BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

「転」の年になる、と─

2008年12月31日 | 凡日記


去年の今頃の日記
読み返してみますれば、
色々としんどいながらも何とか
最初の1年を乗り切ったという
安堵感を得て、
そして来年の抱負を
語っておりましたね懐かしい。


今年は、「転」の
年になる、といっておりました。

転職、とまでは行かなくとも、
会社を辞めて(脱サラというやつか?)
来年の試験に向けて頑張っていこうと
いう転換を決意しました。

で、
去年の今頃からすでに、
そうすることが頭にあったわけです。

自らの手で、
今のままでは駄目だから、
転身したい、と。
転身、といってもむしろ
今までやってきたこと、
やりたかったことに
立ち返ろうということですから、
帰ってきたという感じですか。

とかくまずは辞めたい、と。
その宣言をこめて「転」を
今年の漢字と表明したわけですが。

なんだかんだでずるずると、
会社を辞める事が出来ず。
結局12月末付けだもの、
もっと早くに辞めたかったのだけれども
まぁそれは致し方ないですし
周囲を窺いつつもありましたし。


去年の今頃、
今年は「転」だと書いといて、
その真意を1年後に書く、
ということを密かなる楽しみに
しておりました。

そして今ここに打ち明けて、
一安心している所であります。
何とか当初の狙い通りにはなった。

さて来年。
来年こそが本当の「転」となるか。


 


ちなみに「本当の」今年の漢字は、
「変」でございましたね。

来年はどうなる。
「転」でも推そうか。


ガシガシと書くのが─

2008年12月30日 | 凡日記


年末でございますから、
だらだらと夜遅くまで
こうやって駄文を綴っております。

久し振りでございますねぇ、
大学時代は、確か
1日に7つの記事を書いたのが
最高記録だったように思われます。

それくらいガシガシと書くのが
好きだったんですね、
というよりも書くことがたんまり
あった充実した日々を
幸いにも送ることができたと
言うことでございます、
ありがたいことでございます。

それに比べて今日はね、
特に何かしたわけでもないから
特にこれといったネタも持たずに、
だらだらと書き綴っていこうという
按配でございますよ。


読まれる皆々様においては
なんら益することが無いもので
ございますからね、
時間を惜しまれる方は
以下の文章にお付き合いされなくて
宜しいのでございますよ。

尤も、いつもの文章も
益がありやと問われれば
はなはだ疑問、てか
無いと思いますがね。


 


気がつけばね、
もう30日ですよ。
早いですね。

いや振り返ってみれば
今年は随分と長かったと
思っているのですけれども、
過ぎてみれば早かった。
喉元過ぎれば、ってやつと
同様でありますよ。

もう今更、
今年のことは思い出したくは
無いんですけれどもね。
政治も経済もくっちゃくちゃな
1年でしたけれども、
自分ももう色々ありやして、
うーむ散々。

年男なのになぁ、
それとも今年が厄年だったか?


 


数的処理、ってやつですか、
そう呼ばれるのがあるんですよ。
数学Ⅰみたいなもんですが、
でもちょっと違う。

極端な言い方をすると
今ブームの脳トレみたいな
問題も有ったり、
でも因数分解や確率もあったり。

けれどもそれらの問題は、
解けるか否かは別にして
やっていてとても面白い。
なんと言うか、まことに
実用的というか、
社会で役立つな、と
社会に出ていただけに
そう思えるものなんですよ。
そして初めて、
因数分解の実用性というか
有難みを体感しましたね。

高校数学もねぇ、
訳分からん諸説ある微積分よりも
こういう数的処理の方を
もっと充実させたがいいんじゃないかと
思ったりもするのでした。

ただ、楽しいけれども、
難しい、頭痛い。


 


年末のテレビ番組、
特番ばかりでつまらないですね。
だからもう殆ど、
ニュース以外は見ていないか、
KAB(熊本)の「どうでしょう」を
撮り溜めたやつを見ておりますよ。

何でこう、特番になると
つまらないものばかりに
なってしまうのでしょうか。
それだけ、私の集中力が
低下したということなのでしょうか。

逆に考えると、
面白い特番って何だろう、と
いう命題に突き当たると思うのですよね。
今国民が見たがっている特番は何だ、
いやその前に自分が見たい特番って何だ。

愚考に愚考した挙句が、
無いんじゃないかと
いう結論に達したのですよね。
乱暴な。

まず一つ目が、
もう2時間も3時間も
見る体力、集中力が無い。
なんとも不様たるや、俺、
しかしながらこの高齢化社会、
集中力を要する番組を
作られ続ける、ってのも
おかしいのではないだろうか。

二つ目が、
15分や30分にコンパクトに
収められたものの方が、
分かりやすいし
要点が好く押さえられていて面白い、
質が高いんじゃないかと
思うのですよね。

以上より、
特番なんていらない、
という結論に至るのでした。
浅はかぁ。


 


な。
益無かったでしょう。


閏という自然への妥協

2008年12月29日 | 雑感散文


閏秒があるらしいですね、
標準時間の31日、
23時59分59秒に。

だからね、
カウントダウンで

5,4,3,2,ときて、

1,1,0!

といった按配と相成るのでしょうか。


尤も、
日本時間だったら
9時間ズレますから。

杞憂でしたね。

 

閏秒があるってのは、
なんだか面白いですね。

ちゃんとさ、
1秒はどのくらい、
1日、1年はどのくらいって
ちゃんと定義されているのに、
地球の回転がちょいと遅いから、
それに合わせて1秒ずらす。
4年たったら地球の
公転上の位置がずれるからって
1日付け加える。

地球の都合に合わせて、
わざわざ時間を調整する。
さすれば時間とは
いったい何であるか、
誰がために定義されたものか。

地球に住んでいる以上は
地球の都合に合わせて
時間を定義しないといけない。
内に秘めたる生物時計よりも
地球の都合を優先している。
ならば時間とは地球の何某かか。
地球を離れてしまえば時間とは
何を指すものか。
はたまた時間は不要の産物か。

いくら人間がさ、
体系付けたり定義しても、
自然がちょいと狂えば
それに従って帳尻あわせを
しないといけない。

つまりよ、
人間が希求する学問の究極、
絶対的はたまたイデアというやつか、
それは簡単に自然現象、宇宙現象に
妥協を要求され続ける。
となればこの世に
究極とやらは無いのか。

いや、本当に無いのやも
しれませんわね。
「無い」ことを証明する方が
難しいから、
誰も無いと言い切れないですが、
これはこれで仮説として
提示してもよいのかも知れませんね。
ど素人の愚考でした。

でも時間をさ、
「閏」といって調整する、
これが何かね、
自然に合わせて生きていこうとする
態度に思えてとても良いなと
思ったりもするのですよね。

地球に住む以上は、
その自然環境に従って生きる。
時間においても、閏をつかって
柔軟な対応をする。

自然と共生するとは、
自然に従う柔軟な対応、
こういう謙虚さがよいのではないだろうかと
子年最後の週に思い至るのでした。


【WH】「引き算の建築様式」

2008年12月28日 | テレビ


 今年最後の「THE世界遺産」(TBS)は、インドの「エローラ石窟群」でした。

 一枚岩を地面にくりぬいて、そこに壮大なレリーフを施した建造物を作ってしまうという、「引き算の建築様式」。
 エチオピアにも同様の建築様式がありますし、中国やアフガニスタン、日本においても、同様の建造物あるいは石窟が存在します。

 しかし現代の建築は、無いものからあるものへと創造しようとするものばかり。

 超高層ビルの乱立も然り、ドバイの建築ラッシュの蔭りなんかが、最近の「報ステ」で報告されていましたけれども、世界初とか世界最大とか、無尽蔵な欲望のままに作り上げてしまう世界というのは、有限な地球上においていつか頭打ちになることを無視しているのか。
 はたまた本来持ち合わせていたその危機感が、科学技術の飛躍という陶酔のうちに麻痺させられてしまうものか。

 その一方で、あるものから作り出すというのは、初めからその有限性を有効に使えるよう、計画的に計算して作り出さねばならない。
 計算によって作り出されたものは美しく、世界もまた美しくなるのは先の例の真逆の論理か。

 「引き算の建築様式」から見出されるその価値と美学を、引き算の資源利用や経済政策といったものに転用されれば、この世界遺産の価値はまたさらに高まる、だろうか。


牛に引かれて

2008年12月28日 | 雑感散文


一つ前の日記で
年賀状は未だだと書いておりましたが、
夜になってようやく仕上がりましたよ、
こう、
パソコンでぱぱっと、ねぇ。

でも投函は明日。
というわけで、かみきさん、
元日以降の到着を待ってくださいな。


 

年賀状のね、
切手の所とフッターの所、
牛に引かれて善光寺
ってぇやつでございますか。
そんな画が描かれていますね。

牛に引かれて─ってのは
バンクで鳥取のあるお寺に
行ったときに聞いたお話
でございますよ、
懐かしいですね、
色々と活動しておれば、
自然と薀蓄が身につくっていう
按配でございますな。

善光寺だけではなく、
福岡の大宰府天満宮だって、
牛が関わっているのでしたね。
牛が居座った所に建立、という伝承。

牛は何かと神秘めいていて、
神がかったものがあったのでしょうか。

そういえば昔の日本人って、
牛は食べなかったのでしょうか。
あんまし聞かないような気がします。
だってね、水牛とかは
耕すための労働力として
飼っていたんだから、
食うわけにはいかんでしょうに。
食うようになったのは
散切り頭の明治以降か。

とすれば牛は
大事に飼われてきたわけだ、
食べ物としてみなかったわけだ。
それはインドの牛信仰に
遠からぬものかは。

それがいまや欧米と
引けをとらないほどに
牛を食する民族になってしまった。
いやだから、
丑年は牛を食うなと
言いたい訳じゃないのですよ、
そうではなくて、
牛に対する感謝とか畏敬、
そういうものを忘れてきて
しまったんだなぁ、と
話は戻りますが
善光寺や大宰府天満宮の
伝承を思い出すにつけ
思案を巡らすのであります。

今一度振り返れば
十二支の動物たちはみな
神様として崇められてきた。
神様だから、龍も入っているのね。
今年の干支のネズミだって、
本来は穀物を食い荒らす厄介者として
昔から駆逐が試みられてきた。
けれどもその一方で、
豊作の象徴として敬われてもきた。

それは一見すると
矛盾していることなんだけれども、
それら両面の考え方を
持ち合わせることによって、
緩和する効果を持っているんじゃ
ないだろうかと思うのですよ。
命の搾取という行為の、自然緩和。

一方では追い払ったり労働力で
こき使っているのに、
他方ではありがたやと崇める。
そうやって自然と上手いこと
付き合ってきたのが
動物を神として、また神聖なものとして
崇める所に現れてきて
いるんじゃなかろうか、と
勝手に解釈するのです。

こき使っている牛が、
そこで止まったあるいはそこに連れて来た、
信仰心が無かったら早く行けと
鞭を振るって先へ急がせただろうに、
これは神のお導きとばかり、
そこに寺や神社が出来てしまった、
というのは微笑ましいではございませんか。

来年の丑年から、
今一度動物への「信仰心」というものを
見つめなおすというか、
郷土のそういった伝統を探して
見るってのも面白いやも
知れませんな。

面白い話がありましたら教えてな。


もどっとっとやったら─

2008年12月28日 | 凡日記


さてさて、
旧年中お世話になった
会社の方々へ送る
年賀状なのですけれども、
未だ作っておりませぬ。

25日までに出してくださいとは
JPさんのお願いでしたか、
どうもその意に沿うことが
出来ませんでした。

明日出したとて、
元旦に年賀状が届くのは
望めそうにありませんな。

というわけで、
会社関係以外の送り先の
かみっきぃ~さん
パソコンが壊れたそうで
このブログ読めない状況かも
しれませんけれども、
静岡に元旦には届きませんわ
ということをあらかじめ
お伝えしておきますのよ。

ついでに、
「あけましておめでとうございます」と
先にお伝えしておきますよ。


 


『林業実務必携』第4版が、
長崎には存在しないのでしょうか。
県内全ての図書館にも無いみたいだし、
市内の本屋さんに行っても
とうとうお目にかからなかったのですよね。

かろうじて、第3版が
諫早の図書館にはあったのですが、
如何せん20年ほど前の内容、
森林政策や環境面の記述は皆無。

大体ねぇ、
森林関係の本が、
図書館並びに本屋とも
取り揃えが少なすぎるよ。

というのも、
大学の図書館が、
取り揃えに恵まれていた、と
いうことなのでございますよ。
離れて初めて分かるその有難さ。

さて、どうする。
…図書館に頼むかネットで注文しろって。


 


暫く書いていなかったら
なんだか沢山書きたくなるものね。
というよりも、
沢山しゃべりたいという
衝動に駆られているんでしょうか。

諫早の仲間は
全国に散り散りだしねぇ。
そいとも年末年始は
戻ってきとっとやろかね、
もどっとっとやったら
連絡ばくれんねね。
諫早弁ばい。
諫早弁は変換がお菓子か兼用中ね。


やってますよ、ちゃんと─

2008年12月26日 | 凡日記


やっとですね、
某メンバーと12月頭に
熊野三山へ旅行に行ってきたときの
日記をUPしました。
1日目は本宮
2日目は速玉と那智ね。

あ、世界遺産の写真は、
気合を入れてブログ3
UPしようと思って
未完のままですからね、
未だ見たらいけないのですよ。

そういえば、一昨年の
ベトナムの旅行記も
未完じゃねぇか、うーむ。


そのほか、
11,12月分のいくつかもUP。
それでも未だ、
書いてねぇやつもあるなぁ。
まぁおいおい。


 


やってますよ、ちゃんと、
勉強の方は。
やっぱし法律と世界史、
物理とかは難問だ。

高校でも大学でも
勉強していないんだもの。

だけどもね、
勉強してみるとこれがまた
面白いんだもの。

大学を通して、
学ぶことの醍醐味を
身に着けたんだろうね、と
一人早合点している次第なのです。

勉強は楽しいから良いとしても、
後は集中力を身につけねば。
1時間も問題集をしていると、
眠気が…。1時間でこれかよ。


 


(NBCテレビを観ながら)
おー、
和正さんはよいですなぁA先生。


おおおっ?─

2008年12月21日 | 凡日記


おおおっ?─その2。


わたくし、1月生まれなのね。
1月生まれの、本日の運勢。


 冬至だから、ゆず湯に入れ


おうおう、
なんだそりゃ。

占いって、何だ。


そして占いどおり、
ゆず湯に入りました。
運気上がるんかな。


掃除をして─

2008年12月18日 | 凡日記


@実家です。

自分の部屋の掃除をしていましたらば、
小学校2年くらいのかなぁ、
小テストの用紙が出てきました。

あぁ、なんてことだ。
この頃ですら自分は
100点満点を取れぬというのに、
そりゃぁ中高時代は
成績も振るいませんわ、違うか。



大分思い出の品を捨てました。
2度も引越しを味わえば、
大分捨てる技術も磨かれますわな。

というよりも
捨て去りたい記憶の方が多し
中学時代の思い出、嗚呼。


長崎の方が─

2008年12月18日 | 凡日記


@長崎です。

日の入りの時間が、
やはり大阪や鳥取とは異なります。
もうすぐ6時ですが、未だ空は
うっすらと明るいです。
それに比べて…ねぇ。
改めて日本は細長いんだな、と
感じさせてくれる一幕でした。


鳥取は地産地消運動が
前よりも進んでいるようですね、
野菜とか鳥取産がよく目立ちます。
翻ってここ長崎では、いや、諫早では
同じように直産フェアとかを
やっておりまして、
諫早産の野菜が特設コーナーにずらり。
でも、特設でない普通のところも、
長崎産だとか佐賀産だとか、
九州の野菜がずらり。

なんだ、
長崎の方が、
地産地消が進んでいるではないか。
それをしみじみ思い知らされるのでした。



鳥取に─

2008年12月17日 | 凡日記


鳥取に2日ばかり帰っておりました。
その間に、15メンバーや
環セミの後輩の皆様方と
お会いすることが出来ました。

お会いした皆様方、
本当に有難うございますね。


いつもバラバラだった15がさ、
ここにきて5人そろって鍋、てのも
なんだか可笑しなものですね。

かといって来年はもっとバラバラになるのか、
それも世界規模で、ねぇ。
まぁ、学生時代からすでに
世界規模でバラバラでしたが。

でもだからこそ、
集まりたくなるのやも知れませんね、
またいつかやりますかぁ、15会。

同期のお仲間は大事ですよ、
ですから皆々さんも大事になさるのですよ。


さらば─

2008年12月15日 | 凡日記


退寮しました。

今の部屋に移って、
未だ9ヶ月しかたたぬまま
出て行くこととなりました。

でもここに移ったときから
すでに退職を意識して
おりましたもので、
荷物も箱に詰めたまんま9ヶ月。

片付けたように見えて、
実は9ヶ月間このまんま、
多少散らかってただけ。

6年間使い続けた
布団をくくって、
さらば大阪。


さて、大山崎~遊び心のアート満載

2008年12月14日 | 自適休暇


「さて、大山崎~山口晃展」
という催しに行ってきました。

詳しいことは、
上の「すヾしろ日記」パクリ版を
ご覧になすってね。

さて、以下そのときのことを
綴った駄文です。

尚、山口晃さんの
作品については
ブログ1を見てね



 12月14日、京都・大山崎にある「アサヒビール大山崎山荘美術館」で催されている「さて、大山崎~山口晃展」を観に行きました。
 なぜこの日かといえば、山口さんのソロトークがあるからなのです。ファンとしてこれは見逃せまい。

 ソロトークの前に、作品を鑑賞しました。やや展示品が少なかったように思えるのですが、しかし展示品の殆どは最新作。それも、大山崎にちなんだものばかりで、変な言い方ですが不思議な感覚になりました。おぉ、この山荘から見える天王山、大山崎Jct(名神高速)が、ここに描かれている!ローカルな感動が、ここに表れたのです。

 なんといっても、ロケーションが好かったですね。歴史あるこの土地で、歴史深いっぽい作品たち。趣があります。作品群と、美術館自体が一体となっている。

 本当は山口さんも、一体にしたかったそうですね。ソロトークで山口さん、山荘を「武装化」して、子供で言う秘密基地化したかったとのこと。なんと夢の有るお話!
 しかもそれを、リアルな大山崎町の予算や軍備で持ってして、最終的に枚方市辺りと戦おうという設定。時間的制限と町側のNGで没になりましたとさ。

 山口さんの作品、世界観というのは、遊びなのですよね。
 それはふざけているわけではなくて、生きていくうえでは遊びというものが、大事なのですよというのを諭してくれているように思います。
 ほら、「ゆとり」というのは、「あそび」というじゃないですか。木造建築でもそうですし、車のブレーキでもあるではございませんか。
 生きるうえで必要な、「文化」とは即ち「あそび」である。持論ではございますが。


 作品鑑賞、ソロトークとも大変満足でした。


部屋が片付くと―

2008年12月13日 | 徒然@ケータイ


部屋の片付けがほぼ完了しました。
…と、こんなコトを逐一
ブログで報告するってのも
ヘンというか間抜けしますが。


朝一に可燃ゴミを2袋出し、
夕方に宅配で4箱を実家に送り、
部屋に残るは布団とパソコン。

部屋が片付くと、
えらい寒々とした印象を受けます。
そして6年間続いた一人暮らしも
暫く中断することになりますんで、
やや感慨深い心持ちとなります。


とりあえず部屋が片付いて一安心、
明日は大好きな画家に会いに行きます。
んでし明後日は
画家の元へ帰る段取りですわ。