BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

ChatGPTに、危惧を表明してみよう

2023年04月16日 | 雑感散文

 ここ3日間、金土日と、
テレビやネットのニュースでは
「ChatGPT」が話題になっていました。

 そこで今、興味本位で使ってみます。

 質問は、以下の通り。
「日本の政府与党はChatGPTを積極利用しようとしています。
 その危険性について、なにを一番危惧していますか?」

 それについてAIくんの回答は、以下の通り。



 しょっちゅう質問される話なのでしょう。
 割とまとまった回答が提示されました。

 しかし文章を分析してみると、
いくつか疑問が湧いてきます。
 以下に挙げてみたいと思います。


①情報操作やプロパガンダの可能性:
 「ChatGPTを利用して、人々の意見や行動を操作することも可能です。」

 →「可能」だそうだ。回答の傾向を統制することによるのだろう。
  問題は、それがユーザーによって可能なものなのか、
  運営会社のみ可能なのか。


②個人情報のプライバシー侵害:
 「ChatGPTを利用することで、多くの個人情報を収集することができます。」

 →できるそうだ。
  そもそもChatGPTを利用するには、電話番号を登録しないといけない。
  個人情報を書き込まないのは当然だが、些細な会話でも積み重ねれば
  おおよその住所、年齢、趣味、政治思想、預金額が把握できる場合もあろう。


③技術的な偏見:
 「データに偏りがある場合、偏見を持った意思決定を下すことがあります。」

 →ここが少しわからない。
  そもそも「データ」とは何か。ユーザーが提供する情報の事か。
  または運営会社が入力するものなのか。
  つまり、偏ったデータを入力できるのは、誰なのか。
  誰にもできないのであれば心配無用、と言いたいところだが。
  入力できるバグが発見されれば相当に危機的な状況ではないか。


 …まぁ、懸念は山ほどあるわけですが。

 ただ、使っていくと、とっても楽しい。
 もうしばらく遊び倒します。これはハマる。


自分視点の県知事選公約比較表

2022年02月06日 | 雑感散文

 いつも選挙前には
各候補者の公約を
じっくり比較検討します。

 今回は長崎県知事選です。
 いつものとおり、
わたくし独自の重点政策を選んだうえで
比較してみましょう。

(画像はツイッターで上げたものと同じです。)



 比べてみるのは、

 1)農林水産業
 2)文化事業
 3)文化財保護
 4)教育政策
 5)環境問題

 の5点です。
 喫緊の課題である新型コロナ対策や
とくに重要政策である長崎新幹線、
佐世保IR、石木ダムは、すでに各媒体で
採り上げられていますので、ここでは割愛。

 3については、誰も言及してない、と。
 いまは県北で水中文化遺産の
保全に関する取組とか進んでいるんですけどね。
 特に、文化的なものについてはもっと
言及して欲しいところです。

 長崎ほど歴史文化の地層が
堆積しまくっている地域は無い、と
勝手に思っています。
 だから、それらを生かした
研究や観光に注目が集まればいいな、
と思います。
 候補者だけでなく、投票者も
ぜひ一考を。

自分視点の衆院選公約比較表

2021年10月24日 | 雑感散文



 来る衆議院議員選挙における
自分が重視する政策に絞っての
各政党の公約を比較する表を作りました。
(ツイッターに上げたものと同じです。)



 わたくしが重視する政策は、

1)地域振興

2)農業政策

3)林業政策

4)森林保全・管理

の4点です。

 ただし、これらのテーマは概して
関連性が強かったりしますので、
1・2と、3・4の二つに
大きく分けるものとします。

 各政党のHPおよび
PDFファイルにて公開している
公約・重点政策・マニフェスト等を
閲覧しました。

 これ「だけ」を見れば、
わたくしが投票する政党はおのずと
3~4つに絞られるわけですが。
 ほかの論点も見比べたうえで、
検討すべきかと、考えます。

2回目の接種が完了

2021年10月09日 | 雑感散文

 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)
のワクチン2回目の接種が完了しました。

 新型コロナに係る出来事は、後で振り返れば
大きな歴史的出来事として捉えられるでしょう。
 自分もその(極々)一部を体験した身として、
今回の件はしっかりと書き留めておきたいと思います。


【ワクチン】
・ファイザー製「コミナティ」

【1日目】
 2回目接種当日。
 会場には30代以下の若い人ばかり。
高校生の姿も多くみられた。
 東京では若者の集団接種会場は大混乱なのに
全年代の集団接種会場は枠が余りまくりという
どっちなんだ?状況が伝えられている。
 翻って長崎の田舎はそのような混乱がなくてよかった。
 開始が全国に比べて遅かった分の見返りだろうか。

 接種直後は何ともなかったが、
1時間ほど経ってから筋肉痛が現れる。
 しかし腕が上がらないほどではない。
 就寝前の体温は37.4度。
 具合は悪くない。

【2日目】
 起床後の体温は37.7度。
 気分はそれほど悪くはなかった。
 朝食も普通に食べた。

 ところが昼前から具合がどんどん悪くなった。
 吐き気はしないのだが、頭痛や眩暈を感じた。
 昼を過ぎると体温は38.5度に上昇。
 本なんて読めた状態ではない。ましてや
スマホなんて持つ気にもなれない。
 首や足が痛い。関節痛だ。
関節痛は発現率10-50%とあったから、
これも想定内の症状だ。

 それにしても接種した腕よりも
膝や脹脛(ふくらはぎ)が痛いとは
どういうことなの!?と思いながら横になる。
 しかし横になるとますます首が痛い。
 そのうち眼球の奥底から痛みを感じるように
なってきた。肩も凝ってきた…肩凝りは持病。

 結局昼食は摂らず、夕食も少なめ。
 それでは栄養不足なので、ゼリー状の栄養剤を飲む。
 就寝前は37.7度。
首が痛くなるので寝るのも嫌だったが
無理やり布団で横になる。当然眠れず。

【3日目】
 寝不足の状態で朝を迎える。
 具合は良くなっていたので、
寝るのをあきらめて前日の新聞を読んでいた。
 体温は36.8度まで下がっていた。
 朝食も普段通りに食べれた。
 筋肉痛も関節痛も無くなった。


 2回目のワクチンを打った結果、
良く言えば、副反応で苦しんだのは1日で済んだし、
他の人が言っていた(ツイッターのフォロワーが
書いていた)ように熱が40度とか
吐き気をもよおした程には至らなくて済みました。
 まぁ、報告されていたとおりの症状に
自分も例外なくなってしまったということです。

 さて、副反応は今後2週間以内にも
再度発症する例もあるそうなので、
引き続き自分を経過観察します。

文化の日に、トルコ沖地震の文化財への被害を憂う

2020年11月03日 | 雑感散文

 10月30日、トルコ西部のイズミル沖で大地震が発生した。
4日経ち、徐々に被害の詳細が報じられつつある。
 被害は甚大だ。イズミルの中心地ではビルが崩壊し、
多くの死傷者が出ているという。

 また、沿岸の港町クシャダスなどが津波被害にあったようだ。



 2016年9月、沖合に浮かぶギリシャ領サモス島へ渡るため、
クシャダスを訪れていた。ここは露店のカフェやバーが並ぶ
賑やかな観光地だ。
 正直、ここで津波が発生するとは思えなかった。
内海だし、海も大変穏やかであった。その内海が
ピンポイントで狙われたように震源となってしまった。

 今は人命救助が最優先で、次に被災者への住居援助等が
優先されるのは当然だ。
 それから街の復興という算段となろう。建造物の再建や修復、
そして観光資源の復興。
 ここで気掛かりとなるのは、今回の震源にほど近い所にある
2つの世界文化遺産だ。



 そのひとつは、古代ローマ遺跡のエフェス(エフェソス)だ。
イズミルのメイン観光地といえるだろう。
 エフェスは古代ギリシャの植民都市であり、
アカイメネス(アケメネス)朝ペルシアの支配、
そしてアレクサンドリア大王の侵攻を経て、
古代ローマの都市として栄えた。



 もう一つは、先に述べたギリシャ領のサモス島にある
ピタゴリオとヘラの神殿だ。
 地図を見ると、なぜサモス島がギリシャ領なのかと思いたく
なるのだが、トルコ自体がペルシア帝国やローマ帝国になったり
オスマントルコになっては十字軍と対峙したり(貿易したり)と
歴史的にややこしいから、尚更わからない。



 日本では知る人ぞ知る、ピタゴラスの出身地だ。
これにちなんで「ピタゴリオ」に改称された小さな港町は、
世界遺産の登録範囲に含まれている。
 ピタゴリオとヘラの神殿は島の南東側にあり、
震源地である北側の沖からの津波は免れたかと思われるが、
被災状況はまだ伝わってこない。

 島の北に面する町では残念ながら死傷者が発生したという。
世界遺産ではないもののギリシャ正教会などが倒壊した。
それを言うなれば、フェリーの発着場であった対岸のクシャダスにも
要塞などの文化財が多数存在し、その被災状況も気掛かりだ。


 先に述べたように今は人命救助が最優先だが、
長い目で見て文化財修復も被災地の復興として重要なことだ。
 今の時点では文化財の被害状況は正教会の件しか
承知していないが、もし被害がほかの文化財にも
及ぶ事態となれば、修復のためにトルコやギリシャ以外の国も
支援を積極的に行う必要があると考える。

 ただでさえコロナ禍による観光客激減の中での
大地震は大きな痛手だ。復興を祈念したい。





プラスチック包装の是非について

2020年08月01日 | 雑感散文

 先日、高校生が菓子メーカーに対して
プラスチックの包装をやめるよう
署名運動を行って提出したことが
話題となり、ツイッターではイキった大人たちが
やんややんやと批判していたのを
みっともないと思いつつも静観しておりました。

 これだから大人たちは「老害」だと言われるんだよ。

 しかし、ツイッター上の意見がだんだんと
萎んできたというか早くも過ぎ去った話題になって
来たので、ここで一つどんな意見があったか
そして自分はどう考えているかをまとめておこうと
思うようになりました。


●脱プラ化の流れをもっと応援してほしい

 高校生たちよ、ちゃんと脱プラ化を図っている
お菓子メーカーもあるんですよ、そこにもっと
注目してもらいたい。
 そして、紙箱のお菓子もよく見れば、
「FSC」認証された木材原料を使っている
メーカーもあるのです。
 ちゃんとやっている企業を、もっと
褒める運動もしてほしいな。


●社会に問題提起することも社会勉強だ

 大人たちよ、高校生が社会に対して
声を上げることが駄目だというのなら、
何で18歳の選挙権を認めることに
反対の声を上げなかったのか。
 所詮は、自分の意見に与しない意見は
年上マウントをとって杭叩きしたいだけだろう。

 特に多かった意見は、
「なぜ周りの大人たちは止めなかったのか」だ。
 止めなかったのではなく、実際にやってみて
世間はどんな反応を示すかという
一種の社会実験を高校生たちに試させてあげた
と考えることもできるのではあるまいか。

 この問題提起の結果、反対派の意見を聞いて
「プラスチックの包装も利点があるのだな」
と思ってくれればそれでいいではないか。

「世の中にはマウントをとりたがる老害が
 たくさんいるのだな」
という実に興味深い結果を高校生は
学んだことであろう。


●結局、プラスチック包装は善し悪しだ

 そもそも、プラスチックは「善か悪か」
という二元論に持ち込む議論こそおかしい。
 その考え方を持っている人は、
高校生だろうと大人であろうと
考えを改めていただきたい。

 プラスチック包装は食料の長期保存に
適しているのは間違いない。
 一方で、二重包装など過剰な部分を
減らせるところは減らしていいだろうと
考えることもできるが、紙よりも軽いから
輸送コストを考えるとどちらが良いか、
という考え方もできよう。
 要は、ケースバイケースなのだ。
 都度、最善の方法を選べばよいのである。
どちらがいい悪いの二元論は、捨て去ろう。

 あと、紙は森林伐採につながるから
悪である、という半世紀前の考え方を
持ち出す大人はそろそろ最近の情報を
アップデートしていただきたい。


「自分の重点政策」で絞る県知事選

2020年07月11日 | 雑感散文

 先週の日曜日(7月5日)に、都知事選が終わりましたね。
 ネット上では、特攻服の候補者やおむつ一丁の候補者を
いじるので大いに盛り上がった。
 しかし「投票率は今一つ」という論評が目立つ。
 結局「女帝」が次点を突き放し、史上2番目の得票をもって
当選したというから、投票率が上がったからと言って
ひっくり返せるものではなかったろう。むしろ史上最多得票の
花を添えるところだったのではないか。

 兎にも角にも、都知事選はこれで一応の結果を見た。
 次は、鹿児島である。

 なんだかんだ言って結局は注目される都知事選とは違い、
県知事選は全国ニュースからは何かと蔑ろにされがちだ。
 せめて地元のマスコミが盛り上がってくれれば、と思うのだが
生憎のコロナクラスター発生と豪雨災害のせいで話題は持ち切り、
選挙カーも自粛しているためか見かけることはない(鹿児島市内では
事情は異なるのかもしれないが)。
 普段は煩わしい選挙カーも無ければ無いで盛り上がりに欠ける
(…と文句を言うクソ有権者の鏡)。

 さてここで、4月に鹿児島へ越してきたばかりの自分は、
何をもって投票の判断をするか。「選挙公報」だ。
 しかし漠然と読んでいるだけでは、論点は各候補ばらばらだし
略歴や某団体所属とか書かれていると、その偏見に引っ張られてしまう。

 そこで、「自分だったら何を重点政策に置くか」ということを考える。
 そして自分の重点政策に近しい候補者はだれか、というアプローチの
仕方で候補者を決めてみるのはどうだろう。
 ただただ候補者のマニフェストにケチつけるんじゃなくて、
自分だったらどうしたいか、という主体性をもって選択することが
選挙では大事なのではなかろうか。


 では、ワタクシが考える重点政策とは何か、そして候補者に求めたい
情報はどんなものか、書きだしてみることにしました。

 なお、昨今のコロナ禍における感染対策は当たり前の最重要政策である
ことから、ここでは割愛することにした。また、選挙の告示は九州豪雨の
前であったから、災害対策についても対象外としたので悪しからず。


 ①電力エネルギー確保について
 ②農林水産業について
 ③芸術・文化事業について
 ④世界遺産(屋久島、奄美大島(申請中))について
 ⑤鹿児島県との縁は


 「世界遺産なんてお前の趣味だろ!」なんて声が聞こえてきそうだが、
世界遺産を2つ持つ(予定)の県としてその責務は大きいし、
世界遺産とどう向き合うか、世界遺産について巷では誤解偏見が多々見られるので
それを是正する、または偏見の圧力に臆することなく保護管理していくことは
とても重要なことだと思っている。だから挙げました。

※7/12 補足訂正
 ここでいう世界遺産とは、「世界自然遺産」を指しています。
 世界文化遺産を含めると、「明治日本の産業遺産」があるので、
屋久島、奄美(予定)、産業遺産の3つということになります。


 さて、「選挙公報」を手掛かりに、各候補者はどう「答えて」いるのか、
下の通り書き出してみることとしました。

 なお、候補者名は伏せています。鹿児島在住じゃなくても、
誰がよさそうか、選んでみてはいかがでしょうか?


A氏
 ①原発即停止・廃炉
 ②-(言及無し。以下同じ)
 ③-
 ④-
 ⑤鹿児島県出身、県内在住


B氏
 ①脱原発
 ②万全の対策
 ③スポーツ施設整備
 ④奄美高速道建設
 ⑤鹿児島県出身、県内在住


C氏
 ①原発から自然エネルギーへ
 ②環境保全型農業、ブランド育成
 ③文化を創る
 ④-
 ⑤県外出身、県内就職


D氏
 ①再生可能エネ導入促進、蓄電池普及促進、原発延長は厳正に対応
 ②農商工連携、ブランド一層の確立
 ③郷土教育の充実、街づくり、振興
 ④-
 ⑤鹿児島県出身


E氏
 ①原発早期脱却、自然エネ開発
 ②魅力ある農畜水産業確立
 ③国際イベント世界発信、活動支援
 ④-
 ⑤-


F氏
 ①-
 ②視点の発展
 ③-
 ④-
 ⑤鹿児島県出身、県内在住


G氏
 ①原発MOX使用反対、地熱発電併設
 ②所得補償、肥料備蓄、排水路整備、半地下式温室
 ③-
 ④-
 ⑤-


 いかがだったでしょうか。
 突っ込みどころ満載ではありますが、とりあえず話を続けます。

 ④の世界遺産について、言及した人は誰もいない!!
 これはなかなかに衝撃的なことです。
 唯一、関連しそうなのがB氏だったわけですが、奄美縦貫道路が
奄美の環境に及ぼす影響は?
世界遺産登録の足枷になりはしないか?
そもそも世界遺産に反対している?
そんな疑問がわいてきます。
 その点についてもっと聞いてみたいところでもあります。

 そしてもっと驚いたことは、⑤についての情報。
 政策ではありませんが、鹿児島県知事になるからには、少しでも
鹿児島に縁がある人じゃないと、仕事に支障をきたすじゃないですか。
 ところが、この当たり前とも思える情報が一切ない候補者が、
2人もいたのです!これ、ちょっと考えると怖いことじゃないですか?
あんた、誰だよ!?ってなりますよ。

 別に、鹿児島県知事は必ずしも鹿児島出身者や鹿児島在住者じゃなくても
いいとは思っています。
 それでもなぜ、鹿児島県知事に立候補したのか、
なぜ「鹿児島県知事」でなくてはならないのか、
そして、どこ出身かくらいは書いてほしい所です。
 わざと隠しているということは、もしや宮崎?山口?茨城?
などと勘ぐってしまうではないですか。

 このように自分の重点政策をもとに候補者の意見を一覧にしてみると、
自分はどの候補者に近いのかが、おのずと決まってくるわけです。
 わたくしの場合は、C氏かD氏ということになりますね。


 …と、ここまで書いておきながらなんですが、
ワタクシは告示時点で鹿児島在住3か月に満たないため、
選挙権がありません。なんてこったい!

 投票日は明日。
 誰か、てか誰でも、有権者は投票行ってね!

 まぁ、候補者選びにはこのような絞り方もありますよ、
ということを知ってもらえれば、幸いでございます。


スランプの要因を分析

2017年12月12日 | 雑感散文

 頭の中でこじれていた悩みを解きほぐす過程を
ツイッター上に箇条書きでまとめてみた。
 以下、ツイッター投稿からの転載。


 仕事でスランプに陥った。
 解決策をずっと考えていた。まずは状況把握から。


【状況1】11月から事務をため込みがちになる。

【状況2】12月に入った途端一気に仕事のペースが崩れる。手につかない。

【状況3】さりとて致命的な失敗をしたわけでない。

【状況4】私的な悩みは無い(と仮定する)。


 スランプに陥る要因を書き出してみる。


【要因1】仕事の優先順位が決められない。

【要因2】チェック体制が整えられない。

【要因3】必要な残業ができない。(←これだけ書くと語弊がありそうだ、詳細は後述)


 スランプの要因をひとつずつ分析していく。


【要因1詳細】
  ある時期に仕事が集中した。
  単純に量が多く、やりこなせるものではない。
  しかし重要度はばらばらだ。優先すべきものから仕上げていけば何のことはない。
  しかし先月からため込んだ仕事が気になる。突発的な雑務が多すぎる。そして思考停止に。

【要因2詳細】
  チェック体制の構築が必要だが、ある程度作っていたつもりが
 虚を突かれて完全崩壊(とその瞬間は思い込んでしまった)。
  自分不信に陥り、自分で二重チェック体制を作ったら、
 自分で自分のミスを続々と見つけてしまい、ますます自分不信に陥る。
  完全なる悪循環。余計事務が慎重になる。

【要因3詳細】
  超勤はしない方が効率が良いし、経費削減として必要なのもよくわかる。
  しかし時に必要な超勤はどうしても出てくる。必要な超勤なら認めてもらえる職場だ。
  だがなぜ「必要」なのかを説明できない。要因1の優先順位を見失っているから説明ができない。
  この状況でやってもダラダラ超勤だ。


 ここまで書けば解決策は簡単だ。
 今すぐ、手持ちの仕事の優先順位を決めることだ。
 後回しにできるものは思いっきり後に回すしかない。怒られても仕方がない、
もっと面倒くさいことになったり迷惑をかけたりするよりましだと開き直ろう。
 と、書くのは簡単なのだが。第一、この案に反対する人もいよう。

 状況の把握から解決策の検討まで、この2時間ずっと考えていた。
 書き出してみると何てことない。しかしここにたどり着くまでに相当苦しい思いをした。
 11月からずっと悩んでいた。もっと早く解決策を考えることをやればよかった。
2時間で済んだのに。
 一番の原因は、「考えることから逃げる」だった。


 これを記載した翌日、かなり仕事が捗った。
 落ち着いて、仕事の優先順位を決めることが出来た。
 ある意味、諦観が芽生えてしまったところもあるが…

 自分の中でこの一連のつぶやきは大きな
ターニングポイントになるかもしれないと思い、
その記念にブログ転載しておく。


本の借り過ぎを抑制するための基準

2017年10月09日 | 雑感散文


 すでに6冊、図書館で本を借りているにもかかわらず、
今日新たに8冊を追加で借り出しした。

 返却期限は2週間、延長2週間であるから
1カ月弱で読んでしまわねばならない。
 2日で1冊を読まねばならない。

 休日ならまだしも、平日にそんな読めるわけがない。
 実際に、読み切れない。

 毎回、そうなのだ。図書館で14,5冊をいつも借りるが、
実際に読了できるのはそのうち2,3冊程度で、
あとはそのまま返却するか、いったん返却ののち再度借りて
の繰り返しをしている本もある。

 どうせ読めないのに、なぜそんなに借りるのかといえば、
一つは飽きっぽい性格を持しているから、多くの種類を
用意しておけば安心するのだ。同じ本を長時間読むのが苦手なため、
数冊の本を少し読んでは替えてを繰り返している。
 次に、別にすべての本を読了する必要がないと思っているから、
興味のある部分や大事だと思われるところだけかいつまんで読んで
終わりにしている本もある。この読み方はどの本から学んだろうか、
つい去年あたりに目にして、開き直ることが出来るようになった。
 あとは気分の問題だ。年間にこれだけの本を目に通したという
カウント数を増やしたい気持ちがある。また、図書館の利用率を
上げるのに貢献しているのだ、という穿った考えもある。

 しかしそうは言っても、毎回それだけ借りて読まないのであれば
重いものを持ち歩くだけ徒労であるし、何より本を傷めかねない。
 もう少し本を絞れないものか。

 そこで、今年の8月くらいからなのだが、借り過ぎを抑制するため
ある選別基準を定めて、選び出すようになった。
 借りる前に、まず冒頭でも気になるページでもどこでもよいから
数ページ必ず読み通すことにしている。パラパラと頁をめくる程度なら
今までもやってはいたが、そうではなくて席について腰を据えて、
しっかりと読むようにした。そこで、自分にはまったら初めて借りる
ようにしている。表紙やタイトルだけ見て借りることが多かったが、
それを廃して中身が面白いと本当に思えるもののみを選ぶこととした。

 そんなの当たり前ではないか、と言われそうだ。むろん、本を購入する際は
しっかりと立ち読みをし、買うに値する読書欲に応える本かを見極めたうえで
購入することにしている。(その逆で、購入する本こそインスピレーションに
任せているという人もいるかもしれないが。)
 しかし図書館はタダなのだ。はずれ(自分にとっての、だが)を選んでも
気にすることはない、それ以上は目を通す義務はない、そのまま返せばいいのだ。
 この考え方が失敗だった。その場の気分で選んだものは、少しく時間が経てば
心は移ろい、興味を失ってしまうもの。借りた本のうち10冊は積読のまま
返却日を迎えることもざらだった。
 それは大いに無駄なことだった。一番の無駄は、それでもいつかまた
興味が復活して読むだろうと積読を続けてしまうことだ。そのいつか、は
とうとう到来せぬことが多いというのに。それを待つばっかりに、
次に借りたいと思う本を借りられずにいる。

 だから選別する必要があったし、本当に読みたい本ばかりを
取り揃えることで、これまで以上に読書のスピードを上げたいという
気持ちもあった。
 この試みはまだ2回目なのだけれども、1回目ではそこそこ狙い通りに
読書欲というかモチベーションが上がるし、本の読みまわしの数が増え
飽きが来ないという効果を感じた。

 でも選別した結果、結局いつも通り14冊も借りてしまっていると。
 積読返却するような本が無いから、今まで以上に本当に読み切れるの
だろうか心配になる。いくら秋の夜長とはいえども。


カメラ5台撮り比べ結果@古民家

2016年08月21日 | 雑感散文

 後で書きます、と宣言したカメラの撮り比べ結果について
ここでしっかりと書いておきたいと思います。

 撮り比べるカメラはこの間買った中古カメラです。

 2012年発売のカメラなので、
今更比べたところで…って感じもしますが、
自分にとってはカメラ購入後の一つの楽しみと
化しておりますのでどうかお付き合いのほどを。

 さて、比較するのは以下のカメラです。
(下の写真はクリックすると原寸サイズで見られます。
 重いのでご注意を。またブログ仕様で4MB制限があったので
 2枚の写真は圧縮率を少し上げています。)

 ちなみに、撮影場所は屋外博物館の展示古民家です。
 勝手に人の家を撮影したわけではないので念のため。

Nicon COOLPIX L610
 2012年モデル、これも中古。
 去年1月に買いました。ネパールで大活躍。

GOPRO HERO4
 2015年モデル、去年4月に買いました。
 今持っているカメラの中で一番高価です。
 一番小さいのにね…。

Canon ivis32
 2010年モデル、2011年3月に購入。
 5年間で6か国の世界遺産を撮影。

Canon PowerShot SX160 NEW!!
 2012年モデル、今月買ったばっかりです。
 ※画質については後述

Panasonic HC V520M
 2013年モデル、同年5月購入。
 糞画質。ただし手振れ補正と暗所撮影に強い。

 以上の5台です。
 …冒頭の、5台を並べた写真を
撮影したカメラは何かといえば、ケータイです。

Panasonic P02B
 2010年モデル、同年購入。ガラケー。
 カメラレンズは細かい傷だらけです。
 ivisを購入するまで写真は全部これで撮影。
 購入当時はきれいだったのですよ。

 さて、同じ場所で撮影したにもかかわらず
広角の違いで被写体の大きさにえらい差が見られます。
 そして色調のバランスにも差が見られます。
(むしろ、あまり見られない?ソニーだけ飛び抜けてたんだな…。)



 そして今回比べたかったのは、COOLPIXとPowerShotの2台。
 どちらも2012年製で、単三電池仕様
 前者の方はレンズに傷が入ったので、その代わりとして
後者を買ったわけですが、さて代わりの役をちゃんと担ってくれるかどうか。

 さて、まずは前者を確認。

 綺麗ですね。

 さて、新しく買ったカメラは、
これと同等の画質を持っているかどうか。



 ・・・・・・????!!

 こっこれは・・・・・・

 やっちまったか!?

 と、最初は思ってしまいました。
 とんだ高い買い物してしまったなぁ!と。
 しかし画質の悪さにはこちら側のミスがありまして。

 マニュアルで撮影したのですよ。
 今回買ったカメラが初めてのマニュアルカメラだったのです。
 ivisにも一応マニュアル設定はあるのですが、
本格的に自分でシャッタースピードや絞りを調整して撮影するのは
今回が初の挑戦だったのです。

 最初に撮影した画質が悲惨な状態とはつゆ知らず、
すっかりマニュアルで試行錯誤することに楽しみを覚え、
ある程度こなせるようになってきた、2時間後(!)の
写真が下の画像です。



 原寸大はこんな感じです。



 かなり画質が良くなっています。萱が良く見えます。
 実は、ISOの設定がまずかったのです。

 最初に紹介した写真のISOは、1600になっていました…。
 ISOを上げたまま、シャッタースピードを短くしていたわけですね、
あとで逆にするつまりISOを下げてシャッタースピードを長めにする方が
綺麗じゃないかと気が付いて撮影したものです。
 パソコン上で見ると、こんなにも違っていたとは…。

 さて、これでフェアな比較ができますね。
 改めて、新旧のカメラを比較するとどうでしょう。




 ・・・・・・!?!?!!!

 やっぱりやっちまった!!



 結局、5台のカメラで一番画質が良いと感じたのは、
(元々COOLPIX<ivisと思っていたので)一番古いivis
という結果と相成りました。(同じキヤノンなのになんでや!)
 最初に大当たりを引いてしまったんだな…
おかげで新モデルに対する期待度が高くなってしまった。

 そんなivisは最新モデルを出さなくなってしまった…
ivisの4K出してくれよー、と切に願います。


「頑張れ」を擁護する

2016年05月02日 | 雑感散文

ブログを半年ほどさぼっている間に、
これといった変化は
自分の身の回りで見ることはなかった。

久し振りにブログを書くのだから、
何か一つや二つ、ネタなり報告なりを
持ち合わせてしかるべき所だろうが、
何も無いのだから仕方も無い。

しかし世間では大きな変化が起こってしまった。
先月、熊本地震が発生した。

この事について思うめぐらすことは
沢山あるのだけれども、
どうもそれを書き付けると
上げ足を取るご苦労様な人たちが
いるらしいから書けない。(と言いつつ下記長文は何なんだ。)


熊本から現状報告したブログが
どうもここのところ燃え広がっている。
配給が行き渡らない中で弁当の写真を
載せただけで燃えるのもやり過ぎな気もするが、
現状を訴えるブログが次々に
標的とされているらしい。

勿論それは有名人のブログに
限った話…ではないのが
最近のトレンドのようだ。

今熊本でボランティアやってます、
というのは「偽善」らしい。
報告の発信は大事だと思うのだが。
「お見舞い及びお悔やみ申し上げます」と
書き付けるのは「偽善」らしい。
確かに紋切り型な文面に何となく
取って付けた感があるのは分かるけれども。
募金しました、なんて書こうものなら
まさに偽善ハンターの格好の餌食と
いうものだろうか。

「今日は上の写真の募金箱に
 ○○円入れてきました!」
なんて迂闊に書けたものではない。
(もっともこのブログを読んでくださる方は
 そんなことないだろうと安心しているのだが、
 閲覧者の大半はボットが占める、ボットが跋扈する時代なのだから、
 粗捜ししようと検索かければすぐ見つかってしまいかねない。)


「何もしない悪よりはマシだろ」という
「偽善」疑惑を晴らすコメントを見かけるが、
多分偽善ハンターの論点はそこではないのだろう。
本当の善は、黙ってやるものだ、と。

黙ってやる事に美学を見出す人が、
ただブログやツイッターやインスタやミーバースで
「頑張れ」というコトバばかり書く人に
大いなる嫌気を抱いていることを想像する。
頑張れと言うだけならだれでもできる、
言っている暇があったら募金なりボランティアでもしろよ、と。
でも、募金やボランティアをやったと言ったら
またわめくのだろう。素晴らしい美学である。


このネット上の美学に、
ここ東北に移ってきた元熊本市民(わずか1年だけど)は、
大いに疑問を呈したい。
特に東日本大震災を経験してしまった方々は、
まったく他人事と思っていない。
まず何かしなくてはと
いても経ってもいられない人たちもいた。

フットワークが軽い人はすぐにボランティアに応募した。
コンビニやスーパーには募金箱が設置され、
千円札が何枚もつっこまれていた。
それだけではなく、なんとか励ましたい、という
気持ちが前に出て「頑張れ」のコメントで
溢れかえった。

しかし地震とは無縁な人には、
「頑張れ」が上の空な響きに聞こえるのだろう。
実際に東北の被災者の中には
「頑張れを聞き飽きた」という人もいる。
テレビでも本でも「頑張れ」を懐疑的にとらえる論調を見たし、
実際にここ東北で、「頑張れと言われてもなぁ」と
こぼす人もいた。もう充分に頑張っているんだから、と。
それでも、他方で災害が起きると、
先の人でも口を衝いて出てくるのは「頑張れ」だった。


5年前には熊本に住んでいて、
東日本大震災をニュースで見聞きし、
東北で力を貸すことが出来ないものかと
考えていた。
それが縁あって東北に異動となり、
でも特にこれといったことが出来ないままに
今度は熊本で震災が起きてしまった。
見方によっては、「強運の持ち主」かもしれない。
一方で自分は何もできていないと
勝手に思い悩んでいる。

ただ、熊本から観た東北と、
東北から観た熊本、
この両方の視点に立つことが出来たのは
さまざまな気付きを得られて良かった。
それが先の、「頑張れ」というコトバに
対する擁護である。


頭ごなしに否定してかかる風潮はやはりおかしい。
発言の真意も、多面的に見た上で
評価を下すべきである。
ああ、そういう見方もあるのね、という
柔軟さも兼ね備えてSNSと接していきたい。

ブログを再開します。

ふた月前に訪れたネパールを想う

2015年04月25日 | 雑感散文

写真は、今年2月に訪れた
カトマンズ市街を撮影したものです。
よく見ると、レンガで造られています。

脆そうな建物が沢山並んでいる…
おっかない都市だな、とは思っておりました。
でも、古いレンガビルが立ち並んでいる
ところをみると、この辺りはあまり地震は
起きないのかなと考えておりました。



しかしご存じのとおり、
25日にカトマンズ近郊で
大規模な地震が発生しました。
多くのレンガ造りの建物が
倒壊したとのことです。



数百人が死亡(26日現在の情報)し、
数千人もの人たちが避難生活を
余儀なくされているという状況。

ふた月前にその場所にいただけに、
被害状況の写真や動画を目にするたび
身震いを覚えます。



状況はまだよくわかりませんが、
情報によると一部の世界遺産
(文化遺産「カトマンズ盆地」の寺院)
にも被害が及んでいるらしいとのこと。

これ以上人の犠牲が出ないことを
願うのと同時に、
世界遺産にも深刻な被害が出ていないことを
祈るような気持ちで願う次第です。


 * * *


「ブログ3」の世界遺産紹介の記事について
ネパール分の更新が最近滞っておりましたが、
被災地の早期復興を願って
早いうちに更新していこうと思います。

カトマンズの世界遺産の素晴らしさを
お伝えすることによって、
復興支援の一助となれば。


BLOG2が10周年を迎えたようです。

2015年03月29日 | 雑感散文

ブログを開設して1年半がたったころのお話です。

当時はまだ鳥取大学に在籍しており、
大変生意気な学生として振舞っておりました。
なにぶん自信家ゆえ、己の意見は臆することなく
ガンガンこのブログに書きこんでいたし、
実際に口にも出していた頃でした。

そんな折、2006年7月5日付のブログを巡って、
大学内においてほんのちょっとした、
小さな小さな騒動みたいなものを
起こしてしまうに至りました。



当時、大学が提示した「人間力」育成方針。

その「人間力」とは大学側として
一体何を指し示しているのか、
どういう人材を育てたいのか、
そのために学生はどんなカリキュラムをこなさねば
ならないのか(もしくは学生は求めなくてはならないか)
が、全く見えてきませんでした。

当時の大学側としては、具体論はまずはおいといて、
あくまで「人間力」の模索を通して
社会に求められる人間像を作っていきますという
決意表明みたいなものだったかもしれません。

だのに在学生への周知ときたら、
見栄えのいいポスターを
掲示板に1枚どかんと掲示してお仕舞い。
外部にはあたかも人間力を既に養成すべく
様々に取り組んでいますよと言わんばかり。

学生を置いてけぼりにして、なんだこれは!

非常に腹を煮え繰り返した当時の私は、
怒りにまかせて件の記事を書いたところです。


しばらくして、研究室の先生から
呼び出しを喰らいました。

何事かと思いきや、聞くと
件の記事があろうことか教授会で
披露されたということです。

だから、今すぐ「あの」記事を
消せと言われたのです。



「この前の飲み会の記事、消しとけ!」



そこかよ!
…という、当時も笑っってしまったけれども
今思い出してもニヤついてしまう良き思い出です。

事の顛末はこうでした。

学生の中にこんな意見を持っている者がいて
感動した教授が、教授会でブログ記事を紹介したとのことです。
教授会の中では好意的に受け止められ、以降は
「人間力」および大学の教育指針に対し
学生の意見が募集されるようになったのです。

が、研究室の先生の頭には、
紹介された学生のブログといえば
ぐでんぐでんになった飲み会の記事が
過(よぎ)ってしまったのでしょう。


この一件を機に、
ブログで発信することの効果を実感し、
ウェブを通じて世に自分の考えを
ますます問うていこうと決意したところです。

一方で、
プライバシーに色々と配慮しなくちゃ
いけないな…などと反省したところです。
今現在、当時の飲み会記事の大半は
削除してしまいました。

消せと言われた記事は、敢えて残したけどね!


   


2005年3月29日に投稿して以来、
10年が経ちました。

10年ですよ!10年!
学生時代から、10年くらいはブログを
書き続けるだろうなとは思っていましたから、
10年間持続できたとこに対しては
あまりなんとも思っておりません。

それよりも、もう10年も経ってしまったの?
本当に?懐疑的な気持ちでいっぱいです。
できれば嘘だと信じたいのですが…
これまでの投稿記事の数を鑑みるに
やはりそれは本当だと認めざるを得ないのです…。


   


この「ブログ2」は、大学時代で多方面に活動してきた記録を
つぶさに書いてきたのが始まりでした。

「2」とあるは、最初に「1」があったからで、
ブログ1の方向性が定まってきたから、
それ以外の記事用に新しいブログを立ち上げた次第でした。

ブログ1では、環境問題を論じたり読書記録をつづったり、
ブログ2では、大学でのサークルなどの活動をつづったり、
ブログ3では、国内外旅行や世界遺産めぐりをつづったり、

と3つのブログでいろんなことを書いてきました。

ところが大学を卒業してからは、
はてブログ2では今後何を書こうかと考えておりました。
いっそ廃止するか、迷っていた時期もありました。

そうこうしているうちに、
綺麗な写真の紹介を強化したいと
ブログ4を新たに立ち上げました。

これでますます、ブログ2だけ
何をテーマに書いているのか分からなくなって
しまったのですが、この時に気がつきました。

テーマなんて要らない、と。

そんな極めていい加減な悟りを開いて以降、
何も考えずにただただ思いついた事や
観たもの聞いた事などを
気軽に徒然なるままに肩に力を入れずに
書きたかったら書こうという
方針が定まってきました。

そのおかげで、テーマがある他のブログは
最近更新停滞中である一方で、
このブログはダラダラとコンスタントに
続けられました。

「10年も続けられた秘訣は?」
と万が一にもそんな変な質問が来たとしたら、
こう答えるとしましょう。
「無い!」と。
あったら、続きません。
あって続けられたなら、
多分それはノイローゼです。


多読乱読の効用について

2014年10月07日 | 雑感散文


さて、冒頭の写真は、
枕元にちりばめられた本を
一か所にまとめたところである。

所謂「積ん読」状態になっていた
本たちである。
これらを現在進行形で、
読破に向け邁進しているところである。

あくまで、今読んでいる本である。
もう読んでしまった本や、
後で読むつもりの未読の本は
含んでいない。

同時進行で、これだけ読んでいる。

こう書くと、読書自慢かと
思われてしまうだろうけれども、
確かに種類はたくさん読むが、
読むペースとしては甚だ遅い。
酷い時は、1冊の1ページだけ読んで
力尽きてしまう時もある。
そんな状況ではもはや同時進行で
読んでいるとは言い難いであろう。



複数の本を同時に読むのは、
飽き性の自分には大変向いている
読書法であることに、
大学の頃気がついた。

また、一見してジャンルが異なる本も
横断的に読んでいくと、
一種の共通性が見えてきたり、
比較するなど多面的に物事をとらえられたりと
様々な効用があることも分かった。

そしてなにより、
たくさん読書ができているな、という
自己満足を得られるという効果が大きい。
1,2冊だけだと、遅々として先に進まない
己の遅読を恨みイラつき、いつしか
読むことが億劫となり投げ出してしまう。
しかしこれだけ同時に読んでいるのだと思うと、
遅いのも仕方がないかと気を紛らわせられる。
責任転嫁ができるのだ、素晴らしいアイデアだ。

だがその副作用として、
ますます読書ペースが遅くなるという
状況に今なってしまっている。



この状況ではいけない、
今こそ奮起して、
これらの本を今年中に読んでしまいたい。

それを誓わんがために、
ここに記しておこうというものである。


 * * *


改めて、自分が今読んでいる本の
ジャンルを見てみれば…バラけている。
なぜこんなに、様々なジャンルに
手を出すようになったのか。

基本的には、歴史ものや文化論的なものが多い。
その次に、自己啓発論やビジネス書を好む。
仕事に絡む森林環境系も、たまに読む。これは
別に職業病とかではなく、純粋に楽しんで読んでいる。

小説は読まない。
歴史ものが好きとはいえ、歴史小説に興味はない。
上の写真に一冊だけ小説があるが、
森林関係ということで、これはまぁ、
職業病が出てしまったのかもしれない。

エッセイも読まない。
紀行文なら昔は大変熱心に読んでいたのだが、
今は自分が「紀行」するようになったので、
読む必要がなくなってしまったのだろうか。
そう考えると寂しくなる、また読みだしてみようか。

小説やエッセイを除けば、
わりかし殆どのジャンルを網羅しているつもりだ。
様々なことに、興味がある。
ちょっと前までは「好奇心が旺盛」と自任して
少しでも気になる本はすぐに手に取り、
それこそ図書館の本は迷わず借りては
読みふけっていたところだった。

最近はこの「好奇心」に衰えを感じ、
しかしこれ以上衰えさせてはならないと、
いろんなジャンルの棚を必ず回って、
たとえば図書館ではできるだけジャンルが偏らないよう
バランス良く借りるようにしている。

わざと、ジャンルをバラけさせて、
視野の広さを保とうとしているところだ。
その結果、昔よりも読むジャンルの幅が
広がったようにも思える。

しかし、肝心の「好奇心」は
ますます衰えていっているような気がする。
頭が固くなるとはこのことか。
それに抗うために、これからも
多読乱読を続けていきたい。



水どうキャラバン@いわき で考えたこと

2014年08月13日 | 雑感散文


おみくじを引いてみた。



1回100円。賽銭箱に奉納。



大吉!何たる強運!やった!

 

おかげ様で、撮影会のための整理券1000人分
配布終了後でも、「時間が余った」からといって
追加で写真撮影をすることが出来ました。

ありがとう 大泉洋さま!


 * * *


さて、ここからは
ちょっとだけまじめなお話を。




この「水曜どうでしょう東北キャラバン」は
ディレクター陣が東北の各県を回って
水どうファンと交流しながら祭りグッズを売るという
「愛と平和と!在庫一掃!」がテーマのイベントなのです。

東北を回りますからには、東日本大震災の
復興を応援するという一面もあるわけです。

8月13日、会場は福島県いわき市。
小名浜港という重化学工業が盛んで、
漁業も盛ん「だった」何の変哲も無い港町です。



番組のことをよく知らない地元のご老人方が、
ポカンとしながらイベントを眺めていたのです。

ある方が、私に声をかけてくださりました。


「これは何のイベントですか?」

あ、テレビ番組のイベントですね。

「どこのテレビ局?」

北海道のテレビ局です。

「あ、そうですか。(知らないわけだ。)」

「これは復興のイベントか何かなの?」

それも兼ねてのイベントですね。



「こんなに人が集まるイベントなんて、初めてじゃないの。
 いつも何かやっているけど、小名浜にこんなに人が
 集まったの見るの、初めてだもの。」

沢山人が来そうなものですけどね。

「いや、この辺じゃあちこちで復興イベントだかなんか
 やっているから、人々が拡散しちゃってるんだよね。」

そうなんですか。

「ここも大分人が少なくなったよ。
 震災で、ここまで津波が来たからねぇ…」

(と、建物2階付近までを指す。)
そんなに来たんですか!

「いや、ここは沖に防波堤が二重にあるから、
 これくらいで済んだんだよ。
 それが無かったら、ここは駄目だったろうねぇ。」




小名浜港には「いわき ら・らミュウ」という
漁港の商業施設があります。
震災前からあったものです。

この2階には、震災当時の様子を知ることができる
資料コーナーがありました。

小名浜港も、いわき市も、
例にもれず津波被害を受けた地域です。
震災当時の救助の様子や、避難生活の様子などが
パネル写真で紹介されていたり、再現されていたり…

特にぞっとさせたのが、
上の写真の円グラフです。

震災被害者の9割は、「溺死」。
恐ろしいことです。



「ら・らミュウ」は半年後には
復旧させて営業を再開。
現在、隣接地に新たな施設が建造され、
復興の象徴的な場所になろうとしています。

しかし、地元の人の話に有ったように、
あちこちで復興イベントや事業が行われ、
なかなか関心が集まらない、そして集客も
鈍っているということです。
震災が広範囲だっただけに仕方ないことですし、
何処か何ヵ所に集約させる、というのも
難しいことでしょう。

「復興が遅れている」ように見えるもの、
そこに原因があるかもしれません。

まずは現地へ行ってみる。
現状を知る。
地元の方の話をうかがう。

そこから、復興について考える開始地点に
立つことが出来る、といったところでしょう。


今回、震災地の現状の一端を
知る契機をくれた水どうキャラバンに
感謝している次第です。