るとコロナ対策で消毒液と別の検温装置があった。今度はわたしの姿が映って、ちょうど顔の額部分に数字が出る。「35.5度」と出ていた。
まずまずいいだろうね。
で、帰ってきてから母に「今度は体温がちゃんと35.5度だったよ」と知らせた。

最近、午前中に鼻水が出る。でも午後になると必ずピタッと止まる。これはすでに花粉症か? 
今日もそんな感じで、鼻をグズグズしていたら母が
「やっぱり花粉症だな」と言うので、
「なんといっても33.1度しかないわたしですから、風邪ではないでしょう!」と答えた、すると
「冷徹おなごだからな♪」と言われてしまった。

冷徹おなご(女)ですと!
思わず笑ってしまった。
二人で朝の笑いを一丁♪ しばらく笑っていたとさ。


シュワッチ♪

2021年02月24日 | 母のこと
我が家は各部屋に照明のリモコンがついている。
一階は母のベッドがある部屋と居間が大きな三枚扉を開けると一続きになっていて広くなる。ストーブも一つだけなので、扉は開けっ放しだ。
で、照明は壁に据え付けているものもあり。



このスイッチがあるので、キッチンのリモコンは使っていない。もっぱらリモコンを使用するのは、リビングのみ。
しかし、そのリビングのリモコン、どういうわけか母の眠るベッドの部屋の照明にも反応してしまうのだ。
毎日、リモコンをつけると二つの部屋の照明が同時に付いてしまったり消そうと思うと二つとも消えたり。

で、わたしは点けたり消したりしたい照明のある部屋の方に向けて(違う部屋の照明から隠れるように)リモコンを使う。
そうすればうまい具合に思い通りになる。
ところが、母がやろうとすると全然うまくいかない。
どうも身長が低いせいで、照明の位置との関係がうまくリモコンと作動しないようだ。
母は何度も挑戦し、なんとか照明から隠れて違う照明をつけている。

昨日、そんな苦労を知っているわたしの前で、母が夕方リモコンを手にした。
そして、やおらリモコンを「シュワッチ♪」と動かして(右手を挙げて左手で持っていたリモコンを照明に向けて)「点灯」ボタンを押したのだ!

そのあまりにもスムーズな作動にびっくりどっきりなわたし。
いつのまにそんな技を・・・といった感じ。
ちょっと照れくさそうな顔の母がいた。

それにしても「シュワッチ」って感じがなんとも面白くて、しばらく笑い転げていましたよ♪
母さん、お主やるな(笑)


巣作りって

2021年02月20日 | 母のこと
年末から母のそばで寝ることが続いている。
もう心配はないみたいだけど、一階で寝ると二階の暖房費が浮くよね。そんな気分で。でも、夜中に母が何度かトイレタイムを取るので、その様子をそっと見ていることも多く、歩くのがとても遅くトイレに行って戻ってくるまで安心できないこともある。
戻ってきてから下着や中に入れているタオルの交換(汗をかくので)もあり、自分でやるとは言うものの、わたしが起きているときには手伝いをする。わたしが眠り込んでいるときには、かなりの時間をかけているようだ。それでも自分でやるほうが相手に気を遣わなくてもいい、とは母の弁。

そばで眠った最初の頃はほとんど眠れなかったけど、今は母が起き出しても気がつかないときもある。
毎日母のそばのソファに寝ているので、だいたい午後8時半過ぎると母が自分が座っていたソファからおもむろに立ち上がり(動作はとても緩慢で、立ち上がるまでかなりの時間を要する)、立ち上がった先のソファを指さしこう言う。

「そろそろ巣作りの時間じゃないかい?」

巣作りって・・・最初に聞いたときはその表現があまりにも当てはまっているために母の語彙力に驚いたものだ。
たしかに巣作りのごとく、ソファにおいてある母が座るために必要な様々なもの(母にとっては欠かせないものが沢山あるのだ)を別の場所に移動させ、本来のソファの形になったところで、大判バスタオルを敷き、枕代わりのクッション(ソファは枕だと頭が高くなりすぎるのだ)にもバスタオルを巻き、大きめのタオルケットと軽くて触り心地の良い毛布(この二枚ははずせない)を伸ばしておく。

掛け布団は今のところ必要ない。我が家では一階は母が居心地いいようにほとんどストーブはつけっぱなし。喘息持ちなので、空気が冷たくなるのは発作に繋がる恐れがあるためだ。新しい家はその点かなり空調が安定していて今の所大丈夫だ。
だから、ソファで寝ていても寒くは無く、逆に夜中に暑くて汗をかいていることが多い。

母が言うところのわたしの巣作りが出来上がったのを確認すると、母はベッドに入る。そしてベッド脇のワゴンの上にあるCDラジカセで今は林部智史さんやトランペッターのニニ・ロッソのCDを聞く。耳が遠いので音量が大きくないとだめなところが難点だ。わたしに気を遣い
「音を高くしてもいいか?」と言う。どうぞどうぞ、母さんの好きなように。

そして三枚ドアの一枚だけを顔に照明が当らないように引く。
「好きなテレビを見ればいいよ」と言って。
午後9時に寝るということはなかなかできないので、その状態で録画していた番組を見るわたし。ドアの向こうからは林部さんの歌が聞こえる。テレビの音を低くして見るが、わたしの左耳には林部さん、右耳にはテレビの音、そんな感じだ。

でも、一枚のCDが終わる頃には、寝息が聞こえてくる。ちょうどわたしも眠りたくなってくる頃だ。照明を消して、母が言う「巣作り」したソファに潜り込むとしよう。

これが夜の日課になってきた。
巣作りもうまくなった。
そろそろ暖かい春も近づいてきた。
巣作りを卒業し、巣をたたむことも考えなくてはならないのかなあ。それまで、母が今以上に元気になってくれればいいのだけどね。無理だったら、当分わたしは二階の部屋で眠ることは出来ないだろうな。

案外、そばにいて眠る方が安心なのかもしれない。何かあっても二階じゃわからないものね♪




ほうれん草を茹でると思い出す

2021年02月04日 | 母のこと
今朝もほうれん草を使った。
最近、朝の野菜はほうれん草が多くなった。安いし、扱いやすいし、母も食べてくれるからだ。以前は茹でて使っていたのだが、生を切って皿に乗せ、味付けしてレンジでチンが多い。

そんなレンジでチン、ではなく。今朝は久々に鍋で茹でて食べたいと思った。
ほうれん草を根元から洗い、鍋に水を入れる。水を入れながら思い出した。ほうれん草を茹でると思い出すことが必ずといっていいほどある。

昔、まだ小学校の頃だった。
あの頃、我が家は貧乏だった。といっても食べていけないというほどではないが、それでも同じクラスの子の家から比べたら、あるものがなかったりした。テレビが来たのは、東京オリンピックの辺りだと思う。その点では母と時期がずれて思い込んでいた節もあるのだが、わたしの記憶ではオリンピックを見れる! という思いが強かったのだ。すでにテレビがあった子も沢山いたから、我が家は最新の家電のある家からは遠い位置にあったのだ。

そんな貧乏な家で育ったわたしが母からやっておいてくれと言われる家事は、御飯を炊くこと。
たまに言われるのが、簡単な作業。
ある日、ほうれん草を茹でてくれと言われた。言われるがままにほうれん草を洗って、大きな鍋に水を張った。そしてガス台に乗せて火をつけた。そこへ母がやってきて、鍋をのぞき込んだ。
「なんでこんなに水を入れるの!」と母が強い口調で言った。
その瞬間、わたしはポカンとした顔をしたに違いない。

母がちょっと情けないような顔をして
「水をこんなに使ったらもったいないだろ」と言った。
そのときわたしは、ほうれん草の嵩(かさ)の多さからしたら、沢山の水がいるんじゃないのかと不満な気持ちがあった。しぶしぶ母に言われたようにガス台から鍋をはずし、水を半分捨ててもう一度湯を沸かした。

果たせるかな。ほうれん草は鍋の中であんなに嵩があったのに、お湯の中に埋もれていった。

昔のほうれん草は今のものよりもっと灰汁があったように思う。ゆで汁は汚い緑に染まっていた。

あれ以来、茹でる水は少なめにしている。
あのとき母は「もったいない」と言った。我が家の財政が大変だから節約せよ、という意味だったのか。それとも「葉物を茹でる時には、こうなるから水加減はこれくらいで大丈夫なんだよ」と言いたかったのか。
今思うと、やはりもったいないという気持ちの方が強かったように思う。あれからもことある毎に母は物を捨てずに最後まで使い切ろうとするし、もったいないという気持ちを出し惜しみしない。
そういう母のもったいない精神をわたしはまだ受け継いでいないなあと、今朝も茹でながら思っていた。


トイレでのこと

2021年01月27日 | 母のこと
新しくなった我が家。
やはりトイレは自動でして。
ドアを開けると、ちゃんとトイレの蓋を開けて使うのを待っていてくれる。

母がトイレに入った。ちょっとしたらトイレから「あ~!!」という声がした。何? どうした?
しばらくして、トイレから母が出て来た。
「さっき、トイレで声を出したでしょ。どうしたの?」
キョトンとした顔をして、しばらく考えていたが、
「(腰)ベルトを手すりに下げていたのに、そのまま使わないでズボンを上げてしまったからかな・・・」ちょっと自信なげに答えた。

ふ~ん。

その後、またトイレに立った母。
トイレから出てきたら、笑って言った。
「さっき、なんで声を出したかわかったよ」
「なんだったの?」
「トイレに座ったら、トイレの蓋が落ちてきて頭に当ったんだよ」
「えー」
「お前だったら、頭に当らないと思うけど、ばっちり頭に当って、このままトイレに入っていれ!ってことかって思ったくらいだよ」

母は小さいので、蓋が頭に当る。わたしは肩に当るかな。
「もうこれで三度目だよ。なかなか上に戻ってくれないし」

あちゃー、母さん、ちゃんと脇に蓋を上げるボタンあるんですけど。
たぶん、トイレのドアを開けてから座るまでの時間が歩くのが遅いために蓋が閉まっちゃうんだね。
お疲れさまでした♪

眠ってなんかいない(笑)

2020年11月30日 | 母のこと
母は午前中ベッドに横になり、眠ることが多くなった。
今日も洗濯物を干しながら録画していた朝ドラを二人で見終わるとベッドで休むという。
布団を掛けてあげながら、
「ラジオをつける?」と聞くと、頭を休めるからいらないと断られてしまった。

二階に自分の分の洗濯物を干して降りてくると、どうやら眠ったみたい。今日は母と一緒にわたしもゆっくりしよう。
母が眠るそばのソファに座り、読みかけの小説を読んでいた。ときどき、母の眠る様子を伺いながら小説の世界を楽しんでいた。
お昼近くになって、母が布団から足を出した。そろそろ起き出すつもりだなと思って
「起きたの?」と聞くと
「寝てなんかいないよ」と答えた。
「えっ?寝ていたとばかり思っていた」
「なんも!」
「何していたの?」と怪訝な顔で訊ねた。

ちょっとニヤッとして
「ハッピーなことを考えていた」と話した。
「えーー、ハッピーってどんなことよ」と聞くと、笑って答えない。
「話すのはもったいない」
「えー、もったいぶらずに教えてよ」

少し間を置いてからおもむろに
「宝くじのこと!」と言った。
「誰になんぼやるかって考えていたら、次々に頭に浮かんできて・・・」とにやにや。

「ふ~ん、じゃあ、今年は絶対買わなくちゃね~」
買わずにハッピーな気分になれる母のプラス思考、いいね。
「ハッピーなことを考えていた」と言える母がなんだか可愛く見えた時間だった。

ねぇ、こっち見てよ

2020年09月28日 | 母のこと
母の元の家から持ってきてほしいと言われたのが、このぬいぐるみたち。最初は車に乗っている猫さんだけだったけど。
次に見つけた小さなわんちゃん、きっと欲しがるだろうなと思ってほかの荷物と共に持ってきた。案の定、すぐに母はこの二つを自分のベッド脇の棚の上に置いた。
でもそのときは離ればなれになった状態で置いていたんだけど・・・

今朝、ベッド脇のカーテンを開けようとしたら、こんな構図になっていた。
まるで猫ちゃんが話しかけているような位置。
母に聞いてはいないけど、きっと「この猫が、こっち向いて」って話しかけているみたいだからって答えるだろうな。

可愛いものが大好きな母には、可愛い柄の布だったり、置物だったり、器だったりがとても嬉しいみたい。
ときどき猫ちゃんたちを移動させては目を細めて見ている。
最近は体のあちこちに不具合が出てきていて、痛みもリュウマチなのかそうでないのか、横になっているのが一番だと言う。横になっているときに目に入る可愛いらしいものたち、それがあるだけで気持ちが休まるのかもしれない。
日中は少し暖かいけど、朝方がとても寒い。つい二日前からストーブをつけた。室内がほんのり暖まるだけで、気分も上がるようだ。

母の元の家は、すっかり中身がなくなり、スッカラカンに。そうなるとそろそろ解体も近づく。
長い間、引越やら庭木の移動やら母の身の回りの世話をしてくれた叔母もそろそろ自分の家に戻る日が近づいてきた。毎日、母と叔母と昔語りをしたり、仲良くテレビを見たりする、そんな時間が無くなるのも母にとっては心寂しいものがあるのだろう。
母の寂しさがいくらかでも埋まるなら、可愛いものたちがたくさんあったほうがいいなと思うこの頃だ。