BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【ETV】「コントみたいですよね」

2007年09月30日 | テレビ

 今宵放送されたNHK教育のETV特集「基地を笑え~人気舞台でみる沖縄のホンネ~」が、なんたかとても刺激的で面白かったです。
 沖縄の基地問題をはじめとした様々な問題が、どうも「本土」の人たちにはズレて解釈されているらしい。そのギャップを笑いにしているという発想が、とても印象深かったです。

 例えば基地移転の問題で、中心街では「右翼の軍歌」から「左翼のシュプレヒコール」まで、喧々囂々とした音に包まれているのを見て、
「まるでコントですよね」
と語る沖縄の芸人さんに、成る程賛同してしまいました。
 笑いは、ズレの発生とか間逆の融合など、「ありえないような」ギャップに気がついて発生するもの、であると思います。そんなとき、まさに間逆の政治思想を持った人たちが一同に集結するという、考えてみれば滑稽なこの状況はまさに、笑い話であるなぁと思いました。
 それも、両者は「本土」からの人たちばかりで住民は遠くから眺めているという光景と、両翼の喧騒が空軍ヘリよりもうるせぇ、という本末転倒な様は、まさによく出来た笑い話だ、と思いました。

 「本土」でも現地でも、米軍基地問題については賛否両論。あえてここで、どちらがどうだということは申しますまい。
 けれども、「本土」の人たちは、米軍基地を政治の手段や社会思想という鏡で越して見ているようです。国益に叶うから賛成、反するから反対、のように。
 そこには完全に、その地域に住む人たちの生活のことを忘れ去ってしまっているわけでしょう。地域活性化のために賛成とか、水産業確保のために反対など、生活に直結する話が、忘れ去られているようです。
 あえて言えば前者は「マクロ」の視点、後者は「ミクロ」の視点とでもいえましょうか。この両者の視点を持ってして、問題というものは論じてゆかなくてはならないなと思いました。

 これは基地問題に限ったことではありません。いやむしろ、沖縄には世界中の全ての問題が集積されているようにすら思えてしまいました。
 経済発展の中で「お金」に対する考え方の問題や、観光産業の発展でその土地の文化が誇張されるなど「違和感」が生じる問題など、本当に数多くの問題が山積しているように思えました。
 観光の問題なんて、日本ではそこら中にあるではないですか。お客を惹き付ける為にネオンをピカピカさせたり、何かに似ているキャラクター人形を置いたり。一番懸念することは、外部の人の「勝手なるイメージ」に反してがっかりさせないように、そのイメージに添った街づくりをしたり。例えば番組中に出たのは、南国感を出すために商店街を色とりどりに装飾したり。
 尤も観光客の「期待」という功罪こそ、考えねばならないのでしょうがね。

 世の中には笑えない事件とか、不条理が蔓延っています。
 けれども同時に滑稽なものとして大いに笑える。本人は「寿限無寿限無…」と一生懸命に覚えども。もちろん本人にとっては、至極真剣な話であるし、陽気に笑っている場合ではないのだが。
 笑い飛ばすというのは、これ以上無い処世術、若しくは問題解決作なのかもしれない、と思いました。


夢に出てきた黄金の─

2007年09月30日 | 凡日記

昼過ぎまで寝ていました。
最初に起きたのは朝10時で、
次に目を覚ましたのは昼12時、
そしてようやく起き出したのが
昼1時を過ぎていましたとさ。

ずうっと、
寝不足そして疲れを溜めた
日々を過ごしておりましたからね。
ここはガッツリと寝させて欲しい。


そういえば2度目の睡眠時に、
夢を見ておりました。

黄金色の稲穂が頭(こうべ)を垂らす
一面の田園風景を横に、
友人の車で細い道を
走っていたのですよね。

あぁ、俺、
こういうところに住みたいんだよなぁ
などと話していたことを
鮮明に覚えています。

夢の中の行動や発言は
その人の潜在的意識の
表出であるといわれますが、
まさにその通り。
いや潜在どころか
常日頃から意識してます。
裏表の無い人間ですから(多分)。
夢の中と現実の自分は
取る行動や考えることが全く同じ。


でももう現実の世界では、
米の収穫期が終わっているから、
夢に出てきた金色の平野は
もう見られないんじゃ無いですかね。
コンクリとアスファルトの世界に
今住んでいるから、
分からないんですよ、ホントに。

そういえばこの2週間、
田圃を見ていないや。
だから季節感というものや、
食べ物が土から作られているという
実感や感謝の念が
少しく薄れているような、
そんなことに今、気がつきました。

田園風景が見えるところで
暮らしたい、働きたい。
それが夢にも
表れちゃったのですね。


さて、そうこうするうちに
昼3時になってしまいましたか。
会社に行って、
残った仕事をしてきまぁす。

これが現実の世界か。
夢でも仕事をしていた時期が
あったけれども(病)。


耳にタコ─

2007年09月30日 | 凡日記

耳にタコというのは
このことでございましょうかね。
2ヶ月くらい前から、
気にはなっていたのですよ、
AC公共広告機構+NHKのCM

それがね、
CMで使われた曲が
リリースされたとたんに、
ラジオでしょっちゅう
かけられていましてね。

まさに、
「くりか~え~す」ですよ。

うーむどうしたものか。
蝸牛の中心にまで
こびりついた感じですよ。

9月の始めごろは
ホント「刷込み」の日々でしたね、
ラジオでは毎日のように、
てか一日に何べんも
この曲を聴きましたもの。
どんだけ押してんねん。

最初はね、
何だ、この曲は
なんて思っていたのに、
2007年一番の思い出の曲と
なってしまいましたよ。
今となっては。個人的に。
色々と悩みながら
これを耳にしつつ
運転をしておりましたもので。


季節の変わり目─

2007年09月30日 | 凡日記

急に肌寒くなりましたな。
朝外に出たら、
びっくりしましたもの。

考えてみれば
もう9月の終わりだもの。
10月から、
上着を羽織って
出社するといたしますか。

で、
明日はせっかくの
日曜日なのだけれども…
あ、いや、
ここで具体的な愚痴は
書かないほうがよいね、
ミクシィ日記にて
こっそり鬱憤を晴らして
晴らしておきましょうかねv


 


ようやく、
ようやく半年が
経過しましたよ。
長い、とてつもなく長いです。

歳をとると
時間経過の感覚が早くなると
よく言われてはおりますけれども、
寧ろ長すぎるくらいに
今は感じておりますよ。
まだ半年かい、って。

この2倍頑張って
ようやく1年ですよ。
若者は3年以内で退職する
=3年以内で辞めたらヘタレ
と言うなんとなくの巷の雰囲気
というものを感じますけれども、
いや1年でも頑張れたら
すごいなぁと思えますよ。

それ故に
30数年ものサラリーマン生活を
続けている人というのは
たいそう立派な人であると
尊敬します。
けれどもその一方で、
自分はそんな風に
人生を送るだなんて
真っ平御免ですけれどもね。

話を総括すると、だ。

 ・半年ですでにしんどい
 ・3年は我慢
 ・30年は無理というか嫌

で、遅かれ早かれ、
「辞めたい」と
示唆しているわけで
ございますよ。

最初から生涯サラリーマン生活に
捧げる気は微塵もなし。
じゃぁ何でわざわざ
大阪で就職したんだ、ってか。
そりゃまぁ青い九州男児ですから、
脱九州そして
大都市で職に就くということが
一種のステータスみたいな
ところがあるわけでしてね。

でもひとたび都会へ出るとねぇ。
夢破れて山河有、
はたまた「故郷有」か、
すぐに辞めて帰ってしまっては
夢が砕け散った人みたいで
嫌だから、
最低3年は都会に居座ろうと
意固地になっているのですよ。
要するに面(つら)ばかり
気にしているんですよね。

でも今はもう、
とりあえず1年は頑張ろう、とか
1年経つまで我慢だ、という
ささやかな目標を胸に
頑張っているわけですよ。
裏を返せば…分かるね。

今また、
そんなことばかり
考えているのですよ。
前回は、
新人の試練の節目と言われる
3ヶ月、つまり6,7月ごろ
だったわけですけれどもね。
そして今度は9,10月、
6ヶ月と来た。
季節の変わり目と言うのは、
進路を熟慮するのに
適しているのかもしれませんなぁ。


【爆問】デジタルで空気は読めるか

2007年09月28日 | テレビ

2030年の世界は一体
どうなっているのか。

だいたい、来年のことですら
想像することは容易ではない。
それゆえ、23年後は
「明るい」のか、「暗い」のか、
頓と見当がつかない。


23年後の未来は、
デジタル技術及びITが
更に飛躍して発展し、
また医療技術も格段に進歩する
という「明るい」予測の一方で、
中国やインドなど
ブリックスと呼ばれる新興国に
日本の存在感が飲まれるのではないか
という「暗い」予測もある。

もっとも、
医療技術ばかりが進んで、
体ばかりが元気で
脳や心が先に老いるという
恐れもあるし、
ブリックスという巨大経済圏誕生が
新たな市場開拓として期待もできる。

明暗なぞ、一概にはいえないのだ。


ITメディアが大きく発達して、
デジタルの情報量は飛躍的に成長した。
そのことはつまり、
知の世界がビッグバンのように広がった。
けれどもその一方で、
仮想世界に己の生きる世界を求めたり、
リアルな人間関係が疎かになるなどの
問題も指摘されている。

一体、世界は今
広がっているのか。狭まっているのか。

デジタルの「横行」は、
人類に幸福を与えるのだろうか。
そういいつつ自分も、
インターネットでニュースを見ながら、
パソコン上のワンセグで
「爆問学問 爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)
の慶応大学スペシャルを見ていた。

デジタルが云々言うそばから、
その恩恵にはちゃっかり預かっているのが
今の現状なのか。


題名の真意は、太田さんの発言からで、
「デジタル時計は1秒刻む間を伝えていない」
ということによるものだ。
情報をデジタルに置き換えたら
何かしらの情報が割愛されてしまう。

例えばブログで書かれた日記なんて、
「活字」で表されるというのは
綺麗で結構だけれども
実に無味感想ではないか。
その手で書いた字にこそ、
その人に人柄と言うものや、
現在の状況と言うものが
垣間見られてくるものではないか。

もっとも、これら
「今までの」デジタルで取りこぼしていた
情報について、
もっときめ細かい単位で記録をしようとか、
感触に訴える「タンジブル」技術を
導入する試みも進んではいるようだが。
ネット上の活字が、
紙に印字されたものとなって販売される
という情勢を見てみれば、
やはりなにかデジタルでは伝わらない何かを、
皆が求めているのではないだろうかと
思案するのだが。

デジタルだと自ずと取りこぼす情報。
その情報不足ゆえに引き起こされる「つまらなさ」。
話す人に対し「つまらない」と言う感想を抱くのは
話し手の表現が悪かったりするためだ。
いってみれば、伝わる情報が少ないためか。

つまらない話で場を盛り下げてくれる人を
「空気が読めない」と日本独特の言い回しで
表現される。
さすればデジタルも、
現状のまま閉塞していれば
空気が読めない技術と言うことになるのか。

デジタル技術と幸福論。
付き合い始めたばかりのお二人さんだ、
もう暫く進展を見守るのも一つの手か。

御萩三兄弟

2007年09月28日 | 食生活

中秋の名月は
過ぎてしまったけれども。
つい見た目の艶やかさに
惚れ込んでしまいまして。

特にこの、
蓬(よもぎ)の
萌え出(いづ)る新緑のように
明るく映えた、
見事なまでに「緑!」なところが
何だか凄まじく良いなぁと
思ってしまったのですよね。

この3色の揃い踏み、
それぞれに個性が強くて
刺激的じゃないか。


餡はメイドイン
北海道だそうです。
好き哉。


I love you.

2007年09月27日 | 雑感散文

ふと空を見上げてみれば、
今日もまたお月さんが
薄い雲から透いて
光輪を伴って
ぼんやりと映えていた。

満月の夜ではないが、
それでもまん丸とした
透き通るような
美しき煌きに
束の間の心の休息を得た。



かの夏目漱石が
英語教師の時代に、
「I love you.」を
「月が青い(綺麗)ですね。」
とでも訳しとけ、と
学生に対して語ったそうだ。

「我汝を愛す」などという
日本語なんか無い、との
理屈からだそうだ。

考えてみればそうだ、
「愛している」なんてコトバを
日常の会話や日本の文学の中で
そうそう出てくるものではなし。
第一、直訳なぞ
「Oh,my God!」を
「嗚呼我が神よ!」
などと訳すのに
等しき愚かさではないか。
要はニュアンスの問題なのだ。

月を愛でる、
まさに月の風靡を愛さん処に
この英文の本意があるという。

さすれば最愛の人に
最上のコトバを告げると同等に、
今いる文化圏の情調は
月に対する思いが
相当のものであると見た。

さて幾許の程か。
到底筆舌には尽くせぬものよ。
それよか、
空を見上げよ、月を見よ。
自ずと、分かる。



今年の月は、
今迄見てきた中で一番
良いものに見えた。

I love you.


分かる人だけ分かればいい日記─

2007年09月26日 | 凡日記

分かる人だけ
分かればいい日記だから(笑

興味ない人は
前記事の
月の話を読んでてね。


 


いま、
「祭」
タイムリーに
楽しんでおりましてね。

面白いのは、
社会人の皆さん方が
明日も仕事なのにと
阿鼻叫喚しつつ
それでもあえて
徹夜に挑むという
その気迫と言うか
心意気に、
幾分感動してしまいましてね。
大袈裟に言えば、ね。

しかしながら
不純にも拙者は、
初期の作品は
(比較的)好まない
達でございまして、
今回の「討ち入り」は
見送ったのでございますね。

けれども、次回作は
いよいよ大好きな企画が
登場いたしますから、
その時こそは
念願の「当日討ち入り」を
果たそうと
思うわけですね。


あと、
1週間前に買った本
読んでいたら、
よりこの「祭」に
思いを馳せるものが
生まれてしまったのですよね。

だから、
明日のことも省みず、
いま「祭」を
楽しんじゃっているのね。


さすがに眠くなってきたか。
んじゃ今日はここまで。

好きで無い人には
全く持って意味不明な
日記だったでしょうね。


ふっと闇夜に目をやれば─

2007年09月25日 | 凡日記

仕事は夜遅くまで続いた。
夜7時ごろだったか、
天上へ昇り行く最中の
明るい月を、
会社の工場の向こう側に見た。

月だ。
それもまん丸に
満ちていた。

そうだった。
今日は中秋の名月だった。
(昨日は団子だけ
 フライングしましたけれどもw)

さらに時間が過ぎて、
夜9時過ぎに退社した。
家路の途上で
ふっと闇夜に目をやれば、
いつのまにやら頭上に
まん丸とした月が
朗らかな煌きの光を放ちつつ、
ふわりと浮かんでいた。

そして周りには幾許かの
小刻みに瞬く
微笑ながらも力強い
輝きを放つ星達が見えた。

都会の真ん中で
(いや正確には
 端っこに位置するが)
天界への思いを馳せるに
不足の無いほどに、
好いものを見ました。

都会にいると、却って、
自然のものを
意識的に見つけたり
見ることを欲するのでしょうかね。


 

さてさて、
お月見もいいけれども
やっぱり花より団子、
だから(今日も)
団子を買おうと思ったら…。

う、
売り切れ。
あちゃぁ。

まぁ、柔軟な対応ということで
漉し餡の最中を買いました。
まぁ、団子の餡と
共通点がある、ということで。

でも
そんなの関係ねぇっ


甘いものが食えればいいんだっ。


深夜に餡を食うと
思ったより胃が
凭(もた)れることを
知ることが出来た
中秋の名月でした。


 

中秋の名月、といえば。
そんな風習を
初めて意識的に捉えたのは、
4年前の中国旅行でした。

初めての、
外国の、
一人旅。

いま関口さんが
乗車しているあの鉄道で、
旅をしていた途上での話。
同乗したご老人から、
一つのお菓子をいただきまして。
「ユエピン」と教わりました。

当時携帯していた
ホワイトボードに、
気さくなその紳士は
「中秋月餅」と
書いてくださいました。

そうか。
中国にも月を愛でる
風習というものがあるのか。
日本にもそういった風習が
あると言うのは
当然知っていたけれども、
これまでにちゃんと
月を愛でたためしがありませんでした。

中国から帰国して、
ふっと闇夜に目をやれば
そこには満月がひとつ。

だから綺麗なお月さんを
ぼんやりと見ていたら、
その時のことが蘇ってきて、
何だか嬉しくなります。

もっとも最近は、
関口さんのあの番組を
見る方が、月よりも
懐かしく感じてしょうがなく
なっていますが。


落ちてきている─

2007年09月24日 | 凡日記

中秋の名月。
というわけで、
月より団子。

中秋らしく
お茶をお供に
和のお菓子に興じました。

おっと。
中秋って
明日25日だったか。
ハハハ、
また明日も団子を
喰わにゃぁならんか。


 

また今日も
会社へ。

世間では連休だったかも
知れませんけれども、
結局3日間
会社におりましたよ。

そうしなくちゃ
今週しんどいんですって。
少しでも負担減らしに
勤しまなくては。

まぁ、もう、
慣れましたけれどもね。


ここ最近
急速に視力が落ちています。
6月の健康診断では
視力2.0と1.5を
誇っていたのに。
今日、
少し遠くの人の
顔が見えなかったので、
いよいよショックを受けました。

視力が落ちてきていることの
自覚はあったのに。
まさかここまで
落ちてしまったとは…。

よく言われます。
「仕事のしすぎだ」って。

そりゃぁできることなら、
もっと仕事を
減らしたいですとも。


それにしても、
周りの方々から
「頑張るな」「仕事しすぎ」
などと注意?される
自分というのも、
我ながら可笑しく思いました。

一方で、
有難いことでもあります。
頑張りを見てもらっている
というわけですから。


墨でコトバを─

2007年09月24日 | 凡日記

昨日の夜、
突如として、
墨でコトバを
書きつくそうと
思い立ちましてね。

100均にて、
筆と墨汁と半紙を
購入しました。

そして何とはなしに、
さささっと書いたのが
前記事に書いた
どうでもいいような
コトバだったのですね。

かなり書道を舐めてかかった
乱暴な「作品」を
作っちゃったのですけれども。
大体、習字自体が
中学校の授業以来
というのもまた舐めてます。

まぁ、以後も
突如として思い立ったら、
新カテゴリ「書」に
掲載していく予定なんで、
どうぞ適度に
スルーしてやってください。



それにしても最近の
100均ってのは
スゴいですね。

筆や墨汁だけではなくて、
硯や文鎮、墨までも
取り揃えてあるのですよ。

だから本格的(?)に
一式を揃えようと思ったら、
700円くらいで済むんですよ。

いっそ、揃えたろかな、と
思ったのですけれども、
モノをあんまし
増やしたくないんで
やめときました。ハハ。


【WH】プラントハンター

2007年09月24日 | テレビ

 今回の「世界遺産」(TBS)は、イギリスの「キュー王立植物園」(2003年文化遺産登録)でした。

 実は1ヶ月ほど前から、この回を楽しみに待っていました。
 というのも、以前に読んだ「プラントハンター」(白幡洋三郎著)で、プラントハンターと呼ばれた世界中の秘境・未踏地をかき分け見たことも無いような「美麗な」植物を追い求める男達の姿を、そして(欧米から見たアジアの)異国情緒への馳せる思いを想像したとき、震えんばかりの衝動が体の中におきました。元来旅好き冒険大好きな人間ですから、そういう生き方に憧憬(しょうけい)の念をもっていたのです。
 まさにその本拠地でもあり、成果の集大成ともいえる場所が、この植物園なのでした。

 この本の中に出ていた話が、番組でも出てきて非常に興味深かったです。
 例えば「フォードの箱」。植物を生きたままの状態でイギリスへ持ち帰るための、いわばミニ温室でした。
 何てこと無いガラスと木のケースに見えますが、如何に適温適湿適光量で、熱帯植物の生息する環境を再現できるか、また半年という長い航海に於ける嵐や潮風に耐えられるか、その知恵の結晶なのであります。

 面白かったのは、この植物園は今もなお、「プラントハント」を行っている、ということでした。
 まず一つ目が、有用な遺伝子の探索。治療薬開発や品種改良のための調査研究が行われているということでした。
 そしてもう一つが、世界に10万種とも言われる絶滅危惧種の発見とその保護でした。保護した植物は温室内で育てられ、苗木を沢山作ってまた現地に戻すというプロジェクトを行っているそうです。並行して、その遺伝子ならびに種(しゅ)を未来永劫残していくための「種の保存」プロジェクトを行っているといいます。まさに「種(たね)」を残して「種(しゅ)」を残す。壮大で、でも単純なところが面白い計画に興味津々です。

 こうして、「人間の手によって」種の意地がなされたものは2000種にも達するといいます。
 けれどもその一方で、今も刻一刻と、「人間の手によって」どれくらいの植物が消え失せようとしているのでしょうか。それも、いまだ発見されず学名もつかぬまま消えようとしている種が、いくらあることか。

 植物園の役割、ならびに「ボタニカル」の研究は今や、種の保存ならびにその有効活用に期待がかかっているように思いました。
 そしてその役割をも世界遺産に登録するという、この世界遺産の多様性というのもまた面白いと思いました。


早めの仕事帰りの後は─

2007年09月23日 | 凡日記

今日も会社に
行っておりました。
日曜日に、ですよ。
国民の休日に、ですよ。

とはいっても
出勤日ではないから、
私服で昼過ぎに出社して、
アフター5に会社を出ました。
これはこれで、
何だか得した気分です。
「非日常」を味わえて
いるような気がしました。


 

早めの仕事帰りの後は、
お楽しみの図書館へ。

が。

国民の休日の日は、
休館だそうで。
ならばまた明日にでも
出直すか、と
思いきや。

毎週月曜日は定休日。

ぉぃ!
公共サービスなら
土日こそやってくれよと
思ったのは
贅沢病の驕りの表れでしょうか。


「文化力」向上を
目指すのであれば、
こういった教養の
公共サービスにもっと
力を入れて欲しいものだ、と
つくづく思います。

裏金作りに勤しむような
市ですからね、
この声が届くのか
甚だ疑問ですが。


本日は猛暑─

2007年09月22日 | 凡日記

翌日の天気予報を
見てみたら。

「明日の大阪、
 今日より3度下がって
 32度。」

おいおい!
本日は猛暑でございましたか!


こうも暑いと
気が滅入ってきます。
おまけに
本日は出勤日でした。
3連休じゃないのよ。
普通に仕事してたのよ。
そしてまた、
神経をすり減らしていたのよ。

もう、やだやだ。
もう一時すれば、
仕事の量も落ち着く
らしいのだけれども。
(それはそれで
 会社としては宜しからずや。)





早朝。
出勤前に、
ためにたまった空き缶を
ごみ収集の場所へ
持って行ったのですよね。

ゴミを置きました。
自転車に乗っていた
おじさんというよりはおじいさんが、
おもむろに、
今持ってきたゴミを、
ひょいと拾って、
自転車に積んでいくでは
ありませんか。

この光景、
中国でよく見たなぁと
感心してしまいました。

あの一袋で、
一体いくらになるんだろうなぁ。



大阪ってさ、
何だかものすごく、
途上国のアジアの熱気に
似ているような気が
するんですけれども。

混沌とした町並みに、
排気ガスのにおいや
屋台の食べ物の薫り。
一角に残る古い
屋根瓦の建物なんかも、
地下鉄の施設の古びたところも。

アジア放浪が
大好きな人間にとって、
たまにそういうアジアンチックを
髣髴とさせるところを
見つけると、
何だか心弾みます。

まぁ、
アジアンチックどころか、
日本もアジアなんですけどね。