BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

Google社長の来鳥・講演

2007年11月24日 | 【大学時代】学外活動

 ごく久しぶりに、このカテゴリーで書いてみました。
 鳥取大学工学院の催しに参加してきました。
 実は情報源は、未だ退会し忘れている「学生人材バンク」なのです。はっはっは。



 11月24日、鳥取大学工学院にて、「第9回IEEE広島支部学生シンポジウム」が開催されておりました。
 その中でグーグル株式会社(Google Japan)の代表取締役社長が基調講演をされるということで、それだけを見に行ってきました。

 やはり興味の焦点は、前にNHKスペシャルで放送された「“グーグル革命”の衝撃 あなたの人生を“検索”が変える」についてだったのですけれども、その話には「面白おかしな話」と一蹴、質疑応答の際でもなんらその話しが出てこなかったのは拍子抜けしました。
 それより今回の話題は、ネットという世界で展開される「ビジネスモデル」の将来性とか、経営についての話が主立っていました。けれどもこれはこれで、非常に興味深いものでした。


 ビジネスモデルについて。
 Yahoo!の「情報整理」は、「目次」(ポータル、カテゴリ)を柱としている。
 一方Googleの場合は、「索引」(インデックス)を柱としている。

 分かりやすく手元の本を例にすれば、冒頭にある章名と頁数の一覧が、ポータルサイト。巻末にある単語などと頁数の一覧が、検索サイト。

 つまりこの両者は、競合しているようで、実は綺麗に頭と尾とに「棲み分け」をして、それぞれにビジネスを展開しているのだった。
 その違いについてはまあ割と分かっていたつもりだったのですが、そうか、ビジネスという視点で考えると、全然異なる展開の仕方をしているのですな。


 その「検索」方法の違いについては、あまりよく知られていないようである所に怖いところがある。
 Googleは検索結果に「検閲」や「排除」の権限を持ち得ない(と、語っておられましたが)。故に、その結果に妙な「信頼」というものが構築されてしまう。
 あくまでも検索結果は「関連性の高さ」であり、「正確さ」ではないという。けれども、ユーザー側にはそれがなかなかうまく伝わらない。勿論ユーザー側のネットリテラシの問題もあるけれども、その辺りのところももっと啓蒙する社会的責任が、CSRがあるのではないだろうか、と思いました。


 色々と考えさせられるところもあったのですけれども、それがまた面白かったのです。
 有意義な時間を過ごすことが出来ました。


城下町鳥取の景観フォーラム

2007年03月04日 | 【大学時代】学外活動

 3月4日、鳥取県立図書館2階の大研修室にて、城下町鳥取の「景観」についてを考える「城下町の風情と景観を考えるフォーラム」が催されました。

 

 はじめに、京都橘大学の井口教授(文化政策学)による講演、「常在の地域文化を活かしたまちづくり観光」についてのお話が1時間ほどありました。

 最近の観光客は「旅慣れ」した人が多くなり、所謂「定番」というものが通じなくなってきていることを指摘されました。
 もっと広く解釈すると、観光地のありきたり、均一化している傾向への脱却が求められているということでしょう。
 そのような中で、もっと地域らしさ、地域の「個性」というものを生かした観光資源が求められていき、それが地域の「景観」である、という話に繋がっていきました。

 ここで注意すべき点は、「観光まちづくり」になってしまわないこと、つまり観光を第一としたまちづくりや景観整備にならないようにすることが大事であるということでした。
 日光江戸村や東京ディズニーリゾートなど、観光のための新たな街づくりや景観作りで成功した例はありますけれども、その一方で大失敗して大負債を抱えた地方のリゾート地というのは山ほどあるわけでしょう。逆に言うと山ほど作られたからありきたりのものとして見放されたものばかりなのでしょう。それではいけない。
 かといって、その地域の人たちにとっては「何も無い」ものでしかない地域と思っていらっしゃる人たちが多い(殊にご年配の方々が多いようですね)のも事実で、ついハコモノを作りがちな傾向もあるわけです。
 でも、「何も無い」というのが、都会の「ありふれた」煩雑な地域に住む人たちにとっては、逆にそれが魅力だったりするわけですよね。田舎の人たちが煩雑な都会に憧れるも都会人はその魅力に飽きたり、均一化した都市化にうんざりしているケースもあるわけですよね。

 要するに、魅力の無い地域など無いし、どの景観だって面白くて十分観光資源に値するものだといえるのである、ということなのです。(あくまで講演の内容から個人的に解釈した話ではありますが。)
 その地域に住んでいる人にとってはありきたりな「日常」であっても、外部から来る旅行者が求める「非日常」には十分満たしているのです。そんなものなのです。
 よそ者であるワタクシ(長崎出身)からみて、鳥取という城下町もやはり、これまで生きてきた世界とは異なっていると感じましたから、間違いないです。(ただし、「非日常」であってもそれが良いものか否かは人によるでしょうね。ワタクシの場合は後者…。)


 そして、「観光」というものをもっと本来の意味、つまり『易経』の「国之光ヲ観ル」に立ち返る必要性が説かれました。
 住みやすい街づくりを、つまり住民にとって良いものである街づくりや景観整備を進めなくてはならないことが大原則であるとのことでした。当然のことですよね。住民にとって住みづらいのであれば、1泊するにも泊まりづらそうですからね。
 さらに重要なことは、「持続的」なもので無ければならないこと。例えば無理に景観を守らせたりして文化の「押し付け」をしてはならないことが説かれました。
 文化が「苦しいもの」になってはならない。これは特に、世界遺産関連で世界的な課題(特に観光資源に頼ろうとする途上国によく見受けられます)になっているものなのですよね。

 まぁとにかく、(個人的な感想ですが、)これからは地域の観光業者も観光客も、さらには地域の住民も、もっと「観光」というものについて捉えなおす必要があるのではないかと、そう思いました。
 観光業者だけが儲かっても駄目だし、だからといってそれ以外の住民はふて腐れていてもいけないし、観光客ももっと肥えた目を、そして真の文化的価値を見る目を持つこと(そのためにはたくさん旅をしたり、学んだりする必要がありますがね。でも逆に世間知らずが旅するのも怖いですから、やはり旅をするにはある程度の「目」を持たねばならないと思いますよ)が求められていくのではなかろうかと思いました。

   

 講演の後は、4名のパネラーによるパネルディスカッション「城下町の風情と景観の魅力とは」が行われました。

 鳥取市の城下町の景観は、度重なる地震や火災、洪水などでかなり失われてしまいました。
 それでも残されたものを今後も維持していく上での一番の課題となりそうなのは、民家など私有地や私有財産の保護に手間取る点であろうと思いました。
 もちろん、所有者自身も出来ることなら残したいとは思えど、維持費や改修費には莫大な予算がかかって困難であることが多いようです。かといって、市民団体やNPO、行政にもそんなお金の余裕は無い。緊縮財政の鳥取市も然りです。

 面白い指摘がありましたね。国や行政持ちの文化財、もしくは地域で特に秀でた文化財は、案外国や行政の予算が下りやすかったりスポンサーがつきやすかったりするけれども、個々人の所有する古民家まで手は出せない、と。故に広い地区をカバーしようとする景観保護は困難であろう、と。
 なかなか難しい問題です。

    

 さて最後に、フォーラムの後城下町を実際に散策してみようという企画がありまして、そちらにも参加してまいりました。
 先述の通り、古い建物は悉く失われてしまって、いまや久松山という「ランドマーク」があるのみなのですが、江戸末期の古地図のコピーを見ながら散策いたしますと、実に面白いものですね。昔の道路をそのままアスファルトで固めたのだなぁと分かるところもあれば、あぁここは新しく作られた道路で、かつての道路はあの建物の裏道なのかという驚きもあるのですよね。

 鳥取市街地は、城下町の景観は久松山のみとなってしまいましたけれども、道路だけは驚くほど残されていたりしますから、これを生かすべきですよ。
 これから市街地の観光地図を配るときは、挿絵や広告がちりばめられたようなものはやめて、江戸末期の地図のコピーでも使ってはいかが、と思いました。

     

 かなり個人的偏見や興味の方よりの多い文章になって、当日の雰囲気から逸脱してしまいましたけれども、とりあえず私はこのフォーラムを通して以上の事柄を考えたりしていました。
 一口に「観光」といいましても、そこには福祉の問題や経済の問題、歴史文化や環境問題など様々な問題が絡み合っていて、なかなかややこしくて取り止めの無いものなのですよね。
 でも、それらを複合的に考えるというのは、視野も広くなるし楽しいではありませんか。考えること、問題として意識の中に組み込むことが大事なのです。多分ね。

 

参考リンク
 ●(社)日本観光協会
 ●(社)鳥取県観光連盟
 ●鳥取県文化観光局
 ●鳥取県観光情報HP
 ●国土交通省総合政策局観光部門


「城下町の風情と景観を考えるフォーラム」

2007年02月25日 | 【大学時代】学外活動

 久々に「イベント情報」カテゴリーの更新です。鳥取在住中の更新はおそらく最後かもしれませんね。



とっとりの風情フォーラム事業
「城下町の風情と景観を考えるフォーラム」


●日時:3月4日(日) 13:00開場
 (5日は鹿野での現地視察有:要予約)

●会場:鳥取県立図書館2F大研修室

●参加費:無料 (交流会除く)

●内容:
 13:00 開会
 13:40 基調講演「常在の地域文化を活かしたまちづくり観光」
     講演者:井口 貢 氏(京都橘大学文化政策部教授)
 15:10 パネルディスカッション
     「城下町の風情と景観の魅力とは」
 17:00 城下町散策
     鳥取城趾を望む城下町を散策(ガイド付)
 18:00 閉会、交流会(有料・要予約)

●主催:
  (社)日本観光協会
  (社)鳥取県観光連盟
   鳥取県



 詳細については、鳥取県文化観光局のページ をご覧になってくださいませ。

 鳥取市街地観光活性のために、歴史的城下町という特色ををもっと押せ押せと考えていた私にとって、これは実に切望していた勉強会であるなぁと思っています。是非行きます。興味のある方も、是非。


※ついでのリンク→鳥取県観光情報HP


3度目の話し合い、そしていよいよ旗揚げ

2007年02月11日 | 【大学時代】学外活動

 いよいよ、本格化してきた感があります。新サークル「畑組」の旗揚げ。大学外で、実践的な農業をやろうという企画です。
 旗揚げにこぎつけるために、6人の面々(他の方々は3年生)で密かに話し合いを進めてまいりました。

 そして今日も話し合いをしていました。3度目の話し合いです。午後1時から3時間(途中で抜けてきたので、残りのメンバーはもっと話したのかもしれませんが)も、熱い議論を交わしっぱなしでございました。
 何だか久々に、お互いに抱く思いをぶつけ合えたような気がしまして、実に清々しいものです。
 もうすぐ卒業だって言うのに、最後までこうした活発な学生生活を送れるというのは、非常に有難いことでございます。それでも足りないくらいです。やり残したことはまだまだ沢山あるのですから。

 特に、大学生がもっと地域に飛び出して活動できるような、それも大学のすぐ近く、大学周辺の地域の人々ともっと交流できるような、そんなサークルがあればいいなと思っていましたから。だって、出来ていないでしょう、湖山に住む学生さんたち。すれ違うご老人の方々と、挨拶していますか。
 そんな中で、畑作を通して、畑に関する話題を通じて、湖山の人々(借りた畑が湖山なものですから)はもとい、市内の農業関係者と色々な繋がりを持てる場作りを提供できる、自分にとってはまたとない最後のチャンスだなと思いましたから。
 まぁもっとも、これら地域社会との交流は個人的な目的ですし、サークルの筋としても二の次ですから。
 サークルの大筋は、皆で楽しく畑作業をする、ということですからね。

 「畑組」のHPもおいおい作る予定だということでございました。さらに詳細が決まり次第、追って情報を掲載しますね。


1.25鳥取県知事の公開講座

2007年01月16日 | 【大学時代】学外活動

 鳥取大学の宣伝になります。

 1月25日(木)、鳥取大学地域学部 にて、鳥取県知事の公開講義が開かれるそうです。

 以下、地域学部広報文より抜粋です。


公開講義「自立の時代の地域間交流」

■講師:片山善博 鳥取県知事

■日時:平成19年1月25日(木) 16:20〜17:50(5時限)
■会場:地域学部棟507講義室(5階)
■主催:鳥取大学地域学部

 大学院教育学研究科の授業「環日本海文化論」の一環として開催しますが、今回は公開講義とし、広く学外の方々にも聴講いただくことにしました。特段の事前申し込みは不要です。

【講義内容】
 ○自立とは何か
 ○地政学上の鳥取県-「裏日本」から「環日本海時代の拠点」に
 ○隣国を正しく知っているか
 ○韓国との交流
 ○中国との交流
 ○今後の交流の課題とその展開
 ○国際交流と地方の役割

 三期目の不出馬を表明された片山知事。
 片山「知事」としての、最後の講演の機会となるかもしれません。
 お暇でなくても、万事繰り合わせの上行ってみたほうが良いかと思います。私も、行きます。


セミナー「ボランティア活動と地域資源管理」・学生ボランティアについて

2006年12月16日 | 【大学時代】学外活動

 12月16日土曜日。
 鳥取大学農学部棟大会議室にて、鳥取大学と農村計画学会、学生人材バンクが主催するセミナーに参加してきました。
 テーマは、中山間地域などへの特に学生によるボランティア活動についてでした。

 ところで。
 学生ボランティアの現状などを報告する会にも拘らず、学生の姿が少なかったようにお見受けするのですがね。
 このブログを読んでいらっしゃる3年以下の大学生は、次回からこういう機会を大事にしてくださいね。得るものは沢山あるのですから。切に願っておりますよ。

 さて今日のセミナーについて。
 特にここでは、学生ボランティアについてのみをピックアップして、その中で話し合われたこと、及びそれで私自身が感じたことをご報告してまいりたいと思います。
 一部セミナー内では出てこなかったり若干異なるようなことも付け加えておりますので、その辺のことは全て本ブログの仕業としてご了承くださいませ。


1・集落・地域にとっての学生ボランティア


 ●学生ボランティア(以下 学ボラ)を受け入れる前の、
  地域の学ボラに対する印象は


○「暇なとき」に来る学生、「飯目当て」の学生、というイメージも
 ∟学生に対する偏見、不安もしくは未知なところがあった
  ∟集落・地域内で排他的な雰囲気が(無いことも無かった)

 →新しい情報、見方、技術が入ってきた
 →孫世代との交流が出来るようになって感謝する人も

○地元の人でさえ重労働で危険な産地を敬遠、ましてや学生
 ∟応募しても人数は集まらないだろうという薄い期待

 →熱心な学生の多さに驚き
 →新たな問題として、鋸が使えないなどの学生も
  ∟学ボラの現場教育により、その不足を補える期待(→2へ)


 ●地域における学ボラの位置づけ、長期的見通しは


○集落には年間スケジュールの中で絶対に外せない行事がある(水路掃除など)
 ∟必ず毎年行わないとならない
  また草刈や竹林除伐なども含まれる

 →常に人手が必要で、特に学ボラが無いと維持できない
 →学ボラが廃れると、極端には地域が廃れるという危険性も
  強度に学ボラに依存している
  長期的にも「自立」しにくい見通し

○人工林管理に関しても、所有者や地域住民だけでは難しい
 ∟現段階においても「自立」していない

 →長期的に見てやはり「自立」しにくい見通し
  ∟自治・地域の中での学ボラの重要性が確立されている
   (より大袈裟に)学ボラにより地域が成り立っているとも


2・学生、大学側から見た学生ボランティア


 ●「学生人材バンク」立上げの経緯、学ボラの意義は


○学生と地域をつなぐ接点として
 ∟代表自身が持っていた地域との接点を発信するために設立

○授業を取っている意味、勉強の仕方を得る
 ∟特に農学部生にとっては中山間地域の農林業技術
  および過疎化などの問題は、専攻と直結・関連する

○学生にとっての勉強の場に
 ∟学生が地域の方々から技術や歴史、諸問題を勉強に
  ∟逆に、地域の人々へ様々な技術や情報を発信するために


 ●学ボラの、大学側の教育的観点からは


○外へのボランティア体験により、大学生活の幅を広く

○しかしながら、実際の学ボラ参加者は
 人数(割合)が少ないことに残念
 ∟しかし参加する学生は何度も参加したり(「質の良さ」)、
  より活動の幅を広げるという効果が実証されている

○教員としても、ボランティアへの積極的な参加
 および学生の参加への促進を望まれる
 ∟研究室単位での参加、授業の一環として

 →環境共生学コースなどが実施、実習としての学ボラ

○「生きる力」を身につけることへの期待感
 ∟学ボラが教育力に繋がるという期待


 ●学生の卒業という「タイムリミット」について


○学生の活動・交流時間の有限性、非持続性
 ∟多くの学生は県外へ
  もしくは仕事などによるボランティア参加機会の急減
  ∟学生間の仕事の引継ぎ と同時に
  ∟教授陣の現場との橋渡しを

 →学内で完結する人、研究に関係ない人も引っ張り出したい
 →地域側からの教授への働きかけも欲しい


3・全体的に見た学生ボランティア


 ●地域の自立の中で、ボランティアの意義・立場は


○楽しみ、行事としてのボランティア
 ∟学ボラ:「遊ぶ」ボランティアでの気持ちで参加する
  地域:イベント、交流の場としての実施

 →楽しみながら、遊びながらの気持ちで行われることによる
  ボランティアの持続性
  しかし「遊ぶ」意味では安全性への心配も
  ∟間伐などの危険な作業における責任の自覚

 →恒例化することによる飽き、倦怠の発生
  地元有志の昼ごはんづくりが「当たり前」と化すると
  お互いに負担増になる危険性

○農村地域のあり方に「共」(=共同作業、コモンズ)の
 領域をどうするか
 ∟ボランティアの取り入れにより、
  新たに「交流」の発生を期待


 ●「自立」に関連しての矛盾は


○地域の「自立」も、現状としては学ボラ依存の実態
 ∟学ぼらに頼ることでの地域の成立の現状に「自立」は矛盾か

 →しかし学ボラへ「依頼」するなど
  地域独自の対策の立案、選択自体は、自治の「自立」
 →地方行政依存、「税金頼り」の脱却が肝心



 大まかに、以上のようになるかと思います。
 大きく3つに分けて問題点などを配置しましたので、実際の発言の順番と異なるところがあるかと思います。

 ダラダラと書いてしまいましたが、問題点だけをピックアップすると、以下のようになるのではと思います。

 ①参加学生の人数がまだまだ少ない
 ②昼飯の「慣例化」、間伐など危険作業の認識が「希薄化」
 ③保険など安全管理に関する大学側の扱いにくさ

 そして学ボラが地域の方々に重宝されているという嬉しい事実の反面、

 ④学ボラの持続が断たれたときの地域の持続性への懸念

 なんていう問題があるのだなと感じます。
 一見、学生側の驕りのようにも感じられるかも知れないですが、地域の方が(ありがたいことに)おっしゃっていることですから、そこは素直に捉えてください。

 ②に関して、学ボラ・地域双方に、慣例化や依存過多の先の、お互いの負担となる可能性があるのですな。
 そして「遊ぶボランティア」の提示がありましたけれども、「遊ぶ」ことに魅力を見出しても、文中にあるように危険な作業の前では頓挫する難しさがあるのですな。
 とは言うものの、働き手は沢山欲しい、大学側(もしくは仲介側)としても学生を多く派遣したい、しかし参加する学生が少ない、さてどうするか。という現時点での問題もあるわけで、難しいところです。

 またしてもダラダラと書いてしまいましたが、もう少し簡潔にまとめられそうだったら、またの機会にブログ1にでも記載しておこうかと思います。
 駄文長文失礼いたしました。


■リンク:

 ・農村計画学会
 ・鳥取大学
  ∟鳥取大学農学部
 ・学生人材バンク
  ∟農村プロジェクト(農山村ボランティア事務局)


「鳥取見聞録」公開開始

2006年12月11日 | 【大学時代】学外活動

 お待たせいたしました!
 11月17日に、鳥取県八頭郡八頭町の清徳寺にて行われた秋季大祭の模様を取材したミニ映像を、ネット公開することにいたしました。

 その名も、「鳥取見聞録 第2回・八頭町清徳寺の秋季大祭」

 ネット公開に当たりまして、オリジナルより若干異なるところがあります。そこんところはご了承ください。
 オリジナル作品、もしくは第1回作品は、直接ワタクシのところまでお訪ねくだされ。

 公開先→「BLOG蚊焼湧水」 http://ameblo.jp/kayakiyusui/entry-10021422343.html


12月16日 「ボランティア活動と地域資源管理」

2006年11月30日 | 【大学時代】学外活動

 研究室内で掲示がありましたもので、大変興味があるものであるためここにUPしておきます。
 おそらく後日、農学部人材バンクのHPに、その詳細が記されるかと思われます。




セミナー「ボランティア活動と地域資源管理」


■日時:2006年12月16日(土)13時~17時

■会場:鳥取大学農学部2階 大会議室

■参加費:無料(18時以降の懇親会は別途)

■概要:


・ボランティア活動による中山間地域の資源の維持や管理にどのような役割が果たせるかの検討
 特に学生ボランティアによる活動について
・ボランティアの長所やその成果、継続可能性や課題についての整理と検討
・今後の地域資源管理に対するボランティア活動と地域住民の役割や位置づけ、理解について

・セミナー報告:15分×講演者8名
・総合討論:90分

■主催:


 農村計画学会 (農村計画学会中四国セミナーとして)
 鳥取大学 (鳥取大学地域貢献特別支援事業活動として)
 学生人材バンク (運営者・登録者交流会として)


以上


加藤家住宅復旧見学

2006年11月18日 | 【大学時代】学外活動

 素晴らしいものを見てまいりましたよ。
 鳥取市倭文(しとり)(津ノ井近く)で、1730年代(江戸時代中期)に建てられたと思われる、古い民家があるのでございますよ。

 そこは鳥取藩御殿医(つまり池田家の専属の医者だった、ならびに鹿野の亀井家の医者でもあったようです)の加藤家の、かつては茅葺の家だったという面影を残す、由緒正しき家なのでございます。
 この古民家を修復し、文化財として後世に残そうとしているのが、鳥取環境大学の研究室ブログもあるようです)なのです。
 そして本日は、その修復過程を見学できる、公開日だったのです。

 中に入りますと、これまた大変に興味深いことがたくさんありました。
 土台から、修復をしていたのです。つまり、どういう風に建っているかを見ることが出来たわけです。

 基礎の部分はクリの木で作られていたようですが、生憎ながら土地柄のせいか土台は腐食が進んでおり、そのために家全体が傾いでしまい、工事はやや難航しているようでした。

 それにしても釘を殆ど使わずに、柱や梁などが組み立てられているところは、頑丈そうでいいですね。


清徳寺について

2006年11月17日 | 【大学時代】学外活動

 清徳寺秋季大祭にちなんで、清徳寺について詳しくご紹介します。


 金剛山清徳寺(せいとくじ)は、鳥取県八頭郡八頭町清徳にある、真言宗高野派のお寺です。

 和銅2年(709)行基菩薩の開基とされる、因幡国最初の寺であり、婆が城主小松氏(平家の家系)の祈願所として栄えたと伝えられています。

 本尊は、百済伝来の閻浮檀金(えんぶだんごん)一寸八分の阿弥陀如来像です。年に一度、11月17日の秋季大祭に御開帳されます。
 敏達(びだつ)天皇の御宇・物部守屋(もののべのもりや:飛鳥時代の有力豪族で、廃仏派だった)が尊像を大阪難波の堀江に投じたものを、本田善光が救い上げて信濃国(長野県)下伊奈群善光寺に安置したものであるという。さらに善光の子・善祐が最善の地を求め諸国を遍歴するうちに、ここに至って安置されることになったとされています。
 清徳寺御堂の背山は、舟形の光背ならびに八葉の蓮華の台座を形作っており、絶好の霊地と考えられたのです。

 御堂はその後の明治23年(1890)7月に火災に遭い、伽藍から仏具に至るまで灰となったと記録されています。しかし明治25年4月に、本田吉五郎の夢の中で、本尊は境内の菩薩樹の洞窪にあることを知り、そこを探すと発見されたという奇跡的な話から、本堂再建に取り掛かることとなり、明治28年に再建され今に至るのです。


 清徳寺境内には県指定の天然記念物「清徳寺の巨樹名木群」(昭和31年指定)があります。ヒワダザクラ、カゴノキ、モチノキ、ボダイジュの巨樹が指定されています。
 また、境内には後醍醐天皇が因幡の国へ御幸の際(隠岐へ流罪となった頃)に清徳寺へ寄った記念として植樹したとされるイチョウの大木があります。


参考文献
 『八頭郡誌』八頭郡町村長会編/1982 主に760~764頁


清徳寺の秋季大祭(午後)

2006年11月17日 | 【大学時代】学外活動

 午後5時。再び八頭町清徳の金剛山清徳寺に戻ってきました。
 丁度秋季大祭が終わったところで、屋外の茶室や本堂でのお琴演奏が終わり、片付けが行われていたのでそれを手伝っていました。

 午後5時ともなりますと、とうに日は沈んでおりまして、夜の闇が徐々にあたりを包み込んでいこうとしている頃でありました。

 本堂前の焚き火も、妖しく煌いた光を放ちながら燃え盛っていました。
 お琴のほかに、パンフルートと呼ばれる「世界最古の楽器」を自作して演奏される方もいらっしゃいまして、焚き火の前で奏でられるその音色は、情緒あふれるものでした。あの包み込まれるような暖かな雰囲気といったら、他に無いのではないのではというくらいに。

 夕食として、イワナの囲炉裏焼やお昼の団子汁に加えて、つやがとても光ってとても美味い新米御飯をいただきました。

 囲炉裏を囲んで、イワナを焼いて食らうなんて、なんとも贅沢な食事でございました。
 そして新米御飯は、もう先に美味いと書いておりますけれども、筆舌に尽くしがたいほど美味なるものだったのでございます。飯だけで何杯も戴ける最高級のご馳走でございました。それで3杯戴きました。

 夕食の後、もう一度護摩祈祷があるということでしたので、供養申込みに「身体健全」を記入させていただきました。何よりも身体が資本ですから。
 そして午後6時半ごろに、本堂にて本日2度目の護摩祈祷が始まりました。
 およそ30分ほど、般若心経を唱えた後に、和尚さんから説法(というよりは「冗談」だそうでございます。そのほうが聞くほうも退屈せずに聞いてくれるとの事です)をいただきました。

 全てが終わった頃には、外は闇と静寂が支配しておりまして、辛うじて細々と燃え滾っていた焚き火が仄かな明るさを生産していたに過ぎませんでした。兎に角寒い。やはりある程度高い場所にありますから。
 そして空を見上げると、満天の星空がありました。天の川もしっかりと見えます。ここは紅葉だけでなく、星を見るのにも絶好の場所です。(ただし道が暗すぎるので、夜に来るのは難しいかと思いますが。)

 素敵な時間を過ごすことが出来て、大変に満足な一日でした。


清徳寺の秋季大祭(午前)

2006年11月17日 | 【大学時代】学外活動

 午後8時半に湖山を発って、若桜鉄道を横手に見ながら、そして紅葉と柿の畑が広がる一面の橙色を目にしながら、ゆったりとした時間の流れる農村地帯を車で飛ばし(ていたのはk-5さんですが)ておりました。
 しばらくすると林道のような、どんどん山へ分け入っていくような道を登っていきました。
 そして午後9時半ごろに、ふと目の前に集落が現れます。
 目的の地へ到着いたしました。鳥取県八頭町の、金剛山清徳寺 (高野山真言宗)です。

 本日十一月十七日は、年に一度の御本尊御開帳ならびに秋季大祭でございました。

 大祭そして護摩祈祷が始まるのは、午前11時からです。それまで、会場設営などのお手伝いをk-5さんとともにやらせていただきました。
 しかしながら途中より生憎の小雨が降るお天気となり、そのために雨よけのテント張りなど余計な仕事が出来てしまいました。そして今回のお手伝い以外の目的でありますビデオ撮影が、なかなか出来ぬままでおりました。

 そうこうしている間に、本堂では護摩祈祷が始まってしまい、中に入りそびれてしまいました。
 もっとも、本日は沢山の方々がおいでになり、本堂内は人で一杯に(超満員に)なっておりましたので、おそらく撮影どころではなかったのでしょうけれども。

 一方の外では、護摩祈祷の後の祭寿司の接待や、午後からの琴演奏等のための準備を(若干ながら)お手伝いしておりました。
 その寿司がまた、凄いのでございますよ。手作りの竹の器に入った寿司が、何と108個も用意されているのでございます。圧巻でございました。
 また屋外では、特製の団子汁が釜焚きの大鍋で調理されておりました。大変おいしゅうございました。

 そのうち天気の方も次第に回復してきまして、周囲の紅葉の輝きが増してまいりました。
 ここは紅葉が本当に綺麗です。紅葉だけではなく、菩提樹、鹿子(かご)の木、檜膚(ひわだ)桜の3本が鳥取県の天然記念物に指定されているという、本当に自然に恵まれた場所にあるのです。

 本堂での護摩祈祷が終わり、その後の和尚さんの説法を(外から)聞いたところで、われわれ学生は大学の用事のため一旦この場を離れました。


八頭町の木馬(きんま)曳き職人

2006年11月16日 | 【大学時代】学外活動

 本日は鳥取県八頭町のとある林地にて、伝統的な職人技術をこの目で見、そしてビデオ撮影をしてまいりました。
 それは、いまや大変珍しくなってしまった、木馬(きんま)を用いた木材運搬「木馬曳(ひ)き」です。

 急斜面の林地には、盤木(ばんぎ)を並べた「木の鉄道」のような搬出路を上を、丸太を積んだ木馬が走るのですが、それは人力で引くのです。
 そうはいっても、急斜面を降りていくのですから、引くというよりもむしろワイヤーのブレーキを絶えず利かせながら、ゆっくりとおろしていくのです。

 ただしかしながら、ゆっくりとおろしていくとは言いましても、その急斜面は、とんでもないものですよ。
 普通に歩いて降りるだけで、いや、結局歩いて降りることが出来ないほどに、恐ろしいコースなのでございます。
 そんなコースを、職人はいとも簡単に、するすると降りていくのです。普通に歩いていても、追いつけないくらいです。ビデオを片手にした私にとっては、とんでもなく大変でございました。

 ようやく道沿いの土場まで、丸太を運び終えたところを撮影しております(一番前の写真)。
 ひざは完全に笑っておりました。手ブレをしないように一生懸命堪えているのですよ。

 それにしても本当に、木馬曳きの様子は見ていて圧巻でございました。他に気の聞いた表現が思いつかなくて恐縮ですが、とにかく凄い、の一言です。
 いとも簡単に行うのですから。



 木馬曳きは、昔はむしろ主流の木材運搬手段であり、奈良の熊野など全国各地で行われていた技術です。大変危険な仕事でございます。
 しかしながら近年になって、トロッコやウィンチなどの機械が主流となりまして、このような危険で時間とコストのかかる木馬曳きは、徐々に林業の力姿を消すことになるのです。

 そんななかで今回見学させていただきました八頭町の職人さんは、そのように消え行く伝統を、後世に残すというより現世に残すという意味合い(という風に受け取りました)で、このように続けておられるということでございました。

 ここ十数年国内の林業は低迷し続けており、このような技術を残そうにも、その労力とコストから残すのは非常に難しいというのが現状です。(下手したら、林業自体続けるのが難しい状況ですから。)
 それに、その技術体系をまとめたり動画撮影によって残したところで、その技術の再現は難しいだろう、ということを見学に誘っていただきました県の方がおっしゃっておりました。
 確かに、見ていて相当しんどそうでしたし、事実この職人さんも、幼少時代から訓練させられていたということですから、生半可でも本気でも、やってみようという気持ちだけで出来るものではございません。

 それでも、ビデオ撮影によって、かつての林業の基盤を支えていた技術として、また日本の建築史ひいては木の文化を形成する根幹となっていた、名もなき職人の方々の営みというものを垣間見ることの出来る記憶として、わずかながら貢献できるかなとは思っております。
 今月中には編集を終えて、皆様の目に触れるようにしたいと考えております。


環境サミット「次代」in高砂屋

2006年10月29日 | 【大学時代】学外活動

 本日、以前よりお知らせしていた「環境サミット」が催されました。
 本番に向けての話し合いを始めてから4,5ヶ月くらいでございましょうか。なかなか長い道のりだったかと思います。
 当初の予定よりすっかり変貌した形に結局はなってしまいましたが、まぁしかし終わりよければ全て良しでございます。というわけで、全て良しと、会も滞ることなく無事に催しを終えることが出来ました。

 さてこの会で、どのようなことが行われたかを簡単にご紹介いたしますね。

 まずは会場スタッフとして、午後10時前に(遅刻して)、会場となる鳥取市街地にある「高砂屋」へ前入りしておりました。
 そこで会場設営などを行っておりました。

 そして午後1時半に開場、午後2時より「環境サミット」が開始されました。

 まずは3つの講演が行われました。
 はじめに、環境大学客員教授の中川先生による講演「農業から見る地域社会」が行われました。中川先生は、農業という視点から国の産業や経済、はたまた国づくりについての将来像を提言されておられました。

 次に、「鳥取元気茶屋ラダック」という食堂を市街地で経営されている伊藤さんによる講演「ラダックから見る地域社会」が行われました。
 地域住民の代表ということで呼ばれた方でございますが、この方のお話がこれまた面白いものでございました。まず、今回の会のテーマについての文句から。「持続可能な社会」というテーマを掲げていたのですが、「今の社会は持続しない、という前提に立っているのか?」と、学生の思慮の浅さを突っ込まれてしまいました。うーむ。
 地域社会の「伝統」とか「景観」の保全活動などを行う前に、それがどう大切で、どれだけ価値があるかということを挙げるのも大事だが、その前にそれらが形成された背景にある、人々の努力や苦労をもっと知ることが大事であるというお話もありました。「尽力」と「人力」の中で生まれた美しさ、それらをもっとよく知りなさい、と。
 それに限らずすべてのことに言えるのが、まずは「知る」ということ。持続可能云々の前に、もっと知るべきことがあるはずだと、そしてその中から見つけ出したり創造して行けばよろしいというお話でありました。

 最後に、環境大学OBの方のお話しがあって、第1部の講演が全て終了しました。

 午後4時より第2部のパネルディスカッションが行われました。鳥取市役所の部長と環境大学学生(今回の会の首謀者?であります)と、先の講演を行った2方を交えての討論会です。というよりも雰囲気的に、座談会となっておりますが。

 テーマは、「次の地域社会に何を残すか?」というものでございました。
 その中で印象深かったのが、中川先生のお話でした。
 現実問題として、現在の地域社会が次世代に残しているものは、という問いに、「断絶・孤立した社会」を挙げておられました。それは、個人でも家庭でも地域でも、どの単位でも見られる現象であると指摘されておりました。これはなるほど繋がるなと思いました。しかしそのほかに、いい面で残されるものは無いのだろうか、それだけではないだろうとも思いました。でもそれはそれで残されようとしているのですから、問題ですね。

 4名のパネラーは、年代も違えば立場も違うためか、それぞれ異なる意見をお持ちなのが、これまた印象的でしたね。人によって、次世代に残したいものがこうも異なるものなのでしょうか。もちろん根本的に、そこまで異なるものでもないのではありますが。
 例えばそれが地域のなにかとすると、その文化や伝統であったりとか、それに対する関心とか、コミュニティなど様々なわけであります。
 そしてさらに問題なのが、それらを今度はどうやって残せばよいのか、もしくは残していけるのかという問題です。仮に残せる手立てがあったとしても、あれもこれもと残していくのも至難でございます。
 それでもやはり、今のこの鳥取という地域社会を残したいという気持ちは、皆変わらないわけでございます。伊藤さんがおっしゃるには、やりたい人だけでガッツリ頑張り、やりたくない人は何もやらないというのでは意味が無く、かといって「皆で」といって半ば強制的に全員を引き込んでも意味がないとのことでした。ではどうするか。やれることを、やれる人からぼちぼちやっていけばよろしい、ということでございましょうか。それくらいの心持の方が、案外気楽で、「持続可能」なのかもしれませんね。

 結局会が終わったのが、午後5時ごろでありましたでしょうか。
 その後、スタッフなどは新聞記者さんの対応に追われていた(?)ようでございます。

 会場の片付けをして、後にしたのが午後7時過ぎでした。
 その後「ラダック」で懇親会と打ち上げがあったようですが、前日の疲れのため欠席して帰りました。少し、もったいなかったですね。

 実に刺激にみちあふれた、そして会場がもともとの民家であったために「アットホーム」そのものの温かさで充満された、なんとも不思議な時間を過ごすことが出来て非常によかったのであります。



「毎日新聞」鳥取版10月30日付に、記事が掲載されました。
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tottori/news/20061030ddlk31040175000c.html

 他にも取材に来られていた朝日記者さん、記事が乗るのをお待ちしておりますよー。
 地元密着の日本海記者さん、次の機会もお待ちしておりますよー。


環境サミット「次代」10・29

2006年10月23日 | 【大学時代】学外活動

 鳥取市にて、講演会ならびにパネルディスカッションのイベントのお知らせでございます。
 鳥取における、環境とまちおこしについてのお話でございます。


環境サミット「次代」

■テーマ

 ...持続可能な社会に向け、私たちは次の世代・時代に何を残すのか?

■日時
 ...2006年10月29日(日) 13:30~17:30

■会場
 ...城下町とっとり交流館 高砂屋(鳥取市元大工町)

■内容
 ...14:05 中川聰七郎氏 講演「農業から見る地域社会」
  14:35 伊藤由紀彦氏 講演「ラダックから見る地域社会」
  15:15 パネルディスカッション
   「持続可能な社会に向け、私たちは次の時代・世代に何を残すのか?」

■主催
 ...次世代会議(鳥取環境大学)、城下町とっとり交流館(鳥取環境大学)


 よろしければ皆様、ご参加いただければ嬉しく思うのであります。