BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【世界遺産】景観問題

2018年02月25日 | テレビ

 最近、「世界遺産」を観て思うことが沢山あり過ぎて、
このカテゴリーの記事を書くペースが増えております。
 テレビを観て、自分の意見を頭の中でまとめるのが
実に楽しい作業でもあるわけです。

 いや、「楽しい」とは言いながらも、
考えていることは非常に悩ましいものなのですが…



 世界遺産の在り方を考えるうえでの最重要課題は
「景観問題」ではないでしょうか。
 おそらく番組もそれを認識しての、今日の
特集だったと思われます。

 「ウィーン歴史地区」は、景観破壊を懸念し、
昨年「危機遺産」に登録されてしまいました。
 なんでも、近代的な高層ビルが地区内に
建築されるから…

 「景観破壊」による世界遺産登録抹消には
先例があって、ドイツのドレスデンは
渓谷に大橋を架けたことにより抹消されました。

 一方で番組では、ウィーン歴史地区は19世紀に
城壁を取り壊して環状道路をつくるという
大々的な「破壊」があったことを紹介、その結果
生み出された街並みが世界遺産として認められたといいます。
 さらには、「のっぺらぼう」と非難囂々だった建物も
時代を経て世界遺産として認められたとも紹介。

 そういえば世界遺産の「パリのセーヌ河岸」の
エッフェル塔だって、建設当時は歴史的町並みの景観を
破壊するものだと激しい建設反対があったようですね。
 しかしそれも今や世界遺産…

 20世紀以降に建造された数多くの建築物も世界遺産に
登録されているのですが、奇抜なモダン建築は
周囲の「景観破壊」をもたらしていなかったのでしょうか、
「今は」そんな声が無いから、良いのでしょうが。



 個人的に訪れたテヘランの「ゴレスターン宮殿」は
周辺の高層ビルが気になってしょうがなかったですし、
マレーシアの「マラッカ歴史地区」も展望塔が思いっきり
浮いた存在になっていますし、第一マラッカ海峡が
埋め立てにより遠くへ行ってしまった。

 だから、ぶっちゃけていえば、これらの景観に比べれば、
ウィーンの高層ビルははるか取るに足りないように
思えて仕方がないです。
 文化先進国としての見せしめのようにすら見えます。
(実際、環境先進国ドイツに不名誉な抹消を突き付けたのも
 そうじゃないか?)



 「保護」ばかりでは新たな文化の創造が出来ない、
文化とは生き物のような気がします。
 とはいえ…世界遺産の本質は「保護」であるから
無下に否定もできない…実に悩ましい話です。

 番組では「彼ら(地元)はどんな答えを出すのでしょう」
と締めくくられましたが、他人事と捉えずに、
人類共通の課題として考える必要があるでしょう。

 なぜ考える必要があるか…「景観」という環境資源が
観光資源として捉えるならば、必要なのではないか。



 個人的に、大学時代から「景観」についていろいろと
考えてきたつもりですが、今なお悩ましい問題です。

 それでも解決の一助となることを期待して当時色々とセミナーに
参加したりしておりました。
 11年前に書いた景観セミナーの感想なんかが、
時を経て今も考えるヒントを与えてくれそうです。



 「無理に景観を守らせたりして文化の「押し付け」をしてはならない」…


【世界遺産】イランの普通には行けないような場所

2018年02月18日 | テレビ

 1月14日の「世界遺産」(TBS系列)でトルコの「エフェス」が
紹介され、個人的にはすでに行った場所だったから
実に変な気持ちになった、といったことを書いた
 そして、去年はイランに行き、番組未特集の世界遺産6件を
観てきたから、またこういったことが起きるだろう、
だから、番組では普通に行けないような場所を取材して欲しいと
思っていたところだった。

 そして、ここにきての、イランの世界遺産「メイマンドの文化的景観」だった。

 手元の「地球の歩き方」で、行き方を調べてみる。
 ヤズドという都市(実はここ、2017年に世界遺産登録された
ばかりの場所であり、もしかするとここも取材したかも)から
バスで約4時間30分。…としか書かれていない。
 要するに…普通には行けない場所だということか!

 この番組では、首都テヘランの宮殿や、
アケメネス朝ペルシアの首都シューシュも未取材のようだが、
それを差し置いてわざわざこのメイマンドという
マニアックな場所を選ぶとは…マニアには嬉しくてたまらない!
 こういう「世界遺産」を観たかった!


 * * *


 遊牧民族が2000年前から利用し続けている岩窟住宅。
 岩窟住宅自体はイタリア南部にもあるが、
現在もなお人が住み続けているという点では世界でもここだけだろう。
 
 さらに驚いたことに、部屋の中で火を焚き、
天井にすすを付けることによって住環境が保たれるということ。
 日本の萱葺住宅と同じではないか。もっとも火を焚く効果は
異なるけれども、結果的に同じになるのはとても興味深い。

 今では、80世帯ほどが暮らしているというが、年々減っているという。
 近代化の波が来ているような場所ではなさそうだが、
後継者不足、地方衰退という問題を抱えているのだろう。
 その点まで日本と同じなのか。全く、他人事には思えない世界遺産だ。


【世界遺産】番組よりも先に現地へ行ってしまった時の感想

2018年01月14日 | テレビ

 毎週、欠かさず「世界遺産」(TBS系列)を観ているのですが、
ついにこの日を迎えてしまったか、というのが今回の個人的な感想です。

 トルコの世界遺産「エフェス」が取り上げられました。
 古代ローマ遺跡であり、かつての世界三大図書館の一つがあります。
 番組初取材といいます。

 実はわたくし、一昨年の2016年に、
この地を訪れていました

 これまで、番組を見て、いつかここへ行きたいと
思い焦がれてきました。
 そして15年前に初めて一人で海外に飛び出しました。
 番組で中国の世界遺産「天壇」を観て、それから半年ほど後に
実際にこの目で見てきました。大変感動したのを覚えています。

 こうして、番組を観て、次はここへ行こうと思い立ち、
そして実行に移すサイクルが出来上がっていました。
 いわば世界遺産の追っかけみたいなことをやっていました。

 ところが今回のエフェスは、番組が取り上げるよりも先に、
自分が先に行ってしまうという、逆転現象が起きてしまいました。

 たぶん、今後も起きることでしょう。
 特に、去年はイランへ行ってきたのですが、番組サイトを
調べてみると、わたくしは番組未取材の世界遺産をすでに
6つも見てきたことになっていました。

 この逆転現象に、自分はどんな感想を抱くだろうか…
そんな思いで今回の番組を観ました。
 やはり、ふしぎな感覚です。
 普段なら、初めて見る光景に驚き、もしくはふしぎ発見で昔見たけど
改めてみるとやはり良い、行ってみたいなぁと思い焦がれるところなのに、
あぁ、懐かしいなぁ、というか、なんで、知ってるんだろうな…と
少し寂しいような、自分の中で世界が狭くなったような、そんな感じです。
 もっとも、同じ世界遺産を何度も取材することもある番組ですので、
それで自分が行った場所が改めて放送されると、その時は素直に
懐かしいなぁ、良かったなぁと思い出に浸ることが出来るのですが…。

 15年以上も見続けてきたからこその、複雑な感情なのかもしれません。
 それでも、これからも番組を見て感銘を受けた場所があれば
そこへ追っかけに行きたいと思うし、一般人には到底行けないような場所に
もっと取材して欲しいものだとも思うところです。



 * * *


 このブログには「テレビ」カテゴリがあって、
テレビを観た感想をざっくばらんに書いていたのですが、
久々にこのカテゴリで書きました。実に5年振りです。
 そして、「世界遺産」について書いたのは2012年3月以来
実に6年振りです。

 その間にも、番組名は「THE世界遺産」から
「世界遺産」へと原点回帰し、スポンサーが変わって
もしや番組も終わってしまうのではないかとハラハラしましたが、
しばらくして「4K特別編」というキヤノンの本気を見て安心した
ことがありました。

 6年も開くと、いろいろあるもんですね…

テレビか、ネットかなんて議論は

2013年02月01日 | テレビ

あなたはどのニュースソースを
信頼しますか、という質問が
いつだったか観たことがあります。

この質問自体、何というか
意図的というか辛気臭さというか
結論ありきなものだなと思っていました。
どこが実施したアンケートだったか
忘れてしまいましたが。

一番信頼度が高いのが
NHKのニュースで、
一番信頼度が低いのが
ラジオのニュースという結果でしたが、
いや、おかしいと思いませんか。

ラジオをニュース媒体だと
思ったことありますかね。
無いでしょう、ラジオでニュースを聴こうと
思わないでしょう。

だから別に、ラジオを
不審に思っているわけでも
何でもないわけです。
それが設問によって
結果を歪められてしまっている。

逆も然りで、NHKだからって
信頼しているわけでもなんでもないでしょう。
観たい時に観られるという
利便性と、信頼性とを
混合させてはいけないという
好い事例ではないかと思われます。



この、論点を混合させるアンケートは
2択の質問時に往々にして
見受けられるものですね。

そして今日もまた。
「テレビとインターネット、
ニュースはどちらで観ますか」という設問。

テレビもインターネットもやってない
人は答えられないでしょう、と
思うわけですけれども。

…いや?
21世紀に入って早13年目、
余程意固地な人でない限り、
この両方とも触れていない人なんて、
果たしているのだろうか?



こんな話をしだしたのは、
NHKの「1000人が考える テレビ ミライ」
という討論番組を観たからに
他ならないんですけれども。

確か似たような企画を、
同じNHKで、「テレビの、これから。」
という番組でやっていましたね。
5年ほど前だったかと思います。

その時にも、似たような質問が
されていたわけです。
「どっちをよく観ますか」と。
そしてテレビか、インターネットか
という討論が熱く交わされていた時、
一人の御老人が、
「テレビもインターネットも観ない」
と言ったわけです。

この時も、テレビとネットを
どう使い分けるかとか、
どう共存していくかといった
話も出いていましたが、
どっちも使わないという視点が
欠けていました。
確かにその視点も考えなくてはいけない。



考えなくては…は、
5年前の話。

今、掌には、テレビもネットも
できる機械があるわけです。
当たり前のようにみんな持ち歩いています。

先日海外に行って驚かされたのは、
みんなスマフォを持っているということです。

中国の地下鉄に乗れば、
日本よりも普及しているんじゃないかと
いうくらい多くの人が
ネットに興じていました。

カンボジアはさすがにまだ
ガラケーが優勢でしたが。
(その代りネットの店が多いので
現地の人はもっぱらそこを利用して
FBをチェックしたりしているようです。)

しかし日本人旅行者の殆どというか
自分以外はみんなスマフォや
タブレットPCを持っていると
状況を目の当たりにすると、
これが今の時代なんだと思いました。

あると便利だ程度には思っていましたが、
安全情報の取得や、飛行機や宿のネット予約、
そして仕事などのメール受信をする
必要性を考えると、ネットは必須です。
(実際、カンボジアで職場からの
 メールをチェックしたりしていました。
 届いていました。もっとも、
 無事確認を兼ねたようなものでしたが。)

今は、インターネットがないと、
生きていけない時代なんですね。



テレビは、無くなっても
十分生きていけます。

インターネットだって、無い時代が
あったのだから無くなっても差し支えない
と思っていたのですけれども。
急に無くなったら、多くの死者が出るかもしれない。
それくらい、インターネットは
不可欠なインフラになってしまっているのではないか。

そんな状況で、
テレビか、ネットかなんて議論は
もはや結論が目に見えている時代なのでしょう。
ましてやテレビもネットもしないと言った
あの御老人がいた時代は、
もはや今は昔、という状況でしょう。

ずっと最初の方に話が戻りますが、
テレビとインターネットについて、
「どっちをよく観ますか」
という聞き方をせずに、
「ニュースはどっちで観ますか」という
設問になったのは、それだけネット環境が
変わってしまったということなのでしょう。
ネットが欠かせなくなったのです。



テレビを観なくなった、
ネットの方をよく観ている。

だから、テレビは敗北した。

と、言えるのでしょうか。
それこそまさに、視聴率という
杓子定規そのものの考え方では
ないだろうかと疑問を呈します。
(この点、ネットでは自由闊達に喋れる人たちが
 よく墓穴を掘るパラドクスの典型ではないでしょうか。)

今回、この討論番組の良かった点は、
視聴率についてかなり突っ込んで
取り上げられたことでは
ないだろうかと思うのです。

某ドラマが、視聴率1~2%だったと。
でも、ネットでは話題騒然となり、
ネット配信数ではかなりの記録を叩き出し、
番組内容についてはたくさんの賞を取ったと。

もっとも調査する方も、最近は視聴率だけでなく
ツイッターを活用した調査を
しようと研究がなされているようです。

もっと、評価すべきものは
されたほうがいい。
視聴率なんてかなぐり捨てて、
ネットに負けた劣等感もプライドも捨てて、
評価されたいものを作ってほしい。

テレビはテレビだ、
勝ち負けも数字も関係ない。
一つのコンテンツなんだ。

ニュース媒体としての需要はないけれども
音楽コンテンツを配信してくれる
ラジオのように、
ほかの媒体には無いコンテンツを
配信するのが、これからのテレビの
未来なんだろうと、個人的には思ったのです。

未来というか、テレビが生き残るための
形と言いますかね。


【ふしぎ】ローマの繁栄、ナスカの伝承

2012年12月15日 | テレビ

 「世界ふしぎ発見!」(TBS)の感想を書くのは
半年ぶりになってしまいましたなぁ。
 毎週見ているのですがね、なかなか書く余裕が。

 それでも久々に書こうとしたのは、
今回はいつも以上に面白い!と思えたからなのでした。

 ローマの地下には古代都市が
眠っているというのは知っていたけれども、
モザイク画が綺麗に残っているのを観ると、
当時の時代の空気感を今も味わうことが
出来るということに感動してしまいました。
 ローマいいですね、行きたくなります。


 
 

 ローマ帝国が繁栄したのは、
高度な建築技術や灌漑技術のみならず、
小麦の管理保存や分配といった
最低限の食料の保証をしたことだという。

 これを今の生活保護と見るよりかは、
それよりも優れている制度のように思えた。

 どうだろう、現行の生活保護も、
たんに現金を支給するのではなく、
一部をコメ支給にするのはどうか。
 効果の程は知れるが、少なくとも、
日本のコメを買い、支給するという仕組みが
一部にでもできれば、少しは食糧自給率に
貢献できるというものではないか。

 そんな生半可な案が頭をよぎった。


 


 ナスカの地上絵をどう描いたか。

 小さい絵を描いて、糸などを使って
拡大して描くという説が有力だった。
 そしてそれをアナウンスしていたのが
この番組だった。

 それを自ら覆し、新説を紹介した。
 このことについて色々と意見があるかも
しれないけれども、逆にだからこそ
考古学は面白いと思った。

 その新説は、歩数で距離感を掴んで、
あとは片足で地面を引っ掻いて描く方法。
 現代において、そうやって描く人がいたことが
新設提唱のきっかけという。


 そもそも、ナスカの地上絵が描かれた理由を、
文字を持たなかった文明がどのように文化を
伝承していったかという認知心理学の視点で
求めようとするところに、一番関心を抱きました。

 考古学とは、考古学者だけの仕事ではないのだ。
 環境考古学も提唱されているように、森林を勉強する
者だって、考古学に携わることが出来るのだ。
 そのためにも、普段から個文明について興味関心を
抱いておくことが肝要か。もっと歴史に興味を持ちたい。


【ETV】ウルグアイ・コシヒカリ・ラウンド

2012年09月09日 | テレビ


・ETV特集「地球の裏側で“コシヒカリ”が実る」を観ました。
 面白かったです。
 気になった点は、以下、箇条書きで。

・世界進出を果たした「スシ」だが、いままでは
 中粒米などのパサパサしたお米が使われていたのか。
 ひょっとしたらそれで寿司など日本食を勘違いされたり、
 日本食嫌いを生みだしているとしたら由々しき事態だ。

・アメリカでおいしいコシヒカリがたくさん作られている。
 アメリカで、おいしい日本食が食べられるという恩恵を
 もたらしめた日本人や日系人の努力に脱帽。

・アメリカで効率優先で作られた安いコメが
 自由貿易化で日本に入って来ると日本の農業は打撃だと
 言うのは然りだ。しかしアメリカのコメも 日本と同じくらい
 手間暇と高度な技術が使われて初めて収穫されているのだとわかると、
 アメリカのコメもちょっとは食べてみたいものだ。

・ウルグアイで作られたコメが、台湾にめでたく出荷となった。
 台湾もコメが主産業だ、わざわざ日本のコメを、しかもわざわざ
 ウルグアイから持ってくるなんて、という抗議運動が
 起きそうな気がするが、さてどう折り合いをつけようか。

・日本から台湾へコメを輸出するよりも、ウルグアイから台湾へ
 輸出した方が安いとは驚きだ。それは生産コストのみならず、
 輸送コストが比較にならないくらい安いという。
 その理由については大いに驚かされた、なるほどなぁ。

・中国や台湾から工業製品を大量に輸出する。
 しかし持って帰るものが少ない。輸入量が少ない。
 工業製品を大量に詰め込んだコンテナ船は、時に手ぶらで
 帰って来るのだと言う。だから帰りの便は安い。
 そういえば、行きはナイルパーチを詰め込んだ飛行機は、
 帰りに別のものを詰め込んできたという映画があったなぁ。

・日本の農学は、農学部にいたときから「農学栄えて農業滅ぶ」
 という言葉を聴いてきたくらい、農業に貢献できていない。
 そもそも、米が余って減反までしている国に
 ミラクルライスなんていらない。だが世界的に見れば
 食糧危機はもうすでに起きており、ミラクルライスの開発が急がれている。

・ブラジルでも日本食ブームは高まり、日本の高品質米の需要は
 増えているという。だが、関税によって日本米の輸入が阻まれている。
 なんてことだ、自国のコメ生産を守るためにコメの関税を
 かけているというのに、それによって米輸出が阻まれているとは。

・ウルグアイで生産すれば、ウルグアイと貿易協定を結んでいる国々に
 無関税及び低い関税で米を輸出することが出来る。
 日本がコメの関税にこだわっている間に、米の輸出ビジネスが
 他国によって抑えられてしまうことを考えると末恐ろしい。

・だから今すぐに関税撤廃をセよというわけではなく、土壌整備が必要。
 たくさん輸出できるくらいコメの生産量を増やす(規制緩和する)ことで
 余剰生産米を「確保」したところで撤廃していけばよいのではないか。
 ただしそのためには日本米の高品質、ブランド化を確立させておかねば。

・日本のお米が、低質化しているという。なんてことだ。
 確かにコンビニや外食産業のお米は、「国産米」は謳っているけれども、
 古米だったり高品質からあぶれたコメを安く仕入れて使っている。
 国産だからいいというわけではない、一つの事例なのだろう。

・日本のお米が低質化しているというのは、今後のコメ輸出を考える上では
 あまりにもマイナスなのはもちろんのこと、味覚に対する
 日本人の感性が変化(もしくは「劣化」)していくという
 おぞましき文化的廃頽が待ちうけている。非常に問題だ。
 あと、外国人観光客の方が舌が肥えていて、何だ本場の食はこんなものかと
 思われてしまっては、観光業としても大打撃ではないか。

・日本の高品質なコメを生産し続けていくために出来ることは何であろうか。
 美味いコメを食べること、だから美味いコメを選んで買うことだ。
 美味ければ2倍くらい高くったて買うといい。どうせコメ消費量は昔と比べて
 半減したんだ、ならば2倍くらい値が張るお米を買っても差し支えない。



※本記事および番組内容は、「ウルグアイ・ラウンド」と何も関係ありません。
 タイトルがそうなのは、何となく、語呂で決めてしまったからです。

※日本のコメ以外のコメはまずいのか。日本人からすれば、まずいですよね。
 この間の中国の機内食はまずかった。実にパサパサした米だった。
 しかし逆に言うと、粘り気の無いコメはチャーハンにすると美味しい。
 日本のコメでチャーハンなんて作れない。日本のコメ以外のコメも、
 各地域の食文化に必要だから、各地域で作り続けられるべきである。

※余談なんですけれども、番組は、なんとなく、TBSのドキュメンタリーっぽい
 作りだった気がするんですけれども。ナレーションも「THE世界遺産」と
 同じ人だったし。なんか関係あるんでしょうかねぇ。
 たまにNスペと世界遺産は、共同で制作されるくらいですしね。
 本当に要らぬ余談というか蛇足でした。


【ふしぎ】チロル5千~2億年史

2012年07月21日 | テレビ

 さて今日の「世界ふしぎ発見!」(TBS)は、といつも感想を
書いていたつもりだったのですが、
今回はおよそ1年ぶりとなってしまいました。

 毎週観ているのですがね、ついさぼりがちになっちゃって。
 それとも、自分自身に、こうやって誰かに伝えたくなるほどの
感動を得る感受性が無くなってきだしたのだろうかと
心配になってきました。


 閑話休題。

 イタリア奇岩地帯ドロミーティ(世界遺産)について。

 チロル地方の、「地方」という言い方が気になっていました。
 ははぁ、そういうことだったか。

 かつてはチロルという国があったわけですね。
 それが第一次世界大戦を経て、ドイツとオーストリア、
そしてイタリアに分割されてしまった。

 その、チロル王国だった時代の街の中心が
イタリア側にあって、そこには驚くほど深く長い歴史や文化が
連綿と今に至るまで残っているというのが
大変興味深かったです。
 なに、湖上の木造住宅ですと、3千年前に。
 なんと、東洋医学のような鍼灸治療ですと、5千年前に。

 特に興味をひかれたのが、今はキリスト教カトリックと習合した、
太陽が昇るよう天に祈る(知らせる?)ための焚火の儀式が
今もなお催されているということでした。
 それは村人に大事な農業の暦を知らせるものという
実用的な意味もあったそう。
 京都の五山を連想しましたけれども、元々は木の文化といい
自然崇拝が今も習合の形で残る地域なのだから、
この風習の軸は京都のとは共通性を見いだせるかもしれないと
思えたのでした。

 ヨーロッパの真ん中にも、北欧や離島のように
まだまだ旧キリスト文化の痕跡が残っていたりするのですね。



 と、人類史の視点に立てば
チロルは5千年以上もの歴史があると言えるわけですが。

 地質学でいえば、2億年もの歴史ですか。
 アンモナイトにサンゴ、巨大二枚貝などの化石がたくさん。

 ドロマイトという地質用語はここから来たそうです。
(大本は地質学者の名前から。)
 2億年の歴史とは、恐るべしチロル地方。


【WH】1行の通信

2012年03月25日 | テレビ

 今回の「THE世界遺産」(TBS)は、
スウェーデンのヴァルベリ無線通信局でした。


 * * *


昔は巨大な装置だが、今は手のひらに収まる。
これはちょっと違うなと思いましたね。

巨大な機会と言っても、スウェーデンから
アメリカまで電波を飛ばすのに、
これだけの機械でいいのかと逆に驚いたもの。

アンテナはめちゃくちゃでかいのだけれども、
心臓部と言っている機械は蒸気機関車より全然小さい。

だからこの機械の開発者は
よほどの天才だったんだなと納得できる。

一転してケータイは、もちろんこんなに小さくなるのは
ものすごい科学技術の進歩だけれど。
ケータイの電波は数キロしか送信できなくて、
いくつもの中継局が運んでいるから
遠くへ届くわけでしょう。

今スウェーデンからアメリカまでメールを打とうものなら、
海底ケーブルを通じて送信されているわけでしょう。
施設の規模からいえば電波塔よりも相当でかい
インフラがあるから出来ること。

だから、こんなにシンプルな施設が、
直接電波を遠くまで届けられるなんて、
ケータイよりもすごいじゃないかと
思うのですがどうでしょうかね。


 * * *


1行、十数万円。

この条件で、遠く離れた人に
伝えたいことがある時。

何を綴ればいいのだろう。


20世紀初頭なのだから、手紙という通信手段はある。
安いし、はるかに多くの情報を詰め込むことが出来る。
ただし、遅い。数カ月かかる。

だから早く伝えたい。
わずか1日で伝えられる。
だが、高い。
節約のために1行で伝えないといけない。

さて何を語ろう。


今やメールで、事足りてしまう。
普段は特に1通のメールに
それほどの気を使わない。
何度でも送り返せる。
10分あれば表題は
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
とすることが出来る。

あろうことか今や、
本当にどうでもいい一瞬感じたことを、
140文字以内でいくらでも
垂れ流すように発信できる。
もはや1行に懸ける想いなんて
この世から切り捨てられてしまったかのよう。


1行の価値。

それを思い起こさせるのが
この通信施設保存の意義なのだと思える。


 * * *


モールス信号って、考えてみればこれって
デジタル通信よね。

だって電波のONとOFFの二進法の信号なんだから。

でもそれを発信するのは人間の手で、
受信して文字に変換するのは人間なのよね。
何というアナログなデジタル通信。


 * * *


世界遺産の中でも、産業遺産は特に好き。
なんかときめいちゃうね。

理系なのかな自分は。


4月7日に記す。

【流儀】村おこしアーキテクチャ

2012年02月20日 | テレビ

伝える。

伝わる。

伝えたい。


守りたい、

残したい、

造りたい。


デザインすることは、

風景を残すことなのか。

そこにあったもの。

次々と消えていく。

今まで消えなかったのは

人の手がかかっていたから。

気持ちが伝わっていないと、

モノすらも残していけないと

はじめて気づかされる。



 ちょっと、説明しないと
意味がわからないですかね。

 今日の「プロフェッショナル仕事の流儀」(NHK)
一次産業商品のデザイナーでした。



「いいもの」とは何か。
有機栽培とか、こだわりの原料とか、
昔ながらの製法とか。

しかしそれは言われなきゃ分からない。
残念だけど、見た目では分からない。
食べれば分かるかもしれない。
でもモノを買うとき、
見た目で判断しないといけないのがルール。

他に判断の手立てはないか。
情報が欲しい。
でも文字だと疲れる。
直感的に、分かるものが好い。

消費者も、伝えてほしいと
思っている、情報過多の時代の中で。
シンプルに、パッと見で、
分かるような情報を。
伝える方は悩む、どう伝えたもんかと。

発信力もさることながら、
一人ひとりに、いかに
思いを伝えられるか。
人に「思いを伝える」だなんて、
一人でさえそれは難しい。

それをあえてやろうとする
職業があるのだ、
人々に思いを伝える職業が。
表現者とでも言うべきか。
デザイナーという横文字もある。



風景はいつまでもあるものではない。

実家の周辺の田んぼが、
年々住宅地に変わっていくのを
観るにつけそう思う。

家の周りの田んぼは、
誰かが植え付け、刈るからこそ
田んぼであり続ける、
風景として維持される。

当たり前のことだけれども、
案外気づかない。
都会だったら実感できるが、
山里とか農村とかは、
いつまでもあるものと思いがち。

人がいなくなれば、
1年で荒れてしまうというのに。

風景は人の営みによって
造られたことを大学時代の講義で知る。
逆に言うと、人がいなくなれば
風景は維持されない。

その風景がよいか悪いかは
人により判断が分かれるかもしれない。
元の自然に戻るに越したことないと
思う節もあるかもしれない。

でもなんで、農村とかは
元々の自然よりも、いいように見えるのか。

何かこう、昔の人々や
今もそこに暮らす人々の
思いが伝わってくるからでは
なかろうかと思う。



村おこしなどは、
人とのつながりや社会の構築、
そして思いを伝えることが
ネックになっているようだ。

そしてこれらを取り繕うのは、
デザイナーだったり建築家だったり。
プログラマーなども多い。

村おこしや街づくりは、
きっとアーキテクチャの部類に
含まれてくるのかなと
考えられる。

なんてクリエイティブな仕事なんだ。
そういう生き方をしたい。

人に思いを伝えられる、生き方を。


【Nスペ】世界最大の棚田群

2012年02月05日 | テレビ

 またも、「NHKスペシャル」を観ていました。

 今週もまたすごい。
 何より、中国はまだまだ世界遺産に登録されていない
絶景をたくさん隠し持っているのがすごい。
 2013年に世界遺産申請予定の、
「紅河ハニ棚田」の景観がものすごい。

 何がものすごいかと言えば、そのあまりの規模の大きさ、
空から見るち密な造り、そして何より
それら景観の維持(というよりかは人々の営みの維持)
にかけられる莫大な労力。

 総面積は5.4万ha。世界遺産候補地の他、
国連食糧農業機関が世界農業遺産に認定したところなんだそう。
 既に世界遺産に登録されているフィリピンの
「コルディリェラの棚田群」をはるかにしのぐ規模、
世界最大の棚田群なんだそうで。


 段差は最大3メートル、標高1800メートルまで開拓。
 いや、ただむやみに作るだけならまだしも、
ここで農作業を営むというのが大変ではないか。
 何万枚に及ぶかわからない田んぼに、ひたすら、手で植え、
手で刈らないといけないのだから。
 そして何より驚かされたのが、刈って脱穀したコメを、
村まで持って上がらないといけないという。過酷すぎる。

 これらは少数民族ハニ族が、1300年かけて造りだしたもの。
 このように厳しい条件下で、どうして子の棚田は
保持されてきたのだろうか。
 そして日本の千枚田やコルディリェラの棚田にあるように、
放棄地など後継ぎ問題や景観の損傷などの問題は
起きていないのかが大変気がかりなところだ。
 村にもいくばくか近代化の波が来ていると紹介されているが、
それがどう棚田に影響しているかも知りたい。続報が待たれる。


 さらに気にかかるのが、観光客がどのくらい
村に影響を与えているかだ。
 下手に道路が整備されると、景観や排気ガスなどの
問題があろうし、何より村の人々が観光業に
傾倒してしまわないかも心配なところである。


 とにかく、圧巻というか、あまりに凄過ぎて
笑ってしまいたくなる、絶景すぎる絶景だった。

 一応、ここが世界一大きな棚田群であることは
情報としては知ってはいたが。
 まさかここまでとは。空撮がすごかった。

 これを航空写真で見たらどんなものかと思ったが、
残念ながらネットの写真は画質が悪かった。
 →グーグルマップ http://g.co/maps/zvxf8

 よし、もう一度、録画したものを見よう。

【Nスペ】笑顔と会話が生きる条件

2012年01月22日 | テレビ

 「NHKスペシャル」を観ていました。
「ヒューマン なぜ人間になれたのか」という
久々に大型の科学特集です。これは期待。



 人間はなぜ協力し合うのか。
 粘菌の協力と人間の協力はどう違うか。

 粘菌を取り出せば、ヒトの体だって
何十億もの細胞が協力し合って出来ていると
言えまいかと思うのですが。

 しかし器官があって体を作っているように、
国があって世界秩序が保たれている(もしくは
抑圧されている)ということを考えると、
人類とは人間という生命体のふしぎと
軸を同じくした奇跡的な集合体なのか。

 なんて妄想を試みる次第です。



 戦争中、笑顔を見せれば敵意がなくなる。

 最近の歌みたいじゃないですか、
世界の共通言語は英語じゃなく笑顔だなんて。
 でも、ただそれだけで、
相手と心を通じ合わせることが出来るのか。

 国内にいると、なぜか初対面で笑いは
よそよそしいというかなんというか。
 しかし海外に行ったとき、確かに
笑顔の効果というものを体験した。

 言葉がわからない者同士。価値観も
習慣も常識も何もかも違う。
 そんな人たちと会ったとき、
先ずはやぁと手をあげて笑う。
 それだけであとは、会話がはずむ、
ビールも進む、ぶっちゃけ話もでてくるわ。

 笑顔を作っただけで、なぜか友達が出来る。
 そんな不思議な体験をした。

 日本でも、笑顔をふりまけば
もっと友達が増えるのだろうか。
 怪訝な顔をされるだけだ。

 しかしご老人からは、にこやかな笑顔が
返ってくることがほとんどだ。
 日本もかつてはそういう国だったのだ。



 赤ちゃんと会話をしないと、
どんなに栄養や衛生環境が良くても
3割は2歳になる前に死ぬんですって。

 大人だって、2年も会話がないと
死んでしまいそうだ。
 いくらツイッターで会話が成り立って
いるように見えても。リアルな
コミュニケーションを欲している。

 同様に、お年寄りへの会話というものが
ないがしろにされていやしないかと
ふと思う。

 街の片隅にひっそりと座って
行き交う人を眺める目は何を思う。

 施設に入っておられるご老人方は
何を思って生きているのだろうか。
 機会があったら、お話を乞うてみたい。
 いや、そういう機会を作ろう。


【ふしぎ】地域の骨になる

2011年08月13日 | テレビ

 フランスって、農業大国のイメージが
なかったのですけれども。
 そうか、国土はヨーロッパの中では相当広い国
なのでしたね。

 そしてなんといってもノルマンディ地方があったか。
 日本で言えば、北海道みたいなところと
思えばいいでしょうか。

 にしても、フランスの食料自給率が110%
だというのは驚きました。世界4位。意外です。

 今日の「世界・ふしぎ発見!」(TBS)は、そんなフランスの
ノルマンディ地方紀行でした。


 「local bone」。
 地産地消、という意味なのだそう。

 自前のモノ、地元のモノを使う。
 地域の食文化を守るのみならず、
畑地などの景観や産業を守る。

 地元産の食材で地元に対する愛着を湧かせる。
 守られた文化を観光資源として生かす。
 地名が知られると農産業のブランド化がはかれる。

 そんなことが、ここノルマンディでは
実践されているのだなぁ。羨ましいです。

 それにしてもフランスで、
地産地消とか言うのはなんか意外です。
イタリアみたいじゃないですか。

 もう、イタリアみたいな取り組みが、
世界的な常識になっているのかもしれないですね。
 地元の食から、地域文化を大切にするというお話。


 それにしても、冒頭のオマールエビ…。
 半分に切断されても、まだ動いとる。

 フライパンに乗せられると、
ハサミを激しく動かしてエビ反りする…。

 生命力逞しいけれども、なんとも
残酷な画。人間ってそういうところあるよね。

 でも、美味そうだ…。
 人間ってそういうとk(以下略。


【WH】景観は、壊して作る

2011年07月10日 | テレビ

 自然の景観と思いきや、実は人の手によるものだった。
 そういう例は日本国内においても案外多い。

 例えば、青松白砂の、綺麗な砂石や銀を採掘する際に、
切り崩した岩石が川に流れて、砕かれて、
海岸に堆積してできたものであると言う。
 そして砂浜に生えている松は、飛砂防止のため
人工的に植えられたものであると言う。

 特に鉄鉱石の採掘は、1000年ほど前から
行われているではなかったか。
 そんなに昔から日本人は、山を彫るなどして
自然のものをせっせと壊しては、一方で砂浜など新たな景観を
知らぬうちにせっせと作っていたのだ。
 今でこそ重機を使って、大々的に地形を改変している。
しかし人間は昔からせっせと営んでいれば、
圧倒的に見える自然の景観を作り変えてしまう事が出来るのだ。

 最初にこの話を聞いた時は、いたく感動したものだ。
 人間が、景観を作り出すことができるとは。
景観を見れば、人々の営みの歴史が見えてくる。その景観が
美しものであるほど、人間の営みは、自然と上手い事
共存できているともいえる。


 しかし今日見た世界遺産は、その思いをことごとく
破壊してくれる、強烈な遺産だった。

 時は2000年以上も昔。
 わずかな含有率の金を採掘するために、山を丸々削ったローマ人。
 ダイナマイトが無い時代に、水を流し込むことで
人工深層崩壊を起こして山を丸々破壊するという、
なんとも大胆で、強烈な事をしてくれよう。
 一気に山を崩すのだから、コツコツ景観を変えていく、
という流暢なものではない。更に、当時の景観はとても
美しいと言える代物ではなかったろう。自然との共生なぞ見当たらない。

 しかし2000年もの時を経れば、自然と人間は和解するものなのだろうか。
 よくある、奇岩群の自然遺産のような景観が広がっている事に、
たいそう驚かされた。しかしこれは文化遺産、山を丸々破壊する、
自然も環境もあったものではない豪快な産業遺産である。
 それがこんなにも美しい景観を作り出そうものとは。

 厳正なる自然景観と、人の手が加わった及び人の手による景観の
境目は果たしてあるのだろうか。もしくは、区切る必要性が
あるのだろうか。
 大々的に自然を壊しておきながら、後世になって美しいと
評される景観が生まれてくると、果たして自然破壊は
憎むべき存在なのだろうか。
 わずかな金の採掘というちっぽけな目的のために、
欲深い人々が大勢を借り出して景観を変えてしまった
という史実は人類にとって誉れな遺産なのだろうか。

 様々な思いが去来するが、しかし圧倒的な景観を前に、
世界遺産の価値ありと認めざるを得ない壮大な世界遺産だった。


 というわけで今日の「THE世界遺産」(TBS)は、
「ラス メドゥラス」(スペイン)でした。

 ちなみに人間が作り出した景観、という話でもう一点。
 奇岩の麓は栗の林が広がっているという話。
 これも人の手で造られたものという事が言われていたが、
言われなくても森林科学を習っている身としては分かる話。

 むしろ、栗林が広がっている景観に、たいそう驚かされた。
 これだから世界遺産は、知らない事が次々に出てきては、
常識を破壊させてくれ、ますます奥深いところへ引き込んでくれる。


【WH】「祈り」の世界遺産

2011年06月26日 | テレビ

 今日の「THE世界遺産」(TBS)は、
まだ登録から24時間が経っていない
「平泉-浄土を表す建築・庭園」でした。

 この記事も、登録から24時間経つ前に
あわてて書いているところですよ。

 * * *


 日本の仏教建築には、どこか
メルヘンのような、空想のような
趣を感じ取れる。
 現実逃避ではないのだけれども、
理想郷を具現化しようという強い意志が
現れているように感じられる。

 なぜか。
 困難な時代の時ほど、仏教に、いや、
理想の世界に思いを馳せ、身を置こうと
するのではないか。
 それはやはり現実逃避ではないか、と
見ようによってはそう見えるかもしれないけれども。

 藤原清衡は、相次ぐ戦乱と、
親や家族など多くを失った絶望の中から、
浄土という理想の世界を夢見た。
 しかし凄いところは、夢見ただけではなく、
それを具現化しようと様々なものを作り上げた。

 けれどもそれらは未来永劫続くものでなし、
100年後には滅ぼされてしまった。

 なぜこうも、人類の理想郷というのは
作りえないものなのだろうか。
 ことごとく破壊されてしまうのだろうか。

 無情な世の中だ。
 そのような中で、この世界観が
国際的に評価された事は、
未だに戦乱相次ぐ世界の絶望から
平和という浄土を見出す好機となるか。
 芸術のみならず、祈りという無形の価値にも
注目したい世界遺産である。


 * * *


 さて、来週は「小笠原諸島」ですよ!


祝!日本の世界遺産2つ追加

2011年06月26日 | テレビ

 24日、「小笠原諸島」が世界自然遺産に登録。
 そして26日の0時半!(日本時間)
 「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登録!

 なんと1996年の広島2遺産以来の、
国内世界遺産ダブル登録。

 さらにたまげた、「THE世界遺産」(TBS)は、
今日は「平泉の文化遺産」、
来週は「小笠原諸島」!

 絶対に見逃せない!撮り逃せない!
 もう、放送10分前には坐して待機しますよ。