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蚊焼です。日記です。
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森林地域学演習 2日目2

2006年09月28日 | 【大学時代】森林科学
 石見銀山遺跡(続き)
竹が目立つ林地。  龍源寺間歩を出る。周辺は竹が多く蔓延っている。
 竹は遺跡などの保護上の脅威となっている。

 その後佐毘売(さひめ)山神社などを見つつ帰る。
 その周辺は段々畑跡のような林地。かつての20万人都市の集落跡であるらしい。随所に見られる。

※写真はクリックすると大きい画像で見ることが出来ます。

大森小学校。  大森小学校の校舎。
 木造の建物が、優しく佇む。
観世音寺より見た風景。  「石見銀山遺跡とその文化的景観」。文化的景観が適用される世界遺産は、 国内では「紀伊山地の霊場と参詣道」(和歌山県ほか)に次ぐ。
 ここ石見銀山は、鉱山としては特殊な景観を持つ。
 まずは、大量の薪炭林を必要としたにも関わらず周囲の森林が多く残っていること。 そして近代の開発が進まず、古の建物などが残ったということが挙げられる。

 16世紀以降、ヨーロッパ諸国(特にポルトガルや中国)との交易が盛んであった。
 また、17世紀の石見の銀は世界の銀産出の約3分の1(年間約38t)を算出するなど、東アジア圏はおろか、 世界の交易経済に大きな影響を与えていた、歴史的に重要な拠点であった。

住民の取り組みが垣間見れる、軒先の生花。  世界遺産の問題点は、住民の遺産保護への自発的な参加や、観光客増加に対する対処などが求められる。
 また現在は、竹林の除去などを行い、かつての植生ならびに自然景観を戻す取り組みを行おうとしているということであった。

 石見の遺跡は「分かりにくい」などといわれているらしい。坑道など地下に存在する遺跡が殆どであるから無理も無いが、 「分かりにくい」というのは、遺跡を通して歴史文化を見る目を持たないことに起因するという。
 目立たないものであるからこそ、世界遺産として注目し、注視する必要性があるのかもしれない。
 日本初の「産業遺産」として、また日本史を政治区分以外で見る新たな視点として、この遺跡は期待されている。

 合宿所
この日のバイキングメニュー。  合宿所(青少年の家)へ戻る。
 この日も夕食はバイキング。相当食した。
 午後8時より、Y先生による講義。
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