BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

マスクを着用─

2008年01月30日 | 凡日記

終日マスクを
着用しておりました。
寝ているときからずっと。

空気が乾燥しているから、
喉ががらがらになって
痛いのよ。

それでね、
出社の際にも
仕事中にも
マスクを着用して
いたのですよね。
咳が酷くなった
ものですからね。

すると周りの皆さんが
色々と気遣ってくれて
ありがたかったですね。
一方で、
もっと体力をつけろと
言われたりもしましたがね。
この冬、
2度目のド風邪ですから。

熱も少々あるようで、
偏頭葉がズキズキ
するわけですね。
けれどもこうやって、
パソコンの前に
噛り付いている様子からして、
「フル」ではないように
推察されます。

しかしまぁ
しんどいなぁ、
いや風邪もさることながら、
「宿題」を持ち帰りましてね。
こいつをこなさねば
今日は寝れないんだよ。

あ、偏頭痛が。

頑張るとも。


妙に寒いな今日は─

2008年01月30日 | 凡日記

深夜0時を
とうに過ぎております。

つい今しがた、偉そうに
美術評論かぶれのよーな
日記
を綴っておりましたらね、
段々頭痛がしてきましてね。

どうもね、風邪ひいちゃった
らしいんですわ。

大体、朝から
おかしかったもの。
妙に寒いな今日は、
と思ったのですよね。
もうその時からすでに
ひきかけていたのね。

会社に行ったらさ、
妙にマスクしてる人や
咳き込む人が
多かったのですよね。

確実に、
移されましたなぁ
こりゃぁ。


インフルエンザが
流行っているそうです。
フルに罹ると、
会社に来てはいけない
そうですね。

イコール、
会社に来なくても
いいのですよ。

いっそのことフルで
あって欲しいものだと
暢気なことを考えております。

いやいや、危ない危ない。
命を奪う病気であることを
忘れてはなりませぬ。


自戒を込めて、
うがい、手洗いを頻繁に。

「ジギルとハイド」(ABC)という
大いに恐怖を煽る番組を見て
単純にも大いに思いました。


【爆問】感性の法則

2008年01月30日 | テレビ

 「爆問学問 爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)という番組は、ことに芸術論や哲学論の話に及ぶことが往々にしてあるのだけれども、今回ばかりは真正面からの芸術・哲学論。これはかなり気合を入れて観た。期待に添えてかなり面白かったから、満足千万。

 テーマは、ズバリ「美」とは何か。


 そもそも、「芸術」という概念自体が興ったのが18世紀であると言うから、ルネサンス時代に「芸術」なんて無かった、という言い方も出来るわけである。
 何時しか人間は、感性及び威圧として感じ取っていた芸術の中に、その意味というものを希求するようになったのだろうか。
 それはつまるところ、「美」というものが理論立てて説明がなされないと、享受し難いものになってきているのではなかろうか。

 このブログで以前にも取り上げた(→過去の記事はコチラ:2007年8月26日付)、デュシャンの「泉」という作品。これが全く新しい芸術の領域を開拓した一方で、芸術作品とは何を示すのかと言う根源的な議論を巻き起こすきっかけともなった。
 しかしその反面、もうこれ以上「新しい」芸術は生まれないだろうという閉塞的な見方や、芸術という概念をなし崩しにしてしまったという、どちらにしても「デッドエンド」な状況に陥らせてしまったとする向きもあるようである。

 そのスキャンダラスな作品は、1917年に誕生した。
 現代美術は、早90年も、その場で地団駄を踏んでは停滞していたというのか。
 もしくは、ぼやけてしまった「美」という目標地点を再度捜し求める為にうろうろしていたのが現代か。

 そういえば現代美術の流行と言えば、作品自体にではなくそれを作る過程にある、とする風潮を感じる。
 でっかいキャンバスに見立てた白壁に、ボクシングのグローブでペンキをどかどか塗りたくるところを観衆に見せるというショウ。見たことがある人も多いのではなかろうか。


 しかしそういったものに「美」を認めることができないと太田談。なにかこう、1917年以降の芸術には、ゴッホやモネやフェルメールのように直感的な「美」を抱くことが出来ない、というのは自分でも同じ。それらが単に古典的価値を持つと言う以上の、何かがある。
 その「何か」というのは、たとえば「美」を追求しようなどというおこがましい野望を取り払った感性で描いているからではないか、と思える。要は、飾りが無い、目立ちたがらないと言えようか。
 「芸術」という概念、もしくは「ブランド」のようなものに目を眩ます事も無く、淡々と、内より湧き出でたる美への衝動に駆られた結果であるならば、18世紀依然は実に良い時代だったに違いない。


雨って―

2008年01月29日 | 徒然@ケータイ

またお昼から
呑気にケータイより
投稿しております。

いや、
状況としては
あまり呑気には
いられないのだけれども。
夜よりも今の方が、
書く余裕がまだあるから。


雨って、
どうなんでしょうね。

雨の日になると
気性が荒くなる人に
多少怒鳴られましたけど
まぁそれはさておいて。

最近は雨が続く、
と人は言うけれど、
鳥取にいた頃を
思い出したら、
久々の雨だなぁなんて
感覚でおりますよ。

前はね、
雨の日は必ず
といっていい程に

気分下々↓↓

だったのにね。
久方振りの雨も
趣きがあって好いねぇ
などと秘かなる
ヨロコビを感じております。


そんなもんなんだろうね、
人間の心理なんてのは。


嫌なことを今のうちに
経験しといて、
後々になって
少々の困難くらい
余裕で裁けるような、
そんな風になれたら
今もまた好いと思える
かもしれませんわな。


でも苦労は
少ないに越したもんは…。


やれやれ─

2008年01月29日 | 凡日記

やれやれ、
今日も愚痴かい。


家に帰り着いたの
深夜0時ちょい前!

仕事をやってもやっても
片付かないのは
能力の低さか
キャパシティーオーバーか
はたまた何れもか。

こんなんが
これから先何年も
続くことになるんだろうか、
もしそうならば
一刻も早く抜け出でたい。

でも、どうやって。

そんな壁にぶち当たり
悩みもがく合間にも、
また夜明けがやってきて
仕事がたんまりと
待っている。


やれやれ。


「たらみ」は長崎

2008年01月27日 | 食生活

たまには長崎の宣伝を。

「たらみ」のゼリー
ご存知の方も多いでしょう。
あれ、長崎なんでございますよ。
もっといえば「多良見」は
現・諫早市の
ミカン所でございますよ。

というよりも、
まさか「たらみ」が
全国展開しているとは
思わなかったのですがね。
大阪は基(もとい)、
鳥取にも流通しているのには
驚かされましたけれども。

まぁ、何時の間にやら
全国展開していたんだと
驚かされたのは
文明堂のカステラでも
ジャパネットたかたでも同じ。
地元民は、意外と
その事実を知らない。


写真のは
ブルーベリーとナタデココ
をミックスさせた
フルーツヨーグルト。
大好きなものがダブルで
入っちゃって、
これは是非とも食わねばならぬ!
という思いで
買って食べましたとさ。

勿論美味しかったですとも。


自分らしさって

2008年01月27日 | 雑感散文

「誇りとはなんだろう?」

年頭より放送されている
キリンビールのCM
なのですがね。
まず最初に思ったのは、
同じことで悩んでいる人が
こうやってCMを作って
いるんだなぁと
面白がったのですよね。

「そんなのゴミ箱に
 捨てちまえ。」

そんなセリフをきいちゃぁ
余計に誇りを持ちたがるよ。
捨てるのは埃、だ。



「自分らしさとは?」

トヨタのラジオのCMで、
そんな問いかけが
流れていましたね。

「制限時間は、一生です。」

一生掛けても、
そうそう分かるものではなし。

けれども、
それを探すことを
急(せ)いている。



「自分らしさ」とか
「誇り」とかは、
本当は無くても
よいものらしい。
無い方が、
気楽だという。

最近努めて
観る様になってきた
「一期一会 キミにききたい!」
がNHK教育で
放送されているのですが、
その中で出たコトバです。

そしてそれは
贅沢な悩みなんだ、と。



それでも、
追い求めたい
自分を発揮できる生き方。

けれども気がついた。
これまでちゃんと
そのことを、
実は真剣に
考えてこなかったのでは
ないだろうかということを。

それに気がついたとき、
急に自分を見失った。
本当は誇りも自分らしさも
持っていなかったじゃないか、
それなのに
何を守ろうとしているのか。
虚無を死守して
なんになるんだい。

自分を、誇りを、
大事にしたい、
けれどもそれが
手元に無かった、
これはとんでもない
パラドックスではないか。
何故気がつかなかった。


見えない不安に
駆られた今、
心の帳(とばり)が
サッと降りてきて、
ひとりくよくよと
悩んでおります。


大阪から─

2008年01月27日 | 凡日記

はらはらと
雪が少しばかり
舞っていた
大阪でございます。

選挙がありました。
夕方遅くに、
投票所に
行ってまいりました。

2ヶ月前にも、
市長選挙が
行われたばかりですから、
なんだかせわしない
不安定な状況の
都市でございます。

それだけに、
投票する方も、
かなり真剣に
迷いましたね。

しかしながら
投票率は40%ほど。
他の6割は
いったいどうした。


当選された方は、
「行列」でいじられている
その真裏のニュースで、
大真面目にインタビューを
受けているのが
何だか面白かったですね。

大阪から国を変える。
そうか、
大阪も地方か。



※訂:投票率は48.95%


纏まってないけど夢の中の話

2008年01月27日 | 雑感散文

また昼過ぎまで寝てしまった。
寧ろ夕方に近い時間帯か。

夜更かししてしまった
もしくは
金曜にオールしたから
生活リズムが完全崩壊した、
という理由もさることながら。

夢の中の出来事が
すんごく楽しかったから、
アラームが鳴っても
そのまま眠り続けて
しまったのですよね。


というわけで以下より
夢の話をします。

長いよ。


 


夢の舞台は地元でした。
よくよく考えてみたら
色んな土地の風景が
混在したような町
だったけれども、
意識としては
地元だったのですよね。
夢ってそんなモンでしょう。

地元の仲間と遊んだり
フラフラと逍遥したり、
ときに農村や古民家を
訪れたりしていました。
(↑実際に鳥取で
 行っていたことだけど。)


そして夢の最後で、
大阪へ帰る列車の
チケットがとれなくて、
明日からの仕事に
遅刻するぞと悩んでいたのが
目を覚ました後に
可笑しく感じましたね。

夢の中でも
現実に戻ろうとしたところで、
こうして現実に
戻ってまいりました。


 


そこで、二つばかり
考えたのです。

この夢を通しての、
今の自分を。


まず一つは、
無意識な中での
望郷の念の強さ。

大学時代では
あまり帰省したいと
思うことが無かった。
大学がそれだけ
楽しかったのですよね。
だから年に1度しか
帰らなかった。

それに比べて今年度は、
春夏冬と3回も帰省している。
寧ろ
地元に居を移したいと
思うほど帰りたがっている。

夢ではその心理が
顕著に反映されたか。


もう一つ。

今日の楽しみとして
映画館に行って
「アース」でも観たいなと
そういう気分になって
いたのですよね。
ちょいと早めに起きて、
お昼に難波でも
行こうかなと。

けれども、
そんなことよりも
夢の出来事の方が
楽しかったから、
続きを見ようと
2度寝してしまった。

現実よりも、
夢の方が楽しかった
という現れ。

いや、当たり前じゃないかと
言うかもしれないけれども、
自分で驚いたのは、
地元に帰るほうが
楽しいと判断したこと
なのですよね。

そりゃぁ、地元は
心が落ち着くし
思い出も沢山あるから
大好きさ。
けれども、
また大学時代の話だけれど、
鳥取にいるほうが
余程楽しいことで
満ち溢れていたから、
そういう選択は
今までに無かったなぁと
思ったのですよね。



以上の二つを
纏めますよ。

端的に言うと、
今いる場所が
つまらないと考えて
いるんじゃないかと
思ったわけです。

自分としては、
今をもっと楽しく、
自分らしく過ごして生きたいと、
それなりに工夫したり
挑戦したりしている
わけですよ。

けれども確かに最近は、
休日に遠出はもとより
近場への外出すら
怠るようになって
しまった。

そのかわり
寝るときに見る夢が
最近の楽しみに
なっていた。
この事実は、
今ふと考えて
気付いてしまいましたよ。


「 現実 < 夢の中 」

だから当たり前じゃないかと
繰り返し指摘されそう
だけれども、
個人的にはそれは
凄くつまらないと言うか、
じゃぁ現実は何なんだ、
と問いただしたく
なるのですよね。

現実が楽しくなくて
どうするんだ、と。

翻って、自分は
現実に楽しみを
見出せなくなってきている
という危機感を
抱いているのですよ。


もっと、
現実を楽しく思える
そんな活動できだった
自分を取り戻さないと。
1年前までは、
そうだったのだけれどもなぁ。

自分を取り戻す為に、
これから前へ
進むときなのかは。


 


しかしながら、
現実も辛いし
見る夢はナイトメアだし
という方もいらっしゃるかも
しれませんから、
その方に比べたら
遥かに幸せではないか、と
指摘されるかもしれません。

ウム、然り。


そんなことまで考えたら、
結局この文章を
纏めきれなくなっちゃった
じゃないの。


まぁ、好いね。

「 現実 > 夢の中 」

と言えるくらいの勢いで、
今の自分ひいては
仲間が、世間が
楽しくなることを
配慮して生きることが出来たら
素敵である、と言う結論で。


簡単な地図でも─

2008年01月26日 | 凡日記

あれあれ。

ササッと残業を
片付けてくるつもり
だったというのに。

なんだかんだで
結構沢山あったし。

おかげさまで
8時過ぎまで
やってたんじゃんよ。
「探険ロマン」
見逃しちゃったよ。


さすがに、
「仕方が無い」では
済まないぞこりゃ。

もっとどうにか、
効率化と能率向上を
図らないと。


 


早いもので、
もう1月も終わりですよ。

1年も、12分の1が
過ぎてしまったのですよ。

そして、
生活環境が変わって
もうすぐ1年が
経とうともしているのですよ。


ここら辺でいっぺん、
この1年間何をしてきたか、と
いうのを纏めて、
また次の年はどうすんだ、と
いうことを思案して
いきたいと思うのですよね。

今ちょいと、
方向感覚を
失いかけていますから。
簡単な地図でも
描いていた方が
好いではございませんか。


尤も描こうにも
視界不明瞭な中を闇雲に
這うように前へ進んできた
この1年でしたから、
難しいかもしれませんが。

進むべき方向ねぇ。
そんなの、一生懸かっても
定まらぬものでしょうが。

少なくとも
視界を遮る霞を
幾許かは取り除けられたら。


オールでした─

2008年01月26日 | 凡日記

昨日の夜は
会社の若手で集まっての
オールでした。


【オール】(名)

  オールナイト
  夜明けまで酒を酌み
 ボーリングやカラオケで
 遊び倒すこと
  次の日がツライ



えぇ、遊び倒して
午前6時帰宅ですよ。
まだ外は真っ暗で
非常に寒かったです。

でもこういう楽しみが
たまにはないとね。
溜め込んでいたものを
ぶわぁっと
吐き出すことをしないと。

でも、カネも
ぶわぁっと
飛んでいきましたがね。
一晩で7800yen。



さてこれから、
残業を片付けに
また会社へいってきます。


久々にケータイより―

2008年01月25日 | 徒然@ケータイ

ちと遅い、
お昼休憩をとっています。
家にネットが繋がるまでの3ヶ月くらいは、
ケータイから日記
投稿していたのですよね。
その記事データが、
手元に残っていたんで、
懐かしみながら読んで
いたのですよね。

んで、久々に
ケータイより投稿したい
衝動に駆られた
結果がこれなんですね。



6月頃の日記は、
相当に病んでいたのだな
と本人は現在
苦笑しております。

どエライもんを
皆々様方に
公開していたんだな、と。
でもそれは確かに
事実だったのだから
致し方ない。

でも一方で、
その頃よりは確かに
成長してはいるのだな
とは少し思いました。


先の見えない
時分でした。
しかしながら今
それよりも先の地点に
立っている。

きっと今現在の苦しみも、
半年先には
苦笑し懐かしむ
自分がいるに違いない。

そう思えたら、
幾許かの安堵を
得られた心持ちに
なりました。



さて書きすぎて
休み時間を取りすぎた。

これから次の現場です。
外は吹雪!
いざ参らん!


なんでだろうね─

2008年01月23日 | 凡日記

凄まじく仕事が
回ってくるのは
なんでだろうね。

まぁ、皆同じ
なんですけれどもね。
それでも、
俺が一番帰りが
遅いというのは
普通なんかな。
よく分からんとです。

えぇ今日もまた
愚痴ばっかりで
すいませんねぇ。
そして短いね(笑)。


雪が結構─

2008年01月22日 | 凡日記

あぁ、寒い。
寒いはずだ。

大阪から奈良へ行く途中
山を越えるでしょう。
その道中、
雪が結構
降り積もっていたものね。

大分融けてはいたけれども、
2,3日前は
かなりの積雪だったのだなと
伺わせるものでしたな。

それでも、
不肖ユースイ
環境に優しい男になるために
暖房をつけることなく
車を走らせていたのですね。

足元が非常に
冷たくなって
硬くなって、
ブレーキペダルを踏む足に
力が入らなかったのですな。
危ない危ない。


 


家に帰り着いたのは
夜の11時。
昨日より1時間早くて
得したなぁなどと
完全なる「麻痺」を
今ワタクシ煩っておりますよ。

でも、思えらく。
こうやってひとたび
苦労と言うものを
味わわなければ、
些細なシアワセひいては
至福というものを
享受出来ないのでは
なかろうか、と。

まぁ今の心境としては
至福は要らんから
もう少し苦労を
減らして欲しいと
願うのだ。


 


株価の下落が
今激しすぎますね。

いよいよ社内でも
話題となっております。

正直、
だからどうなるんだか
分からないのですがね。

まさか
ブラックマンデーの後の
道を歩むことはあるまい。
希望的観測として。