BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
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台風のこと、夢のこと、研究室のこと

2006年09月19日 | 凡日記

 台風一過のため、今日はとてもすっきりと晴れております。
 とは言いましても、過ぎたとたん一気に晴れたのではなくてね。
 早朝は雨がぱらついていました。
 なんともメリハリのない台風一過です。
 しかしそれでも、昼近くなると日差しが肌を劈(つんざ)かんほどの強烈な突き刺し方です。暑いです。

 しかしまぁここ最近台風が頻繁にやってくるような時代になったにも拘らず、今年の目立った台風はこれ一つだけですね。
 その代わり、これ1個で何個分も来てしまったような感じではありますが。
 鳥取県内では、これから収穫シーズンを迎える20世紀梨に、いくらかの損害を被った様子であります。
 米も収穫時期を迎えた段階ではありますが、すでに実った稲穂がなぎ倒されただけで、損害自体はたいしたことが無いようです。これが実りきる前や、稲刈り後の天日干しの時だったらヤバかったでしょう。

 台風とは厄介なものです。さらに年々巨大化してしまっております。
 まさに、映画「デイアフタートゥモロー」の設定を、思い出してしまいます。
 地球温暖化(人工的か自然現象かは置いといて)が進んでいることの現われでございますね。



 話は変わって夢の話。
 今朝、また海外を放浪している夢を見ました。
 また夢の話しかよ、とお思いでしょう?でも違うのですよ。これが脳の記憶整理のメカニズムを知る大事なヒントなのですよ。というのも、今の愛読書は『ひらめき脳』(新潮社)なものですから。
 海外を放浪していたのは、もう10日も前になるのですよ。(もう10日か!)
 なのにそれまでの間、海外を、その国を放浪している夢なんて、見ていなかったのです。海外にいたときは、日本にいるときの夢ばかりを見ていましたからねぇ。
 しかし、今日になって突然、海外放浪の夢を見た。

 じつはこれ、初めてのことではないのです。
 今までの海外放浪も、やはり10日ほどの時差があって後に、そのときの風景や経験などの(ような)夢を見るのです。
 海外放浪に限らず、なんでもそうだったように思います。

 そこで『ひらめき脳』を読みますとですね、記憶されたものはいったん前頭葉に保存され、その後に一部が海馬を通って側頭葉に移されるのです。
 前者が、一時的な記憶(ワーキングメモリー)であり、後者が長期記憶なのだそうです。

 脳に長期記憶される記録は、絶えず頭の中で編集されているそうですが、その編集過程が夢の中に出てくるのだそうです。だから夢の中はいつも混沌としていて、新旧の出来事が蘇ってくるのですね。
 となると、その前頭葉への一時記憶というものの期間が、わたくしユースイは10日間、であるということになるのではなかろうかと思うのです。
 そして今夜も明日の晩も、海外放浪の夢を見ることでしょう。そして、今でも過去の放浪の様子が時たま鮮明すぎるほどに蘇るように、長期記憶されることになるのでしょう。

 以上、脳内の記憶と夢の因果関係に関する一考察でした。(大袈裟。)



 さて研究室での調査のこと。
 調査内容にめどがつきまして、ようやく調査段階に入りました。
 とっととサンプルを取って、年内には論文を完成させましょう、ということになりました。
 いくら悩んでもしょうがないんだから、早くやりましょうと先生に言われました。
 まぁ兎にも角にも、何とか9月中旬以内に、目途をつけるという目標は達成されたわけでございます。
 早くやって、たくさんサンプル数とって、とっとと書き終えたいと思います。

 段々、他の研究室の方も、忙しさが増してきているようでございますね。
 他の研究室の友人から、よく羨ましがられ、恨み節を聞かされますが、いえいえ、それはおかしいですよ。
 ウチの研究室は確かに自由度がとても高いですが、それはある意味自発性を求められるということでもあるのですよ。
 自分の好きな研究だけをすることが出来る裏返しに、どこまでもサボることが出来る、言い換えれば残りの大学生活で活きるも引き篭もるも自分次第なのですよ。ちょっと誇張しすぎでしたかね。でも半分実話入っていますけれども。まぁそれはあくまでも学生の責任です。

 以前にもですね、誰かと話したことなのですがね。
 この大学には、「自由選択サブコース」(現「自由選択コース」)というコースがありまして、必要な単位数さえ取ればよいという凄まじいコースがあるのですよ。
 2年次のコース分属の際に、引かれたこともありましたが、結局自分には絶対に無理なコースだと思い、諦めたのです。
 そして思ったのです。「自由選」は、農学部で一番困難なコースだなぁ、と。

 好きな授業さえ取ればいいのですが、そこには、ギリギリの授業数しか取らなかったら、全ての授業が必須科目に変わるという危険性を孕(はら)んでいるのですよ。考えてみればこれはぞっとしますよ。
 そしてこのコースは、卒業論文を書かなくていいというある意味とんでもない特権があるのですが、これも裏返せば、もし希望する研究室に分属したかったら、特別なプロセスを経て分属しなくてはいけないという負担もあるのですからね。
 それに卒論を書かなかった場合、それに見合う学業や課外活動の成果を出さないと、就職や進学その他に影響を及ぼしますからね。何よりも自分自身、大学で何を得たのか、と。

 だから、「ある意味」楽なコースに分属して、「ある意味」楽な研究室に分属したわけでございますがね。でもあくまで「ある意味」の冠詞付きですよ。言いたいことはもう分かりますよね。
 うちに文句や愚痴を言う人は、それでも今のあなたが「ある意味」恵まれているということを、知るべきなのですよ。まぁ、私も恵まれていますがね。

 結局どこでも良くて、どこでも大変なのですよ。
 そうかそうか、ならばもうこれで皆フェアーだ。よしこの研究室で、残り少ない大学生活を存分に楽しんで、そして精一杯頑張ろうではありませんか。

 (M氏よ、俺も「愛研究室心」あるみたい。)