BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

ねこねここねこ あぶらむし─

2009年06月30日 | 凡日記


「ドォーモ」(KBC)という
九州ローカルの深夜番組が
あるのですがね。

今日の特集で、

「どれにしようかな
 天の神様の言うとおり」

の、
後に続くのは何?という
リサーチをしていたのですね。

結論から言うと
九州各県ばらばらどころか、
同じ町同じ学校でも
学年によってもばらばらだったり
しているようです。

それでもいくらかの共通点は
以下のとおりでしたね。


 福岡 けっけっけ 柿の種

 大分 ぶっぶっぶ

 長崎 1,2,3…

 熊本 ぴっぴっぴ

 鹿児島 鉄砲撃ってばんばんばん


ちなみにワタクシ、
長崎県央の人間はこう言います。


 ねこねここねこ
 あぶらむし
 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
 玉手箱を開けたら
 おじいさんおばあさん


九州を飛び出して、
よその件ではもっと様々な
バリエーションがあるそうですがね。

それよりも、
「どれにしようかな
 天の神様の言うとおり」までは
全国共通であるというのが
妙な気が致します。
いっそ出だしから地域性により
ばらばらであってもいいような
気もするのですがね。

皆々様は
如何唱えるのでしょうか。


   


そして九州は大雨です、
長崎は大雨洪水警報が
発令されております。

皆々様におかれましても
悪天候にご用心を
なされるよう喚起する次第です。



遊水の町─

2009年06月29日 | 凡日記


─えっ、釣りですか?

「えぇ、
 浮きナシの釣りですよ。」

─魚、いるんですか。
 あぁ、いますねぇ。

「水が透明だから、
 すぐ針を投げれば、
 後はさっとあげれば
 釣れますよ。」

凄くいいな、と思いました。
羨ましい。
家のすぐ目の前のクリークで、
魚釣りを楽しめる。
早朝からですよ。

クリークとは用水路、
水田の水を引くためのものですが
ちょっとした川ぐらいの
幅のものもあります。

水田が埋め立てられて
住宅地になっても
クリークが残されて
いる場所もあるのです。

それで家の前のクリークに
鯉を飼っているのか、
鯉に餌を与える人も
朝から見かけました。

水郷の町、遊水の町。
魚だけでなく
精神的にも色々な
物を与えてくれて
実に好いです。


【WH】「その潟」という世界遺産

2009年06月28日 | テレビ


 「THE世界遺産」(TBS)という番組は、ときに「変化球」でその遺産を紹介することがある。しかしこれは、オーソドックスに遺産を紹介するNHKと差別化する以上に、よりその文化的な価値や、深みを教えてくれるから大変良いと思う。
 そして今回特に感心したのが、イタリアの世界遺産「ヴェネツィアとその潟」の中でも、周辺の島々の手工業や漁業の営み、そして内陸部にある「ヴィチェンツァ市街とパラーディオ様式の宅邸」という世界遺産との関連性も教えてくれたことだ。

 アドリア海は、豊饒の海。貝や蟹のほかに、鰻も沢山取れたという。生物種豊かで、食文化を、ひいては経済活動を花開かせた、恵みの潟。まさに「その潟」は、ヴェネツィアの街や歴史を作るのに欠かせないものであった。
 やがて経済活動は、南米より入ってきたトウモロコシなどの穀物を大量に生産するという大規模農業経営にも広がってきた。その大規模な畑の中に「パラーディオ様式の宅邸」が競って築造され、水の都の民が憧れる新たな貴族のステータスとなった。

 これら周辺の環境を見ていくと、商業都市としての顔以外の側面も見えてくる。大自然より恵みを戴き、緑豊かな内陸地に夢を見る。
 開放的な雰囲気は、サン・マルコ広場の巨大さと美しさだけでは言い表せないということか。


「ぢ」すべり

2009年06月27日 | 雑感散文


 ある本の索引で、「地すべり」という言葉を探していたのだが、見つからなかった。
 森林土木について扱っている本なのだから、あって然るべきだと思っていたら、別のところで見つけた。
 「し」の項目の中に、登場していた。最初は「ち」の項目で探していたから、見つからなかったのだ。ということは、「地すべり」の仮名遣いは、「じすべり」ということになる。「ぢすべり」ではなかった。

 しかしそれではおかしではないか。「地」単独では「ち」と読む。その濁音なのだから、当然、「ぢ」となるのではないか。
 その真偽を確かめるべく、家にある国語辞典3冊(岩波、三省堂、角川)と漢和辞典1冊(角川)をひっくり返してみた。結果、そのいずれもが、「じすべり」となっていた。
 だがもっとおかしなことに気が付いた。3冊の辞書のいずれもが、「ぢ」という言葉を掲載していないのだ。「痔」の読み方も、ちに点々、と覚えていたのだが、それすらも無かった。そして今パソコンで書いていて気が付いたが、「ぢ」を変換しても、ひらがなとカタカナしか選べなかった。

 確かによく考えてみれば、地面や地震、一日中という字も、じめん、じしん、いちにちじゅう、とパソコンで打つ場合はそう入力している。
 これらの読み仮名は、小学校の低学年の頃に教えられたものだったから、何の疑問も持たずに、今日まで来てしまったのかもしれない。
 では何時ごろ、どんな風にこのような決まりが出来たのだろうか。大変疑問であったので、最初はNHKの「ことばおじさん」係へ投書でもしようかとも思ったが、あくまで自分で解決を試みた。

 まずは、辞書の最後の方にある付録を見た。岩波と三省堂の辞書にはそれが出ていて、程なく解決した。
 仮名遣いの決まりは、昭和61年7月1日、内閣告示の「現代仮名遣い」に基づいているという。「地」の濁音を「じ」とするのは、なんと閣議決定の上でのことらしい。1986年、中曽根内閣の時代である。
 『岩波国語辞典』の付表によると、今は「じ」に統一された読み方の中でも、「ぢ」と綴る読み方もある。「鼻血」「近々」「底力」がそうである。
 また、今は「じ」と綴るもので、歴史的仮名遣いでは「ぢ」とするものは、「味」「女性」そして「地面」である。つまり古典でもし「地すべり」という言葉が出てきたら、「ぢすべり」が正解となるのである。 


 ところで、昭和61年以前の仮名遣いは、何を基準に決めていたのか。もっとも、基準が無かったがゆえに閣議決定する必要があったのだろう。
 歴史的仮名遣いについては江戸初期に契沖が『和字正濫鈔(しょうらんしょう)』を著してその法則の使用を主張したという。平安時代末期の藤原定家の『下官集』を基にした「定家かなづかい」の不統一や誤りを正したもので、これは明治時代の義務教育で採用され、近年まで用いられていたという。(『旺文社古語辞典』用語解説より。)
 不統一や誤りは、日本語の発音自体が時代を経て変わるためなのだから、致し方ないことである。平安時代から、もうすでにそれ以前の日本語の発音が違ってきていたというわけだ。いわんや現代に於いて、平安時代以前の日本語というのは、果たして日本語なのかどうかも怪しくなってしまうくらいである。

 現代仮名遣いでは「かお」と書く「顔」は、歴史的仮名遣いでは「かほ」と書く。かといって、今の「ほ」という音ではなく、「お」でも「を」でもなかったらしい。そんな発音は今の日本語にはもうない。
 そういえば、カ行の微妙な発音の違いを表すために、例えばかの半濁音、「か゜」というのがあった、という話しを聞いたことがあるのを思い出した。「くゎ」に近い音らしい。
 他にも、外国語の「V」の発音を表すために、うの濁音「ヴ」という仮名遣いがある。これは寧ろ今の日本語として作られたものだ。
 失われた発音もあれば、新しく導入される発音もある。なんとも奇妙で、複雑な気もするが、それが言葉の面白さでもある。とは「ことばおじさん」の受け売りである。


ワタクシにとっての今日の重大な─

2009年06月26日 | 凡日記


今日もまた色々と
重大なニュースが駆け巡った
わけでございますけれども、
ワタクシにとっての今日の重大な
ニュースはこれです。


【独「エルベ渓谷」の登録抹消 世界遺産から、橋建設で】(共同通信)

<以下、要約引用>

  ユネスコ世界遺産委員会は25日、
 ドイツの「エルベ渓谷」を世界遺産の登録から
 抹消することに決めた。登録抹消は2007年の
 オマーン「アラビアオリックスの保護区」
 に次いで2件目。

  抹消理由についてユネスコ側は
 「建設中の橋が文化的な景観を損ねた」と説明。
  04年に世界遺産に指定。しかし地元自治体が
 05年住民投票を実施して橋の建設を賛成多数で決定。
  ユネスコは「建設を中止しなければ
 登録を抹消する」と警告していた。

<以上、要約はユースイによる>


驚きました。
ドイツは前にも、「ケルン大聖堂」が
同じく景観問題の件で危機遺産リストに
入っていた経緯があります。

前のオマーンの遺産は、
自然環境の汚染で登録抹消と
相成ったわけです。しかし
今回は景観問題、なかなか
「実害」とか「損失」が
見えにくい問題ですからね。

 この問題は重要です、
もっとしっかり考察を練って
ブログ1にでも近々書いておきます。


 


多分皆さん、
今日の重大ニュースと言ったら
間違いなくアレだろ、と
仰るのでしょうがね。

まぁよいではありませんか、
人それぞれに関心事を
持ち合わせているのですから。


果たして一緒に進化して─

2009年06月25日 | 凡日記


予告どおり、今週は
なかなか更新できずにおります。

ホラ、皆々様も色々と
諸事情をお抱えでしょうからね、
私共めの事情もまた
お含み下さるとこれ幸いなわけです。


   


テレビを観て、なんとなく
腹を立てたりしております。

某知事の冗談を、
そう大々的に、さも裏ありげに
取り上げては批判するのも
どうだろうかと思うわけです。

かといって、
テレビで腹を立てたからと言って
皆で1万円ずつ提訴するのも
どうだろうかと思うわけです。
提訴内容はあえて言わないとして、
気に食わないことをいったやつは
1万円頂くぞと言うその疾しい正義感、
(皮肉にも)過剰な被害者妄想は
どうかしているなぁと思うわけです。

まぁ、人それぞれです。
穏便に社会と付き合って
生きたいものです。

何を言っているのかわからない方も、
あえてあまり追求なさらぬよう、色々と
お含み下さればこれまた幸いであります。


   


腹を立てたことを書いて
また怒りが伝播しても
本意ではございませんからね、
ちょいとのほほんとした話を。

トカゲがね、
家の周りの石垣を
よくウロチョロしているのですよ。

おそらくオスでしょう、
逃げるメスをすばしっこく
追い掛け回しているの。

猫もそうなんですよね、
ギャーッと悲鳴が聞こえたと思ったら
灰色の猫がもっと灰色の
(つまりも少し黒が濃い、と言う
 ニュアンスは伝わりましたでしょうか)
猫を追いかけていたのですよね。
おそらく灰色がメスで、
もっと灰色がオスでしょうね。

それに対してホラ、
近所の家に巣を作るツバメは、
オスメス仲良く、番(つがい)で
巣を作っているのですよね。
爬虫類から鳥類へ、そして
哺乳類へと進化した、と
考えられているのが今の生物学ですが、
ことオスとメスの仲というのは
果たして一緒に進化して
いるのだろうかと考えたりします。

まぁそんなこんなで
動物溢れる環境に住んでいる事を
この上なく幸せなことだと、
暫くそんな環境を離れていたからこそ
改めて思うわけです。


「再入梅」といった塩梅─

2009年06月22日 | 凡日記


昨日から、「再入梅」といった
塩梅でございましょうか、
いよいよ本格的に
降ってまいりましたね。

もうね、蒸し暑いったら
ありゃしませんね。

と言うわけで今日はここまで(笑。

今週も引き続き、
更新頻度が低くなります。
若しくは
文章が短くなります。


それで万々歳─

2009年06月18日 | 凡日記


昨日、今週と来週は
更新頻度が低くなります、と
あらかじめ断っておきながら、
早速更新しております。
でも、更新できるときに
やりますと言ったまでですから、
いいよね、ウソじゃないものね。


いつも鳥大の森林科学コースから
「森林技術」という機関紙を
送ってもらっております。

その、今月の記事が
とても興味深かったのです。

スイスの、森林事情を
レポートしたものだったのですがね。
「永世中立国」もEUの連携や
冷戦の終結、そして多様化多角化する
世界情勢の中で、やや時代に
取り残されたと危機感を持つスイス。
EU加盟は見送ったものの、
UNへの加盟をついに決断したのが
つい5年前だったわけです。
スイスは今、変わろうとしているわけです。

それは森林政策においてもそうで、
日本の明治30年施行の森林法よりも
20年ばかり前に制定したスイスの森林法。
日本の改定と同じく、
スイスでも、公益的機能等を加えた
改正の動きと相成っているそうです。

林業の抜本的改革に乗り遅れ
木材価格の下落を招き、
間伐がなされず衰退する現場の
現況というものは
日本とよく重なる所があります。


同じ号には、
日本の新しい森林の利用法として
森林セラピーについての
解説が書かれていました。

これまでの森林浴ではなかなか
科学的データが採りにくく、
客観的な効果というものを
示すことができなかったそうですが、
今日の科学技術の発達により、
かなり分析が進んでいるとのことです。
森林セラピー自体はヨーロッパ発祥ですが、
分析に関しては日本が今
先頭のほうに進みつつあるようです。

しかしながら、心理的効果
というものについては
数量的評価は難しいのだから
というわけで、
カントの「純粋理性批判」を
持ち出してくる所がまた、
いいなぁと思いました。
カントは、ベーコンの経験論と
デカルトの合理論の相反する
両方を取り入れた方で、
理性もまた真理なり、といった
按配のことを述べた方です。

ざっくばらんに言えば、
経験してみろって話ですよ、
森に入って気持ちが好ければ
それで万々歳ではございませんか。

とかく経験的に分かる
森林が健康によいという機能を、
スイスでも日本でも、
もっと広まっていったら
好いのではないだろうかなんて
思ったわけです。

随分力ずくな結論でした。


レジ前で熊を持ち上げて

2009年06月17日 | 雑感散文


多分今週と来週は
ここへ駄文を綴る機会が
少なくなろうかと思われます。

まぁ、更新するときは
更新しませんで、
たまに足を運ぶ程度に
来てくださればと思うのであります。


 

ワタクシは何とか、この4年間
ほぼ毎日のペースで
ここに日記をつけてこれました。
ペンで書くほうの日記は、
一言ながらもちゃんと毎日
綴っております。
これも習慣の成せる業です。

しかしながらですね、
この4年間で周りの方、
だいぶ更新頻度が落ちているようですが
そりゃぁ仕方ありませんものね。
だって忙しいもの、
学生時代とは違ってきちゃっているもの。
仕事の合間にケータイで更新する
執念を持ち合わせるワタクシの方が
専ら世間から浮いている方だものね。

けれども残念なのは、
更新頻度が遅いからと言って、
日記を閉鎖してしまったり
更新を止めてしまったりという
方もいらっしゃることですよ。

いいじゃないの、ねぇ、
更新頻度が月一でも。
誰も毎日書けとは言わないし
そうする必要もないのだから。
自分で決めたことで疲れるのは
とても不器用なことですからね。
逆に、毎月一回その月のことを書く
という習慣を作ると、
まぁ月一なら気が楽でしょう。
案外人間と言うものは、或る程度の
束縛や決まりごとを持っていた方が
気が楽だったり節操がついたりと
するものですからね。

そういうわけで、書ける時に書く
という実に軽い約束で
これからも書いていきますのでね、
皆々様もぼちぼち更新されることを
期待するのであります。


  


また、英語の勉強の
話なのですがね。

「耐える」という語彙、
resist とか、bear とか、
put up with やら
何でそんなに沢山あるんじゃぁと
一人憤っておりました。
せっかく沢山覚えたのに
意味が一つではなんだか
損したような気になりますものね。

先日書いた、英単語の無理矢理語呂で
「レジ前で耐える」、「熊に出くわし耐える」
そして「重いものを持ち上げて耐える」という
覚え方をしていたら、仕舞いには
「レジ前で熊を持ち上げて耐える」と
大変諤々とした覚え方となってしまいました。
えぇ、後半の文章は嘘ですよ。


しかしよくよく考えてみると、
英語にだって多様な表現の仕方が
あるということは、突き詰めていくと
色々と微妙なニュアンスの違いや
時と場合によるリアクションの違い、
果ては個性や習慣の違いと言うものが
浮かんでこようかとは思うのです。

日本語は世界的にも、
微妙にニュアンスを使い分ける
言葉が沢山ある、とよく聞きます。
「耐える」という言葉も
堪える、凌ぐ、踏ん張るなどと
様々な表現方法があります。

けれども、どうでしょうね、
日本語は多い、と言うのは
本当に世界の言葉を逐一調べて
研究した上での結論なのですかね。
案外、もっと表現豊かな
語彙をもつ言語というのは、
ざらにあるのやもしれませんよ。
確かに日本語は実に豊かですが、
だから他より優れていると言うのは
実に貧相な結論のように思えます。

その一例として、
先に挙げた英語表現の数々も、
英語も実は表現豊かなんだ
と言うことを示す一例なのでありましょう。


じゃぁ、冒頭の、
損した云々と愚弄するは
野暮と言うものでございますね。
あぁそうですか、
ちゃんと覚えなさいってね。

英語嫌いは、
いつまでたっても治らんものです。
だから上記のごとく、
これも表現の豊かさ云々、と
自分に言い聞かせてはいるのですが。


蚊焼とか名乗るやつ─

2009年06月14日 | 凡日記


快晴、快晴、頗る快晴。

家の近くの、
周囲をすっかりコンクリで囲まれた
田んぼも機械で耕され、
より一層カエルの合唱は
盛り上がりを見せるのでした。

そして燕も飛来してきました。
ピーピー鳴いております。
元気でございます。
ああ見えて、遠く南方より
飛来してきているのですから、
たいしたものです、侮れません。

トカゲも現れ、コンクリの壁を
するすると這っております。

蚊も飛来しております。
蚊の季節でございます。
蚊もね、血を吸わなきゃ
可愛いやつなのにねぇ。

蚊というのは面白いヤツです。
何かこう、惹かれちゃうんですよね。
好きこそ物の云々で、
蚊焼とか名乗るやつもいるくらいです。
シーナさんは更に上を行く好奇心で、
『蚊學ノ書』(集英社文庫)なる
物まで出しているくらいですから。


 


でもね、
吸い付かれたら容赦なく叩くのよ。

寝ているときですよ、
ビンタされてびっくりして
目を覚ましたのですよ。

何があった。
自分で自分の耳元をビンタしたわけ。
叩きすぎて耳がキインと呻っていました。

ふと手のひらを見ると、
蚊がべしゃぁって
張り付いていたわけですね。

それも、今年に入って
2回も経験しているのですよ。

はっは、
寝ていてもワタクシは、
蚊を仕留める事ができる。
これは凄まじく便利な能力ではないか。


 


蚊のことでもうひと噺。

ベトナムへ、3年前の9月に
行ったのですがね。
ブログ3で旅行記はまだ
書きかけのままですがね。

蚊がいないなぁ、なんて
思ったわけですよね。
9月だから、シーズンが
過ぎたのかなと思いました。


フエの旧市街のとある安宿で、
日本人大学生2人と会いました。
夜に、ワタクシも加わって学生3人で
雑談をしていたのですよ、
久々に日本語を思いっきり
話せる機会でしたから。

その部屋のベッドは、足元の所に
2本の棒が、立てることができるように
釘を1本打って備え付けられていたのですよ。
これは何でしょうね、と言って
日本人でご老人のバックパッカー(!)に
教えていただきました。
あぁなるほど!これは
蚊帳をベッドに掛けるときに立てる
衝立(ついたて)か。

そういえば、ベトナムにはもう
蚊がいないですねぇ、と
言おうとしたら別の学生が、
「いやぁ、ベトナムは
 むちゃくちゃ蚊がいますね」
といって、刺されまくって
ちくちく肉刺だらけの足を
見せたわけですよ。おぉ!

B型は、あまり血を吸われにくいと
よくいいますよね、
本当かもしれないなぁと
強く思いました。


「妙案」学生ボラ

2009年06月14日 | テレビ


今日のお昼に、NHKで
「難問解決!ご近所の底力」を観ました。

というのも、大学時代に
農山村ボランティアを行っていたのですが、
ボランティアの仲介役が
今はNPO法人化された「学生人材バンク」でして、
その人材バンクの活動、アイデア(「妙案」ですか)
が紹介されていました。

今その代表を勤めておられる
農学部の先輩かつ環セミの先輩が
スタジオで熱弁されていました。
どうもお久し振りでございます、
まさかこのような形で再開するとは(笑。


紹介されていた活動の現場は
棚田百選にも選べれている横尾の棚田でした。
もう3年前になるんですね、
3年前にも同じ現場で、作業をやらせていただきました。
  →2006年の水路掃除風景はこちら
  →2006年初夏の田植えと秋の収穫風景はこちら

集落の皆さんの顔が懐かしいです。
テレビに映る人たちが
知っている人たちばかりと言うのも
なんだか奇妙に思えてくる所が面白かったです。


しかし、番組のナレーションで、
「これで問題は全て解決!」と
明るい声で語られていたのを聞くと、
うーむそうだろうか、と
やや疑問に、訝しくさえ思いました。
もちろんこれは番組への意見、
人材バンクさんに対するものではないですよ。

学生ボランティアについての
不安というものが、
スタジオでも指摘されていましたが、
もう少し番組でも掘り下げて、
どう改善してきたかとかいった過程が
紹介されたらよかったのではないかと思うのです。
代表もスタジオでもっと語りたかったでしょうし、
もしくは実際語ったのやも知れませんが、
登場時間は思いのほか短かったです。

あくまで「妙案」を紹介するにとどめるのが
番組の趣旨やも知れませんが、
長い過程を経た現在だけをぽんと切り取って、
「これで全て解決!」なんて紹介されて、
見ている人の中にはどう映るんだろうかと、
ややハラハラしながら観ていました。
もっと掘り下げて、バンクさんの
活動を紹介する番組をね、
制作されることを望むのです。


英単語暗記のコツはこちら

2009年06月12日 | 雑感散文


ジョン万次郎、という
幕末の偉人をご存知でしょう。

その、英語の教え方が、
coldはコオル、
morningはモヲネン、
watermelonはワタメロンと
発音を独特の、と言うか
聞こえたまんまの表記なのが
面白い所であります。

しかもこれらの単語は、
なにやら日本語の意味が
通っているような感じで
興味深い所です。


『打たれ強くなるための読書術』
(東郷雄二著、ちくま新書)の中に、
本に書いてあることを鵜呑みにするな
という忠告の一例として、
英語の起源は日本語であるという
いかにも怪しい説を唱えた本が
紹介されていました。
nameはナーメ、名前が訛った、とか
このような調子で論が展開される本が
有るらしいのですがね。

しかしながらワタクシ、
変な話ですがこのことから、
英単語の暗記のコツを掴む様になりました。

或る単語を噛み砕いて、
それも時には無理にくちゃくちゃに砕いて、
何かしらの日本語と結びつける、
または関連させて覚える。
そうすることによって今までは
無機質に感じていた語彙どもを、
面白おかしくイメージ化して
すらすらと出てくるようになりました。

予断ですがね、ここまで書いておいて、
そのコツはこちら!といって
リンクを張っておびき寄せるような
「フログ」が今蔓延っていると
聞きますけれども、そんなことは
このブログでは一切しませんのよ。


そのコツはこちら!
たとえば、vehicleという単語。
carさえ覚えておけばいいじゃねぇか的な
取っ掛かりにくい単語ですがね、
ダーウィンの「ビークル号」→乗り物
と言った感じで連想させれば
覚えられるというものです。

instanceという単語も、
インスタントのインスタンスはカップヌードル
もしくは今流行の「ゴローちゃーん」
といった按配で暗証すればよいのですね。
つまり、例・事例という意味ですね。

酷いものになると、例えば
attitudeというのを並び替えてみれば
タイドという言葉が現れるから態度だとか、
temporaryではラリーのテンポは
気まぐれで日によって変わってくるから
臨時だ、とか却って分かりにくいものも
ありはするんですけれどもね。

とにかく自分の中で勝手に、
自分でしか通用しないような
強引な語呂とか関連付けで覚えてしまえば、
後はそんな無理やりなプロセス無しに
すらりと単語が出てくると言う
そういった企てと相成っているのです。


物事を記憶するというのは、
イメージ化したり関連化したり、
はたまた笑いにしたりシモノネタにしたり、
ちょいと捻ってやるとかなり
記憶定着率がよくなるらしいですね。

学習はショウモナイもん勝ちだ
と言うのは勝手なる解釈の人生訓です。


アナログマの正体は─

2009年06月11日 | 凡日記


もう晴れてしまいましたね。
梅雨ってこんなんでしたっけ。
これまで経験した梅雨は、
入梅以降連日の雨降りだった
様に記憶しているのですが。

越の国辺りでは、雨だけでなく
オタマジャクシも降ってきて
いるそうですね。
オタマジャクシには災難ですが、
だからといってそこまで深刻に
ニュースに取り上げるほどの
…と言ったら、カエルに失礼ですね。

そして越の国では、
もう田植えがされていましたね。
一方のこちら九州西部、
未だ田植えがされていません。
入梅自体が遅かったですからね、
仕方の無いことでありますが。


   



2009年3月5日「WEB蚊焼湧水」5周年企画より

アナログマの正体は、
かみっきぃ~さんだったんですね(笑。


我が家では依然として
アナログ電波を受信しています。
パソコンでは、ワンセグ電波を
受信しては録画をしている生活です。

しかしながらワンセグ電波は、
NHKのは届けども、
民放のは一切届きません。
おそらくこの分だと、
12セグのデジタル電波も
届いていないであろうかと
思われるのです。

さぁこれは困った、
再来年までに何とかして欲しいと
願いつつも、その一方で実は
別に民放が映らなくとも、
一向に困らないのも確かなのであります。
(「THE世界遺産」は惜しいところですが。)

それよりかは、話によると
BS放送の方が今、にわかに
人気が出てきているらしいですね、
旅番組が多いそうですから。
「どうでしょう」さんも放送されて
いることですし。

地上波を捨て、衛星のものを
受信するというのもまた、
地デジ難民回避のための
ひとつの選択肢と言えるかもしれませんね。
無理して高い機材を買った挙句に
電波が届かないオチに泣くよりは。
そして番組の質を考えたときは。


激しく降って─

2009年06月10日 | 凡日記


大雨です。
いよいよ入梅ですね。
昨日が九州の入梅だと
発表されていましたが、
今日は朝から昼間で
激しく降っておりました。

カエルもいよいよ
喧しく鳴きだしました。

カエルの鳴く姿を、
撮影してみたいなぁと
思いながら、鳴き声を
聞くのでした。

短い日記もたまにはよいね(笑


囲繞(いにょう)景観・竜安寺

2009年06月09日 | 雑感散文


「囲繞(いにょう)景観」という
言葉があるのですよ。
『森林・林業技術必携』朝倉書店刊の、
鳥大の先生が著した章の中に
でてくるんですよね。

囲まれたものの中にある景観と
簡単に言えばそうなるのですが、
たとえば四方を山に囲まれた
盆地の田園風景とか、そういうのが
当てはまるわけです。

もっと突っ込めば、
たとえば庭とか、そういう
狭い空間のものもこれに
含まれるのではなかろうかと
思うのですが、違いますかね。

庭といえば、世界遺産で言ったら、
古都京都の文化財の竜安寺の庭園が
当てはまるなと思って、
ふと昔行ったときのことを思い出しました。
そのときの写真はブログ3に載せています。

竜安寺へは大学1年のとき、
地元の友人であるサーベル大佐と行きました。

その庭園は素晴らしい、とは
高校時代の頃、国語の先生が
頻りに熱弁していました。
けれども、その写真を見たり、本を読んだり
したときには正直、あまり好い庭園とは
思えませんでした。
なに、そこには世界を現している?
狭くて寂しい所ではないか、
なんっかつまらなさそうだなぁと
行く前には思っていました。
若者にとっては、竜安寺よりも
鹿苑寺金閣の方が好いと思うものです。

しかし、いざ竜安寺の敷地に入ると、
いたく感動してしまいました。
予想通り、どころか予想以上に、
寂れた感じの寂しい所で、
とても狭く、周りにも隔絶されて
つまらなさそうに見えるところでした。
しかしこれが全てなのだ、
これが世界なのだということを
悟った、といったらおこがましいですが
それに近いような感銘を受けました。

高校時代は、ビオトープというのが
校内には有りまして、
その管理とかをしていたのですよ。
また、生物室には1mくらいの幅の
コンテナを使って、小さな清流の再現を、
箱庭を作ったことがあったのです。
ポンプで水をくみ上げて、高い所から
水を流す。そして底の水をまた吸い上げる。
狭い箱の中ですので、常々
一晩置いて塩素を抜いた水を
追加してやらねばならないのですが、
砂利を敷き詰めているので自然と
水は漉されて綺麗で、
中にはメダカやエビなどがいて
小さな食物連鎖というのが成立しているのです。

水さえ循環していれば、
とりあえず生態系が成り立つ。
そこはひとつの小さな宇宙。
それと同様に、岩と白砂利しかない庭も、
水を循環させる模様を描き、
それだけで済ませている景色もまた
ひとつの小宇宙といっていい。

それとこれと、全然違うじゃないかと
仰る方もいらしゃいましょう。
けれども実際に庭を見ると、
あぁ同じだなと直感するのです。
実際に見ない限りは分かりますまい、
実際に観ても分からないかもしれませんが。
一緒に行ったサーベル大佐は
どう思われましたでしょうかね。
というより、ワタクシ一人が勝手に感動して、
1時間以上も居座って、ちと迷惑を
掛けたかなという気持ちもあるのですが。
何故あの時居座ったかというのは、
こういう一連の悟りがあったからなのです。

多分、この経験があって、ワタクシは
文化的景観とか、世界遺産というものに
没頭していったのだと思うのです。
そして今もまた、没頭中。


 


余計なお世話ですが、
「文化的景観」についての詳しすぎる解説は、
文化庁のこのページをご覧になすって。

「囲繞景観」についての解説は、
ネットでは探しきれませんでした。

昔作った、「景観ゼミ」のページもご覧になすってね。