BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

最後の学生生活―

2007年03月31日 | 徒然@ケータイ
区切りとしては、
今日が最後の学生生活
ということになるのでしょうか。
そして明日から赴任、
社会人になるのですよ。

期待も不安も、
只今過度に膨張しておりますよ。
てか、不安ですよ。


今日は福岡に住む弟ippanjiのアパートで
一泊します。

久々の博多駅降車です。
今までずっと素通りでしたからね。
暫くは九州とはオサラバなんで、
たっぷり九州の夜を楽しみますよ。

そんなこと言って、
6月以降の赴任地が、
九州だったらどうしましょうねぇ。

まぁ学生生活最後の九州という事で、
学生時代を終えると致しますかね。

やや気疲れが─

2007年03月30日 | 凡日記

荷物の整理と、
新たに箱の梱包完了。
やれやれ。

またいろいろと捨てました。
でももう以前に比べて、
捨てることに対する後ろめたさは
やや慣れたというか和らいだというか、
薄らいだといった感じですかね。
それでも捨てるたびに、
やや気疲れが伴います。
今後は、質素生活に
徹していきたいと、
強く強く思いました。

 

久々に床屋へ通いました。
3年半ぶりの床屋ですよ。
実家近所の、中学時代から通っている
馴染みのある床屋です。

髪を短く切ってもらい、
伸ばした髭も剃ってもらい
(これで暫くは髭とオサラバかな)、
今非常にさっぱりしています。

そこでちらりと、
うちの同級生の話を聞いたりしました。
みんな、県外へ出たようですね。
そしてそれぞれの道で頑張っているそうです。
自分もいい加減頑張らねばなりませんな、
と少しばかり気合が入りました。

 

さて、明日いよいよ、
実家を発ちますよ。
明日は福岡で1泊し、
明後日には大阪へ赴任ですよ。
いよいよかぁ、と
感慨深いものと後ろめたいものを
心に抱いております。

研修期間中は、
マイパソを置いて行くことにしました。
ですから、ブログは暫くの間
たまーにケータイから更新します。
mixiは暫くログインできません。
あしからずご了承ください。


箱に詰め直し─

2007年03月29日 | 凡日記

長崎は、風が強かったです。
明日から天気が崩れるようですよ。

 

まだ相変わらず荷物の整理。
授業関係とか、課外活動関係などに
分類しては箱に詰め直しております。

でもそれらを詰めていくうちに
また泣けてきちゃうものですね。
それだけ、4年間が
充実していたということか。

さて明日までには
完全に終わらせねば。
明後日には、
実家を立つ予定ですから。早くも。

 

あ、今「すぽると」見てたら、
田中投手(東北楽天)が
マウンドに立って投球しているのが
放映されていますな。
そうか自分よりも若い人が、
自分よりも少し早く、
社会に出て活躍しているんだなぁ、
などとぼんやりと思ってしまいましたよ。

田中選手が頑張る姿を見つつ、
頑張って生きたいなぁと思いました。

試合は、東北楽天 7×9 Sホークス。
やったね!(ホークスファン)
…田中選手は?
いやいや、応援するのは本当ですから。

 

あ、深夜に
ネットをいろいろと回っていたら、
「秒速5センチメートル」という新作アニメーションを
見つけちゃいましたよ。
「ほしのこえ」の深海誠監督ですよ!
これはアツいなぁ。


いつしか過去の遺物に─

2007年03月29日 | 凡日記

学生生活が終わった。
社会人生活が始まろうとしている。

この狭間で、
今期待とか不安とか、
はたまた思い出に耽ったりとかして
心情が落ち着かないで
浮き足立って空回りしているような、
そんな情緒不安定な時期にいます。

いくらね、人から
就職口が見つかって
よかったじゃないかとか、
好きな仕事に就けてよかったじゃないかとか
言われてもですよ。
もちろんそれはごもっともだし、
幸運であったなぁと思ってはいるのですけど。
でも不安なのですよ。
件の楽観主義者が肝心なときに
その利点を発揮できずにいるのですよ。

でもまぁ自分のことですから、
4月になっちゃえば、
それなりに順応してしまうだろうなぁとも
思っているわけです。

さすればこの緊張感や不安感も、
いつしか過去の遺物となってしまうのでしょうか。


束ねて縛っては─

2007年03月28日 | 凡日記

今日記を書いていたら、
タッチパネルの暴走で
文章が全部消えてしまいましたよ。
なれないパソコンを使うと
よろしくないですなぁ。
てか、タッチパネルは
便利なようでかなり不便ね。


今日も相変わらず
実家で荷物の整理と
部屋の片づけをしておりましたよ。

ひとたび引越しを経験しますれば、
かなりの「捨てる技術」を
体得できたようで、
今本や書類をじゃんじゃん
束ねて縛っては
ポイしております。

鳥取で結構たくさんの、
(割と)思い出の品や
(割と)重要な本までも
手放してきましたからね。
もうなんか吹っ切れたというか、
捨てることに躊躇することが
なくなりましたよ。

というわけでこれからもまた、
じゃんじゃん捨てますよ。


【流儀】どうもいまいちなSP

2007年03月27日 | テレビ

 27日の「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)は、60分拡大版スペシャルでしたね。
 そしてなんと、宮崎駿監督を特集するという何とも豪勢なスペシャルだと思い、番組が始まる前は、非常に楽しみにしておりましたよ。

 でも。
 ちょっと今回のは、イマイチでした。

 だって、なんだか宮崎監督の次回作の宣伝か、っちゅう感じで、やたら最新作に取り組む姿ばかりを出していましたからね。
 宮崎監督の制作の思考というものを、もっと追及してほしかったように思います。茂木さんとの対談が短すぎます。100日も追わんくていいから、もっと監督の話とかを聞きたかったなと思いますよ。
 挙句の果てに途中で監督から取材拒否を食らうでしょう。何を聞き出したい取材だったのかなぁって思いました。

 いつもの番組なら、その人の過去の苦労とか挫折を見せて、いかに這い上がってきたかとか、どんな気持ちを持っていたかというものが、われわれ見ている方としてはヒントにもなるし、励まされたりもするのです。
 でも今回は、そんな趣旨は取り除かれて、今現在の最新作の進行状況を追っただけの…もっといえば、全然この番組らしからぬ内容でした。

 いつもはこの番組を毎週欠かさず見ては、ほめたたえているのではありますが、今回だけは期待を裏切られたので、文句をバシバシ書かせていただきました。
 でも普段は、レギュラー放送は、とっても面白いのですよ。念のために付け加えておきますがね。


ただいま─

2007年03月27日 | 凡日記

ただいま実家です。
昨日、朝6時半にたって
着いたのは夜10時半です。
14時間もの長い旅でした。
まぁたびの道中はまた
後日書くといたしまして、
しかし今回ばかりはその長さを
「長い」とは感じられませんでした。
なんででしょうね。

これが最後の山陰本線の旅かな、と
思っていたからでしょうか。
いや、それだけではないでしょうな。
さまざまな思いが頭の中で駆け巡り、
あれやこれやと考えているうちに、
時間が過ぎ去ったのでしょうかね。

とかく今回の帰省の旅は、
いつもとは趣がぜんぜん違っていました。
ただそれは、あまり心地の良いものでは
ないので(心苦しいものばかりです)、
今はまだあんまし書きたくはないのですがね。

まぁとにかく、いまは
実家でのんびりと
過ごさせていただいております。
つかの間の憩いのひと時です。
いや、あんましのんびりもしておれんか。
後5日後には大阪だからね。
さらに今また、部屋の掃除などに
明け暮れています。

 

それにしても恐るべし、
IT技術の跳躍。
とうとう実家にも、
ネット環境の波が
押し寄せてきたのですから。

おかげさまでこうして、
またいつものように、どうでもよいことを
書き連ねることが出来ております。
そして皆様の動向も、
mixi日記で知ることが出来るように
なっております。

これはこれでなんだか、
卒業したという感慨や
多くの友人や慣れ親しんだ環境との
惜別の哀愁というものを、
損ねてしまうような気がしましたね。
というよりも、これを書いているうちに
損ねてしまいましたよ。

ただ、人との繋がりを
丸々継続させることが出来るというのは、
非常にありがたいことですね。
今になってようやく、
SNSのスバラシサというものを
実感しているのです。


島根の真ん中―

2007年03月26日 | 徒然@ケータイ
ケータイより初書き込みです。
13時現在、島根の真ん中・益田に来ております。
島根脱出にはまだまだ時間がかかりそうですよ。

朝から見送りに来て下さった、環セミ15の面々に、感謝しておりますよ。
また、同じ列車に乗り合わせた歳三と、最後にじっくりとお話が出来て幸せでした。
車内で泣きまくっていましたよ。

そろそろ長門市行きの列車が出発するようです。
ではこのあたりでケータイ初書き込みおわり。

これは夢じゃないか─

2007年03月25日 | 凡日記

これは夢じゃないか。

今見ているのが夢なのか、
それとも今までが夢だったのか。

できれば、
前者であってほしい。


4年間、住み慣れた部屋を、
きれいさっぱり空けました。
片付ければ片づけるほどに、
現実から乖離しているような、
現実が蝕まれていくような、
そんな気を抱かせました。

思い出の場所を、
己の手で消してしまう。
そんな辛いことはない。

初めての引っ越しは、
非常に苦い思い出となりました。
今もなお(この日記は3月末に書きました)、
自分の部屋が空になっている写真を見れば
胸が締め付けられるような思いが
いたしますもの。
そして引っ越す前の、
いつもの部屋の風景の写真を見て、
安心するのですよね。
まだ自分の思い出の空間は、
この世に存在しているような
そういう安堵感を抱きます。

とにかく辛い辛い日でした。


最後に、大家さんのところへ参って
最後の家賃を支払い、
そして記念撮影を撮らせて
いただきました。
いつも親切にしてくださり、
心より感謝しております。
本当に、第2の故郷となりました。

ではさようなら、
第2の我が家。


引っ越しをナメてました─

2007年03月24日 | 凡日記

いやぁ参りました。
引っ越しを完全にナメていました。

段ボール3,4箱くらいに梱包して、
あとは「ゆずり派」に出すなり
燃えるごみ用の袋にぶち込みゃぁ
よかろうもん、と
高をくくっていましたよ。

でもこまごました物を
整理していくうちに
時間は刻一刻と過ぎてくし、
その上に、奥から引っ張り出される
懐かしい逸品(仮)を見つけては
思い出に耽ったりしていましたよ。

結局、13時からの
「ゆずり派」の回収までに
片付けは完了せず。
ごちゃごちゃした状態の中を、
無理に棚とか冷蔵庫とかを
運び出してもらいましたよ。

さて大きなものが取り払われた後、
これで一気に片付けが進むなと
思っていたら、大間違い。
細かなものを整理する段階となり、
ますます進みが遅くなるばかり。

それでもがんばって整理しますれば、
また「ゆずり派」に出す物品が
大量に発生してしまい、
無理に後輩に頼んで(OB特権だ、反省)
また回収に来てもらったりしましたよ。
(しかも先輩のあとぅさんに来て
 もらいましたよ、猛省。)

そして結局、
引っ越しは次の日に延期に。
あぁ情けなや。

ホントに、引っ越しをナメてました。
とにかくひたすら時間がかかります。
そして、数々の思い出の品たちとの別れを
一時に味わわならねばならないという
この辛さ。
特に蒐集家のワタクシとしては、
断腸の思いを
しっぱなしでしたよ。

でもまぁ、引っ越し延期を決断した後は、
一気に気持ちが楽になりました。
次の日までには鳥取を発たねば、
ということが密かに
プレッシャーとなっていたようでしてね。
まぁ鈍行で帰るのだから、
日にちくらいすぐに変更できたのですが。
とにかく、情けない話ではありますが
帰省予定日を1日ずらして、
もうしばらく鳥取に残ることと
なった次第であります。

 

そんな、時間がねぇっちゅう時に、
本日は歯科医院に行っていました。
鳥取最後の、歯科医院です。

最後は、院長の方と色々と
雑談をしておりましたよ。
意外な共通点で、
話は大盛り上がりでした。

そして帰り際に、
「これは院長からの差し入れです」
と、歯ブラシを頂きました。
これにはジンときました。

そして玄関を出ますれば、
秋口には葉を落して
冬芽をつけていた
ヤナギ科(おそらく)の木が、
花を満開につけておりましたよ。
先週はまだ咲きそうで咲いていない
状態でしたからね。

思えば秋からですよ。
この歯医者に通ったのは。
半年と短い間でしたけれども、
この歯科医院もまた、
大学時代の思い出の地となりました。

4月からはもらった歯ブラシで、
歯をしっかりと磨きます。


段ボール箱に囲まれ─

2007年03月23日 | 凡日記

荷物を梱包した
ダンボール箱に囲まれた中で、
敷布団が敷けずに
毛布だけ掛けて寝ていました。

しかし夜はかなり
冷え込む鳥取です。
朝起きたら、
無意識のうちに身体を
丸めていたのが、
自分でも面白かったです。

寒かったのね。

 

今日は梱包した荷物を
宅配便屋まで持って行きました。
車を出してくださった
Nヤマンには感謝しております。

そして思ったよりも、
安く済むものだなぁと思いました。
ダンボールは
PETボトル8本が入っていた箱で、
それが3箱分でした。
一箱当り大体12kgでして、
かなりの容量でした。
でも3箱で、
3000円程度で済みました。
意外と安いものなんだなぁと
感心してしまいましたよ。

でも、箱が大きくて
重さがある分、
割安になるようでしたから、
だったら最初からでかい箱に入れて
持って行けばいいかな、と
少しばかり損したような
気分にもなりました。

まぁもっとも、
あまりでかい箱に入れてしまうと
実家の小さな玄関を通らないか。

 

話は変わりますけれども、
鳥取の交通マナーの悪さは、
深刻ですねぇ。

いきなり脇の道から、
斜線の列に強引に
横入りしようとしやがってさ。
しかも反対車線からも
車が来てたんだから、
下手すりゃアンタ、
左前と右後ろをぶつけられて
ガシャコンッと
時計回りにひねり潰されるぞ
と思いましたよ。

まぁとにかく、
冷や冷やしましたよ。

ケータイで話しながら運転する者、
ウィンカー出さずに突然曲がる者、
歩行者を轢く者(!)。
それが日常茶飯事になってないかい、
もっと気遣って欲しいものですよ。


研究室の面々3人で─

2007年03月22日 | 凡日記

ただ今、深夜10時50分。
研究室の面々3人で、
懐メロを聴きまくっています。

卒業式をとおして、
ようやく自分はこれで一応の、
学生生活にピリオドを
打ったのだという自覚を
持てたというのに、
またいつものように研究室で
雑談をしますれば、
そのような自覚がまた失われて
しまったように感じられますな。

でも、そうでもしないと
悲しくてしょうがないから、
致し方が無いのですよね。

さっきまでね、
昔見ていたアニメのテーマソングで、
「アツイもの」をテーマに
YouTubeで調べまくっていましたよ。
一番アツイのは、
「ビックリマン」のエンディングだ
という結論に達した模様ですよ。

あ、今ね、
チューリップの「心の旅」が
聞こえてまいりましたよ。
生まれる前の曲なのに
「懐メロ」だなぁ、と
思ってしまうのが不思議なものですね。

 

それにしても今日は、本当に
様々な思い出というものが
蘇っては脳内が活性化され、
その結果心身ともに疲れ果てた
一日となりました。
まぁその分、今日もまた
濃厚な一日として後々の
思い出の日となりましょうや。

ただ悔やまれるのは、
体調を万全に整えていなかったことと、
体力が落ちていたことで
もっと食べたり
楽しめなかったことですね。
反省として、
これからちゃんと身体を鍛えます。
生活習慣を改善します。

 

「卒業」とは、
親しい人やなじみの土地との
別れではなしに、
今までの自分との決別を
いうのだそうですよ。

ある先生が、
ある深夜バラエティ番組を見て
感銘を受けたコトバだそうですがね。
でも本当に、
そうだなぁと思いました。

今の自分との決別。
尤も、良い所は
残しておきたいものですがね。
でも確かに、
いくらか決別したい
自分の欠点があるのは確かです。

別れを惜しむばかりではなく、
積極的に別れを経験しなくては、
自我の成長は望めますまい。
…クサイ恋愛論みたいな表現で
ちょっとヤだな。
でもそういうことなのですよね。

 

なんか、
「カウボーイビバップ」や
「天空の城ラピュタ」の曲とかが
後ろのスピーカーから
聞こえてきましたよ。
あぁ、一番アツイアニメソングは
ジブリもの、という結論に
訂正されそうですよ。

ラピュタの曲を今聞くと、
涙腺をビンビン刺激して
今は辛いですね。

今、夜11時15分ですよ。
大分長いこと
日記を書きまくっていますね。
でも寂しさを紛らわせるために、
書きまくるしかないのですよ。

今、「耳をすませば」の
「カントリーロード」が
聞こえてきましたよ。
今一番聞いたらいかん曲だろう。
ホラ、泣いちゃったじゃないのさ。

「コレはきついなぁ」
「甘酸っぱい青春の曲だよ」
「いま自分何やっているんだろう」
「中学校時代の自分、ごめん」
様々な思いが、
研究室3人の中で往来しましたよ。

 

思えば1月から、
個人的には祝われ続けて
いたのですよね。
1月最後の環セミ「環境ゼミ」で、
最後のゼミを執り行ったのちに
花束や寄せ書きを戴いて、
泣いてしまったのですよ、
不覚にも。
そのときは、祝っていただいたことに
対して感謝をしていたのですけれども、
今思いますれば、それ以外の点で
多々感謝しております。

1月に花束をもらいまして、
自分の大学生活がもう
残り少ないという現実を、
その時初めて実感として
抱くことが出来ました。
その後で考えましたことは、
これからもう残り少ない
大学生活を、どう充実させて
過ごしていこうかという事を、
本気で考えていました。

結局充実させられなかったような
気はするのですけれども、
ただ一日一日を、
大事に過ごしていこうという
意識(意欲かな)に駆られたのは
自分にとって本当にプラスと
なりました。

その分、何だか後輩に
還元することを怠っているのが
どうも悔やまれるというか、
でも何も還元できなくて
もどかしくて申し訳ない気持ちで
一杯です。

まぁ、思いついたら
掲示板か何かでお伝えしようかなと
思っていますので。
…それはそれで寂しいかな。

 

ただ今、夜11時半を
回ってしまいました。
後ろからは、
「卒業ソング」をテーマに
検索された曲が
流れてきていますよ。
もう、この日記を打ちながら、
何回も涙を流していますとも。

まぁ、いいさね。
今日くらいは。

今日5本目の日記でした。


謝恩会

2007年03月22日 | 【大学時代】森林科学

 午後4時半より森林科学コースの謝恩会が、また別の会場で行われました。
 というよりも、主催は卒業生ですから、「行いました」。

 久々に森林同期の面子がそろってわいわい騒ぐのも、よいものですね。非常に懐かしい気分になります。

 それに追い討ちをかけるように、某A先生のスライドショーがスクリーンに映し出されているのを見ますれば、さらに懐かしさというものに感情を支配されていました。
 思えば色々とあったものです。過ぎ去るのは早かったコースの3年間ですが、思い出して見ますれば事がありすぎて、むしろ長かったなと思います。
 ましてやうちの代の面々ですからね。様々な「伝説」を作ってきたなぁと。芝生で雑魚寝とか…今ではもう出来ないでしょうね。
 ともすれば、誰よりも(他コース他学年よりも)濃い3年間を過ごすことが出来たのかなと思っています。

 席上でも申しましたように、「皆様には最大限の感謝を申し上げます」。
 そして、「これからも森林科学というフィールドワークに身を置いて、精進していこうと思っています」。


サービスのレベルの高さ─

2007年03月22日 | 凡日記

農学部の祝賀会を
途中で抜けて、
市役所へ赴いておりました。

「転出届」を
発行してもらうためです。

手続きは非常に簡単でして、
10分ほど待っていれば、
発行が完了しました。

それにしても、
鳥取市の職員の対応が
懇切丁寧でして、
非常に有難かったです。
総合案内の職員さんに、
転出届を発行して欲しいと
お尋ねしますれば、
わざわざその窓口まで
案内してくださいますからね。
そして書類書いている間にも、
気軽に話しかけてもらったりしたのが
印象深かったです。
ついでに年金の手続きの方も
済ませてもらって、非常に楽でした。

新庁舎が、元スーパーの建物
を改良したものだから、
ハード自体が民間のものを
導入しているといえるわけですかね。
でも建物だけでなく、
対応やシステムなどを積極的に
民間のものを導入しているようです。
このサービスのレベルの高さ、
非常にいいですね。
ワタクシの地元の市役所も、
是非見習って欲しいものだ
と思いました。

さて手続きも終わり、
今度はコースの謝恩会会場へと
向かいました。
そろそろ足が痛くなって
いたころでした。


卒業式

2007年03月22日 | 鳥大時代/就職活動

 卒業式というものを、昨日まで実感がないまま、当日を迎えてしまいました。
 しかしながら当日は、さすがに雰囲気におされて、「あぁ、卒業式だな」という実感を持つことが出来ました。雰囲気とは不思議なものです。

 今日は鳥取大学の卒業式でした。人生の節目といいましょうか、区切りをつけさせてくれる大事な一大イベントです。と、感じました。こういう区切りの行事があったほうが、メリハリがついていいですね。

 午前11時より式。12時まで続きました。

 その後学部ごとに式があり、さらにコースごとに写真撮影と卒業証書授与式が執り行われました。
 戴いた卒業証書を手にしますれば、あぁ本当に卒業するんだな、と感慨深くなりました。

 会場から外に出ますれば、そのホールが人で埋め尽くされていることといったら、壮絶なものがありました。
 ホールは異様なまでの熱気に包まれていました。
 1回生の頃は、この熱気がむさくるしくて嫌だなぁなんて思っていたのですがね。それで2,3回生の頃は卒業式会場に行くことがなくなったのですけれども。
 ただ4回生になって、これだけの在学生が一堂に会して、卒業を祝うという一色の雰囲気に包まれているというのも、何だかいいなと思いました。

 会場では、サークルの後輩から花束をもらいまして、本当に感激しました。ありがとうございました。

 その後の午後2時半より、会場を市内のホテルに移して、農学部の祝賀会が催されました。
 各コースきれいにバラバラとなった、1回生の頃の友人4人が集まって、記念写真を撮ることが出来たのが嬉しかったです。
 それにしても不思議なものですな、出会ってもう4年も経っているのですから。

 沢山喋りました。立ちっぱなしでした。足も胃袋もパンパンです。
 しかしこれももう最後ですから。根性で、長丁場を全力で楽しんでいた感じです。

 それでもまだまだ終わらない祝賀会ラッシュ。
 今度はコースごとの謝恩会が執り行われました。