いつもこのブログで、「自分らしさ」とか「自分の時間」を求めて、悩んでいるということを書いていますでしょう。
でもそんな自分を戒めるような、あるコラムを、今日の日経新聞で見つけました。
「若者よ『自分探し』はやめよ」という、かなりストレートな戒めオピニオン記事でした。
要約すると、自分らしさを求めた生き方或いは働き方は贅沢である、またそれは社会と自分を一線に画するもので、社会に自分を晒すことを恐れていることの現れである、という意見でした。
自分らしさは贅沢病。これは大変にごもっともであると思いました。
会社には大学時代の専攻、もしくは分野とは異なった、「畑違い」の人もいる(寧ろ多いか)。でも自分はどうだ、専攻と多くを合致させているではないか。これ以上の幸運はあろうか。
更に、就職したくても叶わずに苦戦する友もいる中で、大阪という都会で仕事をもらっているという恵まれ様に何の不満があろうか。
そう、自分で悩んでおきながら、今度はこの贅沢な悩みを抱える自分の傲慢さに腹を立てたりすることもあるんです。
贅沢な悩みとは重々承知なのです。それでも自分探しを辞めないのは、やはり行き着く先があると信じて疑わないからです。
世の中にはわずかながら、自分のやりたいことと社会貢献を両立させている人もいるのです。
同じように自分も、やりたいことが社会貢献ないしは利益に繋がれば(利益だけじゃ勿論ダメ)よいではないか、だから自分の本当に果たしたいことを求めて行きたい、と強く思うのです。
だから暫くは社会の中に身を置いて、修行のつもりで働きつつ、自分探しを続けて行きたいと思うのです。
故に、このコラム筆者の先生に逆らって、敢えて「贅沢」を追求させていただきますよ。
…記事は大衆向けですから、お前さんは例外的な人間なんだよと言われればそれまでなのですがね。寧ろ昨今の「フリーター漂流」への戒めと捉えたが自然な記事でしたか。