BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【WH】流氷の下は熱帯の海

2010年01月31日 | テレビ


 今回の「THE世界遺産」(TBS)は、知床でした。

 知床は、2005年の7月に登録。
 登録後は登録後すぐに同番組で知床が
取り上げられていた
のですが、
それとは全然違うものになっているから
大変驚きました。

 当時も2週に分けて
じっくり特集されていたのに。
 1つの世界遺産でも、
2時間では語りつくせぬ奥深さがある
ということでしょうか。



 流氷の下は、荒涼とした光景かとおもいきや。
 とんでもない、それどころか
熱帯のような光景に目を見張りました。

 色とりどりの魚やウニ、ヒトデにイソギンチャク。
 流氷の下は栄養が豊富であることは
知っていたので、多くの生き物が生きているのは
理解できるのですが。

 色彩の豊かさは、何のためだろうか。
 寒々しい時期だから、生きる活力に
芸術が必要だとでも考えたのでしょうか。
 一方で人間界は、経済が寒くなると
真っ先に芸術が駆逐されるのになぁ、
風刺でした。



 5年前より減っている流氷。
 気がつかないけれども、
年々徐々に変わり行く景観。

 今まで知られていなかった光景と、
変わってゆく光景。
 5年という時は、新たな発見や
研究の成果が出るのに十分であり、
環境が変化していくのに十分である
といったところでしょうか。


最後の日付が土曜日の─

2010年01月30日 | 凡日記


人によって理想は異なる。
興味も関心も異なる。
得意分野も造詣の深さも異なる。

だから「大論賛成各論反対」
みたいなことが起きる。
「大論反対」もありうる。

しかしながら、
「大論反対各論賛成」は
ありえないかといえば、
そうでもなさそうだから妙である。

どうしてそこで
思惑が一致しちゃうかなぁと
訝しく思うことも。

大論の意見が一致せぬまま
一緒に突き進んでいいのだろうか、
そんなはずはあるめぇ。


まぁ、何について言っているのかは
敢えて申し上げませんけれどもね。


   


カレンダーを見て、
明日からいよいよ2月か、と
思ってしまいました。

今日は1月30日です。

けれどもカレンダーを見ると、
一番下の週の最後の日付が
土曜日の30日だったから、
そう思ってしまったのですよ。
31日を24日の欄にまとめて
書かれてあるからややこしい。

カレンダーは6段
つまり6週分表示して欲しい
ものだとつくづく思います。

尤も、2月1日が月曜日だったら、
2段分の空白が出来て
しまうという恐れもあるわけです。

世の中トレードオフ、
何かを改善すればどこかで粗が
出てきてしまうわけです。


えぇと、特に
何かに引っ掛けた話ではありませぬ。


図書館稼動実績が─

2010年01月29日 | 凡日記


ツベルクリン反応の結果は
特に異常が無い、とのことです。

よかったよかった。


   


今日支払った市民税を
取り戻すかの勢いで、
今日も図書館に通っては
本を借りまくっています。

今手元には9冊、
借りた本があります。
最近はいちどきにこれだけ
借りることが当たり前のように
なっております。

けれども中には、
結局数ページしか読まずに
返してしまう本もあります。

借りるときは興味があったのに、
長続きしない、飽きやすい。
ちょっと、己の集中力や
興味が散漫してきたかなと
反省しております。

しかし本は数多あります。
そして今月も次々と
新刊本が図書館に入ります。
だから、一寸でも興味が薄れたら
すぐ手放して、次々と
興味の湧いた本を手にとっても、
読む本が尽きることの無いからいいんです。



図書館で沢山本を読んでも、
出版業界は好い事では無い、と
そんな声もたまに聞かれます。

しかしそれは違う。
図書館の利用者が増えれば、
借りる本の数が増えれば、
それだけ図書館稼動実績が
高まるということでしょう。

実績が高まれば
じゃぁサービスの拡大、規模拡大と
いった按配になるでしょうよ。
そして予算の増大、
つまりそれは書籍の更なる購入。

尤も素人ゆえ、そう単純縄には
いかないぞという反論も有りましょうが。
しかしながら強ち間違いじゃあるめぇと、
図書館の更なる充実と
出版業界の「復興」を願って
本を借りまくるのでした。



ちなみに、今日借りたうちの一冊は、
出版業界に現状や問題に関する
本でございます。

その話はまたおいおい。


何年経たら「伝統」─

2010年01月28日 | 凡日記


昨日のツベルクリン反応検査。

左腕の、注射された近辺が
微妙に膨れてきたのですが。

大丈夫かなぁ。


   


民俗学関連の本を
今立て続けに読んでいます。

大変面白いのです。
これまで当たり前に思っていたことを
疑うというのは。

日本の「常識」や「伝統」
とされているものについては
成る程今一度検討を要するな、と
思うのでありました。

しかしながらワタクシは以前から
このことについて考えたことがあります。



学校の「伝統」というものを
学生時代から疑っておりました。

ワタクシが中学、高校時代に
通った学校は、
自分が生まれた後に出来た
新しい学校だったのです。

だから当時は創立たかだか十数年。

だのに、体育祭の伝統だとか、
卒業式の伝統行事だとか、
そんな「伝統」を押し付けられて
堪らんと思っておりました。

たかだか十数年前に、
当時の生徒か先生が、
思いつきでやってたやつでしょうよ。
勿論そうではない、真面目に
議論を重ね試行錯誤紆余曲折で
決めたものもありましょうが。

ただ、これは逆の立場でも言えます。
自分たちの世代で勝手に
思いつきでやった活動が、
今も尚「伝統」として残っていたら。
そういう可能性もあるわけです。
それは一寸、後輩に
申し訳ないなと思ったりします。



そして以下の如く、学生時代は
「伝統」について疑っていたのです。

「伝統」という言葉を安易に
使っていいものだろうか。

「伝統」は何年経たら
「伝統」たらしめるのだろうか。

「伝統」の始まりは、
ひょんなことだったり
ふざけたことだったり
ではなかろうか。



もっとも、新しい学校の「伝統」と
民俗学が取り扱う「伝統」を
一緒くたに論じることは
出来ないのですがね。

けれども、まま外れたことでは
ないなぁ、と思うのでした。


1.5─

2010年01月27日 | 凡日記


月曜日の健康診断ですが、
身長測定や視力検査も
勿論行ったのですね。


視力は、
左右ともに1.5でした。

一昨年の健康診断では
視力は0.5にまで落ち込んでいました。
今回は、驚異的な回復です。

長時間のパソコン作業から
開放されたおかげです。
けれども、それだけで
視力って回復するもんなのですね。

目の治癒力に驚嘆すべきか、
パソコンの弊害に驚愕すべきか。


身長の方は驚愕。
4年前から、
年1ミリのペースで
身長が縮んでおります。


 


そして本日も朝っぱらから
健康診断を受けた病院に
行きました。

ツベルクリン反応検査の
注射を打たなければ
いけないそうでして。

したらば午前中の病院は、
特にお年寄りの方が多い
ということに驚きました。

普段、病院は午後に行くことが
多かったものですから。
午前中はこんなにも
賑わっていたのか。

病院も一つの、
交流のための空間なんだろうな
と思う次第でした。


ついでに言いますと
町の病院存続問題は、
単に医療体制の確保に
留まるものではないのだろう
と感じたのでした。


眼球が醤油の味を─

2010年01月26日 | 凡日記


大変奇異に感じられるやも
知れませんけれどもね。

本日、のりご飯を食べたのですよ。
パリッパリの味付のりに
長崎の「あまくち」醤油をつけて、
ご飯の上に乗っけて巻いて
食したわけであります。

その時、のりがあまりにも
パリッパリである故、
パリッと裂けたわけですね、のりが。

したらば付けたあまくち醤油が
弾け散ったのでありますよ。
それが運悪く左目に入りましてね。

あれ、醤油の味がする。
左の眼球で、味を覚えたのです。

いや、そりゃまぁね、
何かの間違いだとは思いますよ。
醤油が飛び散ったと頭の中では
分かっているわけですから、
目に入った瞬間の痛みが、
味覚と相まって錯覚したんだと
考察されるわけでありますよ。

しかしながら暫く痛みを分析しても、
矢張り醤油の味がする。
眼球が醤油の味を判別している。



早い話が、もう一度
醤油を目の中に入れてみりゃ
いいじゃないかと言う方もおりましょう。
のぼすんなさ!

真似はなさらないでね。


みかんを食べる機会が─

2010年01月25日 | 凡日記


今日のニュースで気になったことは、
みかんの消費量が落ちているというものでした。

それはコタツの売り上げ数の低下と
相しているとのことでした。なるほど。

LDKやエアコンや床暖房が、
コタツ文化を追い出してしまった
ということでしょうか、それに追随して
みかんを食べる機会を逸してしまった、と。

もう一つの理由として、
季節外の果物がいつでも手に入るように
なったからということでした。
つまり、冬はみかん独走だったのが、
イチゴ等のハウス栽培や
柿などの真空パックに猛追を
かけられているとの事でした。



しかしながら、最後に挙げられた
みかんの消費減の理由が
どうも解せないでいます。

「剥くのが面倒くさい」、と。

剥くときに爪が汚れるとか、
爪に詰まるのが嫌だとか、
そういう理由ならまま分からなくも無い。

しかしながら、単に剥くという行為が
面倒であるというのなら、
どんだけ怠慢なんだと疑ってしまいます。

それを言うなら、リンゴやナシのように
刃を使って剥かなくてはならない
果物に比べると、遥かに剥きやすいのでは
なかろうかと思惟されるのですが如何でしょうか。

更に言えば、みかんでさえこうなのだから、
他の果物も同じく「面倒くさい」という理由で、
敬遠されているのではないか、と考えられるのです。

みかんの消費量の落ち込みを越えて、
果物全般の消費量の方が
気になってきた次第でありました。


   


今日は健康診断を受けました。

血を見るのが極端に苦手な私は
採血検査で案の定
体調が芳しくなくなりました。

いやはや、大変お恥ずかしい。
今回は恥ずかしさの方が勝(まさ)って、
具合の悪さはすっと治って
事なきを得ましたけれども。

色々とご親切を賜ったのを
感謝する余りに書いた次第です。


みどりい 【緑りい】〔形〕(造語)

2010年01月25日 | 雑感散文


「こん緑かとば使うけん」

 と、長崎弁を発してふと気がついた。
 「~か」は形容詞の修飾である。
 標準語で言ったら、「~い」であり、
例えば「赤い」「黄色い」といった具合である。

 この要領で上記の長崎弁を標準語訳すると、
「この緑りいのを使うよ」になる。

 「緑りい」、「みどりい」という
形容詞なんて標準語には存在しない。
 「赤い」や「青い」はあるというのに。

 それならば「黄い」や「茶い」も
無いではないか、と言われるかもしれない。
 けれどもそれらは「色」を付加すれば、
「黄色い」「茶色い」と形容詞が成立する。
 しかし「緑色い」は無い。
 考えてみれば、実に奇怪なことである。

 何故、緑の形容詞は無いのか。
 察するに、昔は緑色も「青」に
含めていたからではないか。
 今でも、青信号や青々とした木々という
表現にその名残がある。だから緑の形容詞が
必要とされなかったのではなかろうか。



 いや、実は緑の形容詞が無いことには
前々から気付いていたし、上記のような
理由で無いのだろうということも既に考えていた。

 だからいつか、この「緑りい」を
創作日本語として、ちょいちょい使って
やろうかなと画策していた所だった。

 「緑い」や「緑りい」という表現については、
ネットでそれぞれ検索してみると、既に
使っている人を見つけた。
 成る程、矢張り気になる人は
気にかけていたもんだ。

 ところが、一番最初に緑りい字で書いたように、
方言では「緑」の形容詞が既に
あるということに気がついたのだ。
 このことについてを言及した文章は、
ネットで軽く調べた限りでは
発見することが出来なかった。

 これはひょっとすると、方言を研究する上では
大事な発見なのではなかろうか、と
一人勝手に盛り上がっているのだが、
深読みだったろうか。
 ちょいと専門の方がいらしゃれば、
ぜひとも伺いたいところである、
という思いで書いた。如何でございましょうか。


 


 ちなみに。
 日本語は色の形容詞に関しては
乏しいものがありますが、一転して
色の名詞に関しては、世界に類を見ないほど
大変に多彩であります。

 参考に以下のサイトを紹介します。
  →「和色大辞典」


翁の「しば」刈りは何ゆえ

2010年01月23日 | 雑感散文


  むかしむかし、あるところに
 おじいさんとおばあさんが
 住んでいました。

 ちょいと難しく言えば、
今は昔、翁と嫗ありけり。
 でもこれじゃぁ「竹取物語」に
なってしまうから好くない。
 今回のお話は、「桃太郎」でござる。

  おじいさんは山へ「しば」刈りに、
 おばあさんは川へ洗濯に行きました。

 …「芝」なんか刈って
どうすんだろうか、なんて事を
幼い頃は考えていたものです。
 要するに「ふるさと」の歌詞で
「兎おいしい」と聞き間違える類の
勘違いです。



 さぁ大人の皆さん。

 何故おじいさんは山へ
「しば」を刈る必要があるのか、
説明できますでしょうか。

 その前に、「しば」とは
一体何か分かりますでしょうか。

 ひょっとすると、これらのような
ごくごく簡単な昔話でさえ、
実はよく理解していない所が
あるのではないだろうか、
はたまた勘違いしたままの箇所が
なかろうか、と思ったのです。

 「舌切り雀」はそもそもスズメに
舌があるかどうかご存知ですか。
(念のために今調べたら、ありました。
 あったんですね、失礼しました。)
 「赤ずきん」は何故「頭巾」を
被っているのですか。

 更に言えば、世代によって
昔話に対する細部のイメージに
違いがあるのではなかろうか
とすら思う節があるのです。

 「さるかに合戦」で、
「うす」は何者だ?と思う子供が
いてもおかしくないわけでしょう。
 「ツルの恩返し」では
おつるさんは「旗」を織っていると
思っている子供もいるかもしれません。
 逆に「一寸法師」は我々よりも
上の世代でないと、その法師の大きさが
ピンと来ないかもしれません。

 昔話に対するイメージの違いや、
誤解や勘違い。
 このあたりを調べることが出来たら
実に興味深いことが分かるのでは
なかろうか、と思惟されるのですが。
 如何でございましょうか。


【ブラ】「立ち入り禁止」の先

2010年01月22日 | テレビ

 昨日の「ブラタモリ」(NHK)は「浅草」でした。
 今日、録画していたのを観て感動しました。
 感動したとは大げさな。でも、
本当に感動したのだから仕方が無いのです。

 実は浅草へは去年、立ち寄りました。
 その時の様子をブログ3に書いております
 ぶらぶら逍遥した記事を書いておりました。
 んで、当時はまさか「ブラタモリ」が
レギュラー放送化されるとは思っていませんでした。
 だから「ブラカヤキ」という名前なんか付けています。

 そんな浅草逍遥の中で、仲見世の通りの途中に
「立ち入り禁止」と書かれたお寺があるのを
気にかけていました。
 「立ち入り禁止」と言われれば、余計に
入りたくなってしまうのが人の性でしょうか。

 けれども、他に入口はなし、
その敷地内を覗き見るような場所も
見当たらなかったものですから、
あえなく見学を断念しました。
 そうそう見学できる所では
なかったそうですね。

 ここからが「ブラタモリ」の真髄。
 「立ち入り禁止」の門が簡単に開き、
今の東京には殆ど残っていない庭園がありました。

 その庭園の美しさに感嘆の声が漏れます。
 更に借景として浅草寺の五重塔と本堂が。
 これが都会のど真ん中にあるのですから、
もう驚きを通り越して、はぁとため息すら漏れます。

 さぁ、この感動をどれだけの方に
共感していただけたかは甚だ不明ですが。
 個人的には「立ち入り禁止」の先にある世界が
想像以上の美しさであったことに感動したのです。


古代ローマの─

2010年01月21日 | 凡日記


池上彰さんのニュース解説が
分かりやすくて役に立って好いです。

だもんで大学時代のニュースは
専らNHKの「週刊こどもニュース」を
観ておりました。


そして今日テレビを観ていたら、
池上さんが色々と解説をする
番組があって、見入っておりました。
(いつもは「ブラタモリ」を観る時間ですが、
 録画して明日見ることにしました。
 だもんでそのことについてはまた明日。)
様々なニュースの解説の中で、
面白い指摘をされていましたね。

アメリカ兵の中には、
アメリカ国籍を持たない兵士がいる。
彼らは、アメリカの永住権や
年金需給や選挙権を得るために、
戦場に赴いているのだといいます。

あれ、それって…。
古代ローマの、兵役と同じじゃないですか。
非占領国の住民はローマの市民権を
得るために兵役についた者が
多かったという史実。

歴史は繰り返すというべきか、
不変であるというべきか。
故に歴史を学ぶ意義があるのでしょう。


   


今日(暦では大寒)の気温、長崎は
20度とまではいかなかったですが、
結構春並みに暖かかったです。

急に暖かくなったと思ったら、
明日はまた急に冷えるそうですよ。

皆々様も体調にお気をつけ下さい。

月曜日の健康診断まで
風邪をひかぬよう気をつけなければ。


エラーばかり─

2010年01月20日 | 凡日記


ブログ1で動画を
アップしたかったのですが。
またしてもエラーばかり。

致し方ないので、ブログ4を
利用して公開することにしました。

去年も、動画のアップで
エラーばかり食らっていました。
今年も改善されぬか。
しかも新年早々別の問題も起きるし。
動画に関しては、別のサービスに
乗り換えざるを得ないかな。


 


まぁ、とりあえず
今年最初の「1分動画」を
お楽しみ下さい。

そして近々、ケータイの買い替えを
予定しておりますんで、
画質の悪さは今回が最後、の予定。

これまでの動画はこちら。
 →「WEB蚊焼湧水」動画まとめ


健康診断の日程が─

2010年01月19日 | 凡日記


健康診断の日程が決まりました。
来週受けてきます。

今度は、血液検査があるからなぁ。
早くも憂鬱な心持であります。


 


健康診断は、
採用時に必要な健康診断書を
得るために行くものです。

えぇ、つまりは
来年度、つまり今年の4月から
新天地で働く運びとなりました。

実は前の職場の人には
報告済みなのですが、
ブログ上や大学関係者への
報告はまだでした。
どうもすんません。

前の会社を退職して1年。
無職の1年間を挟んで果たして
「転職」といえるのかどうか
心もとない所ですが、
一応、転職する運びとなりました。

今度こそは、森林科学の専攻が
活かせる職場である、と
期待する次第なのです。

詳細はまだ控えたいと思います。
まぁ、またおいおい、
報告していきたく思います。


解いてみよう─

2010年01月18日 | 凡日記


センター試験の問題が
昨日と今日の新聞に
載っていました。

よし、また今年も解いてみよう。

大学に入って以降続けているのですが、
己の学力が下がらぬよう
毎年時間が有るときに
このセンター試験を
解くようにしております。

英語のように、
年々点数を上げているものもあります。
逆に、数学のように
年々方程式の忘却を
目の当たりにする現実もあります。

まぁ、数学の公式なんざ
個人的にはどうでもいいんだ。
問題は生物なんだ。
高校時代はとにかく生物一本を
頑張ってきた人間だから。
生物に懸けることで、
英語の失態をカバーしたり
校内で個性を出してきたのだから。

そんなこといって、去年は…。

2006年の日記には、
生物は72点だと書いておりました。
入学した年の、
93点には遥かに及ばず。

そして去年の日記に点数は
書いていなかったですが、
その点数は…66点!うわぁ!
ついでに地理は56点!撃沈!

今年はどうなることやら。
去年の自分は越えたいと
願いつつ、空いているときに
解いてみたいと思うのです。


   


去年の自分を越えられた、と
少し思った瞬間があります。

去年の1月に読んでいた本で、
何回のために途中で投げ出していた
本がありました。
それを1年振りに借りて、
また読んでみました。

すると、驚くほど
すらすらと読める。
全部が全部理解しながら
読み進めている訳ではないのですが、
でもかなり速いペースで、
割と楽に読むことが出来ました。

よかった、
中身の方はどうやらちゃんと
成長しているみたい。

一方で身長の方は
年1ミリずつ縮んでいる模様です。
これも現実か。


話したいことを明確に─

2010年01月17日 | 凡日記


朝方はどうも氷点下まで
気温が下がったらしいです。

トイレに行きたくなって
目覚めたくらいでしたからね。

脳は暢気にウトウトしていても、
腎臓や膀胱の方はじっと
耐え凌いでいたというところでしょうか。

眠っているときは、
脳は休んでいるらしいけれども、
心臓はもちろん他の器官は
相変わらずせっせと働いているわけでしょう。

そんな当たり前のことを、
今一度認識しないと
いけないのだろうなぁと思いました。

認識した上で健康への意識が高まる。
また、身体に意識が
生かされているのだと知る。

脳が指令するばかりが身体ではない。
身体のご機嫌を伺いつつ
身体と共生していくことが
大事なのだろうと思った次第です。


   


さて、上の文章を書き終えた後
簡単に推敲して驚きました。

なんだこれは。
学生のコピペレポートみたいな
つぎはぎの文章。

今ご覧頂いている文章は
修正を加えて少しは直した
つもりではいるのですがね。
修正前は極端に言うと、
「朝の尿意」=「身体は不眠不休」
というヘンな論理を書いておりました。

頭の中では流れるように
思いついたまま何の滞りもなく
書き続けていたのですがね。
ごく自然の話の流れと思い
書いてしまったら実に支離滅裂。



もっと驚いた、というか
怖いなと思ったのは、
もしかして自分は普段
人に対してこんな具合で
話をしていたのかな、ということです。

自分の中ではある主題があって、
それに沿って話を進めているつもりです。

けれどもその主題の説明が欠けていた。
説明していても相手に伝わらなかった。
いやそもそも主題自体がぼやけていた。
極端な場合は主題を設定し忘れていた。

うぅむ、これではいけない。
もう少し、話したいことを明確に
定めた上で人と話をしなければ
ならないなぁと思いました。
勿論、文章を書く上でも。
…明日から早速破りそうですがね。