BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【爆問】ひきこもり

2007年10月30日 | テレビ

 今回の「爆問学問 爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)
 テーマは、「ひきこもり」について。となると、太田さんの独壇場と化してしまったのが面白かったし、逆にもっと先生の話を聞かせろとも思ったのですけれども。

 程度の差があるだけで、皆引き篭もりたがっているのですね。ある意味当たり前か、悩みのない人間なんて間違いなくこの世にはいないでしょうから。
 しかし若者の引き篭もりの傾向には特徴があるようです。

 両極端。
 自分のすぐ周囲の世界と、地球や宇宙などの世界とを結びつけるという「セカイ系」。その「間」にあるはずの、世間とか社会というものがすっぽ抜けている。
 自分は万能で何でもできる、けれどもいざというときに自信がもてない。万能感と無力感。

 かといって、ひきこもりには悪いことばかりではなくて(残念ながら実際には悪い例が多いそうだが)、内面を深めることや、精神を強くすること、教養を高める時間として、大変に重要である。そんなことも語られていましたね。そう思います。
 それでは一体、「ひきこもり」とは何なのか。結局明確な答えは導き出されずじまいで、少なくとも病気ではないらしい。状態なのだ、と。
 終日読書も何も手がつけられずに無気力に一日を過ごすひきこもり。一方で、自我の煩悩と戦い、必死に自分の生き方について考える、修行のようなひきこもり。ここでもまた、両極端の表れが浮き彫りになった、と言えるのでしょうか。少し違うか。

 程ほどに社交的で、たまにひきこもり。
 外的世界の広がりと共に、内的世界を広める。こういう生き方がよさそうね。


与太話シリーズ─

2007年10月30日 | 凡日記

あら、今日も
訪れなすったのね。
また与太話を
しなくちゃならんかね。


文部科学省がね、
小中学校の授業数を
30年ぶりに増加させる、
と今日発表したのですが、
それ自体はまぁよいと
思うのですよね。

理科が大好きだった自分にとって、
理科の授業数が3割増しになるのは
羨ましいくらい。
理科嫌いの人にとっては
まさに生き地獄でしょうけれども。

授業数を増やす、
ということは、
土曜日の授業も
復活させる、ということ
なのでしょうかね。
ウチが小学校の頃は、
1週間の中で、
土曜日が一番好きな
一日だったなぁ。
だって午後から、
フリーになるんだよ。
クラスの皆が集まったところで
午後からは何しようか、
それが楽しかったんじゃないの。


さて話が少し
変わりますよ。

ただ授業数さえ増やせば
学力が上がるというのは
あまり好ましくない
発想なんだけれども、
しかしだからといって
これでゆとりが奪われるわけでは
無いとも思うのですよね。

詰め込み式の授業を
同じ濃密さで増やすではなしに、
少し余裕を持って、
ゆっくりひたむきに
考える時間を設けさせてやれば、
それこそ「考える力」を
身につけさせる機会と
なるのではないかと思うのですよね。

授業時間を減らした結果、
授業内容が濃密になって
その時間に全然ゆとりが無いという、
そんな皮肉な結果を生んだのが
これまでの「ゆとり教育」
だったのではないかと思うのですよね。
授業数を増やして、
それこそ一つ一つの授業に
ゆとりをもたらす事こそ
元来の目標点ではなかろうかと
思うのですよ。


また話が
少し変わりますよ。

小中学校の授業数が
増えるということは、
塾や通信教育の
業界にとっては打撃よね。

この業界の反応を、
暫く注視するのも
よいかもしれませんね。
民間圧迫だとか
そんな抗議声明などが出ようものなら、
ついこの間まで言っていた
授業数減による子供達の
学力低下への懸念とか
日本社会の将来を憂(うれ)う
その気持ちはどこへ行ったんですか、
結局はカネですか、N●VAですかと
いってやればよいのです。

ウチの儲けは減るけれども、
子供達のためには良いことだ、と
本気で言っている塾とかが現れれば、
そこはホンモノ。だと思うよ。


与太話は
なかなかうまいこと
纏めきれませんなぁ。
それよりもむしろ、
労働環境や福祉厚生事業への
ゆとりというものを、
もっとこの国には
必要なのではないかと
思ったりするのは
気のせいでしょうかね。


こんなんでよかったら
また明日も書くからね。
与太話シリーズを。


懸賞くじって─

2007年10月30日 | 凡日記

さて明日(てか今日)も
朝早く起きて
出社せにゃならんちゅうーのに、
相変わらず1時近くまで
夜更かししては
ネットしてます、
ワンセグ見てます、
日記をダラダラと綴っております。

さっきも勢い余って、
3000字近くの駄文を
連ねてしまいましたよ、
論文の要旨より
長いじゃねーか。

真面目腐った内容のを書いて、
今読み返すと
恥ずかしかったんで、
ここらでちょいと
お茶でも濁しましょうかね。



懸賞くじって、
あるじゃないですか。
懸賞くじ1枚を300円とするでしょう。
300円でウン億円、って
いうじゃないですか。
アメリカや韓国はもっと
スゴいでしょ、ウンの十倍
なんだからさぁ。
まぁそれはおいといてさ。
くじでも馬券でも
何だっていいんだけどさ。

300円が億なり万なりに
なるかもしれない。
でも、
300円で300円分を
取り戻すことは、
確率論として
ありえないわけですよね。
そうでないと
くじや券の販売者は、
印刷するだけ赤字じゃないですか。
印刷費に紙代、以上に
販売する人件費とか
輸送費やら広告費、
その先にある
純利益とか福祉還元。
それらにはこれまた
膨大な経費が掛かる訳でしょう。

となると、
300円のくじで
返って来る期待額は、
100円を切るかもしれない。
くじを買うと200円損する、
というのは平均の話だよ。
一人1枚くじを買って、
誰か一人が1億円当たったとしたら、
あとの99万9999人は
100円返ってこないんだよ。

それでも、くじを買ったとき
当たるような気がするのは
何ででしょうねぇ。

これも一つの
数学のパラドックス
なのでしょうか。



ハイ与太話終わり。
今0時51分なり。
シャワー浴びて寝ます。

明日も読みに来るのよ。


今の若者論

2007年10月30日 | 雑感散文

若者は何故
早く仕事を辞めるのか、とか
長続きしないのか、という
新書がいま
相次いで出版されているでしょう。

実際にそれらの新書を
読んだわけではないし、
今後読もうとは
思うのですけれども、
なにぶん自分も
今に生きる若者だ、
読まずともそういう
「現代の若者」のキモチが
多少なりとも
分かるわけでありますよ。
少なくとも
そう思い込んでおりますよ。

新書レビューとか
新聞の論評にも、
今の若者論についてのことが
色々と記されているのを
目にします。

今の若者は、
「やりたいことばかりを求めて
 やらねばならないことを
 蔑(ないがし)ろにしている」
とか、
「夢や理想が大きいばかりに
 自分の今の実力の無さに
 あきれたり絶望したり、
 また今やっていることが
 無意味に感じられて、
 今を投げ出そうとする
 傾向にある」
とか、
「使命感に燃えすぎて
 自分を追い込み
 自滅している」
などのことが
言われているわけですよ。


理想に燃えて、
夢を抱いて、
使命感を携えて、
いざ社会へ飛び出した
血気盛んな若者がですよ。

なぜすぐ辞めたり
自滅したりするのか。

その2,3歩手前にいる自分だから、
その心境というのは
よく分かるような気がするのです。


今の仕事は
確かにこれから
「何か」に役立つだろうことは
分かるわけです。
基礎的なことならまだしも、
今まで習いも考えもしなかったことも
勉強してはこなしていく
(こなすことが先ですがね)
その仕事は、
「何か」の応用になるに違いない。

そんなの分かっている。
けれども、
「何か」って何なんだい。

自分がやりたがっている仕事に、
どう結びつくんだ、と
思ったりするのです。
幅広い見識と
経験を持ったほうが
良いに決まっているんですよ。
でも実際に
仕事をやっていく中で、
どうも自分の理想とか
進むべき道を
見失いがちになるんです。

だからちゃんとそれを見据えて、
自分の夢を叶えたという人は
心底尊敬のできる人だと
思うわけです。
苦節十数年を経て
脚光を浴びる人は、
諸々いるわけです。

それで、
焦っちゃうわけなのですよね。
近道は無いのか、と。
そんなのあるわきゃ無いんですよ。
でもあったら
通りたいと思うのが
人間じゃないですか。
そう思わないのは
本当の賢人もしくは捻くれモノでしょ。
急がば回れと言うけれど。


なんというか、
手っ取り早く、という
疚(やま)しいココロではなしに、
焦燥感に襲われているんではないかと
思うのですよ。
というよりも
自分がそうなんですけれども。

早く自分らしさを
発揮させたい、
目に見える社会貢献を
果たしていきたい、
そんな
夢ばかりを見ているのですよ。
それが叶わないで
じたばたしている時間というのは
とてつもなく長く
感じられるわけですよ。
もしくは、
ややもすればあっという間に
時が過ぎ去っていってしまうから
時間がないと感じる人も
いるんじゃないかと思います。
自分もたまにそう思います。
一見相反する考え方のように
見えるかもしれませんが。

そういう意味で、
手っ取り早く、
やりたいことをやりたい。
決して自分勝手ではないのですよ。
焦っているんですよ、
時のプレッシャーに。


悪い意味ではなく
「手っ取り早く」社会貢献や
自分のやりたい仕事をしたい、
と思えば、
ボランティアに従事したり
海外で短期間働いてみたり、
そういう「手っ取り早い」
アクションを起こしたがるのだと
思うのですよ。
当然全員が全員そうだとは
言い切れないでしょうが。

それで就職にも
悩みに悩んで手がつけられなかったり、
しっくり来るまで
職場を点々としたり、
ということが起きちゃうんだ
と思うのです。


そんな中で、
自分に都合の良い職を
探そうというのは贅沢病だとか、
団塊の世代はとにかく
がむしゃらに働いてきたんだ、とか
そういうご年配の方々の
お説教は耳元を掠めては
天空へ流れ去っていくのみだと
思うのです。
価値観や社会状況が
違うのですから。

世の中には
食べていくのがやっとの国も
あるのだから、
適当な職について
程ほどに食っていけるのは
幸せなことなんだと
言い聞かせられても駄目なんですよ。
じゃぁ
食べていくのがやっとの国がある中で、
適当な職に就き程ほど食っていくのは
世界の問題に目を背けて
無関係を装って生きているのではないか、
もしくはもっとやるべき
仕事が自分にあるのではないかと
考え込んでしまったりも
するのですよ。


自分の生業について、
というと些か大袈裟ですが、
この発想はおそらく、
大学というフィールドで
自由な空気を浴び
そして見識を広める好機に
恵まれた結果だから、
とも取れなくは無いのですよね。

実は自分は
高校は農業高に進んで
林業課で森林を学ぶことを
中学時代は目指していたのですよね。
どういうわけか普通課に
進んじゃったけれども。
そのまま専門高校へ進んでいたら、
なんの迷いも無く
自分の好きな仕事に
つけたのかな、と今にして思います。
勿論そうでない場合も
考えられるのですけれども。

どうも色々と知るにつれて
欲が出てしまいました。
やりたいことが増えてしまいました。
これこそ知の世界を開くという
大学本来の使命の達成なのでしょう。
その弊害としての
とりとめのない追求。




さてそれこそ
とりとめのない駄文を
つらつらと連ねてしまいましたけれども。
何を言いたいのか分からないでしょう。
他に言いたかったことが
沢山あったのですけれども、
話の流れのうちに
色々と埋もれてしまいましたよ。

まぁそれはまた今度。

要約としてはですね、
若者の早い退職というのは、
社会に適応できない軟弱さとか
責任感の無さとか、
そういったものではない、
寧ろ逆なのだ、
もっと大きな目標に向かって
着実に進んでいきたいと
願っているのだ。

でも現に、
己の能力を加味せずに
理想ばかりが高いという人も
確かにいるわけで。
そういう人とは一緒に纏められると
都合はあまり良くは無いのだが、
客観的に見れば一緒か。

自分はそういう人間では
ないつもりでいますよ、
ですから今の仕事は
もう少しだけ踏ん張って
続けていって
経験を積み知識を蓄えるつもりで
おりますから。


と、思っておきたい─

2007年10月29日 | 凡日記

今日ね、
8時過ぎに
帰路に着いたのね。

家の扉の前で、
鍵を会社に
忘れてきたのを
思い出したのね。

今日は久々に
外での労働でしたもんで、
作業着のまま帰った
からだったのです。

そのまま会社へ
とんぼ返りですよ。
そして部屋の中へ
入ったときにはもう
9時を過ぎていたわけですよ。

なんだかなぁ、もう。

ただ、
電車に乗車するときの
楽しみとして嗜む
読書の時間を
沢山取れたことは
良かった。
と、思っておきたい。


 


久々に
体を動かした仕事でした。
こっちの方が、
事務処理や見積もり作成よりも
はるかに労働の実感を、
働くことのヨロコビ(?)を、
そしてなにより
ものづくりを通した
社会貢献を
実感できたのでした。

まぁ、たいした仕事ではないから
大袈裟な表現ですが、
でもココロのうちには
満更でもなく
そんなことを思いましたよ。


さぁ、
明日もこんな感じだ。
明日が、少し楽しみ。

さぁ、
明後日は月末だ。
棚卸だ。
死ぬほど事務処理が
待っとるぞぉ。


なんだったんだろうなぁ─

2007年10月28日 | 凡日記

本日の思い出。


洗濯、掃除、炊事。

床屋に行ってさっぱりした。

実家から冬服の
荷物を受け取った。

前日の日記を
5本纏めてUPした。

今日の「世界遺産」は
メキシコ・リュウゼツラン景観と
テキーラの伝統的産業施設群(2006年登録)。


うーむ、
なんだったんだろうなぁ
この一日は。



あーあ、
日曜の夜はいつも憂鬱だ。
また、慌しい
一週間が始まってしまう。

体をゆっくり休めたところで、
心が落ち着かない。
もうすでに気を病んでおります。
でも、始まるんだから。
元気だしていこっ。


【さだ】俺が許さん!

2007年10月28日 | テレビ

もう欠かせないですね、
さだまさしの、「アレ」。

「秋の夜長もさだまさし」(NHK)

基本、この番組は
歌とお笑い?
なのですよ。スタンスは。

けれどもいつも
心に残るのは、
真面目な
社会の問題なのですよ。
不思議ですね。



「世間は許しても、
 俺が許さん!」


赤信号でも渡る人。
大阪ではやたらにいますよ、
さすがに車の往来が多い
御堂筋線とか中央線とかには
いないですけれども。
と、思っていたのですが、
いるんだなぁこれが。
本当に腹が立ちますよ。
なに渡ってきてんだよ、って。
大阪の街を車で走るとき
一通の多さ以上に腹が立つ。

最近の若者は、などと
よく言うけれども、
マナーの悪い大人の
大半は上の年代じゃないか。
品格もあったもんじゃないよ。

まぁいいか、とか
なぁなぁの社会が、
いい時もあるのには
違いないが。

けれどもこういう反論も
考えられるわけでしょう。
信号機は、
車優位に設定されているのが
腹立たしい、
だから無視する、とか。

けれどもね、
まっさんも今日
歌っていたじゃないか。
それを後ろから
子供が見ているんだ、
赤なのになんで渡るの、
と思いながら
親に後れまいと
ついていくわけだ。
その不条理さと
葛藤しながら。
最悪の場合、
不条理と思わなくなったり。


赤信号だけじゃないよ、
大阪は。
やたらゴミの
ポイ捨てが多いよ。
そして平気な顔して
ゴミを投げ捨てたり
置き去りにする小中学生とか
本気でいるからね。
見ていてびっくりした。

公共心とかマナーとか、
何でここまで
崩壊しているんだろう。
いま「品格」というものが
やたらに脚光を浴びているけれども
疑心暗鬼になるね。
結局コトバだけが
飛び交うんかね。
環境を守ろうといいつつ
何も出来ていないのと
一緒じゃないかと
思うわけですよ、ねぇ。

世の中至る所に
歪みが生じてきて
いるんじゃないの。


荒っぽい口調に
なってしまって
すいませんけれども、
だからこそ
今日のまっさんの
「51」
という歌には、
色々と考えさせられ、
そして気に入りました。

好きだけれども、
堅いし、
暗いんですね。

僕の町で
市長が撃たれた、とか。
覚えているかね?
忘れては困るよ、
世間もマスコミも誰も彼も。


「風靡明光」

2007年10月27日 | 雑感散文

今日は
満月なのかな。

闇に浮かぶ月が
煌々と照り輝き
まさに明光風靡。



…と小難しい
四字熟語を
使ってみたものの、
よく意味も分からぬまま
言っているから、
この使い方、
合っているのかね。

それに
手垢のついた表現だ。
下手に何度も使って
かえって語彙力の無さを
露呈することにも
つながりかねん。


写真中のコメントは、
ちょいと表現に
変化を持たせたくて
「風靡明光」。

明光に風靡するでなく、
風靡の中でそれが
明光と「刷りこまされる」。

その美しさに
皆が崇める、
のではなくて、
皆が注目するから
それを観ているだけじゃ
ないのかい。

満月は美しい。
それは本当に
本心でそう思って
いるのかね。


満月よりも、
十六夜や十三夜の
やや欠けた月のほうを
愛でたという風習が、
かつての日本には
あったらしい。

世界の中でも
日本くらいだそうだ。
完全な丸よりも
「未完成」なるものを
よかれとするのは。

そんな、完全体の美以外の
処にも眼を向けて、
そして審美するという
目の付け所の多様さというか
あらゆるものへの敬愛、
そういう心を
持ちたいものだ。
そう思わんかね。


満月も確かに綺麗だ。
でもその他の月も、
同じくらいに美しい。

新月のときは
見えんから困るが。


アートコーナー─

2007年10月27日 | 凡日記

難波の、とあるでっかい
本屋さんにて、
また本を買ったのですよね。

その本についてはブログ1の方に
書いておきましたので。

それにしても大きな本屋さん、
いいですねぇ。
欲しい本がたちどころに、
所狭しと並んでいるから。
どれもこれも
欲しくなってしまいます。

そんな中で見つけたのが、
その買った本なのですよ。
画集です。
前々から欲しかったものでは
あるのですが、
なにやらアートコーナー
らしき一角に、
平積みされているのを見て、
これは!と思って
買ったのですよ。

その横に置いてある、
「会田誠作品集」も
欲しかったのですがね。
何せ高いから、パス。
会田さんといえば、
美術の教科書にも出てくる
「畦道」という作品も
有名ですが、基本的には
女体アートなどの
変体専門?ですから。



でね、
ホントの事を
申せばですよ、
「もやしもん」を
また読みたくなって、
んで社会人特権の
5冊纏めて大人買いを
敢行しようかな、とも
思っていたのですよね。
A・オリゼーのぬいぐるみと共に
5冊が平積みされていたのですよ。
凄く欲しくなったわけ。

それさぁ、
1冊535円でしょう。
全巻揃えるとなると、
かなりの出費になるでしょう。
だから躊躇して
しまったのですよね。

そのあとに見つけて、
買った画集の方はといえば、
2940円也。
(その前に図書カードを
 2880円で購入したので
 実際は60円だけ得した。)

535×5と、
2940。

あれおかしいな、
金銭感覚が。



それにしても
アート関連の本や雑誌が
充実しているのは、
日本のエンターテイメント
への関心の高まりや
ウェブメディアの発達に伴う
デザインの重要性が
大きくなっていることの
表れなのでしょうか。

こんなにも
芸術というものが
レベルもさることながら
産業としても発達しているとは
これまた驚きでございました。


焼きカレーfrom福岡

2007年10月27日 | 食生活

なんばパークスで、
お昼ごはん。

福岡・博多で生まれた
「焼きカレー」たるものが
大阪初上陸、と謳った
お店がありましたので、
そこへ入っていきました。

いやこれはホントに、
絶品でした。
鍋の縁でぐつぐつと泡を立て
そして焦げ付いたその部分は
味が濃厚で風味高く、
なんというか外で作って食べているような
そんな感じのカレーでした。

でも焦げ付きだけではないのですよ。
半熟卵にチーズ、
これがまた本当に美味い。

カレー好きには
本当にたまらない一品でした。


 写真のカレー:
  鶏肉の焼きカレーS 680円



追伸:
 あれ?
 ネットで調べたら、
 発祥は北九州市の門司、って
 書いてあったんですけれども。
 まぁどちらにしろ
 九州の名物だ。
 北海道のスープカレーどうでしょうと
 拮抗する人気となるか?


「ふるさと回帰フェア」②

2007年10月27日 | 自適休暇

「なんばパークス」で催されている
「ふるさと回帰フェア2007大阪」

色んなブースを覘いておりましたら、
威勢のよいおばさまがですね、

「お米いかがですか、安いですよ。」
「1キロ300円ですよ、美味しいですよ。」

と呼びかけられて、
最初はハハハと微笑んで
通り過ぎました。

1キロ300円…、
10キロ3000円!
減農薬のコシヒカリが!
またそのブースへと
戻りました。


そのブースとは、
福井県の農業生産法人
「内田農産」

減農薬のお米をお試し1キロで
販売されておりました。

「自信を持って言います、
 本当に美味しいです!」

そうだと思います。


家に帰って早速
この減農薬新米コシヒカリを
炊飯いたしました。

メシのこの照りといい
粘りといい
そして歯ごたえのモチモチ感と
柔らか味がまた
大変宜しかったです。
味音痴のワタクシですら
その違いが分かりましたから。
(なにせ古米・見切り品の
 安物を食っていますから。
 5キロ1980円の半額ね。)


他にも色々と、
農山村交流や米製品開発など
様々な取り組みを紹介しつつ
商品も並べられていました。

なんだかいいなぁと思いましたのは、
ただ単に生産するだけではなくて、
自然保護とか文化交流とか
そういう複合的社会貢献が
あるというのも、
消費者にとっては付加価値として
選択の判断材料が増えるな、と
考えたからです。
消費者にとっては
製品の多様化による選択の幅が
増えるということが
幸せなことですから。

ただ、それもやっぱり
情報発信力やこのような機会作りが
鍵なんだろうなと思いました。


「ふるさと回帰フェア」①

2007年10月27日 | 自適休暇

また、週末は
大阪南の「なんばパークス」
お出掛けしておりましたよ。

緑の管理が隅々まで
行き届いていることに
つくづく感心してしまうのは
農学部出身の特色でしょうか。


なんでまたここへ来たかと
申しますと、
店を色々と覘きたかったのも
さることながら、
NPO法人ふるさと回帰支援センター
が主催する、
「ふるさと回帰フェア2007大阪」
というイベントを
覘いてみたかった、というのが
一番の理由だったのです。

今月の初めに、
「日経新聞」の広告にこの
イベントのことが掲載されていたので
約3週間くらい楽しみに
待っていたのです。

頭の中では日に日に、
脱大阪への切望が
増していることの
表れであると思われます。


ここでは、
色んな県や市、町の
自治体やNPO、
農業の「会社」などが
ブースを設けて
活動や地元の様子を展示したり
特産品や製品を販売していたりしました。

また、実際に
「回帰」するための
大相談会なども行われていたようです。

屋上の広場では、
公園やパネルディスカッションも
開かれていました。
狭い会場で、しかも雨の中での
催しだったので、
傍聴者の数はかなり限られて
いたのですけれども、
このこじんまりとした感じがまた
いいなぁと思いました。
鳥取でのパネディスも
こんくらいの規模だったしなぁって。
懐かしい。


ちなみに、
金曜日は仕事で行けなかったのですが、
その日は前夜祭シンポとして
鳥取県知事も大阪へ
いらしていたようですね。

片山さんの後でも、
鳥取県への自治への関心は
衰えることがないのだなぁと
感心しました。
もしくは、
鳥取の発信力がそれだけ
強いということなのでしょうか。
スーパーでも、
宮崎の次に鳥取が
目立っていたように思えますし。


こんなふうに、
もっともっと地方の情報とか商品を
この大阪とか、都会の方に
発信、発送する機会を
多くしてもらいたいなと
思いました。
それで「地方格差」が
幾許か緩和できたなら
ステキなことでしょう。



話が長くなりましたが、でも
まだ続く。

冒されていたんだ─

2007年10月27日 | 凡日記

今日(昨日)も
色々とありました。
冷や汗かいたり
イライラしたり。

ふと
暇な時間が
珍しく出来たのだが、
それでホッと一息
つけたかというと
そうではなくて、
ふいに大学時代の
充実しすぎていた
日々の残影が頭に浮かび、
本気の鬱状態に
陥っておりましたとさ。
過去が捨てられない
人間ですから。

でもその後
難波へ飲みに
繰り出すことと
なったおかげで、
幾分かは
現実世界に
脳みそが復帰できたような
気がしました。

冒されていたんだね、
脳みそが、
メルヘンや思い出や
夢の世界にさ。

現実世界も面白いと
いうことが知れて
本当によかったな
と思いました。


 


さて。
今日の飲み会、
飲み放題だからといって
6杯も飲んじゃった。

梅酒ロックは
結構きつかったかな。

あー、今は
フワフワした心持で
大変に幸せな
気分だけれども、
朝起きたら
トイレへ這い蹲って
いそうな気が。

そういや6月の飲み会も
そんなんだったっけ。
進歩ないね。


三つ子の魂百まで。

九州人の魂吐くまで。


頭の中でぐるんぐるん─

2007年10月25日 | 凡日記

おととい、
駅構内に置いてあった
広告なんですけれどもね。

大阪府のブログ人口が、
64.3万人(延数・更新ブログのみ集計)
なんですってよ。ふぅん。

まぁ実際は、
ワタクシのよーに
ブログを3つも持つ
バカもいるわけですが。


あれ、
そういえば、
俺も大阪府民か。

住民票を移したんだから
そうなっちゃうよね。
今気付いてどうすんの、
でも実感が無いんだから
しょうがない。

というよりも、
何だか違和感がありまして。
鳥取県民になったときは、
殆どそんな
気はしなかったのですが。
要は馴染んでいたんですね、
鳥取の風土に。


そしてさらに
気がついてしまった。

この府民ブロガーの人口、
鳥取県の人口より
多くねぇか?

そしてうまい具合に
「悲しいニュース」が
目に飛び込んできまして。

「日本海新聞」10月25日付

そっか。
もはや60万を
切ってしまったか。


いつかは
県民に復帰したいと
願う今日この頃でした。


 


一昨日深夜から
「もやしもん」が
「のだめカンタービレ」の
後枠として
あるあるカンテーレで
放送が始まったワケですが。

あまりにも嵌(は)まってしまい、
録画したものを
何度も何度も
観ておりますよ、もう中毒。

でもこれは、
原作の漫画にまず
はまったからなせる業
なのですよね。

昨日も言ったけど
この漫画を環セミ内で広めた
k-5さんに、感謝。


それにしても
オープニング曲が
耳にこびりついて離れず、
仕事中もずっとその曲が
頭の中でぐるんぐるんと
再生していたのですよね。

正直困る。


かもされた

2007年10月24日 | テレビ

あ、
結構面白かった。

アニメ化すると
原作の緻密さが無くなって
どうなるかななんて
思っていたけれども、
オープニングのCG、
一発で気に入っちゃったね。

それにしても奇遇ね。
昨日、腸内の菌についての
番組を見たばっかだったのに。

こんどは
菌のアニメですよ。


えぇそうですとも、
「もやしもん」ですよ。


環セミでの醸されようは
凄まじかったですね、
k-5さんが書物をBOXに
放り込んで以来、
醸され率が急増した
スペイン風邪のような伝播速度。

それは巷でも
事情は一緒だったのね、
とうとう電波にまで伝播。
それを言いたかったわけじゃないよ。