BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【ふしぎ】知るべき歴史

2009年02月28日 | テレビ


 これまでにも、
「世界ふしぎ発見!」(TBS)では
オーストラリアが特集されていましたので、
もうこれと言って真新しいものは
無いんじゃないか、と
侮っていました。

 しかしながらまだまだ、
知らないことは沢山あるものだ、と
痛感させられるのでした。



 オーストラリア大陸の南東部には
万里の長城よりも長い建造物、
ドッグフェンスと呼ばれる金網柵が
張り巡らされているそうです。

 たしか兎のフェンスも
あったはずなのですが、
それより規模が大きいドッグフェンス。
 長さが5キロメートル、知りませんでした。

 その設置目的は、ディンゴと言う野犬から
家畜を守るためなのだそうです。
 けれども他の野生動物、
カンガルーやエミューなどの
生息区域を分断させることに
繋がっているのですから、
そこのところ、あまり感心しません。
(しかし番組HPを読みますと、
 カンガルーなら柵を飛び越える
 ことができるのだそうです。)
(また、ディンゴのイエイヌとの混血化を
 防ぐためにも設置している、
 とのことです。補足でした。)

 環境問題に関しては、
捕鯨船に体当たりするからといって、
知見があるとは限らないのでしょう。



 しかし、もうひとつ知らなかったこと。
 旧日本軍は真珠湾攻撃の後、
オーストラリアやニュージーランドを
空爆していたのですね。
 これはまったく知らなかったです、
まさかインドネシア以南まで
攻め込んでいたとは。

 しかしながらオーストラリアは、
捕虜を手厚く保護していたのだそうです。
 にもかかわらず反乱してみたりして、
日本の愚かさを痛感します。

 さらに、この反乱によって
(ほぼ自滅の形で)亡くなり、
この地で埋葬された兵士たちに、
母国の土に還らせる、と言うことで
(象徴的とはいえ)その墓地を
日本国領とした、と言うのが凄過ぎます。

 そんなこと、これっぽっちも
知らなかったことが恥ずかしすぎますね。
 かつて日本軍は
オーストラリアを攻撃したこと、
そしてそこには日本人捕虜がいて、
さらにその地に眠っている人がいて、
そこは日本国領になっているということ。



捕鯨船に体当たりするからといって、
安易に反豪に走るのは
慎むべきではないかと思うのでした。


一体誰に向けて─

2009年02月26日 | 凡日記


環セミのHPとかを
拝見させていただきますとね、
大分下の学年になる後輩の皆々様が、
すでに色々と「ゆずり派」の
引取りとか準備に励まれて
いらしゃるという活動記録が
掲載されていたものを読み
感心しました。
それと同時に、あぁもう
そんな季節なのだなぁと
感慨深くなったりしました。
後輩の皆々様、頑張って下さいね。

そして、
ワタクシと同期の皆様や
その他鳥大の後輩の皆々様、
3月のゆずり派回収と
4月のゆずり派キャンパス内開催を
よろしくお願いいたしますね、と
宣伝するのであります。

詳しくはこちら
 →「環境セミナー」公式HP
 →このブログでの過去の記事


 


さて、
当ブログではですね、
後輩の皆様とか先輩の皆様、
あるいは同期、同級生の皆々様、
はたまた全然関係なく
ご覧なすっている皆々様向けに
書いているわけでございますが。

特にどなた宛に書いていると
いうわけでもありませんので、
なるべく汎用性が利くような
書き方に努めているのでは
ありますけれども。

上記のようにね、
結局これは一体誰向けに
書いているのか分からなく
なることって
まぁあまり無いけれども
有ると言えば有るのですよね。

だから、全然違う話題なら
特に気にする必要は無いのに、
こと大学の話題とかになったら、
あんましエラそーな事書くと
ん、何だこの後輩は、と
先輩の皆々様の癪に障らぬようにと
気を使ったりだとかね、
あんまし裏話とか持ち出すと
他の同期も読んでいるしなぁと
その影響を鑑みながら
話したりしないといけないですしね。

まぁ、そういいながら、
別に漏れたら不味い裏話とか
持ち合わせてもいませんし、
先輩のかみっきぃ~氏に対しては
常々無礼なことを言ってますしね(笑。

だからあんましそういうことを
気にしちゃいけないわけですね、
もう、読んでくださる皆々様は
普く私の掛替えのない
大事な方々でございますから、
これからもどうぞ
たまにでいいんでこのブログと
HPをですね、宜しくお願い致します。

と、強引な話の〆といたしますよ。


 


昨日飲んだ牛乳の
消費期限は21日でした。
でも案外大丈夫なものね。

それでも飲みきれずに
今日まで余らせてしまった
200ml未満の、牛乳。

匂いを嗅ぐと、
エモイワレヌ。

さて、どうするよ。

最近はですよ、
1日くらいの消費期限切れで
残り物を処分する人が
多いと言うことを
よく聞くではないですか。
また、コンビニとかで
期限切れの弁当をめぐる
様々な動きとか、事件とか
あるじゃないですか。
期限切れのものを売れない、とか
そのまま肥料になるのも
もったいない、とか
だからと言って偽装が起きたり、とか。

最近はどうも、
消費期限をめぐる感覚に
鈍りと言うか矛盾と言うか
そんな状況に陥っているような
感じでございますね。

しかしながら或る意味、
貧乏な学生生活を送った
身としては、
消費期限の1週間はダイジョーブ、
賞味期限の未開封なら
半年はダイジョーブ、
いやパウチなら1年は
ダイジョーブ、という
或る意味感覚の鈍りを
持ち合わせてしまいましてね。
真似してはなりませんよ。

だからね、
牛乳の5日前のものなら
未だ何とか、と
思ったのですがね。

うーむ。


 


うーむ、
牛乳の話、
一体誰に向けて話しているんだか。


【学問】昆虫ロボット学の先

2009年02月25日 | テレビ


 「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)で、
ロボット工学が取り上げられていました。
 しかしそれは、これまでの
人間を追及していこうとか
人間を作り出そうと言う
ロボット工学とは一線を画すような、
そんな印象を受けました。
 ロボットを人間にまで
近づけることは、
「不可能」なのだそうです。

 それは昆虫の動きを
追求したロボット学で、
エネルギー効率がよく、
洗練された動き方を追求しては、
これまでのロボットでも
行くことができないような場所に
行けるような動きの研究が
なされているのが凄いです。
 アメンボのように水に浮き、
アリのように垂直面を上る。
 しかしながらまだまだ
動き方はぎこちなかったり。
 今のロボット工学は、
まだまだ昆虫に及ばぬ状況。
 でもそれゆえに
昆虫の機能は驚異的ともいえるし、
もっと突き詰めていけば可能性は
沢山有ると期待できる。

 昆虫で、ロボットという
発送の源は。
 人間の脳は14億の細胞で
成り立っているのに対して、
昆虫の脳は1000ほど。
 ならば昆虫の脳くらいの
再現はできるのではないか
という単純ながらも
意外とこれまで省みられて
こなかったような、
そんな発想に興味を持ちました。

 それで、昆虫の足とかは、
刺激とか電気信号で動いている
ものに過ぎないのであって、
昆虫の中に意識と言うものが
ない、と言う結論に
至ったわけです。
 ならば、細胞がいくつ集まれば
意識を持つことができるのだろうか。
 大変大きな謎です。


 ところで、人はそんな虫にも
擬人化してみたり、
共感を持ってみたり、
はたまた昆虫の「社会性」を
見るということをしがちです。
 意識なんて無いのに、
けれどもつい、なにか
考えているんだろうなぁと
特に大きくてずる賢そうな
ゴキブリなんかを見ていると
つくづく思ってしまいます。

 意識と言うものは所詮、
人間の勝手都合か、はたまた
意識と言うもの自体が幻想か。
 そういえば、かの南方熊楠は
川にいるカニの中に、
怪我したやつを助ける、という
外国の報告文献を読み、
最初は感心なさったそうです。
 しかし熊楠は、それはただの
巣に持ち帰っての共食いであることを
その後の自身の観察によって
暴いたのです。
 人間の感情をそのまま他の動物に
適合させてはならぬと言う
ひとつの例を示したわけです。


 じゃぁ結局、
感情というもの、心というものは
細胞いくつで成り立つのか、
どんな神経連鎖で発生するのか、
そもそも存在するのか。
 昆虫ロボットが次に魚となり、と
段階を踏んでゆくにつれ
いつかその解にたどり着くのでしょうか。
 ならば昆虫ロボット学の
ますますの発展を望むのみです。


もう濫読馬鹿読み─

2009年02月24日 | 凡日記


図書館に本を返す期限は
まだ3日ほど余裕はあったのですが、
今週はずっと雨が降り続くという
予報でしたのでね、
今日のうちに返しに行きました。

そしてまた何冊か
本を借りてきました。



いま、ものすごい勢いで
本を借りまくっております。
地元図書館の利用率を
高めることに貢献しております。
それによって、
図書館への予算配分が増え、
さらに本が購入されて
今の出版不況を少しでも
手助けしていることにもなる
と思っているのでありますよ。
本当に手助けしたいなら
本を買えといわれそうですが、
本当に好きな本を買っているわ、
と反論してみる。

ほしい本は数多あるわけです、
それを買い込んでいては
家の中が本まみれですよ、
何回か引越しを経験した身としては、
本は邪魔なのです。
結局は買い込んだ本も
手放す羽目になるという
苦い経験もしていますのよ、
だからもう、本当に手元に
置きたい本のみを、
購入するときに本当に必要かどうか
何度も何度も自分に問いかけて、
それでもその日のうちには買わないで、
その日の夜就寝前に
やっぱり欲しいと後悔しだした
その瞬間が訪れるまで、
買わないことにしたのです。
そう考えるとそれでも残った
「もやしもん」と椎名誠文庫本は
ほんものだわぁ。

で、残念ながら
購入することを諦めた本は、
図書館に求める。
しかしそれは取り揃えて
いるとは限らないし、
そもそも人気本は
予約でいっぱいだから当分無理。
ましてやこのご時勢、
予約件数はどんどん多く
なっていっているみたいですよ。
その悔しさを
何処に昇華するかといったら、
もう濫読馬鹿読みしか
ないでしょうが。
しかも、よ。
大阪にいたときはね、
近くに図書館が無くて、
しかも日曜日は休館という
まったく持ってサービスが悪い
と今の府知事並みに
憤りたくなってしまうのだが
とにかくあまり図書館の
恩恵に預かる事ができないという
不満の鬱積をですね、
地元図書館で馬鹿借りという形で
爆発させているのであります。



そんなわけで、
何冊も何冊も読みたい本を借りては、
でも結局全部読みきれるはずも無く。

今日返す前に
ぶわぁっと速読したら
相当頭がくらくらしました、
と言う顛末なのです。

だからどうこうという
オチではないのですがね。


甘い物好きな文化系の兄─

2009年02月22日 | 凡日記


この間テレビを
見ていましたらですね、
提供「オーストラリア」
って出たので
思わず吹きました(笑。


 


ワタクシと弟はですね、
なんっか、嗜好に
ズレがありましてですね。
甘い物好きで酒豪と、
辛いもの好きで下戸でしょう。

高校時代は、
地理と日本史、物理と生物が
それぞれ選択だったのですよ。
甘い物好きな文化系の兄は
地理と生物を採ったのです、
辛い物好きな体育会系の弟は、
日本史と物理を採ったのです。
おかげさまで、
実家にはものの見事に
多種多様な教科書と資料集が
そろっているのですよ。


前置きは長くなりましたが、
高校日本史の資料集を
見るとですね、
大変感動しましたね。
これはもう、
国宝と世界遺産の写真集
と言ってもよいくらいです、
写真豊富で綺麗で素晴らしい。

なんっかね、
弟は兄と違って
勉強熱心でありましたから、
せっかく素晴らしい写真集が
ぼろっぼろの体をなして
みすぼらしくなっちゃって、
新しいのが欲しいなぁと
思ったりしました。

考えてみたら学校の教材って、
ページも豊富でカラーで、
なおかつ安いですよね。
大変お買い得。
それに比べて
問題集は云々、ですがね。

本棚を見て、ふと、
そんなことを思いました。


「やればできる」という信念の知行合一

2009年02月21日 | テレビ

 お昼に、「NHKアーカイブス」という
番組をたまたま観ていましたら、
「救え!かけがえのない地球
 砂漠とたたかい続ける男」(1992年)
が放映されていました。

「緑は大事だ、
 必要だと言う人は沢山いる。
 けれども、実行している人は
 限られている。要はそこだよ。」

「知恵のあるやつは知恵を出せ、
 技術のあるやつは技術を出せ、
 金のあるやつは金を出せ、
 命のあるやつは命を出せ。
 これらが組み合わさって
 初めて成し遂げられる。」

 何せうろ覚えですんで、
一字一句正確ではありませんが、
大体そんなことを語って
おられましたね、その方は。
 言葉は随分と荒々しいですけれども、
けれどもそこには、まさに現場主義の、
机の上や研究室の中だけでは分からない
現実を目の当たりにしてきた実感が、
表れているのでしょう。

 その結果、「不毛」だと
「諦めていた」砂漠に、
ポプラの森が10年で育ってしまった。
 「やればできる。」という信念の、
知行合一。はなはだ感服するばかりです。

 しかし一番の成果は、
砂漠化する「地域」の人々に、
緑化する技術のみならず、
緑化の大事さと、
持続的な産業を成り立たすという
啓蒙や意識の転換を
「植えつけた」ことである、
といいます。
 「諦めていた」「地域」の
人々の手によって、
波及的に周辺へその活動が
広まっていくということが
大事なのはご尤もです。


 その方とは、遠山先生(故人)、
鳥取大学の名誉教授でした。
 中国のタクラマカン等の砂漠や、
砂漠化が進行している地域などに
ポプラを植えて緑を甦らせ、
ひいては農村をも甦らせる
という活動をされた方です。

 大学に入るまで、遠山先生の
ことは知らなかったのです。
 ですんで今回はその活動を、
それこそ入学後に本や講義で
知ったことを、映像で
見ることができてよかったです。

 そんな鳥大卒業生は、いま
「地域」と環境のために
頑張ろうと考えているわけですが
もっと具体的に、何をすべきか、
思案中なのです。


鼻腔は大変─

2009年02月20日 | 凡日記


寒い日が舞い戻ってきました。
長崎も例外ではありません、
ただ、雪が降るほどでは
ありませんでしたけれども。

花粉に、寒気の再来。
もう鼻腔は大変なことに
なっておりますよ。
左の鼻腔は腫れ上がり、
右の鼻腔は閉塞しており、
それぞれ違った痛みを
体感することができます。

しかしながら幸いにも、
痛いのは鼻のみ、
体調は頗る健康、
本日も元気であります。

皆々様も、健康第一で
お過ごしくださいませね。
健康こそ、私たちにできる
地域活性と医療費削減!

こんな程度です、本日の日記は。


どうせ3で割り切れない─

2009年02月19日 | 凡日記


雨です。
相当降っております。

ですから幾分かは
花粉の飛来も収まるもの
と思っていたのですが、
クシャミがとまらないじゃ
ないですか。
それどころか右の鼻と
右目の間のところが
腫れぼったい痛みを感じます。

しかも寒い、
風邪と花粉症の
ダブルパンチはしんどいですぞ。


 


今日の夕飯は
「ちゃんぽん」だったのです。

なんっかね、
いつも食べていたものだけれども、
暫く長崎を離れていて、
改めて普段の食卓に
ちゃんぽんが出ますとですね、
あぁ、今自分は
長崎にいるんだなぁ
などとしみじみ思ったり
するのでありました。

食は文化なり、
さすれば郷土は食なり。


 


2月ももう下旬に突入します。
でも2月ってさ、
他の日よりも少ないでしょう、
ならば下旬ってのは、
21日から、と言うのも
なんかヘンでしょう。
正確には、って
どうせ3で割り切れないのだけれども、
少なくとも19日からが
下旬だと言わないと
割に合わないわけでしょう。

となるともう、
2月はとっくに下旬に
突入していると言うわけですか。
日が経つのは早いものです。


おかげさまで少々の息を─

2009年02月18日 | 凡日記


左側の鼻腔になんか
ぽっこり膨れた所が
見受けられるようになりまして、
おかげさまで少々の
息を鼻から吸い込んだだけでも
ムズムズっときます。

おかげさまで6回連続の
クシャミを発することと
相成りましたけれども、
5,6回目あたりになると
乾燥のためかやや
咳交じりとなり苦しいです。

さぁ、何の話を
しているんでしょうねぇ、
でもいいさね、
人間なんだからね、
堅い話ばかりするのも
なんでございますから。
たまには砕けた話題で
お茶を濁さないと、ねぇ。


 


ついこないだまで
4月並みの暖かさだったのに
また急に寒さが戻って
きておりますよ。

「地球温暖化」てのは
命名が悪すぎですよね、
地球全体は確かに暖かく
なりはするんでしょうけれども、
寒気団の動きがおかしくなるから
今まで暖かかった所に
寒気団がわっと入り込んで
来るようになってしまった。
その逆も然り。
地域によっては、
寒冷化とか酷暑化とか、
はたまた乾燥化とか言って
未然に危機を知っとかないと。

オホーツク寒気団がね、
冬は元気に来日なすって、
梅雨の時期は来日を
遠慮なさるように
なってきたものね。
その結果冬はガンガンに寒くて、
梅雨は北海道にも訪れて
という事態になっちゃったものね。

と、言う話を
急にしだしたのは、
たまたま今日から
「森林水文学」の勉強に
乗り出したがためでした。

冬の気団が及ぼす災害云々とか。


【爆問】芸術はやっぱり楽しみたいもの

2009年02月18日 | テレビ


 キュビズムってのは、
ある意味分かりやすい解剖図、
と言うより展開図、と言ったが
ピンと来るかもしれませんがね、
展開図なんだと考えると、
それだけ見るほうに組立図の
想像が要求されたりしますけど、
平面図で立体的な被写体を
想像できるという、とても
お得な描写美術だなっていうのが、
分かりますね。お得だなんて
下衆いコト申しますけれども。

 翻って謎の美女、
モナリザの絵に至っては、
ただ見るだけで、そこに
立体的な被写体の現出を
目の当たりにすることができる。
 …けれどもそれは、
精巧緻密すぎて、なんだか、
当たり前のように見えて、
だから何?というような
印象を受けて、
あまり面白くなかったりする。
 面白くない、と言うのは
単にその人の眼力が
無いんだと言われれば
仕舞なのですけれども、
少なくとも、よく出来ていて
感心はするのだけれども
伝えたいことって何だ、と
それを問いたくなってしまう。

 難しいのね、芸術ってのは。

 モナリザの件について、
姿勢と顔は共に
モナリザ側から見て右に
向いているのですけれども。
 余談ですけれども、
左から右へ文字を綴る
西洋人は、絵などを観る時も
左から右へ目線が動くらしいですね、
それゆえに西洋の肖像画とかは
右側を振り向いているそうですね。
 それで鑑賞者と絵の中の人物は
ばったり顔を合わせるような
仕掛けになっているそうです。
 さて、そのモナリザ、
実は左頬の部分だけは
真正面から見たときの形を
なしているのだそうですね。
 つまりこれもキュビズム。
見ている人は知らず知らずのうちに
それで立体感を得ることが
出来るようなのですね。
 さらにモナリザの瞳は、
右は真正面を、左は左側を
見ているのですから、
鑑賞者は何処から見ても、
モナリザと目が合う。
 二次元の、しかも画に
描かれたものと目を合わせることが
出来る感覚を生み出した、と
いうことを考えると、
そこで初めてこの絵は
すごいものだ、面白い、と
感じることが出来ました。

 そういった、科学的な
解析をもってしてその芸術の
価値や意味が見出されるものだとしたら、
じゃぁ今の芸術って、
何なんだと思ってしまいます。
 アートはエンターテイメントに
非ずや、と言うことですか。
ならば何をもって自己を
表現していけばいいのやら。
 しかし確かに現代アートにも、
自然のなすまま、自然の真理を
追求するものがあったり、
自己主張というものを殺す様
務めているものもありました。
 前者はよいとしても後者が
じゃぁ何のための絵なんだ、
表現なんだと理解に苦しんだり
することもあったのですけれども。

 しかし確かに、
不変的な価値とか意味と言うものは
一芸術家の手に負えぬものかも。
 ならば自然の摂理に従って、
それを忠実に、模倣か再現か創造か、
理に沿って作ることによって、
作った人と、見る人が、
あれやこれやと評価したり
試したりしながら
求めていくものなのか。
 もはやそれは哲学の領域で、
いやエンターテイメント性も
ある程度哲学的な面もありはすれど、
人間とは何だとか人間の価値はとか
そういう話になってくると
ただ一表現者の生き方や
余暇の楽しみと言ったものに
限定される話ではなくなってくる、
ということで
芸術の真の意味や価値というものが
出てくると言うことなのでしょうか。

 「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)で、
芸術解剖学、と言う学問の
話がなされていました。
 ワタクシも、やっぱり
太田さんの言うような、ねぇ、
ぱっと見て分かる、楽しめる
エンターテイメントの芸術を
欲しているのですけれども、
浅はかなんでしょうか。


こちらもフフフと微笑み返す─

2009年02月14日 | 凡日記


久々に、髪を切ってもらいに
床屋へ行きました。
地元の、近所の、
小学校から通っている
床屋でございます。

ここで切ってもらうのは
いつ振りだろうか。
去年は、お盆に帰ったときに
切ってもらったか…いや、
黄金連休…いや1年前の正月か、
結局分かりませんけれども、
とにかく久し振りです。
大体、床屋に行くのも
大体4ヶ月ぶり。
もう髪の毛は伸び放題、
耳の裏とかがもう
モシャモシャとして痒くって
気候も穏やかになったし
と言うことで切りに行くことにしました。


そんなねぇ、
床屋に行きました、くらいで
駄文を長文連ねるでないと
訝しく思われる方も
万が一いらしゃるやも
知れませんけれども。

でもワタクシねぇ、
床屋はね、大学時代は
中国へ旅する前に
生協床屋で坊主にした以来
行かなかったのですよね。
4年間、自分で
髪を切っておりました。

大体1時間半くらい
かかるのですよ、
結構かかるのですよ。
でもね、散髪料2000円くらいと
見込みますとですね、
時給1,333円33銭ですよ、
なんて素敵なバイト。

という按配でですね、
そんな倹約生活を
送っていたわけですね。
だから、なんか
床屋に行くのが自分でも
何か可笑しな、と言うか
ちょっと珍しいと言うか、
勿体無い気がしてせめて
こうやってネタにでもしてやろう
という貧乏性が
露呈しているのでございますね。


 


さて、今地元では
何かの選挙が近いようで、
色々と「立派な」チラシが
ポストに投函されていたり
しているのですがね。

「農林水産業の活性!」
「福祉の充実!」
「商店街の活性!」

いや、ですからね、
それをどうやって
達成するのかというのを
みんな頭を抱えて思案して
いるのですしね、
そんな簡単に言われても。
具体的、を履き違えて
皆々様具体的な政策を
挙げておられるようでございます。

チラシはザラ紙でいいから、
「具体的」な内容を
何枚か書いて示してほしいなぁと
思うわけでございますよ。

もう、皆さんがね、
おんなじことを並べては
きれいな写真で微笑んで
いらしゃっていますからね、
こちらもフフフと
微笑み返す訳でございます。


スギのオスも─

2009年02月13日 | 凡日記


黄砂と春一番が
いっぺんに来ております。
おまけに雨も降りまして、
もう横殴りの酸性雨ですよ。

 黄砂に混じった大気汚染物質が
 酸性雨を齎(もたら)して
 いるのであって
 黄砂自体には、
 酸性雨を緩和するという
 役割も有るとする説も
 あります、念の為。

そして中途半端に暖かな
気候のおかげで、
体調は甚だしくオカシイです。

スギのオスも
大変調子が好いようです、
くしゃみがやたら多いです。

皆々様も、
風邪とアレルギーには
お気をつけなすって。


 


さてこのたび、
本ブログ2はですね、
記事投稿数が
2,000を達成する運びと
相成りました。

だからどうだと言われても
仕方が無いのですが、
なんとなく言いたかったので
言ってみました。以上。


んで、
かみきさん、
5周年対談どうしようか
考えているのですがね、
もうメールのやりとりで
済ませてよいですかね、
と言うわけで近日
メールしまーす。以上。



石たち自ら細々と─

2009年02月11日 | 凡日記


晴れましたし、
お休みでしたので。

図書館に行きました。
そしたら、休館でした。
うーむ。
文化施設として、
休日は開けておいて
欲しいなと切に願うのでした。


久々に、地元のいろんな所を
自転車でぶらぶらしておりました。

通っていた小学校の
「跡地」を通りかかりました。
小学校3年のときに、
別の場所に移転したのです。

そしたらその跡地に、
石碑が立っていました。

なんっか、ショックでしたね。
石碑って。文化遺産かっ。
でも地域の歴史とかって
こうやって石碑とかで残して
後世にその記憶の断片でも
残して積み重なって
いくものなのか、と思いました。


旧校舎跡から新校舎を
つなぐ道は狭い道。
旧長崎街道です。
今、「シュガーロード」として
福岡・佐賀・長崎の3県が
色々と催したりとか
しております、その街道。

左側の土剥き出しの法面(のりめん)、
石が積まれているのが
見えるでしょう、
防空壕を埋めたもの
らしいですね。
小学校の頃にちらりと
聞いた記憶が残っております。

長崎街道、とは石碑が
立ってはおりますけれども、
何気ない所にある戦争遺構、
こういうのは案外
石碑とかは立たない。
詰まれた石たち自らが
細々と語り継ぐのみ。


地元のね、
それも小学校通学範囲で、
色々と歴史的なものから
未だ見たこともないような史跡が
色々有るわけですからね。

これからもっとガシガシと
ウロウロしていこうかと
思うのでありました。


「持続性ブーム」は来るんだろうか

2009年02月09日 | 雑感散文


3月くらいの暖かな天候
から一転して、
今日は雨も降り風も冷たい
一日でございました。
やはり冬なんですね。
けれども、鳥取感覚では
気温は春であり、大阪感覚では
日の入りは春の遅さです。

不思議なものでね、
19年も長崎に住んでいながら、
4年いた鳥取と2年いた大阪の
感覚でもって考えてしまうから。
けれども多分ね、後1年もしたら
鳥取と大阪の感覚はすっかり
なくなっちゃうのでしょうかね。


 


漢字検定の利益問題に関して、
古舘さんがね。
今の漢字ブームと言うのは、
日本人としてどうなんだろうか、
と云々仰っていたのですよ。

 「云々」って、そなた、
 どう読みますか。
 ワタクシは「うんぬん」のつもりで
 打ったのですけれども、
 「しかじか」とも読めるのですよ。
 余談でした。

それでね、古舘さんは
ワープロやネットの需要で
漢字に関心を持つことが
増えたのはよいけれども、
じゃぁ今までは漢字に関心は
なかったのか、と
疑問を抱かれたわけですね。
関心を持つと言うことは、
逆に言うとそれだけ
漢字の知識というものが低下して、
難解な字を書けたり読めたりする人を
「すごい」と煽てる風潮が
出てきている現われではないのか。

 「煽てる」、ってそなた、
 読めますか。
 「おだてる」って打ったら
 勝手に変換してくれるから便利ね。
 「煽る」とは確かにニュアンスも
 近いものね。また余談でした。

まぁ、煽てる風潮とは
そこまで古舘さんは言及しなかったから
これはあくまでワタクシの見解ですよ。
でね、これに関連して
日本語ブームって言うのも
あるわけじゃないですか。
日本人なのにさ、
日本語ブームってのも、
言われてみれば可笑しな話。
これまた、日本語知識の欠乏が
蔓延したが故にその補給を
希求する動きが、
日本語を使いこなせる人を羨望する
という流れとなって、
ブームと相成ったのでありましょうか。

けれどもね、
漢字ブームもしくは日本語ブームが
最中であったらさ、
なんら問題意識というか
疑念と言うものは
出てこないけれども。
しかしこのブームが、
去ってしまった暁には
如何なる世の中となっておりますやら。

漫才コンビ「キャイ~ン」のネタに、
以下のような件(くだり)の「ツカミ」が
あるのですよ。年始限定で。

「街中はね、商店とかも閉まって
 門松が立ったり餅を飾ったり、
 子供たちは凧揚げとかしているね。」

「あ~まのく~ん、
 今年はアレだねぇ、
 お正月ブームだね。」

「毎年だろーがっ!」

さてそれは、毎年の光景と
なっておりますのやら。
年中無休を謳う小売店は
元旦だろうが開いております。
門松を立てている門は、
個人宅どころか会社とかでも
見かけません。
餅はかろうじて飾りますが。
凧揚げなんてどうですか。
長崎は「ハタ」とよんで
揚げる風習がかろうじて
残っておりますが。
それはあたかも「お正月ブーム」が
過ぎ去ってしまったのかのよう。

だからと言って、
漢字ブームや日本語ブームが
過ぎ去った所で、
同じような憂き目に遭うとは
限らないのではないか。
そりゃぁもちろん確かにそう、
寧ろそうなっては困りますもの。
けれどもそうなってしまいそうな
ブームは他にも色々。

「エコブーム」と言われるものから、
「地方ブーム」に「農業ブーム」、
ブームと言う一過性のものとして
捉えてほしくない問題は数知れず。
特に最近の「エコブーム」たるや、
気味が悪いほどである。
尤もワタクシ、選考はバリバリ環境ですから
環境保護の機運が盛り上がるのは
悪いことではない。
けれども、「エコ」のために
もっと良い新しい製品を買えだの
テレビを消す以外で
節電を呼びかけるテレビCMだの、
おかしなことはたくさん
目に付くわけでしょう。
つい最近ブログ1にも書いた
ペットボトルリサイクルの破綻も
あるわけでしょう。

ですからね、
単にブームに浮かれることなく、
もっと腰をすえてその問題を
色々と考えていかねば
ならないのではないか、と言うことを
古舘さんは言いたかったのではないか、
と勝手に解釈するのでありました。

もしくは、ブームの継続を
如何に達成するかという対策を
考え講じるというのも一つの手。
ブームを悲観するでなく
逆に利用すると言う道もありや。
ならば起こしたい
「持続性ブーム」。


英語の勉強をね─

2009年02月08日 | 凡日記


英語の勉強をね、
意外と頑張って続けております。

まぁ、ぼちぼちね、
一日に少しずつでも
続けておりますとね。

1年で、一日のちょっとした努力の
365倍にもなって、
自分の力として身につくのですから。
とは、あくまで理論値ですから、ねぇ。
やっぱり、ぼちぼちなのでございますよ。

今日はこんな所です。
短いってかい、
いつもは長すぎるっていうじゃないの、
だからよいね(笑。