BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

それにしても東京の新陳代謝─

2019年12月30日 | 凡日記


 東京駅でいつもお土産を買っている
ショッピングブースが、閉鎖するんですって。

 なんだか寂しいなぁ。

 でも、お気に入りのミルフィーユが
無くなってから、あまり使わなくなって
いたかも…

 今回は最後だから、ここでしっかりと
お土産を買わせていただきましたぞ。


 それにしても東京の新陳代謝、
早すぎる…
 でもこれが、東京の活気を保つ
秘訣なのやもしれませんな…
過酷な話だけれども…


熊肉料理

2019年12月27日 | 食生活

 熊肉が振舞われました。

 でも、好んで食べるのが自分くらいしか
いなかったようで。もったいない!



 というわけで残りをもらってきました。
 こんなに貴重なお肉を!
 こんなにたくさん!1日じゃ食いきれないわ!

 猟師の方が、丁寧に臭みや灰汁を
取ってくださったようで、とても食べやすい。
 熊を撃つ人は、そのあとの利用の仕方まで
いろいろとご存じなようで、その技術及び知識たるや
凄いものだと敬服するばかりです。


『島原の乱』によると─

2019年12月06日 | 凡日記


 ブログ1に読書記録『島原の乱』を掲載しました

 加えて、「読書メーター」にも感想を添えました

 なお、島原の乱の舞台となった原城跡を訪れたときのことは
ブログ3の方に書いております


 なんか、リンクばっかり貼ってすいません。

 ちなみに冒頭の写真は、天草の崎津集落です。
 『島原の乱』によると崎津を含む天草の集落の一部は
原城への籠城(当初は長崎への進攻)に否定的で、
一揆には参加しなかったのだそうです。
 その結果、隠れながらも信仰が守り続けられた
ということです。

 もしも当時の潜伏キリシタンが一致団結して、
皆が皆過激思想に駆られていたら、長崎、天草からは
完全にキリシタンがいなくなっていたかもしれません。
 「総玉砕」とならずに済んだのは、「異教徒」神仏と
なんとか辻褄合わせたり共存の道を探ろうとした
人達がいたおかげでしょう。
 如何に寛容さ、共生共存が大事かを思い知らされる
事件とも言えましょう。

 以上、ブログ1には言及していなかったことを、
少し書いてみました。


後々消えてしまうんでしょう─

2019年12月02日 | 凡日記


 今日は、このブログを開設してから
5361日目にあたるのだそうです。
 ブログの編集画面に出てきます。

 ちなみに、今まで書いてきた記事数は
3911本です。1週間に4,5本書いてきたという
計算になりますが、最近は(リアルタイム更新は)
数カ月に1本というペースに落ち込んでしまいました。
 いかに、大学時代に異常なペースで書いてきたかが
よくわかります。(1日に7本書いたこともありました。)



 ふと、こんなことを書き出したのは、
このブログも書くのを止めて暫く放っておいたら、
「休止アカウント」として消えてなくなるのかなと
思ったからです。

 「twitter」が半年間以上の休止アカウントを
削除するというアナウンスがありました。
すぐに撤回されましたけれども。
 欧州の「忘れられる権利」への対応とも聞き及びますが、
サーバーへの負荷なども考えるとまたこの話は
復活するのでしょう。口座手数料を作って冬眠口座を
減らしていきたいという銀行の思惑と同じように。

 所詮は呟き、刹那なものです。
 本来、残らないもの、拡散されないものなんだから
消えても構わないという考え方もありましょう。
 しかし落書きやメモ帳が、のちの考古学者に有益な
情報を与える例はいくつもあるわけです。今の時代を後で
振り返るためにも、そう安易に消していいとは考えにくい
とも思うのです。
 ただ、根本的な問題として、サービス提供会社が
潰れてしまえば、特別なことをしない限り消えるのみです。

 それがブログでも、近いうちに起きるのだろうか、と
ふと思った次第です。
 実際、ジオシティーズというHPサービスが終了し、
ワタクシが大学時代からせっせと作っていたページも
ウェブ上から消えてしまいましたからね。

 ブログと言えば最近、桜を見に行った時の記事が
削除されているという奇怪な話がツイッター上で
次々と報告されており、大変賑々しい状態ですが、
今はそういう時代だったんだということも、後々消えて
しまうんでしょうかね。