BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

2006年最後の飯

2006年12月31日 | 食生活

 年越し前の食事風景です。
 つまり2006年最後に口にしたものでございます。

 療養中のため、最後はなんとも寂しい食卓風景となってしまいました。

 きつねうどんに、ほうれん草のおひたしに、秋刀魚の蒲焼(缶詰)。

 うどんは本当は、消化に悪いらしいことを聞きますが、でもこういうときは、うどんくらいしか食べる気がしないものですから、不思議なものです。

闘病②「感謝コミュニティー」の─

2006年12月29日 | 雑感散文
※当日のことを回想した日記です。当日は病床でうなされておりました。


 ノロ的なものに冒されて2日目─。
 外は雪景色でした。久々の雪です。今年のうちに、この景色を見ることが出来たのは良かったです。ようやく年末の鳥取、という感じになりましたからね。

 この日は近所の薬局まで薬をとりに行きました。ついでにスーパーによって、流動食を(つまりゼリー飲料やジュースとか)買い込みました。

 しかしちょっとの距離を歩くだけなのに、とても疲れるのです。
 疲れるし、何より途中で吐き気とかに襲われて、つらいのです。

 こういうときは、つくづく何気ない健康な日々を羨ましく、そしてそれは幸せな事であるのだということに気付かされるのです。

 病気をしないと、実際に闘病している人々の苦労はなかなか理解できない。
 病院に行かないと、医療現場での苦労や問題点についてなかなか伝わってこない。
 それ故に、若い人の国民年金未納問題とか、福祉医療の人員不足問題などを、考える時間を逸しているのかなと思ったりするのです。

 そういえば昨日病院に行っていたとき、そのようなことを病床の上で考えておりましたよ。
 病院は、ただ出さえ高齢者率の高い地域の、さらに高い空間なのです。そんな中、最初こそこんな若い人間がやってきて、世話になっていたらいかんよなぁと思っていたのです。
 しかしながら、自分も苦しいながら、お会いする人たちと言葉を交わしたり、もしくは道を譲ったりエレベーターでボタンを押したりしただけで、最大限の感謝をされるこの気持ちよさ。
 専ら、自分も病気していますから、他の方に道を案内されたり色々と世話になったとき、自ずとコチラも最大限の感謝を込めて、ありがとうと言いたくなるものでございますよ。
 病院内は、お医者さんや患者とその関係に捉われず、お互いの感謝の気持ちの支え亜衣により、この病院というコミュニティーは維持されているのではないか,なんて思ったりもするのですよ。

 病院などでボランティアに従事するって言うことは、その「感謝コミュニティー」の広がりであるし、そのコミュニティーの構築を勉強できる機会を得ることになるのかなと思ったりしたのです。

 まぁどこまで的を得たことを書いているのか分からないのですがね。
 そんなことを、寝たきりで苦しみながら、お薬を服用しながら、本も読めずテレビも見られない中でぼんやりと考えていたのでございますよ。


闘病①人生初の─

2006年12月28日 | 凡日記
※当日のことを回想した日記です。当日は病床でうなされておりました。


 本年度にとって初雪が降ったこの日。
 バイトに行っておりました。

 そのバイト先で体調が悪くなったので、早引けさせてもらいました。

 そのまま市内の病院へ直行。時間外にも拘らず、診てもらえることとなりました。

 しかしながらその間にも、全身がだるく、猛烈な吐き気に襲われたのです。微熱37.5度。
 診てもらった後、念のためにということで、レントゲン写真撮影と採血検査をしてもらいました。

 さらに気分が楽になるようにと、点滴を打って貰うこととなったのです。
 人生初の点滴です。なんだか若いのに情け無い気分になってしまいましたよ。うちの下宿の大家さんは、つい最近まで点滴を打たれたことがなかった、なんて話していたのに引き換え、自分は。病気以外の面でも鬱になっておりました。

 そして点滴を打たれたままうなされておりました。そこでお医者さんから、診断結果を聞きました。
 レントゲンも採血検査も、これといった異状はなし。
 この時期特有の、感染性胃腸炎であるということでした。

 そして付け加えて…

「ノロウィルスの否定は出来ない」

…と言われ、思わず笑いが込み上げてしまったのですね。
 そうかそうか、いや参りましたよ。
 年末のこの忙しいときに、厄介なものに罹(かか)ってしまいましたよ。

 その後、2時間ほど点滴を打たれておりました。
 そのうち、夕方6時を過ぎようとしていたので、部屋の移動をすることになりました。
 このとき、吐き気がピークに向かっておりましたから、ついでにトイレへ寄ったのですよ。

 大嘔吐。

 それでもその日のうちに気分はよくならず。
 家に帰ってなおも、布団の中で襲ってくる吐き気と下痢に、魘されておりました。
 こんな日に限って外はブリザードのような吹き荒れる雪ですよ。寒かったですとも。


見所満載のレース─

2006年12月27日 | 凡日記

研究室の某M氏が
卒論を完成させましてね。

いやぁ、

心から、


おめでとうございます。


おそらく森林で一抜けでしょう。


さぁ、
二抜けは一体
誰になるのでしょうかねぇ。

そして、
最後に抜けるのは
誰になるのでしょうかねぇ。

最後でいいから、
抜けられるのでしょうかねぇ。

いやぁ、
見所満載のレースと
相成りました。

ねぇ。

結局、
年内の下書き完成は
断念しましたよ。

ねぇ。

どうしようかな。

このレース、
ワタクシは堅実に
完走のみが
目的ですから。

レースによっては、
制限時間が
設けられているんだっけか。

ねぇ。

どうしようか

俺どうしようかな


至って普通の土産品店─

2006年12月26日 | 凡日記

 バイトの帰り道に、鳥取市街地の若桜街道沿いにある、「鳥取県物産観光センター」という店舗がありましてね。
 今まで、正直言ってどういうところなのかよく分からなかったのです。
 しかし、今回の帰省に当たって、何かお土産を買っていかねばと思っていたので、鳥取も最後ですし初めてそこへ立ち寄ったのです。

 至って普通の土産品店といった感じでございました。
 県内のお土産はひと通りそろっていたので、どの土産を買おうか悩む楽しみをもてました。(でも結局買ったのは 銘菓「因幡の白うさぎ」 ですけれども。)

 でも、駅前や砂丘などの土産品店とあまり変わらないばかりに、何故ここにこういった施設を作る必要があるのかなと疑問に思ってしまいました。
 現に、出入りするお客さんも、前からあまり見受けられませんでしたし。

 そうおもっておりましたら、どうやらここは、来年(平成19年)1月末で店じまいをするそうでございますね。
 いざ閉まるとなると、少し残念な気持ちになるのもまた、不思議なものですね。

 ここが閉まった後、どうなるのでしょうか。鳥取駅も目の前であるこの場所で、まさか後のテナントとか決まっていない、という事態になっていないことを願っておりますよ。


偏頭葉がズキズキと─

2006年12月26日 | 凡日記

 今日もまた、わらべ館 にてバイトをしておりました。
 お暇なときは、わらべ館で童心に帰ってみてはいかがですか。むしろ大人受けが多いようでございますよ。

 さてばっちり宣伝したところで、今日の日記。としたいところですが…。

 今、研究室にいるのですが、やや魘(うな)されております。
 研究が進まないから…まぁそれもだけど。

 頭痛がします。
 風邪でしょうか、疲れでしょうか、ノロウィルスでしょうか(いや違う)。
 兎に角偏頭葉がズキズキと痛みます。年なのかもね。

 というわけで、昨日今日の未だ書いていなかったたくさんの日記は、明日書くことにしまして、今日はおしまい。


キャベツ有効消費法

2006年12月25日 | 食生活

キャベツ消費のために、
「キャベツとコンビーフの
スパゲティ」を作りましたよ。

作り方はたいしたこと無い。
ブイヨンとケチャップを
煮立てたキャベツの鍋に
茹でたスパゲティともども
ぶち込めばよろしい。

この料理は、キャベツがまた
おいしいのでございます。

帰省する前に、
冷蔵庫に残る3玉のキャベツを
急いで消費しきります。


【情熱】支援の「矛盾」、との戦い

2006年12月25日 | テレビ

 クリスマスイブではございましたが、この日もしっかりと、「情熱大陸」(MBS)「世界遺産」(TBS) は欠かさず見ましたよ。

 そして今日の「情熱大陸」。(衝撃的なラスト10秒でした。でもそれが(インパクトを与える上で)良かったと思います。


 今回は、
WFP(国連世界食糧計画) という食料を支援する国連機関で働く、日本人職員の「情熱」を追うものでした。
 その仕事というものが、実にタフでやりがいのあるものであるなと、羨ましささえ感じました。もっとも、自分には到底出来ないと思うことが多かったのですが。
 その食料「支援」について、色々と考えさせるところが多かったのです。

 一口に「支援」と申しましても、単に金や物を配る「垂れ流し」の支援ではなく、「本当に必要」としている場所に支援をし、やがてその支援を打ち切っては地域の「自立」を促させているのです。
 この、「支援」を打ち切るという、新たな「支援」の考え方に、少なからず衝撃を受けました。しかしよく考えてみれば当然のことであるし、必要不可欠なことなのですよね。
 いつまでも支援をし続けていると、その国や地域の自立心や意欲をも失わせ、結果的に支援前より悪い方向に行きかねない。その「悪い方向」が、アフリカでは物乞い馴れなどで現れていることをよく(大学では)聞きます。(終いには、白人の車両を襲うということも起きているそうですね。それは単に白人への恨みとかではなくして。)

 ただ「支援」をするだけではなく、その国や地域の人々の意欲ならびに将来を作り上げることを助ける、これが本当の「支援」なのだなということを、改めて認識させるものでした。

 そして、ラスト10秒の衝撃とは。

 その前に前半で、この番組の取材について他の職員が「死体を映すことになる」などと懸念するシーンがありました。
 今回の舞台となるスーダンは、メディアに対しては閉鎖的で(そのために日本にはその現状がなかなか伝わってこない)、報道陣の身に危険が迫ることを懸念した話し合いのシーンの一幕です。
 しかし幸いなことに取材は続行され、死体も映ることなく(編集したのでしょうけれども)、日本人職員の行動が紹介されました。

 番組の後半で、そのスーダンのある地域に、食料2か月分を輸送して配給することが決まり、その配送シーンと共にエンディングを迎えたのでした。
 またこうして、食糧支援により助かった命を喜ぶシーンで幕を閉じたのです。…というのがまた、この番組の「粋な」演出だったのでしょうか。

 そして最後に4枚の写真。

 その食糧倉庫が武装集団に襲われ、食料が全てその集団の手に奪われたのです。
 難民キャンプの住人は虐殺され、その死体が砂の上に転がっていた、という場面の写真が画面いっぱいに映し出されたのです。
 この、突然突きつけられた現実。たった10秒程の時間でひっくり返されたのですよ。随分と効果的な衝撃を与えてくれるものです。その策略にまんまとやられ、画面を見て凍り付いてしまいましたよ。そんなことがあるのか、って。

 なんだか、世の中の「善意」に対する無常さと、「支援」することへの矛盾というものをいっぺんに思い知らされた気がしました。

 「支援」を打ち切ったり、「支援」したがために襲われたり。
 一見報われない仕事に見えて仕方が無いです。

 しかし日本人職員は常に楽観的。
 「慌てても仕方が無い。」

 一番必要なものは、この「寛容さ」なのだ、と確信しました。
 誰かを助ける、といった使命感に燃えた「驕り」ではなくして。



 番組では、職員の行動を紹介するのが主だったのですが、もっと、この方の考えていること、「哲学」に迫ってもらえたら、もっと面白い発見があったのではないでしょうかね。もっとも、30分というのが短すぎますから、そう贅沢も言っていられないのかもしれませんが(ならばゴールデンで、つまらないバラエティを押しのけてたっぷり放送してくれと言いたくもなりますけどね)。
 しかし、もっとこの人のことや仕事について、知ってみたいという気持ちになったのは、大きな収穫でした。


久々のオムニバス日記─

2006年12月25日 | 凡日記

 久々のオムニバス日記でございます。
 平凡な日々を、あたかも重大な日であるかのごとく、どうでもよいことを長々と書き連ねていけるのもまた、一種の(要らぬ)才能でございましょうよね。きっとね。

      

 今日は、ものすごく晴れ晴れとしたお天気でございます。

 「何でこんなにも、天気がいいのだろう。」

 そんなどうでもいい事を、何か哲学における最大の関心事であるかのごとく思慮を廻らしている暇人です。
 ホントは暇じゃないけどね。

 今日もまた、研究に励むのでございます。採集したデータが「つまらない」結果だったので、もうちょっと掘り下げて色々と解析していきたいと思っております。
 しかし皮肉なものです。
 統計学としては、「つまらない」程に正確で予想通りの、驚異的な良い結果なのでございますよ。自分で言うのもなんなんだけど。
 でも、それを調べたところで、「当たり前」じゃないかという一言飛び出すのがオチなのでございますよ。
 だけどその「当たり前」が、専門外の人にとっては重要なことであったり、知られざる事実だったりすることもございましょう。
 まぁ、専門内で研究発表しないといけないのだから、そうは言っておれないのですがね。

     

 今年最後の歯科医院に行きましたよ。3本目の虫歯を治療しました。
 今回ばかりは、幸いにして虫歯の歯茎の神経が健全であったため、最悪なほどに痛みを感じました。
 それでも、負けてなるものかと、さも痛みなぞ無いかのように黙っておりました。しかし眉間は正直だったようです。

 来年は、いよいよ「親不知」の歯を抜くことと相成りました。
 右上の親不知は、もはや真横に生えてきておりますからね。常に、奥歯に物がつっかえたような感覚に悩まされておりましたから、この際抜いてしまいましょうかね。
 それにしても、成人になったら歯を抜くなんて…縄文時代の慣習か!

      

 今年は暖冬であります。
 鳥取の低地では、全く雪が降っておりません。雹は降ったけどね。

 それで、去年の今頃は、本当に雪が降っていたのかいという疑念に囚われましてね。
 全く覚えていないんですよ。大雪が降ったのは覚えているけれども、果たしてそれが何時だったか。

 自分の記憶力のなさに呆れつつ、去年の12月の日記 を読んだのですよ。
 驚きましたね。去年のこと、全く覚えていませんでした。さらに呆れてしまいました。Yたかさんはそれ以上に呆れておりました。

 去年の今頃、鳥取は(低地の)最大積雪量39センチと、とんでもないことになっていたのですね。いやぁ、全く覚えていないですなぁ。
 そんな雪が積もった中で、頑張って集中講義のために早朝から大学へ赴き、エアコンが壊れた部屋で寒さに耐えながら講義を受けていたのですね。あぁ、未だ去年の出来事なのに、遥か数年前の記憶になっている…。

 そんなすっかり去年のことを忘れてしまった自分ですから、自分で書いた日記なのになんだか新鮮さを感じました。
 そもそも、文章がどうも自分の手によるもののようで、でもそうでもないような印象があります。全くの別人が書き綴ったかのようです。

 いやぁ、これが日記なのですね。こうやって、自分の過去を振り返ることが出来る楽しさ、これぞ醍醐味なわけですね。


 その去年の日記について、ついでにもう一つ驚いたことは、同じ時期におんなじことを考えたり、行っていたりしているのだな、ということへの驚きでしたね。
 たとえば、gooニュースの今年の10大ニュースの投票 だったり。
 逆に、去年のことを覚えていないから、同じ事を繰り返し行うことが出来るのでしょうね。

     

 そういえば、ネットのニュースポータルについて。

 ヤフーのニュースポータルに対抗して、共同通信と加盟新聞社(日経、産経、ほかブロック・地方紙)が合同で立ち上げたサイトが、なかなかに面白かったですね。
 その名も、47(よんなな)ニュース

 政治とか、事件ばかりの、暗い話や東京偏向ではなく、地域のニュースを重視したスタイルが、なんだか新鮮さを感じました。
 そうかそうか、逆に言うと、今までのネットのマスコミも、「地方切捨て」を行っていたんだな…などと思ってしまうのです。

     

 今日、青春18きっぷを購入しました。
 価格は11500円。

 長崎⇔鳥取

 これだけで、元がほぼ取れます。


イブも健康食

2006年12月24日 | 食生活

クリスマスイブは豪勢に!(寂)

JAいなばの市場で購入しました
キウイフルーツが、
なんとなくクリスマスの
奮発を感じさせます。

10数個で100円だったけどね。

その他、
お味噌汁に
トンガ産南瓜の煮付、
鰯の煮物(まだ残ってた)
そして惣菜のおからと、
実に健康的な品々を
取り揃えた夕食と相成りました。


特に味噌汁は、凄いですよ。
味噌に、豆腐に、油揚げ。
どれだけ大豆イソフラボンを
摂取しているんだというくらいに
大豆のオンパレードとなりました。
それだけでは寂しいので
わかめと大根も入れております。

しかしこの味噌汁、
作り方に関しては
雑そのものですから、
大変なことになったのですよ。
豆腐と油揚げが、
煮立つうちに膨張してしまい、
鍋一杯が豆腐と油揚げで
占められてしまったのです。

特に豆腐に関して。
せっかく刻んで入れたのに、
膨張の際にお互いがくっつきあい
再び1個の豆腐(しかし丸い)
に逆戻りしてしまったのですよね。

いやぁ、
見もの(?)でした。


おもちゃ文化を─

2006年12月24日 | 雑感散文

 クリスマスの今日は、わらべ館 (鳥取市西町・智頭街道沿いです) のおもちゃ工房にて補助バイトを行っておりました。
 ただ今、クリスマス&お正月シーズンということで、わらべ館では様々なイベントを催しております。
 お暇な方は、是非お越しくださいね。今一番楽しい時なのですから。

 その、各種イベントにすっかり人気を持っていかれまして、おもちゃ工房では残念ながらあまり繁盛しませんでしたよ。
 ここは一つ、おもちゃ工房勤務2年の経験を持って、何かしら打開策を打ち立てねば。

 そこで打った手は、空いている時間はコチラが色んなおもちゃを作って、楽しんでいるところをお見せすることですよ。…とかいってそれは後付けの理由で、楽しみたいがために作っているのですがね。

 そして作ったのが、わらべ館のマスコット・夢兎(ゆめと)くんなのであります。
 上の写真は加工する前のもので、2番目の写真は完成品です。
 2年のキャリアを誇る匠(仮)は、そのノウハウを持ってして、大量の人形を生産することが可能となったのであります。

 コチラの人形は、ここで工作を行った方に、プレゼントしているのであります。なんともお買い得!

 さらに、匠(妄)が織り成す技はそれにとどまらず。
 そのノウハウを活かして、ミニカーの大量生産にも乗り出したのであります。
 そのこだわりは、特にトラックに見られます。写真では分からないけれども、一面だけの方抜きにとどまらず、立体的に加工を施しておるのでございますよ。
 でもそのこだわりが裏目に出て、なかなか生産が追いつかない状況となっております。

 このトラック・車シリーズは、これまでにいくつも生産しては、すぐになくなってしまうほどの人気でございますよ…自分で言うなってね。

 さあさ、童心に帰って、あなたも何か工作してみませんか?
 →詳しくは、わらべ館HP の「おもちゃ工房」のページをチェックですぞ。

 

 …バイト先を大々的に宣伝って、いやらしかったですかね。
 でもね。
 ここは本当に、いいところなのですよ。
 こういったところが、うちの実家にもあればなぁなんてしばしば思うのです。
 行政も、要らぬハコモノ作んないで、こういう施設を作りなさいって、本当に思っているのですよ。

 おもちゃにも、歴史や伝統があるし、国や地域の文化が濃縮されている。逆に、そのおもちゃによって文化や伝統が作られていったのかも知れない。
 日本なんかは、江戸時代に「からくり人形」という今見ても驚く機械仕掛けのおもちゃを作っていたわけでしょう。その技術の高さ、そしてそれを持って遊ぶという粋のよさ、素晴らしいではございませんか。

 そんな、今も昔も「おもちゃ用」ロボットにおいては世界を凌いで長けていた日本のロボット技術ですが、なんだかあまり良い待遇を受けているようには思えないですよ、ねぇ。
 例えば、いまや世界が注目する犬型ロボットも、会社内では冷や飯食わされながら細々と頑張ってきたわけでしょう。
 それと同じように、「たかがおもちゃ」というくくりで、大して大事に扱われたりせず、一部マニア以外その貴重さや重大さを見過ごしていたわけでしょう。(一部マニにもその動機が色々あるだろうから一概には言えないかもしれないけれども。)

 そして、「文化」自体がなんだか、全体的にあまり積極的に価値を見直したりとか、大事にしようという機運が欠けているのではないかな、とも思うのですが。
 高松塚古墳は(ずさんながらも)あれだけお金を掛けて保護に取り組んでいるのに、一方では多くの遺跡が住宅開発などで失われていたりとか。
 まぁその話はまた今度。

 おもちゃ文化を、ここら辺でふと足を止めて、じっくりと見つめなおしてみませんか。


サイテーな─

2006年12月24日 | 凡日記

愚痴1:今日の降水確率は0%といったヤツは、誰だ。恐るべし鳥取。

バイト行く途中、
ポツリポツリと
雨に降られた。
セミナーOB・魚っさん(今鳥取)
の「雨男伝説」健在─か。

愚痴2:研究室でクリスマスを過ごす俺って素敵。

ハハハ、
こうなったらもう
サイテーなクリスマスの
過ごし方をしてやろうじゃないか。
今日の夜は、特にNHKで
面白い番組が続いているぞ。
ようしようし、
今日はずっとテレビを
見っぱなしで朝を迎えようか。

何だこの日記は。


魚饗宴

2006年12月23日 | 【大学時代】環セミ

 カテゴリーを「環境セミナー」にしてますけれども…まぁ、これも環セミの活動のうちに入るかな。

 環セミの上学年+OBメンバーで、某虫さん邸にて忘年饗宴が行われました。
 そこで出されました料理は、ひたすら魚、魚、魚です。

 いやぁ、魚の鍋に、お刺身は絶品でございますよ。
 特に刺身は、…何の魚だったか忘れたけれども…高級魚を食すことが出来ましたよ。いやぁ誠に、絶品、絶品。

 そんなこんなで、男6人でわいわい酒飲みながら過ごしておりましたとさ。

 …もっと人来て欲しかったな…。


凄い映画を見た…「ファンタスティックプラネット」

2006年12月23日 | テレビ

 昨晩の NHK BS-hi の「アニメ映画劇場」で放映されたアニメーションが、とても刺激的で面白かったです。その刺激がまた、よく効き過ぎて猛毒であったりするするのですが。

 そのアニメとは、1973年フランス・チェコ制作の「ファンタスティック・プラネット」(リンク先はアマゾン)です。
 そのタイトルとは裏腹に、内容は実に狂気的で、暗く、おどろおどろしいものでした。
 兎に角、「イっている」非常にシュールな作品です。

 舞台は、とある魑魅魍魎の巨大生物が怪しく生息する「イガム」という惑星。その中で、「ある程度の」知性を持った赤目・青肌の巨人「ドラーク人」が惑星を支配している。
 そんな中で「人間」は、虫けらのように「駆除」されるか、奴隷にされるか、はたまた一部の愛好家のペットにされるかの存在でしかなかった。

 まさに人間は、ネズミのように描かれているのです。裕福層のドラーク人にペットとして飼われる主人公テールは、ハムスターのような存在です。
 そのハムスターが逃げ出して、「野生化」した人間たちと出会い、穴倉やゴミ捨て場に身を潜めつつ、ドラーク人の文明を崩壊させるべく立ち上がるのです。
 この野生人間の生活環境がまた、ネズミの生態を忠実に再現したかのような、不気味なリアリティを感じさせるのです。

 でももっと強烈なリアリティを帯びた演出は、ドラーク人が野生人間を「駆除」するシーンですよ。
 それはまさに、蟻やゴキブリを駆除する方法と合致するものなのですよね。錠剤を散布したり、掃除機で吸い取ったり、「コロコロ」したり。
 もはや、野生人間は「ネズミ」以下の存在にまで虐げられているのですよ。そうなると段々、「ネズミ」よりも「ゴキブリ」としての人間の扱われ方が、しっくりきましてね。現実にもいるではありませんか、ゴキブリをペットにする愛好家も。リアリティーは不気味に生存し続けるのです。

 しかしながら一番怖かったのは、やがて知性や科学技術を手に入れた人間たちの行動なのですよね。
 巨人のドラーク人を、大勢で寄ってたかって倒すシーン。見るほうは、虐げられた「人間」に主眼を置いて見ていたのに、いつしかそのドラーク人に、現実の人間として置き換える目を持たざるを得ないのですよね。

 これが何を意味するか。

 まず一つは、人間が「高等生物」という見方への疑問でしょう。
 現実の人間は、本当に「一番知性のある」生物としてこの星に君臨しているのだろうか。そしていつしか、知性を持った「下等生物」に人間は蝕まれ、文明を崩壊させるのではないか。

 次に、人間というものは「脅威」というものをすっかりなくしてしまったなということです。
 人間は本来、周囲の危険に生命を脅かされつつ、そしてそれらの「脅威」の生物と「同等」に戦って、現在の安定した文明の地位を築いたということへの気付きだと思うのですよ。
 しかし、人間にとって脅威であった、狼やマンモスなどの獣も、あっけなく絶滅に追いやってしまった今、すっかり地球に「君臨」する面を持ってしまったのではないか。そんな驕りへの警鐘なのでしょう。

 そして最後に、ここで描かれる「人間」を、単に「ネズミ」や「ゴキブリ」に置き換えただけではない、ということに気付きました。
 端的に言うと、ドラーク人は「西洋」で、野生人間は「東洋」という見方です。
 まさに大航海時代は、そのような歴史を繰り返したのですよね。そして未だに根強い「西欧優勢」への警鐘の意を込めているのではないかと思うのですよ。


 またもややこしい話をしてしまいましたね。どうせ長々と云々述べたところで、百聞は一見に如かず、実際に見てもらった方が早いのは至極当然。コレはお勧めです、是非機会があればご覧ください。

 そして何よりも感心したのが、動きの滑らかさと、独創的な世界観の表現への成功、これが本当に素晴らしいのです。絵が綺麗なのです。綺麗だからこそ、不気味な世界観を作り出しているわけですが。
 最初にこれを見たとき、てっきり最近のアニメだと思ったのですよ。それくらい、普遍性を持った画だと思うのですよね。
 日本のアニメーションとは「全く」異なった、緻密さと動きの滑らかさ。本当にこれは驚異的なまでに凄いです。

 しかし怖い。実に怖い作品です。
 「アニメは子供が見るもの」という概念が日本ですら強かった1970年代の作品とは思えませんよ。とてもとても、子供が見るためのものとはいえませんよ。
 そしてNHKも、これを深夜に放送しないでくれよと付け加えたいですね。本気で夜部屋を暗くするのが怖かったですよ。
 「たかがアニメ」なのに、ものすごく怖い。それだけに、現実との接点が非常に多い、作品なのでしょうな。


冬至にトンガ産南瓜

2006年12月22日 | 食生活

 昨日は結局、トンガ産の南瓜を買いました。
 →この話は 1つ前の日記で。

 そのトンガ産の南瓜を煮っ転がして、「冬至」にふさわしい惣菜の出来上がりです。
 トンガ産の南瓜、甘い栗の味がして、とてもおいしいです。これはおやつにもいいです。ホントに。

 それにしても、南瓜半玉をいっぺんに煮物にしてしまったものですから…多い。
 実家に帰省する前に、完食せねば。