BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

それなりに宜しく侍り─

2009年09月30日 | 凡日記


一昨日くらいまでは
やや暑さも残っていた
天候でございましたが、
今日はすっかり涼しく
過ごせた一日でした。

これからはもっと
気温が下がっていって、
身震いすることに
なるんでしょう。

昔は冬が大嫌いでしたが、
今はそれなりに
宜しく侍りと思えるように
なってきました。


   


さて3日連続で
天気の話をしておりますが。
イギリスの挨拶では、
天気の話から入るそうでは
ございませんか、ねぇ。
モノの受け売りではございますが。

天気の話をするということは、
それだけ天気が多様で、
生活に密接しているというか
生活が懸かっているとも
いえるわけでございましょう。
勝手な想像ではございますがね。

人と話すときに、
どんな話題から入っていくか。
これはとても重要なことであると
なんとなくは分かっているものの、
案外に難しくて梃子摺るものでもあります。

今話題のこととかを
ついうっかり話しても、
実はそのことについてよくは
分かっていないから、
その後会話が続かんよ、と
いうことは少なからず
あることではなかろうかと思います。

そんなときに、天気の話題は、
あまり知識を必要としないから
気楽でいいなぁと思うのです。
そりゃぁ、まぁ、専門的な知識は
あったことに越したことは
ありませんがね。
けれども晴れなのか雨なのか、
雪はもう降ったか程度の話で
盛り上がれるわけですから、
そりゃぁ楽でございましょうよ。

「今日も雨ですねぇ」
「ようやく秋らしくなってきましたね」
「それにしても今年の夏は
 降らない日が多かったですね」
「これが温暖かなのでしょうかね」
というふうにね、
会話はまぁフィクションですけれども、
会話らしい会話が続けられる
という算段なのであります。

中身自体はね、不毛な、
へたすりゃどうでもいいような
ことを言い合っているのですがね。
しかし大事なのはそうやって
間を持たせること、
そして別の話題へ入るきっかけを
探ったり、もしくは
別の話題に何かないかを考える
猶予に使えるということです。
会話に弾みをつけるわけね。

イギリス人の天気の話題は
頭のどこか片隅に眠っていた
受け売りではありますが、
その意義については自力で
考えてみた次第です。


その後思い直して─

2009年09月29日 | 凡日記


まとまった雨が降っております。
台風が発生しましたからね。
今週末は警戒を。


   


さて昨日、
どんなに疲れていても
寝る前に本でも読んだが
他人に差をつけるチャンスだと
物の本の受け売りで知ったが、
疲れているからそれは出来ん、
という至極やる気のない話を
しておりました。

けれどもその後思い直して、
いやこのままではいかんとばかり
少しばかり新書を読んでから
就寝しました。

実に中身のない日記で
どうもすいやせん。


あぁ、他人に差をつけられて─

2009年09月28日 | 凡日記


久々の、雨模様でした。

県の北部では
大雨警報も発令されて
いたようですけれども、
ワタクシのいる南部では、
少しくらいしか
降りませんでした。

雨の少なさが
気に掛かるところです。


   


今日はなんだか疲れました。
といったわけで
今日は早めに寝たく存じます。


けれども疲れたときにこそ、
勉強するものである、と
物の本には書いてあります。

寝る少し前に、1分でも
本を読む時間を作れるか否かが
他人と差をつけるのだと
いうことであります。

疲れていないときに読めばよいと
言っている人は、
果たして疲れていない夜はあるのか。
疲れているときこそ
習慣づけしておくべき、
とは物の本の受け売りであります。

なるほど、そうか!と
読んだときには思いました。

しかしながら今この眠い状況、
読もうという気にはならないのが
ワタクシの実情であります。

あぁ、他人に差をつけられていく。

あぁ、他人がオラを見て笑っている。

あぁ、そして何かを言っている。

…こんなもん書いている間に
読めと言う声が聞こえました。

そんなまともなことを言われたら、
今日は書くネタがなくなるよ。


【WH】文化を学ぶ→野生動物の保護

2009年09月27日 | テレビ


 今回の「THE世界遺産」(TBS)は、インドネシアの「コモド国立公園」でした。
 ご存知、コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)という、世界最大のトカゲが生息する場所です。
 今ワタクシがいる家の裏にも、ちっこいトカゲがちょろちょろと這い回っています。それに比べてオオトカゲは象のようにずっしずっしと歩きますね。体が大きいから。
 けれども、舌をちょろちょろと出している所が全く同じというのも、至極不思議なものです。成程確かにトカゲだ。「恐竜」とは違う。

 しかしながら、人を食うことすらあるというオオトカゲ。小さな子供からすれば、恐竜そのものなのかもしれません。

 コモド村の人口が増え、オオトカゲの生息地にまで畑や住居などが拡大してきたがために、オオトカゲと村民が接する距離が近くなった。故に、オオトカゲに噛み付かれる被害が多発しているといいます。
 このことは日本でもよく似た事例があるのを容易に連想できます。クマと農村の人との距離が近くなり、襲われる被害が多発する状況によく似ています。

 動物の保護か、人間の保護かといった対立軸がよく取りざたされます。
 しかしながら、人間の営みが変わったこと、つまり里山利用の文化が廃れたり高齢化が進んだといったことによるところが大きいという説も有ります。例えば単にクマが生活する森を伐採して生態系を破壊したよりも、クマと人との微妙な距離感というものが打ち破られたことによる方が悪かった。

 これから野生動物と共存をするためには、人間の営みをも加えた生態的観点が必要となってくるのでしょう。
 つまり単に自然を保護し、「隔離」するのではなく、農山村の知恵や伝統など営みも見直していくということと言えましょう。

 コモド村の人口増加や西欧的消費活動の増加。そしてオオトカゲの襲撃問題。
 オオトカゲを、そしてこの世界遺産を保護するために、何を学ぶべきでしょうか。
 ワタクシは、コモド村の伝承や信仰とか、継承されてきた農耕や建築など技術だと思います。


  * * *


↓ブログパーツです。
 航空写真で見る世界遺産です。




【ふしぎ】「パワースポット」と文化

2009年09月26日 | テレビ


 京都を「パワースポット」とカタカナ語で語るのは、どうも胡散臭く感じられます。
 けれども「縁起の地」とか「良吉の地」と言った感じで、日本語に直されるとしっくり来ると言うのがまた、不思議な所であります。
 言語学の興味深い点でもあり、日本人の宗教観の表れと言う点でも、面白いところでしょう。

 今日の「世界・ふしぎ発見!」(TBS)は、日本の旧首都・京都です。
 京都は「パワースポット」だと考えられていた、と言いましても、元来何処の都でもそこが「パワースポット」だから都となったわけでしょう。長岡京も平城京も、藤原京も近江京も。最古の都・橿原京も、呪術の結果で東征をして作られた都なわけですからね(注:諸説あり)。東京ですら、江戸時代に風水に基づいた都市設計をしているわけですから。
 そして世界を見渡してみれば、特に古代都市なんてそうですが、どこも各地方の宗教観や宇宙観に基づいて、都市の立地が決められている。

 そう考えると、京都が「パワースポット」だと考えられて都市が築かれたというのは、実に人間普遍の、自然の摂理に基づいているように感じられます。
 だのに今の世間では、首都移転問題も然り、伝統文化の保存云々も然り、形骸化も著しく、もっと文化の根深いところが省みられない風潮になっているように見えます。
 故に、冒頭の如く「パワースポット」という言葉を持ち出せば、どこかヘンに思われる節があるのでしょう。

 思惟するに、現代人は、昔の時代の事情を追体験することは、適わないから致し方ないのでしょう。
 夜の闇を体験するために、電気を消す。けれども近所の家からは光が漏れます。家がないと思っても、外灯があります。山奥に行けばいいだろうと思ったら、飛行機や人工衛星が見えるわけです。
 つまり夜の恐怖というものを、心の底から理解するのは難しい。ましてや科学知識を持たない昔の人々の恐怖と言うものは、全く想像できない。
 何を信じればよいのやら。とかく土地の神様に祈るなり、占いで吉凶を探るなり、忌み名やゲン担ぎの掛詞、いわば駄洒落で一発笑いをとるなりやってみた。それがまぁ今の伝統行事とか作法などになったわけでしょう。随分乱暴な括り方をしてしまいましたが、まぁ鵜呑みせずに読み流しくださいませ。

 本当はもっと、宗教学はもとい、呪術のこととか死生観のこととか、しっかり学ぶ必要があるんだろうと思います。観ていて痛感しました。そうでないと祭りや寺社の真意というものが、さっぱり分からないのです。
 そしてなぜこの都市が、世界遺産に登録しえたかということも。本来、そこまでして文化というものを見る必要があるんだろうと考えるのです。

強烈な3つの色が─

2009年09月25日 | 凡日記


NHKの「美の壺」
観ておりましたらば。

「源氏香之図」って何ですか。
そんな高貴な「暗号」が
あったのですか。

いやはや、まだまだ
知らないことが沢山ありすぎて、
好奇心をそそると同時に
世界の広さに萎縮してしまいます。


   


お彼岸も過ぎましたね。
過ぎたとたんに、
彼岸花の色合いが
かなり劣りだしました。

暦をきっちり守るのね。

それにしても彼岸花が
ぶわぁっと咲き乱れる
姿と言うのはもう圧巻。

彼岸花のどきつい赤。
畦道の繁茂する草の緑。
そして空は濁りのない青。

この強烈な3つの色が
映えている景色を見て、
あぁ人間は、
光の3原色を網膜に担わすは
この景色を一番綺麗に
感じることが出来るように
するためなのだろうと思いました。

詩的ね。
うそですよ。


全ては自分を高めたいがため─

2009年09月24日 | 凡日記


ふと、「世界遺産」は今
大きなターニングポイントに
至っているのではなかろうか、
ということを思惟した。

その理由の一つは、
登録抹消物件が2年連続で
発生していること。
遺産を保護する理念と
矛盾していることと、
登録許容量の問題が
いよいよ天井に近づきつつ
あることが主な論点か。

そしてもう一つは、
「地質遺産」とも言われる
ジオパーク構想の盛り上がり。
「教育」と「地域活性」という
2つの大きな理念に絞った地質遺産に対し、
一部重複する世界自然遺産は
どう意義を見出すかということが論点。

そのことに関する意見を
頭の中で構築中。

いずれ、ブログ1
まとめて書く予定。
今日は備忘録までに。



とかいって、今までに何回か、
書くと言っておきながら結局
書かないままできた話題も
あるのですがね。

いや、ちゃんと書きますってば。


   


今日、図書館に寄ってきました。

読みたい本をぶわぁっと
借りまくりました。
8冊借りました。

そのうち1冊は、
「地域学」を解説した本です。

その他にも、
ちょいとモチベーションを
高めるための本も1冊。
たまにはこういう本も必要よね。

読了次第、ブログ1に
その感想を述べたいと
…と、また書いちまったよ。

我ながら、最近ブログ1の
堅い記事を書くのが億劫に
なってきたんですけれども。
いやいや、泣き言を言わない。
全ては自分を高めたいがために
やっていることなんだから、ねぇ。

気が向いたら、書きますんでね。


ネットにまつわるネタのつまみ食い─

2009年09月23日 | 凡日記


アメリカでは去年から、
Hulu.comという
テレビ番組のオンライン
視聴サービスが、無料で
行われている、と
今日、たまたま知りました。
遅ればせながら、実に画期的だと
感心しそして羨ましく思いました。

「Anime」コーナーは、
殆ど日本製だったので
びっくりしてしまいました。
 →http://www.hulu.com/channels/Animation-and-Cartoons/Anime

日本でも徐々に、
オンライン視聴サービスが
無料で出来るものも
出てまいりましたけれども。
もっと増えて欲しいなと
思う次第なのであります。


   


さて唐突な話の後は、
唐突にも昨日のクイズの答えです。

【A4】地域SNSの数は?

B.400 が正解でした。

普通はね、出題者側の演出として、
「400かぁ、多いなぁ」と
印象付けさせるためには、
他の選択肢をそれよりも
少ない数を提示するのが
常ではございませんか。

確かに400と言う数は、多い。
けれども、自治体数1800に比べれば、
まだまだ少ないものだなと
思ったりします。
だから4000という選択肢も
用意したのですが…やりすぎか。

もちろん、田舎の
地域コミュニティが
依然として力強く残っている
と言う場所には不要な産物でしょう。
デジタルデバイドの問題も
横たわっている点も挙げられます。

また、地域SNSを立ち上げても、
会員数を集められない
「立ち枯れ状態」の問題もある、と
今日23日付の同新聞の特集2日目に
提起されていました。

地域SNSを重宝するのは、
その地域を離れて
仕事なり勉学に励む
若い世代だと思うのですよ。
だからもっと若い世代にアピールして、
そして地域SNSの
総合サイトのようなものがあったら
見つけやすくていいと
思うのですが如何でしょうかね。


地域SNS・詳しくは
 →「地域SNS研究会」(国際大学)



以上、ネットにまつわるネタの
つまみ食い記事でした。


怒涛のブログ更新─

2009年09月22日 | 凡日記


さて、秋の大型連休、
今日は「オセロ休日」です。

この連休中は、
怒涛のブログ更新を
行っております。

「ブログ1」では
いつもの書評や環境話のほかに、
当ブログに度々ご登場いただいている
猫のアビ公の動画をUPしています。
お暇ならご覧になさってね。

「ブログ3」では
今更ながら、6年前の
中国世界遺産を巡る旅を
掲載しております。
「天壇」と「皇帝墓群」をUPしました。

「ブログ4」では
昨日、自転車でぶらぶらして
出会った花や風景を
ケータイで撮影しました。
その写真をUPしています。


そして当「ブログ2」では、
これと言った話題があるわけではなく、
昨日のクイズの答えをUPするに
留まるといった塩梅です。


新聞クイズの答えあわせ─

2009年09月22日 | 凡日記


さてさて、前日突如として出題した
新聞クイズの答えあわせでございます。


【A1】

B.チョウ

シジミはイコール蝶だ、と
岡山の某虫さんに
いわれそうな気も致しますが。
シジミは蜆だもん。

ナガサキアゲハも同様に
生息分布が北上している、
とよく聞きますね。


【A2】

A.プーマ

ナイキはアメリカ、
カッパはイタリアです。
ご存知の方は、国名まで
分かるのでしょうね。

一番新しいのがナイキなのですね、
ニューバランスの方がもっと歴史が
古いのだそうです。ふーむ。


【A3】

A.77日

短くないっすか?
選挙にどれだけ税金と職員の手間が
かかっているのよ、と
言いたくなりました。
いっそ、新「糸島市」の
最初の市長選をすれば、と
思ったのですけれども、
まぁそこは法律の壁でしょう。

240日という選択肢を挙げたのは、
「二丈」の2、
「志摩」の4、そして
「前原」の「ま」で0、
という深読みを期待したのですが。
あぁ、あまりお気づきに
なられなかったようで。

ちなみに「前原」は
「まえばる」と読みます。


  


それではこの調子で、
本日の朝刊からまた問題を
捻り出してみますのよ。


【Q4】 

「九州創発塾2009」という催しが
7,8日に佐賀で行われたそうです。
「ソフトパワーで繋ぐ新しい九州」
というテーマで、地域資源の再発見や
「地域SNS」を使った交流促進などが
色々と話し合われた、という特集記事です。
特別講演は脳科学者の茂木健一郎氏、
脳は神経細胞のネットワークが大事なように、
ITを駆使した地域ネットワークが
これからますます重要になるだろうとのことです。

その鍵を握る「地域SNS」、
国内では今現在どれくらいある?
(およその数として)

A.40
B.400
C.4000


以上、
『西日本新聞』2009年9月22日付紙面より。

大型連休のためか、
新聞が異常に薄いのですが。
まぁ、やむを得ませんかね。

そして答えはまた翌日。


もっと、インパクトが残るように─

2009年09月21日 | 凡日記


昼間でも草陰から
コオロギの鳴く声が聞こえる
季節となりました。

そんな折に、
電信柱でミンミン鳴く
セミのことを思うと、
実に胸の詰まるものです。

まぁそれは人間の
勝手気ままな解釈に
過ぎないのですがね。
セミにとってはそれはそれで
独唱会を満喫して
いるやもしれませんしね。


   


普段何気なく新聞を
読んでいる「つもり」で
いましたけれども、
いかにちゃんと読んでいないか。

昨日の新聞を、
もう一回読んでしまいまして、
4コマ漫画を見て初めて
昨日のやつだと気づくこの体たらく。
いやはや、情けない限り。

それに細かい記事ほど
よくよく読めば、
実に興味深いことだらけ。
いつもは、細かい記事は
すっ飛ばして読んでいるばかり。

もっと、インパクトが
残るように勤めなくては。

 

そのひとつの対策として、
新聞記事からクイズを
考案するってぇのは
如何でございましょうか。

クイズとして出題し、
悩んでから答えを聞いて
あぁ成る程と頷く。
そうすれば忽ちニューロンの
活性化を促し、ひいては
記憶率が高まると言う算段です。

ではひとつ、クイズを
拵えてみましょうか。

 


【Q1】

熊本の国指定天然記念物
「大野下の大ソテツ」は
樹齢700年を誇るそうです。
その大ソテツが、熱帯地方生息の
「クロマダラソテツシジミ」に
食い荒らされる被害が
確認されたのです。
地球温暖化の影響が指摘されています。

このなんとかシジミって
どんな生物?

A.バッタ
B.チョウ
C.カメムシ


【Q2】

創業者の兄弟げんかから
袂を分かった
スポーツ用品メーカーが
21日、60年ぶりに地元ドイツで
「和解」のサッカー試合を
行うそうです。
NPOが提唱する「非暴力の日」の
運動に賛同してのイベントだそうです。

さて弟さんはアドルフ・ダスラー。
アディダスの創業者。
お兄さんはルドルフ・ダスラー。
ルーダの創業者で、後の何?

A.プーマ
B.ナイキ
C.カッパ


【Q3】

福岡県前原市で
20日に市長選が告示されました。
27日に投票だそうです。
二丈町と志摩町と合併して、
「糸島市」となるそうです。
まだまだ、「平成の大合併」は
終わっていない模様です。

おそらく最後の前原市長、
その任期は?

A.77日
B.240日
C.365日



以上、
『西日本新聞』2009年9月21日付紙面より。

答えは明日ね。


【WH】「世界遺産」の真価は

2009年09月20日 | テレビ

 世界遺産は、つい大きなものや派手なものに目がいきがちである。
 けれどもその真価を発揮するのは、傍から見れば目立たなくてなんでもないようなものを登録することにあるのではないか。
 そうでなければ、無名の、何も無いようなものに見える中に潜む、膨大な時間を越えて受け継がれた民族文化や、時代を反映させる技術というものが、それこそ知られることの無いまま埋もれてしまう所であった。

 今回の「THE世界遺産」(TBS)は、フィンランドの「ペタヤヴェシの古い教会」だった。
 傍から見れば、上記の如くなんでもないように見える木造の教会だった。尤も、その高度な木造技術は、同じ木造建築文化の日本人からすれば、一目を置く所ではある。

 何故これが、「世界遺産」に登録されたのか。番組冒頭でも、そんな問いかけがなされていた。もちろんその理由は、先述の通りである。
 逆に、それが「世界遺産」に登録されているとは、空撮の画を見て気づく人はいるだろうか、と思った。というのも、すぐ近くには道路が通っているのだけれども、特にその教会によるような支線がなかった。そして、日本の観光地ならありがちな、大きな駐車場や土産物屋というのも無かった。つまり、日本の「世界遺産」の現状とは、異なった趣だったのだ。

 これらのことから、何かこう、日本では「世界遺産」というものが勘違いされているのではなかろうか、と思惟される。
 「世界遺産」は有名なものや、風光明媚なものでなければいけないのか。そして登録されたからには、観光客を受け入れるための万全なインフラを準備しておかなければならないのか。



 たまたま、今日は日テレの「世界の果てまでイッテQ!」を観た。
 そこでは、世界遺産を巡る企画をやっていた。その折、「世界遺産には当たりはずれがある」とコメントしていたのが、どうも引っかかって仕方が無かった。


  * * *


↓ブログパーツです。
 航空写真で見る世界遺産です。




名称がいつの間にか─

2009年09月20日 | 凡日記


大型連休の初日であります。
と言っているうちに
日付が変わって、
大型連休2日目であります。

「秋休み」というものが
2009年9月に現れると
知ったのは去年でした。
仕事場で、姐様方から
来年は秋休みがあるみたいよと
教えられ、はぁそうですなぁと
返事した次第です。

そして今、その仕事場を離れ
いざ迎えた今日になって、
「シルバーウィーク」という
名称がいつの間にか
付いていたことを知りました。
今更ながら驚いてしまいました。
一体誰が言い出したんだか。
一寸だけ、商業的な
匂いがするが、如何。

しかも「シルバーウィーク」、
来年はないのですよ。
さも毎年恒例の如くに
呼んでいても、来年になって
おやと思っても遅いですよ。

水を差すようではありますが、
なんとなく違和感を感じたので、
一応申しておこうと思った次第です。


   


さぁ、
シルバーウィークですよ。

生憎ワタクシは、
なーんも出掛ける予定が
ありませんものでして。
せいぜい、ブログ4で企画中の
「無印良道」を探す
地元逍遥旅にでも出掛ける
くらいのもんでしょうか。

まぁ、そういったわけで。
かみき先生、
お時間が有るようでしたら
ブログ論争企画を
短期集中でいろいろと
やってみませんか。


【ふしぎ】不便ゆえに守られたもの

2009年09月19日 | テレビ


 今日の「世界・ふしぎ発見!」(TBS)は、イタリアのいろんなリゾート地を紹介していました。
 しかしリゾートと言っても、その様相は近年変化しつつあるようです。

 丁度、「西日本新聞」で「イタリアの街角より」という、イタリア文化学者の連載が毎日載っているのを読んでいます。
 そこでは、イタリアの古い村や世界遺産に登録されている町などは、新しい史跡や古民家の活用とか、休暇の考え方などが紹介されています。

 日本では、例えばお城とかレンガ造りの建物なんかは、今は博物館として開放されるなどして活用されています。
 けれどもイタリアは、民家は民家として使い続けたり、ホテルに改装して使うなど、実に積極的な活用をしています。
 殊に文化財に指定されたものは、保護のためになかなか思い切った利用を使用とは考えられないのですが、考えてみればいたずらに世間と隔離して保護することに何の意味があるのやら。学術的に意味があるのだという人もいるやも知れませんがね。しかしもっと実用的価値や観光資源の価値など多方面に活用法を見出すというのが、逞しいところであります。
 このことは、先週の「フランスで最も美しい村」にも通ずる所があります。
 

 特に感心したのは、アマルフィでした。番組では言いませんでしたが、世界遺産にも登録されています。寄寓にも、昨日の「世界ふれあい街歩き」(NHK)でも同じ場所が取り上げられていました。画的に似ているのは制作会社が同じだからでしょうか、まぁそれはどうでもいいのですが。
 両方の番組を観て感心したのは、大変階段が多い急斜面の街に、お年寄りが多く住んでいらっしゃったことです。車も通れず、エレベーターもない場所です。
 長崎もまた坂の町、階段が多い急斜面の町なのですが、お年寄りが暮らしにくいという問題にぶつかっています。けれどもアマルフィは更に拍車を掛けた、非常に暮らしにくそうな町でした。にもかかわらず、お年寄りの皆さんがしっかりと住んでいらっしゃる。

 現地の人は、階段が多くても慣れているから大丈夫だと言っていました。徳川家康が、不便も常と思えば不足なしと語ったことに通じる所でしょう。けれどもそれだけではないはずです。
 荷運びを生業とする人たち。一軒一軒家を訪ね、配達物が無くてもお年寄りの様子を見に伺う郵便配達の人。何より地元の人たち同士のつながり、助け合いの強固さ。
 それくらいなら、長崎にだってあります。しかし逆に、アマルフィには自動車という交通手段が(海沿いの通りまで下ってこない限り)全くもってないことが、却ってつながりと助け合いの文化を奪うことなく済んだのではないかと思惟されます。
 つまりモータリゼーションの弊害を被る事が無かった。故に、地域文化が守られた、そんな印象を受けました。


贋典よろしく「贋無視」で─

2009年09月19日 | 凡日記


写真は我が家のアビ公、
再度登場です。

本家アビシニアが活躍する、
内田百著『贋作吾輩は猫である』
を読了しました。

先日の日記で言っていた、
漱石『猫』の「続編」です。
アビシニアとは、名前がまだ無かった
主人公に付いた名前です。

本書「贋典」は「正典」に同じく、
ただただ風流人がだらだらと
無駄な話や回りくどい話、
いらぬ都都逸と独逸のトリビアを
披露するというお話です。

けれども解説を読むと、
本書「贋典」の中には
百の貧乏哲学や
酒酔い竿叩き騒動は
実話だと言うのがまた凄いです。


まぁとにかく凄いです、
「正典」に大笑いして10年、
「贋典」に出会いまして
久し振りにまた小説で
大笑いしてしまいました。

だってね、
よく考えると実に
破天荒な小説ですよ。
「正典」の方は文庫本で
600ページにも迫る大長編ですよ。
大長編にもかかわらず、
これと言った事件は
ひとっつも起きない訳ですよ。

そして「贋典」は
300ページにも及ばぬ
やや分量が物足りないところですが、
更に強烈な人物が沢山出てきます。
けれどもやはり
これと言った事件もなく
ただただ薀蓄を遠まわしに
語り合い、果ては噛合わぬという
「正典」を抜く脱力系小説です。

この脱力系は確信犯的である
と解説されています。
計算高いのですね、
だから読者は思う壺、
笑いの壺に填まっちゃうのですね。


何も起きていないのに
笑いのネタがふんだんに盛られているのは
何故なのでしょうか。
あぁそうか、何も起きない故に
安心して読んでいられるからか。
猫の欠伸を見て微笑ましく思うに等しく、
回りくどい話を聞かされて五沙弥先生が
欠伸するのを見て笑うのと
同じことなのかもしれない。

こんなことを申さずとも
「正典」「贋典」とも既に
何十、何百もの書評があるわけで、
書かなくてもいいようなものですが、
どうせ何百もの書評は
目にする機会も無いので、
贋典よろしく「贋無視」で
申しておる次第なのです。
回りくどいけど、いいね。