BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

森林地域学演習 2日目

2006年09月28日 | 【大学時代】森林科学
 三瓶小豆原埋没林
ここが埋没林公園。  2006年9月28日。午前9時15分、 三瓶小豆原埋没林公園に到着。
 のどかな山村の田園風景が続く道の途中、突如現れた謎の建造物。
 1階建てに満たない高さなので、外から見る限り、何の施設だか全く分からない。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。

埋没林公園の中の様子。  中に入ると圧巻。
 地下にこれだけの巨木が埋まっていた。

 およそ3500年前の三瓶火山の噴火に伴う土石流に埋もれた埋没林。 しかしながら地理的条件の偶然により、その土石流の勢いを和らげ、太古の巨樹が立ったまま埋まることとなった。

 この地下円形展示室は、直径30m、深さ13.5m。
 30本もの立木が発見されている。(押し倒された木は含まず。)

手を広げても、まだ大きい。  巨木の殆どがスギ。樹皮まで綺麗に残されているのが凄い。
 スギの最大直径は1.8m。年輪数636本。手を広げても届かない。これが12メートルほど直立している。
 上の部分が切られているのは、立木発見前の水田整備工事で切られたため。
 立木はスギのほか、広葉樹のケヤキや土地の木なども発見されている。
 当時の森林生態の姿を知ることが出来る。
 左写真は、もう一つの展示・三瓶自然館標本の木の根株。
 合体大根株と呼ばれている。
 石見銀山遺跡
銀行。  午前10時半。予定より少し遅れて、大田市大森地区・「大森銀山重要伝統的建造物群保存地区」(昭和62年選定)に到着。
 この地区及び周辺の地区や遺跡群は、2007年7月の世界遺産委員会にて、 「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産に登録が決定される予定である。
 写真は大森地区内にある銀行。元からこういう佇まいなのかは不明だが、景観に配慮していることを伺わせる。
 そのほか自動販売機を格子で囲うなど、ここでは景観に対してあらゆる配慮がなされているのを見ることが出来る。

 旧大森区裁判所・現大森氏町並み交流センターにて、石見銀山資料館の学芸員の方から、 石見銀山について、また世界遺産登録についての講義を行っていただいた。

街道の途中にも間歩の穴がある。  講義後の12時半より、仙の山登山の予定だったが、登山道崩落のため中止に。各自自由行動に。
 大森地区南部にある大谷間歩(まぶ=坑道)群の「龍源寺間歩」を目指す。ここは唯一一般公開されている間歩。
 向かう途中にも、大小いくつもの間歩を見かけることが出来る。 殆どは柵で閉鎖されている。柵が無くともどのみち入れそうにない。
龍源寺間歩入口。  午後2時。龍源寺間歩に到着。
 入場料大人一人400円。遺産保護に当てられる。貴重な収入源である。
 中からは冷気が凄い勢いで排出されてくる。非常に寒い。
龍源寺間歩の内部。  中に入ると、照明がいくつもあって、坑道を照らして実に幻想的。しかし当然ながら当時は油皿の灯で照らすのみ。
 途中幾つもの横穴がある。人が一人通れるのか疑問なほど小さい間歩である。
 実際は地下100mまで、立体的に張り巡らされた間歩である。 見学が出来るのは、わずかに150mほどである。しかし狭くて寒いため、それくらいで十分に思える。

森林地域学演習 2日目2

2006年09月28日 | 【大学時代】森林科学
 石見銀山遺跡(続き)
竹が目立つ林地。  龍源寺間歩を出る。周辺は竹が多く蔓延っている。
 竹は遺跡などの保護上の脅威となっている。

 その後佐毘売(さひめ)山神社などを見つつ帰る。
 その周辺は段々畑跡のような林地。かつての20万人都市の集落跡であるらしい。随所に見られる。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。

大森小学校。  大森小学校の校舎。
 木造の建物が、優しく佇む。
観世音寺より見た風景。  「石見銀山遺跡とその文化的景観」。文化的景観が適用される世界遺産は、 国内では「紀伊山地の霊場と参詣道」(和歌山県ほか)に次ぐ。
 ここ石見銀山は、鉱山としては特殊な景観を持つ。
 まずは、大量の薪炭林を必要としたにも関わらず周囲の森林が多く残っていること。 そして近代の開発が進まず、古の建物などが残ったということが挙げられる。

 16世紀以降、ヨーロッパ諸国(特にポルトガルや中国)との交易が盛んであった。
 また、17世紀の石見の銀は世界の銀産出の約3分の1(年間約38t)を算出するなど、東アジア圏はおろか、 世界の交易経済に大きな影響を与えていた、歴史的に重要な拠点であった。

住民の取り組みが垣間見れる、軒先の生花。  世界遺産の問題点は、住民の遺産保護への自発的な参加や、観光客増加に対する対処などが求められる。
 また現在は、竹林の除去などを行い、かつての植生ならびに自然景観を戻す取り組みを行おうとしているということであった。

 石見の遺跡は「分かりにくい」などといわれているらしい。坑道など地下に存在する遺跡が殆どであるから無理も無いが、 「分かりにくい」というのは、遺跡を通して歴史文化を見る目を持たないことに起因するという。
 目立たないものであるからこそ、世界遺産として注目し、注視する必要性があるのかもしれない。
 日本初の「産業遺産」として、また日本史を政治区分以外で見る新たな視点として、この遺跡は期待されている。

 合宿所
この日のバイキングメニュー。  合宿所(青少年の家)へ戻る。
 この日も夕食はバイキング。相当食した。
 午後8時より、Y先生による講義。
   次のページへ続く >>