BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【さだ】手作り、という発想

2009年05月31日 | テレビ

さだまさしのアレ、
「今夜も生でさだまさし」
また観ておりました。

深夜の時間帯にテレビを観るのは
環境保護の観点から
どうかという意見も有りましょうが、
ゴールデンの、ドラマや映画の
番線で染めつくされた
つまらないバラエティを観る方が
余程どうかと思うのです。

ゴールデンの時間はテレビを消して、
深夜に面白いのを、小さい音量で観る。
はい、これで環境面の疑問は解決。


環境面といって、
考えさせられたお便りが、
マスクの件でした。

マスク不足で混乱する中、
マスクを手作りしましたという
お葉書が2通あったそうです。

まっさんの意見に同感なのですが、
マスクは買うもの、と
いつの間にやら思い込まされて
いたことを我々は反省しないと
いけないんだなと思いました。
いつの間にやら、消費すること、
使い捨てすることに
慣れてしまったこの罪悪。

特にマスクなどの医療関係のものは、
使い捨てのものが多いことに、
前々から気にはしていました。
もちろん使いまわしは
非常に困ることなのですが、
一度使って後は処分場で
埋め立てられるのも抵抗があります。
処分場どころか、山野などの
不法投棄が後を絶たないのも
また一段上の懸念事項です。

マスクに話を戻しますと、
1日1回つけて、すぐ捨ててしまう。
マスク1枚はそこそこの
お値段もしますしね、
なんだかもったいないようにも思えます。

それに、本当はマスクは、
予防にはあまり効果がないと
いう意見も耳にしますね。
マスクの隙間から呼吸すれば一緒ですし、
目から感染することもありうる。
ただし特筆として、
感染者が周りの人への感染を
防ぐためにつけるマスクは
大変有効であるそうです。
唾液等飛散防止と湿潤確保のためです。
風邪ひいた人はむしろ
マスクをつけるべきなのです。

手作りのマスク。
百均のガーゼなどで作ることが
できるそうです。
もっとそういう情報をね、
手作りでしかも安く作れる、
知恵袋的な対策の情報を、
冷静さを取り戻した今、そして
来るべき鳥フルに備えて、
これから発信していって欲しいと
思ったりしました。

その先駆けとして
「手作りマスク」というアイデアを
紹介したこの番組は
きっとエライ。


色々と修羅場を─

2009年05月30日 | 凡日記


朝5時。
ふと目が覚めました。

遠くから、鶯が
ホーホケキョと
鳴く声が聞こえました。

暫くしたら、
雀たちがチュンチュンチュンと
大変囂(かまびす)しく
鳴き出しました。

一羽の鶯に対して
不特定多数の雀。
少し間をおいて鳴いた鶯の声は。

ホーホケキョ、
チュチュチュチュチュ…

迎合しちゃったよ、
もしくは仲間が欲しかったのね。

美声よりも友達、
地位や名誉よりも友情が欲しい
と言う鶯の切なる願い、
感動ではありませんか。
考えすぎですってか。


   


いつもカエル氏の話で
申し訳ないのですがね。
でもカメラを向けても大人しい
分別のあるカエル氏は
大変哲学的なテーゼを
我々に与えているかのような
佇まいを呈していますから、
何かとここで書きたく
なってしまうのですよね。

本日のカエル氏は、
前々日の留守前は
もっと緑色だったのですがね。
なんか本日の背中は
黒っぽいというか灰色っぽく
大変苦労したあとが
窺えるのですね。

地上わずか1センチ高程の世界で、
色々と修羅場を潜り抜けて
きたのでしょうね。

ちなみに今月は、
蛇を3匹見ました。
またこの辺りは様々な種類の
鳥が飛来してきます。
昔よりも鳥の飛来が
多いような気がします。
人間にとっては喜ばしい
ことではありますがね。

カエル氏より学ぶこと、
まだまだ多し。


1984年─

2009年05月29日 | 凡日記


ブログ4で紹介した
ユキノシタなのですが、
実はカメラの設定が
画質が一段低くなっていまして、
しまったと思って今日また
撮りにいきました。

といっても、
ブログに上げた写真はどうせ
サイズを縮小させていますので
その画質の程は全然
気にならないと思われますがね。
オリジナルの方をね、
しっかりと高画質で
撮っておきたいと思いまして。

ところが。
といっても或る程度は
予想していたことなのですが。

ものの見事に枯れていました。
あんなに美しかった可憐な花々は
すっかり首を垂れて
干からびたようになっていました。

嗚呼無常哉、此世の常なるものかは。
シャッターチャンスは
人との出会いと同じで一期一会。
それと同時に花々の
命の儚さなるものを
痛感した次第なのでした。

しかしながらそれでも、
何輪かは細々と、それでいて
可憐に咲いていました。
是希望なる物かは。
けれども前に撮ったものと
どうしても見劣りがするので
今日の分はあえて載せませんので
悪しからず。


   


『1Q84』が昨日から
順次発売されて、
大変な売れ行きを示しており
都会の方では品切れ続出、と
新聞には書いてありました。

けれどもこちら、地元の本屋は
しっかりと置いてありました。
なんっか、話題に置いて行かれて
いるような気もしますが、
かかる巷の騒ぎとは
無縁の世界というのもまた
乙なものでございます。

さてその本を手にとって
ちょいと立ち読み失敬。
うーむ実に面白そうだ。

村上春樹さんの小説は、
高校時代に『ねじまき鳥クロニクル』を
読んで衝撃を受けて以来、
結構読んでいるつもりです。
しかしながら大学に入ってからは
ご無沙汰になってしまいました。

読みたいなぁ、とは思うのですが、
今はちょいと読める状況に無いので、
まぁ、またいつか読みたいなぁと
思うのであります。
そう言いつつ、やがて
文庫化されるまで買わないんだろうなぁ。



1984年。
干支は甲子(きのえね)。
つまりその60年前に
甲子園が完成したというわけ。
甲子は干支の初っ端の年。
ひとつの節目なのです。

バブルがはじける前で、
今よりも経済とか文化とかが
ぐちゃぐちゃで混沌と
していたらしいことが、
見聞きする情報より思惟されます。

あれから25年。
四半世紀経ちました。
是もまた一つの節目。
果たして今はその混沌から
抜け出すことができたのか。
いやますます混迷を
深めていくのみなのか。


題名だけから、
そんなことを色々と
考えてしまいました。

そして立ち読み失敬してみれば、
なんとなく遠からずや。
いや実際はどうか知りませんよ。

でもそんな気がするのです。
1984年生まれのものとして。



田んぼは未だ─

2009年05月28日 | 凡日記


地元のテレビを観ていたら
佐賀の山間の田んぼは
水を張って苗をすでに
植えてありました。

うちの周りの、
住宅が迫った中に
取り残された田んぼは未だ
水を張っておりません。

あれ、この辺って
そんなに植えるのが遅かったのかな
と思ったりします。

そして今日もカエル氏は
何処かへ出掛けています。


   


最近、小さくて可憐な
花を愛でる癖が
顕著になってきました。

ブログ4にここ最近、
その小さな花々を載せてますんで
お暇ならご覧になすって。

特にユキノシタね、
綺麗過ぎるでしょう、ねぇ。


【爆問】日本の自給率と世界の貧困

2009年05月27日 | テレビ


 食料自給率問題についてを、以前大学内にて討論する企画を立てて催したことがあります。

 食料自給率向上の意味について。輸入国では異常気象や水不足等の環境悪化が進んでおり、いつか輸入分が入ってこなくなる恐れがあり、自給分を確保せねばならないから。
 今だと、バイオエタノール分に回される量が多くなり、経済の原理でも手に入り辛くなっている事も言えるでしょう。

 また、食の文化について、生産地の景観保護についての話も出ました。
 しかしその文化とは一体何か、という突っ込みに頓挫しました。今更菜食生活に戻れるのか、景観保護というなら農地整備や減反による休耕田は矛盾した行為ではないのか。

 自給率向上に懐疑的な意見としては、食品ロスをなくせば自給率は理論上4割から8割ほど増えるのだから生産より優先すべき対策があるのでは、といったものがありました。
 他にも、食料ばかりで、特に衣類などの工業製品の自給を蔑ろにするのはどうかとか、機械工業輸出国の引き換えとしての自給率低下ではないかといったものが出ました。
 機械はうち、食料はよそで、という分業制が効率よいのではないか。大規模生産が不利な日本は無理せずむしろ自然林保護をするほうがよいのではないか。いろんな話が出ました。

 極端な話、食糧は買えばいいではないか。そういった意見は今も尚健在で、特に経済誌で見かけます。
 この、極端に言い切らずとも、どうして自給率にこだわらなくてはいけないのか、という質問にはなかなか答えきれずにいました。
 それに、この問題にはなんとなく、国粋主義ではないけれども自国の防衛だとか文化云々とか、そういった主義も見え隠れするようで、答えづらい所もあります。皆が皆、農学に理解を示しているわけでは有りませんからね。

 そんなわけで催した討論では、いまいち自給率の大切さは感覚的にはまぁ分かるけれども、論理的には…といった消化不良のまま幕を閉じてしまいました。



 けれどもそうやって手をこまねいている場合ではない。ずばり農学の立場で、しかも国際的立場に立って、主張をせねば。
 今回の「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)で、「太田総理」に対して自給率向上を提訴した農学者は、実に明快に、自給率向上の意義を示しました。

 日本が食料を買うことができるのは、日本がお金を持っているから。故に、日本がお金を持たなくなったら…というのが、従来の議論でした。今でこそ経済危機に揺らいでいますが、日本の技術神話の前では、それは仮定の話でしかありませんでした。
 ところが、それに平行した現実があった。日本がお金を持っているから。故に、お金を持っていない国は…というのが、先生の議論です。日本が買えば買うほど、しかも高く買うほど、他の貧しい国は買い負けして食糧を手に入れることができない。世界の貧困をなくすためにも、日本の自給率を高めることは異議があるといいます。
 平行した現実は他にも色々。マグロについては日本産のものも他の国に買い負けされ、日本人の口に入らず。戦術のバイオメタノールブームで、途上国のトウモロコシまでも買い負けにあって、世界各地でデモが起きたわけでしょう。

 これは新しい発想でした。自国の自給率を上げることは、実は世界の食料価格を下げることにも繋がり、貧困層に食料が回り、飢餓をなくしていくことができる。
 もちろん貧困問題や食糧不足は複雑な要因が絡んでいるので、自給率向上ですぐ解決するわけではありませんが、少なくとも今よりは改善されるかもしれない。そういった意識をもってして、農業問題を見つめる必要があるといいます。
 自国のための自給率向上から、世界のための自給率向上へ。だからより国内での生産を広げていかなくてはならないのです。ただ、同じ理屈で、先に述べた食品ロスをなくすこともまた、貧困の問題に繋がっているということもいえるわけです。ムダの見直しも忘れずに。


「足るを知る」は如何

2009年05月26日 | 雑感散文


テレビを観ていましたら。

「買い物籠」を使っていた
世代の方々からしたら、
昨今の「エコバッグ」は
昔の慣習に戻っただけだ、と
いう意見を持たれているようです。

エコだのどうこうと言おうと、
結局は昔のような生活が
理に適って経済的だった
ということなのでしょう。

さすれば進化は退化なのか。
何のために発展しているか。
時たまそういった哲学を
考えさせられたりします。


ニュースを観ていましたら。

コンビニ業界は、
廃棄処分の弁当を養豚の餌にして
「リサイクル」しているとのこと。

並べられるために作られた
食品って何なんでしょうなぁと
思ったりします。

もっとも、金銭は
サイクルされ…ってところですか。


雑誌の表紙を眺めましたら。

消費渋りの消費者に
どう物を買わせるか、なんて
言葉が踊っていました。

或る意味において、浪費が
抑えられた社会になって
好いではないかと思うのですがね。
もっとも、高級品や嗜好品の
製造販売を生業とする方々には
しんどいところでしょうけれども。

そういえば新聞でもテレビでも
最近の若者はものを買わないと
あたかも不景気を若者のせいに
せんとする論評もよくよく
目にするような気が致しますが。



見聞きする環境の情報は、
年々浅はかなものになりつつ
有るような気がしてならないです。

質素な生活で、「足るを知る」。
そう言えばいいではないか、
と考えるのもまた
浅はかなのでしょうか。

蛇足ですが、こういった
マスコミの姿勢を批判しつつ
環境活動にも批判的な
超ご都合主義の意見も
ごくたまに目にするのも
大変気がかりに思う所です。


度々ご登場いただいている─

2009年05月25日 | 凡日記


最近、写真のUPが
ブログ4ばっかりに
なっちゃいましたね、
久し振りにブログ2で
写真UPです。

今月の初めより
度々ご登場いただいている
カエル氏でございます。

縄張り意識のためか、
いつも留守の際には
「置物」が残されているのが
難点といえば難点です。

カエル氏の性別は不明ですが、
最近日に日に太って
きているような気がします。
健康的で何よりです。


【WH】文化実験の集合住宅群

2009年05月24日 | テレビ


 ブルーノ・タウト。
 以前にも、どこかで聞いたことのある建築家の名前だと思って、ネットで検索してみると、簡単にその業績が知れた。松岡正剛さんの「千夜千冊」第1280夜を参考にされたし。

 その偉大なる建築家は、第1次世界大戦後に来日し、日本でも建築を手がけていた。「旧日向邸」。数寄屋造りに関心を持ち、その伝統の技術と様式に西欧のものを掛け合わせて作った、今までに見たことの無い和風建築。もしくは、「洋和」折衷とでもいうべきか。
 確かだいぶ昔に、7~9年位前に、NHKの特集か何かで放送されていたのを見たことがあった。この建築が、第2次世界大戦に突入せんとする暗い時代に、建てられていたというのがそのときに感じた驚きであった。

 その驚きが、まさに今回の「THE世界遺産」(TBS)で取り上げられた、建築群であった。
 「ベルリンの近代集合住宅群」。2008年登録。第1次世界大戦で敗戦し、沈滞ムードが漂う中でファシズムが台頭し、再び世界大戦へ突入して以降とした、かつてのドイツ。多額の賠償金に、尋常ではないインフレ。不況への失望感から民族主義の高揚に昇華する。そんな暗黒な時代にあって、まるで地中海沿岸の家々のように、カラフルな建造物が設計され、建てられていった。何とも大胆であり、破壊的なことか。今で言う景観の破壊のような行為、矢張り当時は酷評され、受難の時代を過ごしたという。

 しかしこれは致し方なかった。ようやくドイツに訪れた産業革命。その実は大量生産であり、そのためには規格化、画一化が条件であった。
 現代も尚、規格化というものが重宝され、国際規格なるものが環境行動にまで及んでいる。特にパソコンなどの電子機器の普及に見るように、規格化の恩恵も重々承知はしている。しかしながらそれは没個性や、多様化の対極である一元化を意味することも忘れてはいけない。

 没個性で画一的な集合住宅。しかしその中でも、個人を発揮するために、若きタウトが練っていた手は、色彩設計。多彩な色をそれぞれ異なるように使うことにより、多様な個性を取り戻すことができた。
 だがその色彩を非難する人たちは、何をもって論じていたのだろうか。考えてみたら集合住宅というもの自体、今までに無かった代物である。いわば新しい文化であり、価値観だったのではないかと思うのだ。それをこと色彩に関して喧々囂々。もっと様々な価値観を…発揮で消えなかったのは矢張り暗黒の時代ならではだったか。

 個性とは何か、規格化は敵か、色彩の美とは何たるや。様々なことを考えずにはいられない、文化実験の世界遺産なのだ。と、勝手に考えている。


ふとした気付きが─

2009年05月23日 | 凡日記


今朝の新聞を見たら、
随分とゆるい記事が。

「円すい形の山、棚田の石垣…
 マチュピチュ 宇佐に出現!?
 景観そっくり 地元で話題」
 西日本新聞2009年5月23日付


紙面でもカラーで掲載されて
いたのですけれども、
南米の世界遺産にそっくりだ、
というのが地元でにわかに
噂となって口コミで広がって、
隠れた人気スポットに
なっていたそうです。

写真では、まぁまぁだと思えても、
実際に見てみるとまた
違った趣があるのでしょうかね。
また、最初にこれに気がついた人は
あっ!なんてきっと声を上げたに
違いないでしょうね。

けれどもこういうふとした気付きが、
村興し町興しのきっかけになったりして
面白いものです。

 

ホラ、村興しといったら鳥取東部も、
同じ様に世界遺産にちなんだ
「鳥取の○○」なんてのを
作ってみたらどうかと
思ったりしたのですがね。
ホラ、国府とか横尾とか。

「鳥取のコルディーリェラ!」
「鳥取のパムッカレ!」
「鳥取の中国南部のカルスト!」

無理やりでしたか、ボツですか。
どうもすいませんねぇ。

ちなみにコルディーリェラは
フィリピンの世界遺産。
世界最大の棚田群。しかしながら
棚田の世界遺産はこれだけ。
ブドウ畑は沢山登録されているのだから、
これからもっと登録されていくことを
期待するのですがね。

残り二つは石灰土壌が作った
天然の、棚田のような風景。
山口の秋吉台にも、地下の洞窟内に
同様のものがあるのですがね。

以上、薀蓄でした。


   


さて、土曜日です。
でも土曜日ぎりぎりに書いているので
お読みになられる方々は
日曜日であるかと思われます。

このブログは、訪問者の人数だけは
分かるような機能が付いているのですが、
矢張り金曜から日曜が多いですね。
それだけ、ご覧になさっている方々のうち
土曜と日曜が休みの方々、
つまり社会人の方々の比率が高まって
いるからなのかなと
思ったりするのです。

いやまぁ、ただそれだけなのですが、
まぁ何というか、
ご覧下さっている方々も
変わっていくのかなぁなんて
思ったりしたのです。

諸行無常、色は匂へど散りぬるを。


茹で上がったロブスターが─

2009年05月22日 | 凡日記


雨上がりのせいか今日は
昨日に比べて幾分か
肌寒く感じられる日でした。

今日の日記はこんなもんで。


   


ふとテレビを見たら、
生きたロブスターと
茹で上がったロブスターが
出てきたのですよね。

生きているものは殻が黒くて、
茹でると赤くなる。
でもどちらかといえば、
赤いロブスターの方が
我々にはお馴染みですものね。
めったに生きた姿を見ないから。
それに、ザリガニとかは
最初から赤いから(でもよく見れば
 確かに黒いっちゃぁ黒い)、
エビカニ類は赤いもの、という
イメージがありますよねぇ。


 

ところで大学時代は、
下宿ではNHKのBSを観ることが
できたのですよ。
それで割と暇な夜なんかは、
メシ食いながらBSで
映画とかを観ていたのですね。
割かし古い映画。けれども
白黒じゃなくて、原色が
ややキツイ、カラーもの。
つまりは年代がそこそこ
いっているものなのですね。

昔はCGというものが無かったわけですから、
ファンタジー物とかSF物なんてのは
実写プラス絵とか人形とか
そういうので頑張っていたわけですね。
無論、オール実写で挑んだ
「ベンハー」という超大作もあるわけですが。

それで、とある映画はね、
なんっか実写部分と人形部分が
丸分かりの、なんかコテコテの
いわゆるB級的な、ギリシャ神話を思わせる
舞台設定のSF映画があったのですよ。
主人公の剣士たちが、
骸骨剣士とかと戦ったりするのです。

その中で出てきたのが
超巨大生物!

ロブスターの化け物だ!

しかも!
まっかっか!!

エビカニ類は赤いもの、という
イメージが、制作サイドにも
あったというわけでしょうかね。


遠い存在と勝手に認識

2009年05月21日 | 雑感散文


─法学部って、大学では
 どんなことするんすか。

「裁判を傍聴したりとかする
 実習とかしますね。」

─へぇーそんなんやるんすか、
 面白いっすね。

「もう、被告の壮絶というか
 ドロドロした事件や人生があって。
 でも聞いててそれはそれで
 面白かったっすね。」

─うち、農学部なんで
 法学部、というか文系の大学は
 どういうことをしているか
 分からないものですから、
 なんっか聞いてて凄いなぁって
 思いますね、知らないことだから。

「逆に農学部ってどんなことしてるか
 分からないっすからね。
 やっぱ畑で野菜作ったりとか
 してるんすか。」

えぇそうですねぇ、米に野菜に
何でも作ってますよぉ、てなことを
話していたのを思い出しました。

相手は会社の同期で、
新人研修のとき席が隣だったので、
まず最初に仲良くなりました。

それで色々お互いのことを
話していたときの一幕です。



法学部の方々にとっては、
そういった実習を通して
司法の現場というのは
身近なことなのでしょう。
もとより法学部を目指すくらい
ですから、そもそもが司法に
何らかの興味を持っているでしょう。

しかしながらそれ以外の
学部生にとっては、
司法の現場が遠い存在だと
いうのが現状でありましょう。

そんな、遠い存在と
勝手に思い込んでいるこの
認識を是正するために、
今日より裁判員制度が
始まった、とも言われます。

先月からテレビでも新聞でも、
裁判員制度の是非について
いろんな特集が組まれたり、
専門家やそうでない人々の
異論反論オブジェクションが
掲載され賑わいを呈しております。


正直、この裁判員制度が
よいのかどうかは
判断しかねる所です。

ただ少なくとも、
司法の現場に対する関心が
これまでに無く集まって
いることは間違いないので、
最初の狙いは大当たりでしょう。



せっかくなら、
同じく関心が低くなっていると
いわれている政治の現場も、
一般者が参加できるように
なったら面白いんじゃないかと
考えたのですがどうでしょうね。

ホラ、議会だって
判事、検察、弁護士の3者の様に
官僚、与党、野党の3者が
いるわけですからね、
構造としては同じだから
官僚員になって…ちと違うか。



もうそろそろ食べごろなんじゃ─

2009年05月20日 | 凡日記


夜になって雨が降ってきました。
未だ入梅ではないのでしょうけれども。

しかしこれで、いよいよ近所の
住宅地に狭められた田んぼに
水が引かれ苗が植えられ、
そして喧(かまびす)しい
カエルの鳴き声が聞こえるように
なるのでございましょうね。

そういえばうちのカエル氏、
また何処かへ出掛けています。
案外忙しいのね。


   


長崎は茂木枇杷(びわ)が
名産なのでございます。
今が熟れごろ食べごろです。

そのニュースを聞いて
ふと思い出したことがありました。
環セミ畑の、枇杷の木。

毎年、大きな身を沢山
実らせてくれる枇杷の木。
摘果せずとも皆おいしい。
もうそろそろ食べごろなんじゃ
ないでしょうかね。



それにしても思い出されるは、
大学時代の自給自足。

地域の農業バイトで傷物を戴き、
農学部の実験農場の余り物を戴き、
そして環セミ畑の実りを戴く。
挙句に、ブルーギル(外来種の魚)を
釣っては揚げて、食う。

自給率低下が叫ばれる中、
究極の自給生活を達成していたのは
今では懐かしき思い出ね(笑。
さらに今は事情が違って
いることでしょうし。



唐突な思い出話でした。


【流儀】そういう言葉を聴きたかった

2009年05月20日 | テレビ

 今やっていることが、人様から見たら「それだけのことか」「それが何になるのか」と思われているのではないのか。そういう風に、地域おこしの一環で、伝統技術を観光客の前および環境教育の現場で見せている、ご年配の人がいたとする。
 その方に、どう声をかけるべきか。「そんなこと無いですよ」「喜んでいる人もいますよ」が良いのか。しかしながら現に「何になるのか」と思っている人がいることを否定できるわけで無し、却って迷いを増幅させるだけかもしれない。

 スーパー公務員、と呼ばれる人は、なんと言ったか。
 「今はそのようなことを言われても、大事なことは将来何が残るか、何を残すかだ。」
 町おこしとは、一長一短でできるものでなく辛抱強さが求められるという。それをしっかりと認識させることができる人。それでも、人々に意義を認識させ、やる気を起こさせる人。その人が発した言葉は、それを一時(いちどき)に教えてくれるものだった。
 ご年配の方は、「そういう言葉を聴きたかった」と満足そうに言った。


 昨日の「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)は、市の職員から内閣府に大抜擢された、型破りな公務員の働きぶりの紹介でした。
 尚、上記の話し言葉の部分は、うろ覚えなもので一字一句正確ではありません、あしからず。


これといった─

2009年05月19日 | 凡日記


今日また晴れて、
また暑くなりました。
またカエル氏も
定位置に戻っておりました。

いつもと変わらない日々は
つまらないと以前は
ここで語ったりしましたが、
マンネリもいいものだと
思うようになってきました。

向上心消失?歳?
いやいや、
時々若しくは場合により
そんなんでもいいじゃないかと
思うのだといっているのです。

というわけで今日は
これといったネタは無いけれども
いいじゃないか、という
屁理屈な日記でした。


身の回りから猫が─

2009年05月18日 | 凡日記


いろんな方々のブログを
見ていたらですね、
ペットの猫の写真を
アップする人が多いようですね。
それを見ていて癒されていました。

さてこのブログでも、
主に大学の野良猫を、
イタリア風に言うと「自由猫」の
写真を幾つか撮影しては
ここに載せてきたのですがね。

そしてその都度、
ご訪問なすった方々に
ほんのひと時の癒しをね、
提供させていただいたつもりで
いたのですがね。

今まで掲載した猫写真は
以下にまとめてみました。


06年4月23日



06年6月25日



06年8月6日



06年12月5日



07年1月5日



07年11月25日


拾い出してみたら意外や意外。
6枚しかないじゃないの。

本人は部類の猫好きの
つもりでいたのですがね。
写真は取り捲っていた
つもりだったのだけれども。


大学時代は単純に
このブログに載せるのを怠って
いただけなのですが、
その後はそもそも
猫を見かけることが少なく
なってしまいました。

大阪にいたときは、
近所で猫はあまり見かけることが
なかったですね。
見かけたとしても、遠くから。
写真を撮れる状況でなし。

そして今いる実家の周りも、
鈴付け猫がうろうろする1匹以外は
全然見かけなくなって
しまいましたからね。

いつの間にやら身の回りから
猫がいなくなっちゃって。
寂しい限りです。
普段もっと多様な生き物に
出会って、あぁみんなで
生きているんだなぁと
壮大なる生命の実感を
感じる機会が減っているような、
そんな心配すらしてしまいます。

少々くらい、
野良がいたっていいじゃないか、と。

(だからといってワタクシ、
 野良猫に餌はやるべきでない派
 ですので、あしからず。)