BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

15:21 を見た瞬間─

2009年04月29日 | 凡日記


お昼にですね。
デジタル時計で、
15:21 を見た瞬間、
何かしらのインスピレーションを
受けたような気がしました。

気がしただけなのです。
それが果たして何なのかというのは
個々人の度量に懸かっているわけです。

それが人にとっては
本当に些細なことで
詰まらない事だったり下らない事でも
実は或る人にとっては大発見であったり
人生の転機となったりする場合も
あるわけでございますよ。ねぇ。

何熱弁揮っているんだか、ねぇ。
なんてことは無かったわけですが。



でもデジタル時計の数字の並びは、
ふと見た瞬間に
或る規則的な模様を作っていたら
妙に神聖な気持ちになります。

たとえば先に挙げた例はシンメトリー。
もしも25:25があれば
サイケデリックみたいだけどね、
そうでもないですか。
ぞろ目だったら均質な、
なんだか秩序だった感じとなり、
12:34だったら右肩上がりなイメージ。

単純に、時と分が同じ数字になっても
なんだか少しうれしくなったり。
12:12とか。
要するに、何でもいいわけか。


   


気がつけばもう
4月も終わりですよ。
参りましたなぁ、
光陰矢の如しと雖も
相当だぜぇこりゃ。

皆々様も時間を大切に
精一杯生きるのでございますよ。


【さだ】犬になりたい理由

2009年04月29日 | テレビ

さだまさしのアレ、
4年経ってようやく題名が決まった
「今夜も生でさだまさし」
見ておりました。
生で、そして録画して。

録画する必要はあんまり無いかなと
思っていたのですがね、
最後の歌が好かったですね、
ですから録画してよかったです、
3回くらい聞きなおしましたもの。

白雑種のお父さんが
「素晴らしい」と頷いた
理由がよく分かりましたね。
えぇ、某CMのイメージソング、
まさかの公共放送初披露。

大変不覚にも、
3番の歌詞に大変感銘を
受けてしまったのですね。
冗談な歌なのにね、
おかしなものなのです。


四月猫い─

2009年04月26日 | 凡日記


急に寒くなりましたね。
全国的にそうなんでしょうか、
青森では随分遅い積雪を
観測したそうでございます。
ちょっと前は、九州も
真夏日を観測したというのに。
こりゃぁ三寒四温どころでは
ございません。

皆々様も重々体には
お気をつけなさってくださいね。
ねぇ、かみきさん、
風邪なんかひいちゃって。


   


さていよいよ春の様相を
周囲を見回してみますれば
呈しておるわけでありまして。

カエルの鳴き声が聞こえます。
トカゲもうろついています。
猫もナーゴナーゴと
喚いております、
「お」を付ければ
オナーゴおなーご、といった
按配でございましょうか、
えらい下衆い例え方ですが。
これもひとえに猫だから許されるもので、
人間に、特に中年男子に置き換えると
越前屋もしくはお代官様みたいでどうも
可愛らしさも糞も無くなって
しまうのでございますね。

まぁとにかく
五月蝿(うるさ)いんだわ。
四月猫い、と書いても
うるさいと読める勢いですよ。

しかし、春だなぁと
その喧しさにしんみりと
聞き入ったりするのもまた
自然の愛で方哉。


なんだか説得力が─

2009年04月25日 | 凡日記


「世界ふしぎ発見!」の
題名が変わった!と
驚いてしまいました。
某最大手の家電メーカーの
名前がタイトルから消えました。

しかしながらHPは
ロゴやリンク共に
そのままでしたので、
多分今回限りの処置なのでしょう。

けれども矢張り違和感というか、
残念な感じも否めません。
20数年間続いたタイトルだけに。


エコ偽装は悪質なものでしたからね。
「すべてを地球のために」が
嘘だったわけですから、
殆どのCMが没になっちゃって。

これを機にもっと本気で
環境問題に取り組んで欲しいものです。


   


近所で建っている
新築の木造住宅ですが、
矢張り上棟の旗は立たず。
従って餅撒きは行われず。

関西圏では当たり前のように
そんなモン無かったのですが、
ここ田舎ですらもう
無くなっちゃったのですね。
つい10年位前までは
あったというのに。

低コスト主義が近所交流と風習を
無くしてしまうのでしょうか。

と、こんな
もっともらしいことを書いても、
餅拾いしたかっただけじゃねぇかと
疑われそうで、
なんだか説得力が無いですね。


一般公開されるように─

2009年04月24日 | 凡日記


一昨日の話でしたか。
長崎県の端島、通称「軍艦島」が
一般公開されるようになりました。
全国ニュースでも大きく
取り上げられておりました、
大変好いことです。

「長崎の教会と関連遺産群」と共に
「九州・山口の近代化産業遺産群」の
ひとつとして、世界遺産にゆくゆくは
登録される見込みです。

しかしながら、
世界遺産好きのワタクシが
敢えて言いたい問題点も
ちらほらと…。
まぁ、後日ゆっくりと
ブログ1の方に認(したた)めたいと
思うのではありますが。



端島の説明などはこちら。
 「鹿児島県HP」九州近代化産業遺産
 「西日本新聞HP」九州・山口の近代化産業遺産群特集
 「NPO法人軍艦島を世界遺産にする会」

ついでに長崎の魅力はこちら。
ハイビジョンの短い映像。
 「ながさき旅ネット」HV動画

「裸になって何が悪い」

2009年04月23日 | 雑感散文

怒りを感じた。
故に以下の駄文の筆が
幾許か荒くなることを
予めご容赦賜りたい。

「裸になって何が悪い」と
夜中に喚いて公然わいせつ容疑で
逮捕された草(なぎ)さんの件だ。
公共の場で裸になり
喚いて近所迷惑となり
警察官とひと悶着を犯したらしいことが
報じられていることから、
確かに草さんに非はあろう。

しかしながら、
これほどテレビに大犯罪者の如く、
トップで時間を大きく割いて
報じねばならぬ事件かは
甚だ疑わしきと考える。

成る程余程沢山テレビに出ていて、
影響の或る人間ならば
仕方が無いだとか、
また有名人であるが故に
多少の世間とのズレや驕りが
有ったのではなかろうかという
推測も出来るやも知れぬ。

しかしならば何故、
他にもテレビに沢山出ていながら
大麻所持で逮捕される人間は
少々の扱いで済まされようか。
最近離婚した芸人は
DVの疑いも有るやもというのに
お咎めなしだ、テレビに出続ける。

それら不可解なる芸能界の掟、
それに比べて今回の件は
毅然とした態度で臨む報道を
好いとする向きも有るかもしれない。
しかし依然として釈然としない。
何故故、善人のイメージで
人気を得てきた人間がこうも
叩き落されねばならないのか。

矢張りこうも庇いたくなるのは、
草さんの人柄そのものである。
偽善だ、と善を嫌う輩は
そう反論するかもしれない。
偽でも善はよいではないか、
他のメンバーを見よ、
お叱りを受けるだろうが、誰某は
我が物顔の司会振りでどうも
見ていて腹が立ったりするのに比べ、
「天然」な素振りで笑いを
提供する方が快いではないか。
至極個人的趣向に偏るがそう思うのだ。

矢張り人柄というのは
人間を信頼する指標になる。
故にテレビより滲み出る人柄を
信じたい所なのだ。
しかしながらそこは嗚呼無常、
自分たちが持て囃しておきながら
いざ何かがあると直ぐ「対応」、
テレビ番組は放送中止、
テレビ広告も取りやめが相次いだ。
そんな簡単なことで降ろしてよいのか、
公然わいせつ罪とはいえ幸いにも
裸を見た人間はおらず
精神的苦痛を受けた被害者もいない、
ましてや他人へのわいせつの罪とは
雲泥の差、この程度のことで
直ぐに手のひら返す企業がどうも
信用できない。
これこそ、偽善と言わすして何たる哉。

地デジ推進のイメージキャラクターとして
登用した省の大臣が怒るのも
無理からぬことではあるとは思う。
しかしながら即断で、
ポスターの取替えに言及するのは
如何かと思う。
それでいくらの税金が飛ぶのか。
酩酊会見を擁護しておきながら、は
踏み込みすぎか。

兎に角腹が立つことばかりだ。
善人と持ち上げといて少々のことで
突き落とすマスコミは何だ。
大層な事をしても知名度の差で
報じない方が偽善である。
一方のネット、ブログやミクシィの
記事等々を拝見するに、
えげつない誹謗や的を外した中傷など
学の無い文章は置いておくにせよ、
矢張り批判の文章が多い。
しかしながらその一方で
報じすぎで可哀想だとか、
また批判する側ですらも
報じ方には疑問を持っておられたりと、
犯した罪に対しての報じられ方に
草さんを擁護する声が
目立つことに安堵した。
この見解が多数派であることを信ず。


待たずしてもう─

2009年04月21日 | 凡日記


家の近くで行われている
木造住宅の工事なのですがね。
基礎工事に入って
1週間つまり7日間の経過を
待たずしてもう躯体が
運ばれてきて、
大工さんも墨入れ作業に
入っているようなのですが。

基礎工事は本来
1週間ないしは10日間の
乾燥期間を設けないと
いけないわけですよ。
ましてや昨日は大雨。
大丈夫かいな。

住宅関連の会社での
仕事の癖は依然として
骨身に沁みて、とこの
言葉の使い方は適切なのか
自身はありませんが、
まぁとにかく、
傍から見て気になったり
することは多々あるわけです。


   


いま「ドォーモ」(KBC)という
九州地方の番組で、
九州一の国立大学の
新しいキャンパスが
紹介されているのですよね。

なんというか、
あまりに煌びやかな設備群に
羨ましさを通り越して
税金が いやなんでもない。

でも一般の人が
どんどん気軽に入っていけるような、
街の中心地となるような
実験的取り組みに
感心したと同時に、
これから大学では必要に
なってくるんだろうなと思いました。


ぐぐっと心の奥底に─

2009年04月20日 | 凡日記


今日も、いや日付が変わりまして
昨日も暑かったですね、
軽く夏日を越えていました。

まだまだ、近所の田んぼは
水を張るどころか
耕してもいないというのに。

耕していないけれども
カエルさんたちはもうすでに
目を覚まして
ゲコゲコ鳴いていますよ。

去年まで2年間は
無味乾燥なコンクリ都市の
大阪に住んでいましたんで、
3年振りですか、
カエルさんたちの合唱が
大変懐かしく、そして
ぐぐっと心の奥底に
突き刺さるものを感じました。

今度姿を見せておくれ。


   

さて、
ブログ1の方は
ぼちぼち更新をしていますので、
宜しかったら見てくださいな。

特に動画の方をね、
所詮ケータイ画質ですんで
このハイビジョンの時代に
そむくようで見苦しさも
甚だしいのではありますが、
そこんところはご愛嬌で
スルーしてくださいね。
雰囲気だけつかんでもらえればと
思っていますんで。

ただ、こういう地域の
映像というものに対しては、
最近色々と思い悩むように
なってしまいました。

特に今日の、
「日曜フォーラム」(NHK教育)
という番組を観て、
より色々と思案しています。
その内容については、おいおい。

その番組は「THE世界遺産」の
裏でしたんで、
フォーラムはワンセグに録画して
後で観たのですがね。
世界遺産のも含めて、
またおいおい書きます。

まぁとりあえず
ブログ1をご覧になってね。


のびるがのびる─

2009年04月19日 | 凡日記


のびるがのびる。
いきなりすいませんねぇ。

野蒜(のびる)です。
食べられるそうです。
生でも味噌を付けて
食べられるそうです。

何処にでも生えて
いるそうですね。
七草も然り、覚えておくと
いざというときの
食料にできますね、って
何に備えているのだか。

ちょいとネットで
調べてみますれば、
「万葉集」にも記紀にも
この植物が登場するらしいです。
古くからお世話になっている
野菜様なのでございますね。

でもここは花を咲かせるから
どいてね(酷。


【WH】見たこと無い古都奈良

2009年04月19日 | テレビ


 今回の「THE世界遺産」(TBS)は、「古都京都の文化財」。

 何度か行った場所であるというのに、画面に映し出されたのは見たことも無いような別世界。
 仏教とは実に奥が深いものだと感じ入るのでした。いや、仏教徒はひと括りにはできぬ、日本古来のアニミズムや神道など様々なものと融合した、現世を超越した精神世界の儀式。世界遺産の真価とは、これか、と。

 また、画の撮り方にも大変感心したというか、その美しさと神秘さの演出に脱帽するばかりでした。
 平城京跡。おそらく朝方なのでしょう、薄明かりの中誰もいないしんと静まり返った、かつての首都。おぉ、と戦慄の走る画でした。普段は観光客が多く、また緑が多く広々としていて穏やかな時間の流れる場所であると言うのに。
 毎回、見せ方に魅せられるのでした。

 翌週は、京都。もっとよく行く所なので、どう見せるのか、非常に楽しみ。

アナログの電波は─

2009年04月18日 | 凡日記


デジタルの電波は
相変わらずNHKしか
入ってこない我が家ですが、
アナログの電波は
熊本のも入ります。

それで、熊本で放送されている
どうでしょうさん
見ることができるのですね。

それで今ビデオに撮った
ユーコン160キロを
観ている訳ですね。

次は罰ゲームをかけた
試験に出る日本史ですね、
そしてそのあと
罰ゲームの四国ですね。
あ、その前に
5周年(当時)の企画か。


土曜日の地元、
夏日でした、
図書館はいっぱいでした。

すんませんねぇ
しょうもない報告で。


ツツジ自身の恣意性が─

2009年04月18日 | 凡日記


図書館による途中、
綺麗に幾何学的に真直ぐに
剪定されたツツジの生垣を
見かけたのですよね。
まぁ普通の生垣です。

けれども、この季節限定で、
剪定した形を保ちつつ
色が鮮やかに変わるところが
何とも妙に感じられたわけです。

人間の美意識で刈られた者達、
しかしツツジはツツジで、
刈られてこのやろう
せめて真っ赤に変色して
抗議の意を表しようと
しているわけではないのでしょうが。
もしかしたら人間様の思い通りに
できるだけ形を崩すことなく
花を咲かして見せている
わけでもないのでしょうが。
何かツツジ自身の恣意性が見える。
だってね、花くらい
もっと外に伸びて
咲き誇ってもいいじゃないの。
何処となく不自然に見える。

何が不自然たらしめているのか。
何かが変でおかしみが込み上げて
ぎこちなさと滑稽さが
あるような気がして、
まぁとにかく変に引っかかったのです。


ツツジの花はミツバチでいっぱい。
蛇足ですが
本当はミツバチを撮影したかったけれども
陰っていてシャッタースピードも落ち
接写用の虫眼鏡も手元に無かったので
思い通りの写真は撮れず。


2500の文化、内8つは日本

2009年04月17日 | 雑感散文


日本語も難しいもので、
使ったことはおろか
見たことも無いような
単語が出てきたときには
辟易しますね。

ましてや昨日
地元で長年育ちながら
地元の方言が分からなかったり
することも多々あるわけですよ。
昨日の、「ちょっと」の件も然り。

それがもう、南の方、琉球の島々では
日本語とはもはや似ても似つかぬ
「方言」が話されているわけでしょう、
下地勇さんの曲を聴けばそれがよく実感できるのです。


別件の記事から知ったのですが、
今年の2月、UNESCOは
世界の言語が減りつつある現状を
報告したとのことです。
 →「世界2500言語消滅危機、ユネスコ「日本は8語対象」」
   「朝日新聞」2009年2月22日付


以下、引用を多用しますが、
地球上の言語は「全世界で6千前後」
なのだそうです。
国の数は約200であることを考えると、
ひとつの国で30もの言語を
持っているというわけでしょう。

そのうちの「約2500の言語が
消滅の危機にさらされている」と
報告されたということです。
「1950年以降消滅した言語が219語」、
その前には南米文化が滅ぼされたりしたので
歴史的にはもっとすさまじい数の言語が
無くなったわけでしょう。
昨年は「米アラスカ州でイヤック語が、
最後の話者の死亡で途絶えた」といいます。

しかしながらそれは
日本は無縁のこと、では無かったのが
記事を読んで衝撃的でしたね。
「日本では、アイヌ語が最も危険な
状態にある言語と分類されたほか、
八丈島や南西諸島の各方言も
独立の言語と見なされ、
計8言語がリストに加えられた。」
下地さんの歌が
大変貴重であることを
しみじみと思うのでした。


世界の共通言語としての英語があって、
世界各国ではその教育が
熱心に行われていることを
よく見聞するわけです。
英語が喋れると便利ですものね。

海外に行ったことがあれば
物凄く実感することです。
英語さえ喋ることができれば、
何処にでもいけるのですから。
少なくとも野垂れることがない、
おかげさんで3度無事日本に
戻ってこれましたから、は極端か。

確かに便利だし、
また色々と言語があると
大学で第2外国語を習う必要があって
一番楽そうだった中国語を選んで
実際楽に過ごせたことが
あるわけでございますけれども。

けれども言語というのは、
民族の考え方とか思想を
反映していたりとか、
また風土論で、その環境に合わせて
また環境の必要に迫られて
できた言葉とかがあるわけでしょう。

オーストラリアの原住民の
言語の中には、
「右」と「左」という
語彙が無いそうです。
中学時代の英語の授業では
left,right,go straight,blockがないと
道案内できないでしょう。
その中でいっちばん大事な言葉が
無いわけですからどうしようもない、
と思うのはその語彙を持つ民族だからか。
その原住民の文化は、
東西南北で事足りる。

語彙が無いのと反対に、
語彙が豊富な場合もあるわけでしてね。
日本語の「稲」「米」「ご飯」も
その例でしょう、
英語は一言、riceですものね。

色々上げればキリがないわけで
ございますけれども、
とかく言語は文化が反映されていると
いえるわけですよ。
だから言語の喪失というのは、
文化の喪失とも言えるわけでしょう。

さすれば世界の文化は
実に6000もあるわけです。
ちなみに世界遺産の数は
「僅かに」878件。
すでに消えた文化も加えて
これだけですからね。
そして途絶えそうな文化は今
2500もあるわけですか、
これは大変忌々しき事。


特に大きく報じられず
私も気づかずにいたニュースでしたが、
こういうのはですね、
今一度しっかりと考えたい
ところであります。

どういう対策が考えられるか。
第3、第4外国語?


quite a few─

2009年04月16日 | 凡日記


quite a few

これね、
かなり少ない、って
意味ではないのですよ。

かなり多くの、って
意味なのでございますよ。

逆じゃないか、なんて
思うわけですけれども、
英語のニュアンスなんだから
文化の違い、それは已む無し。

しかしながらそれは、
日本国内においても
事情を同じくする言葉が
あることを今日知ったのです。


ちょっと

ちょっと、ちょっととは
双子さんのギャグでございますが、
少量の、小程度のという
意味、概念の言葉やと思います。
そう思っておりました。
いや、それで合っているので
ございますけれどもね。

しかしながら地元のテレビを見ていて、
「ちょっと」は博多弁では
かなりの、相当な、という
意味になるのだそうですって。

辞書でも調べてみると、
少々の、という意味の次に、

大層ではないが
かなりの程度・量

という解説がなされて
いたので驚きです。
古文では、そういう意味が
あったのでしょうか、
そして方言にその意が
残されている、と。


言葉っていうのは
難しいですねぇ、
実は意味が反対だったり、
気がつけば意味がひっくり返ったり
することがあるんですもの。

助長、という言葉も、
元々の故事は
余計な手助けで駄目にする、
という意味だったのでしょう。
今じゃ逆ですものね。

全然、って言葉も、
否定的な文章につけるのに、
今じゃ、ねぇ。


そんなことをね、
日々思っていたり
するのでございますね。


エッセイを書きたく─

2009年04月15日 | 凡日記


エッセイを書きたくなるような
そんな写真を撮ってみました
第3弾でございます。

そうでもないですか、
それ程でもない、
あぁ左様ですか。

「左様です」というのは
縦書きのときに
言う言葉ですよね、
こうウェブのように
横書きとした場合、
「上様です」と
言い直さないといけないのか
と思ったりします。

どうでもいいエッセイを、
しかも写真と関係の無い
エッセイを綴ってしまって
お茶を濁すどころか
濁りはすっかり底の方に
沈殿し堆積させて
しまったやもしれませぬが。

書くネタが無いことを
誤魔化すために行った
写真シリーズでした。