BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

九月も終わり

2006年09月30日 | 凡日記

 9月もあっという間に、終わってしまいましたね。
 でも振り返ってみると、今月はある意味、大学生活の中で一番濃密な日々を過ごすことができたなぁ、とも思うのですよ。個人的には。
 だってね、月の半分くらいは、家の布団で寝ていないからね…。
 つまり、それは旅が多い月だったということの暗示でございますよ。シアワセだったなぁ、と思うております。

 そんな楽しかった日々をね、日記に書こうとするのだけれども…。
 なんせ時間が足りないのよ。時間の使い方の効率が悪い私ですから。
 というわけで、昨日までの森林地域学演習のことや、海外の旅のことについての日記は、先延ばしということになるのですよね。
 またご意見番かみっきぃ~氏より苦情が来そうです。


 今日、構内をぶらぶらしておりましたところ、一匹だけ、蝉がジージーと鳴いておりましたね。
 その蝉にとって、心境とは如何なものなのでございましょうか。
 仲間はもうすでに、いなくなってしまったのですよ。孵化したのが遅かったばっかりに。
 寂しさというか、一抹の不安も、蝉の中にはあるのでしょうか。

 ジージーとけたたましく鳴くも、周りからの反響はないのですよ。誰も鳴いていないのですよ。そうなるともう、大声で鳴く必要もないのですよ。
 ですからその蝉は心なしか、声も小さかったです。
 ライバルがいない中での独奏会です。鳴くエネルギーは抑えられてよいのでしょうが、肝心のメスもいないと、どうにもならないのです。
 もしくはその蝉は、もう鳴いても意味が無いと悟り、もはや声の大きさも控えめになってしまったのでしょうか。

 つい先ごろまで、あれだけ盛大に、蝉の鳴き声があちらこちらよりけたたましく響いてきたのが嘘の様に、昼はしんと静まり返っております。
 そんな中で一匹だけ、ジージーと鳴いている声を聞きますと、季節の移り変わりという逃れられない時間の変遷に、微弱ながらも抵抗しようとしているかのようです。

 それはまるで、「夏男」のようですね。夏が大好きな男が、秋へそして冬へと季節が巡るに連れて、その活力や行動力が鈍り、夏を求めて南の国へ逃れようとするかのようでございます。
 それはオマエだろ!という突っ込みは無しでございますよ。自分も書きながら、あ、俺のコトじゃんと思えてきましたからね。


森林地域学演習 3日目

2006年09月29日 | 【大学時代】森林科学
 三瓶周辺の自然観察
初日の三瓶山。  初日はすっかり雲に覆われ、その姿を現さなかった三瓶山。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。

最終日の三瓶山。  最終日の早朝は、山頂まできれいに三瓶山を臨むことが出来た。
 午前6時半起床。青少年の家の朝は、早い。
 この日はサヒメルの学芸員の方の指導による、自然観察。森林科学コースなので、主に樹木の話。
ウリハダカエデの種。  この種子は、ウリハダカエデのもの。
 かえで・もみじ類の種は、翼(よく)がついているものが多い。
 オートローテーションの種で、くるくると回転しながら、風に乗って離れたところへ落ちることが出来る。
 三瓶山麓の草原
三瓶山麓の草原。  三辺山麓に広がる草原。じつはよく見ると、マツ林が後ろから迫っている。マツ伐採をしなければこの草原もなくなってしまう。
 そもそもこの草原は、人の手により森林が伐採されて出来た結果である。
 たたら製鉄による木炭の需要、そして戦前の家庭用の炭(主に広島へ運ばれたらしい)としての需要のために、木が切り出された。

 しかしながらそうして草原が形成された結果、独特の景観とギフチョウやカタクリなどの生態系が形成された。
ツリガネニンジン。  写真のツリガネニンジンや、紫の花のマツムシソウも、草原の形成によって生きながらえた植物である。
 氷河期時代に繁茂した植物だが、温暖化により現在の中国地方では高山帯にわずかに生息するのみである。
 しかしながら人工的な草原が形成されることにより、これらの植物が残れるようになった。

 ゆえに、かつて人の手が加えられた自然地の保護は、難しい。
 これからは、保護(プロテクション)よりも保全(コンサベーション)する、 自然(生態系)保護及び景観保護のあり方が求められてきている。


森林地域学演習 2日目

2006年09月28日 | 【大学時代】森林科学
 三瓶小豆原埋没林
ここが埋没林公園。  2006年9月28日。午前9時15分、 三瓶小豆原埋没林公園に到着。
 のどかな山村の田園風景が続く道の途中、突如現れた謎の建造物。
 1階建てに満たない高さなので、外から見る限り、何の施設だか全く分からない。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。

埋没林公園の中の様子。  中に入ると圧巻。
 地下にこれだけの巨木が埋まっていた。

 およそ3500年前の三瓶火山の噴火に伴う土石流に埋もれた埋没林。 しかしながら地理的条件の偶然により、その土石流の勢いを和らげ、太古の巨樹が立ったまま埋まることとなった。

 この地下円形展示室は、直径30m、深さ13.5m。
 30本もの立木が発見されている。(押し倒された木は含まず。)

手を広げても、まだ大きい。  巨木の殆どがスギ。樹皮まで綺麗に残されているのが凄い。
 スギの最大直径は1.8m。年輪数636本。手を広げても届かない。これが12メートルほど直立している。
 上の部分が切られているのは、立木発見前の水田整備工事で切られたため。
 立木はスギのほか、広葉樹のケヤキや土地の木なども発見されている。
 当時の森林生態の姿を知ることが出来る。
 左写真は、もう一つの展示・三瓶自然館標本の木の根株。
 合体大根株と呼ばれている。
 石見銀山遺跡
銀行。  午前10時半。予定より少し遅れて、大田市大森地区・「大森銀山重要伝統的建造物群保存地区」(昭和62年選定)に到着。
 この地区及び周辺の地区や遺跡群は、2007年7月の世界遺産委員会にて、 「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産に登録が決定される予定である。
 写真は大森地区内にある銀行。元からこういう佇まいなのかは不明だが、景観に配慮していることを伺わせる。
 そのほか自動販売機を格子で囲うなど、ここでは景観に対してあらゆる配慮がなされているのを見ることが出来る。

 旧大森区裁判所・現大森氏町並み交流センターにて、石見銀山資料館の学芸員の方から、 石見銀山について、また世界遺産登録についての講義を行っていただいた。

街道の途中にも間歩の穴がある。  講義後の12時半より、仙の山登山の予定だったが、登山道崩落のため中止に。各自自由行動に。
 大森地区南部にある大谷間歩(まぶ=坑道)群の「龍源寺間歩」を目指す。ここは唯一一般公開されている間歩。
 向かう途中にも、大小いくつもの間歩を見かけることが出来る。 殆どは柵で閉鎖されている。柵が無くともどのみち入れそうにない。
龍源寺間歩入口。  午後2時。龍源寺間歩に到着。
 入場料大人一人400円。遺産保護に当てられる。貴重な収入源である。
 中からは冷気が凄い勢いで排出されてくる。非常に寒い。
龍源寺間歩の内部。  中に入ると、照明がいくつもあって、坑道を照らして実に幻想的。しかし当然ながら当時は油皿の灯で照らすのみ。
 途中幾つもの横穴がある。人が一人通れるのか疑問なほど小さい間歩である。
 実際は地下100mまで、立体的に張り巡らされた間歩である。 見学が出来るのは、わずかに150mほどである。しかし狭くて寒いため、それくらいで十分に思える。

森林地域学演習 2日目2

2006年09月28日 | 【大学時代】森林科学
 石見銀山遺跡(続き)
竹が目立つ林地。  龍源寺間歩を出る。周辺は竹が多く蔓延っている。
 竹は遺跡などの保護上の脅威となっている。

 その後佐毘売(さひめ)山神社などを見つつ帰る。
 その周辺は段々畑跡のような林地。かつての20万人都市の集落跡であるらしい。随所に見られる。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。

大森小学校。  大森小学校の校舎。
 木造の建物が、優しく佇む。
観世音寺より見た風景。  「石見銀山遺跡とその文化的景観」。文化的景観が適用される世界遺産は、 国内では「紀伊山地の霊場と参詣道」(和歌山県ほか)に次ぐ。
 ここ石見銀山は、鉱山としては特殊な景観を持つ。
 まずは、大量の薪炭林を必要としたにも関わらず周囲の森林が多く残っていること。 そして近代の開発が進まず、古の建物などが残ったということが挙げられる。

 16世紀以降、ヨーロッパ諸国(特にポルトガルや中国)との交易が盛んであった。
 また、17世紀の石見の銀は世界の銀産出の約3分の1(年間約38t)を算出するなど、東アジア圏はおろか、 世界の交易経済に大きな影響を与えていた、歴史的に重要な拠点であった。

住民の取り組みが垣間見れる、軒先の生花。  世界遺産の問題点は、住民の遺産保護への自発的な参加や、観光客増加に対する対処などが求められる。
 また現在は、竹林の除去などを行い、かつての植生ならびに自然景観を戻す取り組みを行おうとしているということであった。

 石見の遺跡は「分かりにくい」などといわれているらしい。坑道など地下に存在する遺跡が殆どであるから無理も無いが、 「分かりにくい」というのは、遺跡を通して歴史文化を見る目を持たないことに起因するという。
 目立たないものであるからこそ、世界遺産として注目し、注視する必要性があるのかもしれない。
 日本初の「産業遺産」として、また日本史を政治区分以外で見る新たな視点として、この遺跡は期待されている。

 合宿所
この日のバイキングメニュー。  合宿所(青少年の家)へ戻る。
 この日も夕食はバイキング。相当食した。
 午後8時より、Y先生による講義。
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森林地域学演習 1日目

2006年09月27日 | 【大学時代】森林科学
1日目 三瓶自然館サヒメル見学
 島根への道中
宍道湖が見えてまいりました。  9月27日午前9時。鳥取大学を出発。
 一路、島根県大田市へ。
 途中、中海や大山、宍道湖を車窓より眺める。快晴なので、景色の展望は良好。
 Y先生の独演会が長らく続く。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。
 今回は編集が面倒くさかったので、オリジナルのデータで掲載しております。

  三瓶自然館
 午後2時。ようやく目的地に到着。
 午後3時より、島根県立三瓶自然館サヒメルに到着。
 案内してくださったのは、農学部森林科学OBの学芸員の方。学芸員の仕事についてや博物館の重要性や意義についての説明を聞く。
 それは、大きく分けて①調査・研究、②啓発・普及、③資料管理の3点。
 この何れかに偏っていてはならず、3点がしっかりと機能していかねばならないとのこと。 これからの博物館は、ただ単に資料を保存して、展示するだけでは駄目だということでもある。
屋久杉。  まずは15分ほど、プラネタリウムを堪能。迫力に圧倒。
 その後、館内にある森林や埋没林についての展示を見る。
 左写真は屋久杉。樹齢は1000年以上か。
 今でこそ国立公園及び世界遺産となって保護されている屋久島だが、かつては優良材の林業地だった。
巨大埋没林展示室。  さらに館内の奥へ、新館へと進むと、巨大埋没林の展示があった。
 古代スギの木の、その直径と高さに圧巻。
 三瓶小豆原埋没林は、約3500年前の三瓶火山の噴火に伴う土石流により埋没・天然保存されたもの。
ニホンアシカの剥製。  新館には、環日本海地域の自然(生物、地質、鉱物など)の歴史が紹介されていた。
 写真の骨格はデルモスチルス。復元予想図はカバみたいな顔。
 他にも、絶滅したニホンアシカなどの剥製が多数展示。ニホンアシカはもはや猛獣。多摩川に来てもかわいくは無いであろう。
  三瓶青少年交流の家
 宿泊は、国立三瓶青少年交流の家。自然館サヒメルと近い場所にある。
 夕食・朝食はバイキング。おそらく2日分くらいは食らう。
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寒暖の差 激し

2006年09月26日 | 凡日記

 秋本番、段々肌寒くなってきたと過去の日記には書いていたのですがね。
 日中はなぜかまた、蒸し暑さが復活しておりましたよ。
 しかしながら夏に戻ったとまでは感じないな、と思いました。
 蝉の声が全くしないのですもの。
 だから、異様な感じがしました。何かがヘンだ。

 でも夕方になるとまたしても、肌寒さが復活するのでした。
 蟋蟀(こおろぎ)たちがまた、昨日に負けないくらい盛大に、鳴き出していることですしね。


 明日からは、森林地域学演習受講のため、島根県まで行って来ます。
 というわけで3日間、リアルタイムの日記はサボりますのであしからず。


森林環境フォーラム

2006年09月25日 | 【大学時代】学外活動

 特に森林科学コースの皆様へ

森林環境フォーラムのお知らせです。

■日時
 2006年10月1日(日) 13:00~16:00

■会場
 鳥取県民文化会館 第2会議室

■内容
 ①事例発表 「地域で行う新たな森づくりに向けて」
  発表者:山陰合同銀行地域振興部長 中ノ森寿昭氏 ほか3名

 ②パネルディスカッション
   「今広がる、県民参加の森づくり活動
    ~森林環境保全税に何を期待するのか~」

  コーディネーター われらが森林科学コース教授・山本福壽氏

  パネラー     おんな山師集団代表 中野ゆかり氏 ほか5名



 というわけで、鳥取の森林に興味がある方は、というか森林科学コースなら、行きなさいという命令形のお知らせでした。


※詳細→鳥取県林政課HP


大学内での昼飯事情

2006年09月25日 | 鳥大時代/就職活動

 ネタが無いので、たまにはこんな手抜き日記でご勘弁を。

 昼飯は、久しぶりに大学生協の食堂へ。
 本当に久しぶりである。

 従来、夏休み期間中の食堂は休みが多かったり、昼ごろしか営業していなかったことが多かったのだが、最近は平日ならいつでも空いており、夜まで営業しているから、実にありがたい。
 これから本格的な研究室生活に突入するので、どんどん利用する機会が増えるであろう。

 ここは何より、飯が美味いのがいい。
 お値段は少々高いような気がするが、その代わり、とてもおいしい。
 今日食べた「鶏ポン唐揚げ」は、食堂に来てよく食べる定番メニューなのだが、とてもおいしい。個人的に一番のお勧めメニューである。

 今日は午後3時ごろに訪れたから、食堂は閑散としてはいたが、正午ごろだとかなり多くの学生が利用しているようである。
 驚きなのは、夜7時くらいでも、多くの学生が利用していることである。おそらく殆どが、研究室に所属している学生なのだろう。夏休み期間中にも拘らず。夏休みは勘弁だなぁと思うのであった。


【今日の昼食】
ライスS    ¥ 84
味噌汁     ¥ 20
鶏ポン唐揚げ ¥263

カロリー 718kcal
塩分   3.5g


横尾棚田ボランティア(3) 夏と秋のビフォーアフター編

2006年09月24日 | 【大学時代】学外活動

 今年の5月に、そして9月にと、横尾棚田の季節の移り変わりを見ることが出来たわけですが、これを写真にとって見比べると、どれくらい違うものだろうかという興味がありました。
 そこで5月と9月に、大体同じ場所で、同じ風景を写真に収めて見ました。
 撮影した写真を実際に見比べてびっくりしました。なんとまぁ、こんなにも風景が違っているのか!驚きです。
 あまりにも風景が違っていたので、5月と同じ撮影ポイントを選んだつもりが、どうもピタリと一致しませんでした。うーむ、もっと数多く撮影しておけばよかったなぁ…といってもすでに100枚以上撮影していたのですがね。

 さぁ、それではここで皆様に、棚田の季節の移り変わりをご覧頂きましょう。
 往年の人気番組、「ビフォーアフター」風に見ていただきましょう。(環セミ追いコンのネタの使い回しではありますが…。)

 いやぁ素晴らしい。
 季節の移ろいと共に、景色というものはこんなにも模様替えをしてしまうものなのですなぁ。


横尾棚田ボランティア(2) 昼食編

2006年09月24日 | 【大学時代】学外活動

 稲刈りは、11時半ごろまでに終えました。
 というわけで次は、昼食のお話。

けぇる。
 昼食会場は、刈り取った後の田んぼの上です。なんともまぁ、贅沢な会場ではございませんか。
 会場設営の途中、藁(わら)の中から、沢山の大きなカエルたちがぴょんぴょんと出てきました。
 子供たちも、そしてカエルといえばアマガエルくらいしか見たことがないワタクシ(あ、そういえば最近の水路掃除ボランティアで、でっかいカエルを見たっけな)も、大喜びです。
 そして写真のこのカエルは、カメラを近づけても、全然逃げようともしないのですね。随分と肝の据わったカエルではございませんか。
 この凛々しさ、そしてこの図太ささ。これこそ、トノサマガエルなのでありましょうか。よくわかりませんが。

郷土山菜料理に舌鼓。
 さぁそれでは!お待ちかねの昼食です。
 主食はもちろん、ここ岩美で取れたおいしいお米を使用した、おにぎりです!そして今回は、牡丹餅(ぼたもち)まであるのが嬉しいではございませんか。
 そしてその最高の主食にぴったりなおかずは、地元の山菜をふんだんに使った、郷土料理の数々でございます!
 特にワタクシのお気に入りは、こんにゃくです。地元の蒟蒻芋を使っているのはもちろん、歯ごたえや舌触り、そして良く染みた味がまた、格別なのでございます。
猪汁がまた美味い。
 そして最も楽しみにしていたものが、猪鍋でございます。
 イノシシの肉をふんだんに使ったこの味噌鍋は、まさに絶品でございます!
 食したければ、岩美町の農村ボランティアに参加して、汗水たらすことですよ!

 さてさて、そしてここでは、ふんだんにビールや日本酒が振舞われたわけですが…。
 稲刈りに夢中になってテンションが高くなり、そして思いのほか疲れていたワタクシの体に、大量のアルコールが入ってきたものですから…。帰った後、大変なことになってしまいました。いつものことといえば、いつものことなのですが。そんな悲惨なオチで今回のボランティアは終わったわけです。


花々。
 オチが悲惨なので、余談を一つ挿入です。
 コチラは、他の畦道に生えていた花々です。
 ざっと、10種くらいはあります。豊かな植物相であることが、ちょっとした花摘みだけで伺うことが出来ます。
 そういえば、カエルも、何種類か見かけましたしね。
 棚田は動植物の涵養地であるのだなぁと、改めて感じるのでございました。



 また余談ですが、25日のNCNケーブルテレビの番組で、今回の横尾棚田の稲刈りの様子が放映されるそうです。


 つづいて、(3)ではちょっとしたお遊びを掲載しております。


横尾棚田ボランティア(1) 稲刈り編

2006年09月24日 | 【大学時代】学外活動

 半分ボランティアなのですが、半分はイベントの企画です。
 今回も例によって、「学生人材バンク」「農村プロジェクト」 の一環として行われているものに、付いて行ったものです。
 そして本日参りましたのは、今年の4月と5月にも訪れております、鳥取県岩美町の「横尾棚田」でございます。
バンク社長のオーナー田。
 ここ「横尾棚田」では、「棚田オーナー」を募っておりまして、そこで賛同なさった方々が、約1反ほどの水田を「所有」できるのです。
 オーナーは、田植え、草刈、そして稲刈りの3つの仕事を行います。その3つ目の稲刈りが、本日やることなのです。
 そのオーナーなのですが、市内の方から、遠くは兵庫、愛媛からもお越しになっているのです。交流の幅は、実に広いのでございます。

棚田オーナーや役所の方、そして地元農家の方々。
 5月に植えた稲たちも、4ヶ月ほどですっかりと実りきり、その頭(こうべ)を垂らしておりました。
 待ちに待った、収穫のはじまりです。
 ここでは、一部は機械で刈り取るものの、半分はイベントでございますからね、人の手によって刈り取ります。
 この、釜を持って中腰になって刈り取る作業なのですが、なれてくると段々早く、上手になっていくのが楽しくて、ついつい長時間、夢中で楽しむことが出来ます。
 農家さんの作業は概してしんどいのですが、やはり収穫の喜びと重なるからでしょうか。中腰も何のその、時を忘れていつまでも刈り取るのでした。
 それが祟って、後で大変なことになるのですがね…。
ここに刈った稲を干します。
 刈り取った稲は、束にして結んで、その束を干すための櫓(やぐら)といえばいいのでしょうか、そこに運んで、掛けていきます。
 ここで2週間ほど天日干しにすれば、良いお米が出来上がるのです。
 しかし大体こういう干すための櫓は、一段になっていることが多いのですがね。ここでは、6,7段と高いのですよ。
名付けて「豊穣の壁」。
 そのおかげで、どんどん稲を掛けていくと、高い壁が出来上がってしまいました。
 それにしても何と豪華絢爛な、「黄金の壁」ではございませんか。
 それとも、山村の豊かな恵みに感謝して、「豊穣の壁」とでも名付けましょうや。

 一番下の写真の、一生懸命に上段へ稲の束を掛けている方々は、附属小学校の子達でございました。
 大学のすぐ近くにいるのにね。こういうところでないと、ボランティアなどの共同作業とか、交流とかが出来ないものなのでしょうかねぇと、彼女らと談笑しつつ思いました。余談でした。



 この話は(2)へ続きます。


【水どう】テレビの故障画面バラエティ

2006年09月24日 | テレビ

 9月23日。久々に、ABCで 「水曜どうでしょう」(HTB) 2005年新作第7夜が放送されましたね。
 待たせすぎですよ。本当なら、9月初旬には終わる予定だったでしょうが。ゴルフとかM-1とか、突発的な番組が入りすぎなんですよ。

 しかしながら幸いなのかどうか分かりませんが、DVDになる前に、テレビで拝むことができそうです。
 といっても、山陰ではもう今年の1月に、新作の最終夜見ちゃってますからね。しかもそれを録画して、2回くらい見ていますから。
 というわけで、本日は4回目の第7夜でございます。

 この番組というのは、何度見ても、笑えてしまうのが良いですね。オチを知ったら面白さ半減なのは、最初の「(今回のどうでしょう班は)どこに行くか?」くらいなものですよね。言ってみれば、「出オチ」。
 しかしそれが分かった後でも、いくらでも楽しめるっちゅうのが、いいですなぁ。

 そして今回の第7夜は、本来なら放送事故じゃねぇの?といえる「真っ暗画面」がずっと見せられるという前代未聞の展開が、あると分かっていても、やっぱりその悲劇的(で喜劇的)な番組の展開に、笑ってしまうのですなぁ。

 いやぁよかったですね、テレビの故障のような画面。
 これが来週まで続くのが実に壮絶なのであります。
 こんなこと文章に書いても、書きつくせないし、大体、想像がつかんでしょう。従来の常識では想像がつかないんですよ。そういう番組なんですよ。
 10月7日深夜(10月8日)1時10分。ABCでその問題の最終夜が放送されますよぉ。


ペーパーレス

2006年09月23日 | 鳥大時代/就職活動

 この大学が、講義履修のための登録やシラバスが全てオンライン化されて、2年目でございますね。
 最初こそ、トラブルが色々あって大変でした(森林科学コースなのに、別のコースになっていたのはびっくりしました、そりゃ単位が足りないわ履修できない授業があるわで、大慌てでございました)が、慣れてしまった今では、実に便利なものです。

 家には、1,2年のときのシラバスの資料などがあるのですが、それらを積み重ねると、厚さは2センチになります。
 これが4年の今まで続いていたら、その厚さは4センチだったでしょう。
 そしてこの大学の学部生数は約4000人(医学部生除く)ですよ。
 ということは単純計算して、積み上げるとその厚さは16,000センチですよ。単位を置き換えると、160メートル。
 素晴らしい、ペーパーレス成功ですね。

 ただ、ワタクシの場合はこうやって、研究室から履修登録がゆっくりのんびりとできるからよいのですが、特に1,2年生なんかは大変ですね。
 パソコンをわざわざ大学まで持って来て、そこでケーブルプラグの取り合いが起きる(いや実際に取っ組み合いになったことは無いのですが)わけでしょう。シラバスをゆっくりと読む時間が無いでしょうに。
 まぁその辺りはこれから、どんどん改善されていくのでありましょう。

 さて兎に角このペーパーレス履修登録で、全学部共通科目・主題科目の履修登録の抽選登録を行ったのであります。
 主題科目の取得すべき単位は12。しかし私の持っている単位数は20。
 もうここまできたら、人の倍を越えるだけ取りたい、という欲が湧くのでございます。
 というわけで大学最後の学期、主題科目の単位をもう6つ、つまり3時間分の授業を取ることにいたしました。

 しかし実は、今回取る予定の授業は、ただ単に単位がほしいからとか、授業が面白そうだからという理由だけにはとどまらないのです。
 今日登録した授業は、全部午前の授業です。しかも2つは朝一の授業です。
 今までの自分だったら、朝一の授業は忌避していたわけでございますが、来年から自分は規則正しい社会生活を送るための準備をせねばならないことと、朝早く来る義務が無い研究室に早くこれるよう義務を作った、という理由もあるのでございます。

 でもやっぱり、知的好奇心ですよ。4年にもなってまで要らん単位の授業を取る動機なんて。
 それに、嫌になったら途中で捨ててもいいというのが、魅力でもあり、気楽に授業を受けられることに繋がりますからね。

 大学最後の学期は、本当に学びたいことだけを学ぶことが出来る学期と位置づけ、頑張ってまいりますよ。


捨てる技術

2006年09月23日 | 雑感散文

 どれくらい前なのか忘れてしまいましたけれども、『捨てる!技術』(宝島社新書)が売れて、流行っていた時期があったではありませんか。
 あんましその本には興味が無かったので、読んだ事はないのです。
 そもそもワタクシ、どんなに不要そうに見えるものでも、捨てることの出来ない性質(たち)なものですから。
 事実、捨てないでよかった、取っといて良かった良かったと、そう思える事例が今までにいくつもありましたから。

 そして引越しをあと半年に控えた今日、ふと下宿の下の階の人が引っ越して、部屋が綺麗になっているのを見て、無性に自分の部屋も片付けたくなったのですよね。
 それでからっと晴れたお昼は、自分の部屋を片付けていたのですよ。ようやく、出しっぱなしの扇風機を片付けました。

 ここでふと思ったのですよ。
 大学に入って3年半、一人暮らしをするようになって、幾分かは自我流の「捨てる技術」を身につけたかなぁって、思ったのです。
 今まで、授業プリントから清涼飲料水についていたおまけ、はたまた紙袋や空箱など、ありとあらゆるものを溜める癖を持っていた私が、今ではなんの躊躇いも無く捨てることが出来るようになったのです。

 何故このようなことが出来るようになったのか。いくらか仮説を立ててみました。

仮説1:
 3年半も暮らしてみて、結局何も使う機会や用途がなかったものの判別がつくようになった


 これはですね、ワタクシが物を溜める理由として、いつか何かの役に立つかもしれないなぁという思いがあるためなのですよ。
 事実、その後活用できたものもありました。
 しかしその一方で、取っておいて最長3年半、なんら役に立たなかったものもあるのです。
 この事実を踏まえて、よし捨てようという気にさせてくれるのです。
 また、もうそれ以降その物を溜めないということにも繋がります。

仮説2:
 溜めるものを限定することでメリハリがついた


 これは特に大きいような気がします。
 例えば、本なんかがそうなのですが、古本など安い本を大量に手に入れては、それを本棚に並べることをヨロコビとしているのですよ、ワタクシの場合は。
 それでもいつか、本棚の収容量には限界が来ます。
 そこで、ワタクシの場合は、椎名誠さんの本だけは一冊たりとも手放さない、ということにしたのです。
 椎名さんの本だけは取っておく。言い換えると、そのほかの本はそこまで執着した思いは無いわけです。
 だから、椎名さん以外の本は、読み飽きたもの、また面白くなかった(とはいってもこの手で買ったのだから、全然面白くないことは無いのですよ)本は、躊躇うことなく手放せることが出来るようになったのです。

仮説3:
 お金をかけて運ぶほど価値のあるものか否かを考えるようになった


 そしてこれは、将来ここから引っ越すのだ、という意識が段々高まったことを受けて、強くなってきた要因だと思うのです。
 引越しの業者さんを利用するならば、当然、お金が掛かる訳です。
 しかしながらそれを利用したことの無いワタクシは、果たしていくらばかりの料金が掛かるのか、分からないわけです。
 コストが不明なものは当然、過大見積りをするわけです。
 一箱あたりの輸送量はいくらだろうか。宅配便くらいの価格だとすると、2000円乃至3000円はするだろう。それくらいの見積もりをします。
 そんなとき、この本は送料2~3000円の箱に詰めるほど、大切な本なのだろうかと、自問するわけです。
 なんだったら、引越し先で買いなおしたりとか、図書館で借りればいいではないかと、そういうことを思い出したら、その本は箱に詰めなくていい本である、と判断されるわけでございます。

 一応ですね、今のところ3つの仮説を提示いたしましたけれどもね、それよりももっと、大きな要因があるような気がしてきたのでせすよね。

 人生、身軽が一番。

 どうもワタクシ、一つの場所にとどまっていることが出来ない性の持ち主であるらしいことに気がついたのです。旅癖もその表れなのでしょう。
 となると、いつでも、明日引っ越せといわれたら引っ越せるような体勢を整えておかなくてはならないのです。
 そうすると、もう普段から、これは要る、要らない、要るかもしれないという判断をするようになったのです。
 逆に言うと、今まで私の中には、これは要らない、という判断が鈍っていたわけでもあります。これは要る、という判断も鈍っていたかもしれません。

 まぁそんなわけで、今日は一気に片付けてしまえたのですが、いつまた、部屋が散らかってしまうか、我ながら気が気でありません。
 捨てる技術も、気分次第ですからね。何とまぁあやふやな技術だことねぇ。


蝉よ誰をか君に別れを告げんや

2006年09月22日 | 凡日記

空は清々しく晴れ渡っている。
だから日中は、暑い。
それ故に、蝉もまだ頑張って
鳴き声を上げている。

…あれ、今日は
蝉の鳴き声を全く
聞かなかったぞ。
一昨日までは確かに、
日中は蝉がミンミン
唸るように鳴いていたのを
覚えているのだが。

いつの間にやら、
蝉たちは姿を消して
しまったか。
彼らが去るということは、
夏の静寂ならびに喧騒が過ぎ去り、
やがて秋風が吹き込んで、
段々長い冬へと誘われる
ということを意味する。

寂しいではないか。
専ら、夕暮れを過ぎると
秋が周囲を支配してはいたが。

秋は嫌いではないけれども、
大好きな夏が過ぎ去るのだから、
恨めしいものね。

早く、下宿の
扇風機をしまわなきゃ。
でもそういえば昨年は、
11月の中旬にコタツを
引っ張り出していたっけなぁ。
そして同日、
扇風機を仕舞っていたような。
ということは、
秋はまだまだ長いようで。

あまり好きではない冬が来る前に、
この秋を、存分に
楽しまなくちゃいけないね。


今日は、環セミ(というか殆どオレ企画)の
学祭企画「環境ゼミin風紋祭」
案内をいろんな人に送っていました。
10月14日の13時から、
共通教育棟202講義室にて、
開催されますよぉ。

というわけで、
ばっちり宣伝をしたところで、
今日の日記はおしまい。

あ、後、今ね、
先週分の日記を
いくらか更新していますので。
特に環セミの方、
大山合宿の日記を更新しております。
環セミブログ とあわせて
ご覧になってくだされ。