BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

鏡餅は県産品─

2009年12月31日 | 凡日記


本年も、鏡餅は県産品。

昆布とするめは、
県内で加工されたもの。
しかし原産地はそれぞれ
北海道とタイランドですので
あしからず。

ウラジロと一緒に
挟んでいる「ゆずりは」は、
繁栄の象徴として
目出度(めでた)いそうであります。


微熱で─

2009年12月30日 | 凡日記


暫く振りでございます。
5日ばかり出無精でした。

5日間の出来事はまたおいおい
掲載したいと思うのです。


ところで何で
暫く顔出しを出来ずに
いたのかと申しますと。

一昨日の夜に、
熱を出してしまいました。
微熱ではございますけれども。

もう年の瀬も押し迫って
大掃除で忙しい中です。
とんだ災難でございました。

皆々様も、最後まで気を抜かず、
2000年代から2010年代への
移り変わりを過ごされるよう
切に願うのであります。

まぁ、西暦に
振り回されるのもなんですがね。


拭くというより磨く─

2009年12月27日 | 凡日記


大掃除の季節です。
この日はひたすら
掃除をしておりました。
特に窓を拭いていました。

大学時代と大阪時代の6年間、
実家の自分の部屋の
大掃除をしたことが
なかったものですから。

隅々の埃はえらい溜まっていました。
そして窓の汚れが酷いものでした。
かといって一拭きで落ちるものではなし。
力ずくでゴイゴイと
窓ガラスを拭くというより磨く感じで
汚れと格闘しました。

久々に徹底的に掃除した
自分の部屋を見て、
あぁ今年は住まいを実家に戻して
好かったなぁと思うのでした。


環セミ00年代を振り返るサイト「環セミの館」プレ公開

2009年12月25日 | 【大学時代】環セミ

■ 新HP開設(と言うよりは再利用)のお知らせ ■

─00年代の環セミ活動記録「環セミの館」プレ公開─


 * * *


 ひそかに運営しておりました、
環セミ季刊誌『環』のウェブ版「WEB環」。
 00年代を終えるに当たって、
放置していたものを削除することにいたしました。

 そして「WEB環」の後釜として、
旧環セミHPの復元や当時の活動の様子を綴る
思い出サイトとして使うことにしました。


 →http://www.geocities.jp/kansemi_kan/index.html


 「環」を「館」にして、
「環セミの館」と称することにしました(仮決定)。


 * * *


環セミ元部員の皆様へ


1.ご要望お待ちしております

 とりあえずこの正月休みを使って、
2003~2006年のHPを復元することを
目指しております。
 その他、新たに思い出コンテンツを
作ろうと画策しております。
 何かご意見ご要望、アイデアなんかが
ございましたら、ユースイまでお知らせください。
(直接メールでも、ブログでもこの掲示板でも構いません。)


2.ゼミのレジュメ再掲載の承諾を下さい

 旧HPでは「環境ゼミ」の2003~2006年
の4年分のレジュメを公開しておりました(一部)。
 しかし今は、ご本人様の承諾を待って
掲載を控えているところです。
 レジュメの再掲載を承諾いただけましたら、
ユースイまでお知らせください。
 また、新たにレジュメをご提供いただけたら
幸いです。データを送ってください。



古文書=「間違いだらけ」の日本語説

2009年12月24日 | 雑感散文


 今、先日の日記で触れたとおり
古文書読解のための入門編の本を
読んでいるわけなのですけれども。
 何故古文書読解に填まっているかを、
ここで云々述べたいと思う次第です。



 江戸仮名(変体仮名)は独特の
崩し字ですから、実に読みにくいです。
 けれども、読むための一つの心得として、
「明治時代まで万葉仮名が使われていた」
と言う大胆な割り切り方をするのです。

 仮名とは所詮、漢字の略字。
 だから平仮名が書かれていると思わず、
元の漢字を推測する。
 すると案外たやすく読むことが出来ます。
 これはワタクシの仮説です。



 それにしても言語とは面白い。
 何が正しくて、何が間違いだなんて
そんなものは元々無いのですから。
 とにかく意味が、伝えたいことが
伝わればそれでよい。

 文字なんてのも、極端に言えば
読めりゃぁいい。
 だから平仮名(変体仮名)が、明治33年に
統一されるまではおよそ300種類もあった。
(「あ」は安・阿それぞれの略字があった。
 で、今生き残っているのは安の略字。)

 仮名遣いだって、ごちゃごちゃです。
 今でさえ、戦後になってようやく現代仮名遣いが
閣議決定で統一されましたものね。
 それでも名残か漏れかは分かりませんが、
「え」と「へ」や「じ」と「ぢ」が
尚も混乱してますがね。

 ら抜き言葉が今問題になっていて、
テレビや新聞はら付を踏襲してますが、
明治時代からら抜きはあったらしいですね。
 じゃぁ何故今さら問題視するのと
言いたくなってしまいますものね。

 そして今現在も、
常用漢字の選定作業で色々と言われております。
 紛糾するのは、正解が無いんだもの。
 でも正解が無いから、選定も楽しそうで
よいなぁと勝手に思うのですがね。
 けれどもこれがやがて学校では
「正解」であると教え込まれて
いくのでしょうかね。

 そうなると「正解」とは一体なんぞや。
 段々哲学問答になってきましたな。



 まぁ兎に角。
 日本語に正解なんてものは無い。

 そう考えると、古文及び古文書を
これまではあたかも外国語のように
扱って学んでいましたが、
とたんに今時の「間違いだらけ」の日本語と
変わらないことに気がつきます。

 ねぇ、そうすると急に
古文書が読めそうな気がいたしませんか。
 誰か一人くらいは…。


ケータイはソニー─

2009年12月23日 | 凡日記


そろそろケータイを
買い換えねばなりません。

このブログの上の方を見れば、
如何にもA社ユーザーっぽいですが、
残念ながらD社です。

と言うわけでDショップへ
行って来ました。

7年間ケータイはソニーでしたが、
残念ながらD社陣営から
撤退されたようでして
困っておるのです。

4980円で買った
メモリースティック512MB、
そして7000円くらいで買った
メモリースティック128MB、
どうすればいいのですか。
ソニー以外対応して無いじゃないの。

それとも、ソニーが有る
A社に移ってしまうか。
でも家族割に入っているから
今移ることは出来ないのですよ。

よってソニー及び
メモリースティックは諦めて、
他のメーカーに乗り換えざるを
得ない状況と相成っております。

今更メーカーを変えるのは
勇気が要ります。



今日はとりあえず、
カタログを1部プラス
ポケットティッシュを
持って帰りました。

うーむ、今のケータイに
買い換えたのが3年前。
3年間で劇的に性能が
上がっていることに驚きました。
ただいらない機能が増えているのかなと
思っていただけですが、
画面の解像度が上がったり
画面タッチ機能が多くなったりと
素晴らしい技術革新です。

ただ、性能が上がった故に
ケータイが再び大型化
しているのがどうも嫌ですね。
今持っているケータイは
折りたたみでも回転式でもない
言ってみれば初期のケータイ
みたいなもので、使いやすいのです。



だからぶっちゃけ、
買い換えなくていいのなら
そのままで良いのですけれどもね。

ただ、当時の買い替えの記事では
気がつかなかったのですが、
電話料金に実はケータイ本体料金が
こっそり上乗せされていたわけでしょう。
だってねぇ、ケータイが
デジカメよりも安い1万円台なんて、
どう考えてもおかしいものね。

よって早く買い換えないと、
どうやら上乗せ金額を
依然として払わされているらしいのですよ。

買うべきか、買わざるべきか。
悩ましい所です。



A社、D社って、
一応イニシャルトークしたけれども、
あんまり意味がなかったですね。
そしてもう一社は無視かい。


いつも通っている道なのに─

2009年12月22日 | 凡日記


あれ、
いつも通っている道なのに。

こんな所に
野仏が佇んでいるとは!

マニアックな話で
申し訳ないのですがね。
ワタクシは野仏が大好きな
カワリモノの一人なのですよ。

まぁ、それで、
手を合わせてお辞儀した後に
バシバシとケータイで
写真を取り捲ったのは
いつものことなのですがね。
それよりも、いつも通る道なのに
今まで全然気がつかなかった
自分に驚いてしまいました。

如何に自分が、普段歩く道でさえ
よく見ていないのか。
なんと鈍くさい、注意力が無い。
発見した興奮から醒めると、
どうも己の観察眼のなさに
あきれて致し方ないのです。


例えが野仏だから
皆さんあまりピンとこないのでしょうね。

これが花壇の綺麗な花だったり
藪に隠れた小路だったり
ちょいと脇に入った店だったりと、
小粋なシチュエーションを挙げれば
皆さん覚えがあるのでしょうかね。

まぁ野仏は極少人数にしろ、
普段見慣れている場所で
発見するという経験は
万人に共通する所でしょう。

そういう発見をしたとき、
嬉しいですかね、それとも
今まで損したとか何で気付かなかったんだと
己を責めたり気が落ちたりするんですかね。

尤も発見したものにもよりますし、
そして今回の如く両方の感情を
抱くという事もありましょうが。

それでワタクシの場合はね、
どちらかと言うと
今まで気が付かなかった自分を
責めては損した気分になるのですよね。
それなら、気付かなかった方がましだ。
否、客観的には気付いた方が
楽しみが増えてネタも豊富になって
好いのだろうけれども。


兎に角、これからはもっと
注意深く周囲を見渡しつつ
道を歩かねばと
思い改めるのでした。

野仏の話は
ついて来れないだろうから
敢えてしなかったのですよ。


候文からポワンカレ予想まで─

2009年12月22日 | 凡日記


柚子湯に入りました。
柚子は長崎産、地産地消。

柚子を握りながら、
ゆずの歌を口ずさんでみました。

歌詞が分からない所は
フフフンと誤魔化していたら、
なんか別の曲のサビがくっついて
わけの分からない歌を
口ずさんでおりました。

最後あたりはもう、
遊助の歌まで出てきたし。
掌の中に納めし柚子とは
もう関係が無いじゃないの。

まぁそういった
どうでもいい冬至の夜でした。


   


気が早いですが、
正月に読む本を図書館で
6冊ぶわぁっと選んで
借りてきました。

来年に備えての
森林関係の本が2冊。
あとはもう趣味というか
マイブームの本です。

例えば一冊は古文書解読のための本。
もう一冊は数学の難問を解説する本。
残りは神仏比較と苔植物の解説本。

もう、傍から見たら変人ですね。
候文からポワンカレ予想まで、
なんでもござれ!


ゼロエン─

2009年12月21日 | 凡日記


全国チェーン店の古本屋で、
実家の本を売りに行ったのですね。

まだ何十冊か、高校時代に
買い溜めた文庫本の古本が
残っているわけですよ。
それを大学卒業に際して
大分手放してはいたのですがね。

当時の日記にも書いているのですが、
幾分か思い入れがあるわけですよ。
多少なりとも物としての
「アウラ」の慈しみを
抱いてしまった古文庫本。
手放すのは実に辛い。

そしてまだ残っていた
古文庫本を8冊、他5冊も加えて
売りに行ったわけですね。
部屋を片付けるために、
已む無く手放さざるを得ないのです。

そしたらなんと、
文庫本は査定額、0円でしたよ。
ぜっ、ゼロエン!!


物が売れない故に本も売れないご時勢。
中古マンション査定額が下がる世の中、
古本もまた状況は同じ
といったところでしょうか。

うーむ、リーマンショック以前に
売ってしまえば確実に
80円になっていたのだが。
しかし時既に遅し、
完全に売り時を見誤った。
株も本も一緒なのだ。

少々の染みや折り目も
目ざとく見つけられては、
「お値段の方はつけられませんでした」
との一点張り。
恐るべきお値段の方。
本も紙なんだから
読めばそりゃぁ付くだろう。


しかしそれでも、
物が増えた部屋を片付けねばならぬ。
かといって矢張り本を
ゴミ箱へ放る勇気がない。
「アウラ」がそれを阻んでいる。

だから致し方ない、
まだ引き取ってもらうがマシ、
また誰かが手にとって
読んでくれたならば幸い。
だから渋々0円で「売って」きました。

しかし、うーむ、
0円…本が…
古(いにしえ)の人は怒るぞ。


これからの科学は自然との和解─

2009年12月21日 | 凡日記


本日観た夢の話。

とある科学者から言われました。

「今までの科学は、
 自然への挑戦だった。

 だがこれからの科学は、
 自然との和解である。」

これからの科学は自然との「和解」。
なんと素敵な言葉を
紡ぐ科学者だろうと感動して
目が覚めました。

まぁ、結局自画自賛ですがね。
己の夢で感動してんだもん。

で、その科学者は一体
誰だったかはよく覚えては
いないのですがね。
なんとなく同級生だったような。


これからの科学は、
自然との和解である。

よし、どっか好い所で
使ってやろうっと。


【WH】今年の印象深かった世界遺産

2009年12月20日 | テレビ


 今日の「THE世界遺産」(TBS)は、
2009年の総集編でした。

 と言うわけで、ワタクシが今年観た中で
一番印象に残った世界遺産を挙げます。

 中国の「福建の土楼」です。
 これを観たときの衝撃たるや、
当時の記事に書いていますので繰り返しませんが、
物凄いものが走りました。

 まだまだ世界には、知らない文化が
沢山有るのだなぁ、と思いました。
 それは途方も無い心持もしますが、
しかし人類の営みがどんなに
奥深くて広いことか、と更なる好奇心を
煽ってくれるものでした。


 * * *


勝手番付・今年の印象深かった世界遺産

 各リンクは当時の記事です。

 1位:「福建の土楼群」(中国)

 2位:「ペタヤヴェシの古い教会」(フィンランド)

 3位:「ナンダ・デヴィと花の谷国立公園」(インド)


苔の進化論

2009年12月19日 | 雑感散文


今日も寒かったです。
雪もうっすら積もっておりました。

もっとも、鳥取ほどでは
ありませんでしたけれどもね。


 


寒い週末は、
家に引き篭もって本を読むのが
賢い過ごし方です。

そんなこと言うから、
物が売れない不況になるんだと
いうご批判もありましょうが。

まぁ、それは、はぁ、
ちょいと反論の言葉が
出ないんですけれどもね。
まぁいいじゃないのよ、と
適当に右から左へ受け流して、
それでも家に篭って
本を読んで過ごしておりました。


 


『ふしぎの博物誌』(河合雅雄編,中公新書,2003)
を読んでおりました。
実に興味深い話ばかりです。

詳しいことはまたブログ1に
気が向いたときにでも書くとして。
今回は特に、印象に残った
話を取り上げたく思います。


「苔」と言う植物があるじゃないですか。
コケ。ちょいと卑下された意味合いも
含まれている可哀想な名前です。

しかしながらコイツが凄い。
なんと、防菌防虫に
優れていると言うのですね。

けれども、もしもコケが
太古の昔からそんなんだったらどうなるか。
やがて両生類や爬虫類、そして
哺乳類に進化することになる生物が、
そのコケを食べて腹を下しちゃいますよ。
そうなると生物は地上で食べるものが
無くなってしまう。

つまり、これまでコケというものは
維菅束植物の原始植物である、
酷い話が劣ったヤツであると
言われていたわけでしょう。

ところがそうじゃなかった。
コケはコケで、健気に進化を遂げていた。
原始苔から、苔になったのだ。


もっと突き詰めて言えば、
魚→両生→爬虫→鳥→哺乳→人、といった
人間中心的進化論が唱えられていたのは
間違いだったわけでしょう。
魚は人の先祖、では無い。
魚も人も、同じ先祖を持っていた、が正確。

そう考えるとね、
進化と言うのは「高等」への収束ではなくて、
「多様」への乱雑の方向に
働いているんだなぁ、などと
思わずにはいられないのでした。


 


ちょいと、急に収束だとか乱雑だとか、
唐突に難しい話を持ち出して
しまいましたけれども。

多分に西田哲学や茂木脳科学が
影響しているものと考えます。

詳しくは今日書いたブログ1の記事をご覧になすって。


稚拙な文章と仕分けられ─

2009年12月18日 | 凡日記


ついに今日、
長崎でも初雪が
観測されました。

ワタクシも、見ました。
だからマチガイナイ。

もっとも、
鳥取にお住まいの
皆々様はもうそれどころでは
ないのでしょうが。


   


このブログを書き出して
もうすぐ5年が経とうと
しているのですがね。

ふと、過去の記事を
ざっと見返してみたのですよ。

いやぁ、まぁ、
なんといいましょうかね。
若気の至りは
恐れを知らないですね。

色々と強気で生意気なことを
言いまくっております。

さすがにこれはマズイ!と
思ったところは一部文章の
削除をしたのですけれども。

後はもう数が多すぎて、
もういいや、これはこれで
過去の記録として残しとけ、
と言うヤケクソの気分で
そのまま手をつけずに
残すこととしました。

特に卒論が大詰めの頃は、
もう無茶苦茶な事を
書き殴っております。
「発狂しました」という告白は
満更嘘ではありません。

ただ、そういった稚拙な文章を
読んでは情けなくなる一方で、
今はその頃よりは成長したかな、
と思ったりします。

慰めと自己弁明は
それくらいにして、
さて、過去の記事を
今一度整理します。

…そして今日の日記もまた
将来は稚拙な文章と
仕分けられるのでしょうね。


【ブラ】明治時代の「遺跡」

2009年12月17日 | テレビ


 今日の「ブラタモリ」(NHK)は、
横浜をぶらついておりました。



 最近は、明治時代の
「近代化遺産」というものが
脚光を浴びております。
 そして今や、富岡製糸場や
長崎の軍艦島などの九州近代化遺産が、
世界遺産の暫定遺産に登録されました。

 ところが、明治時代の「遺跡」
と言われると、躊躇してしまいます。
 そんな、明治時代のものを
ギリシャの神殿やメソポタミアの宮殿と同じ
「遺跡」と言っていいものかどうか。


 いや、明治は今や
「歴史」として扱うことしか
出来なくなってしまったのでしょう。
 「生身の明治」が、
どんどん珍しくなっていますもの。

 明治生まれの方は
私が幼少の頃(といっても十数年前だが)では
まだそんなに珍しくはありませんでした。
 もっともその頃の自分は
あの「明治」の生まれ!と驚きましたがね。

 ところが今は、明治生まれと聞くと
驚きと尊敬の念を抱く一方で、
あぁそうか明治はますます
遠い過去になりつつあるんだなという
感情を抱くようになりました。

 明治45年は、1912年ですか。
ということは2009年現在は
97歳以上の方に限られるわけですよ。
 今自分で計算して、衝撃を受けました。
 失礼な話、もう暫くすると
明治の時代に生きた、「生身の明治」が
いなくなってしまうということでしょう。


 考えてみれば、明治以降は近代で、
慶応以前は「江戸時代」と、
乱暴に線引きをしてしまったわけです。
 明治生まれの方にしてみれば、
慶応時代の「遺跡」と言われるのに
抵抗もあることでしょう。

 そして今や、平成元年生まれは大学世代。
 大正時代ですら、「遺跡」と呼ぶのに
抵抗を感じないかもしれません。
 接している世代の殆どが
昭和生まれの人々で占められて
いることでしょうしね。


 じゃぁ、明治時代の「遺跡」と
表現しても、遜色は無いわけですね。
 けれども私はどうしても、
何か引っかかりを感じてしまいます。
 だから遺跡をカギ括弧で
括っているのですがね。



 今回も、番組の内容に
触れるのを忘れてしまいましたね。