なんだ、スーパームーンは今日だったのか。
残業を終えて、ふと、空を見上げると
ぼんやりと霞の中に浮かぶ月が。
これはシャッターチャンス!とばかりに
買ったばかりのカメラを空に向けた瞬間、
空に向けた瞬間、
空に向けた瞬間、
空に向けた瞬間、
雨が降ってきました。
なんてこったい。
悔しいので、昨日撮った月でも貼っておきます。
昨日の記事の写真と変わらない?いやいや、
昨日はISO1600だったのに対して、
この写真はISO400だから、少しは画質が
いいのです…と思ったけれどもあんまし変わんないや。
昨日の話ですが、「多崎つくる」を読了しました。
正確なタイトルはもっと長いのですが、
面倒なので「多崎つくる」と呼ぶことにします。
感想を書き出すと長くなりそうなので
ほどほどにしておきますが…
なぜ、自分と主人公の多崎つくるは、
性格も違うし歩んできた高校、大学時代も違うし
死の淵を歩んだ歩んでいないの差異があるにかかわらず、
こうも共感してしまうのか。
そして、“思い当たる節”があるのか。
たぶんそれは、錯覚なのでしょう、
共感できるという錯覚。
「多崎つくる」の最大の事件は、
新聞記事に掲載されたとある殺人事件。
しかしそれを知らずに過ごしてきてしまったら
何の実感も湧かないだろうし、情報が少なすぎて
何が起きたか屯とわからない状態。
それが読者に与えられた状況と一致しているから、
つい多崎つくるになった気分になってしまうのだろう。
…おっと、さっそく長く語りだそうとしてしまった。
村上春樹作品をガッツリ読んだのは高校時代以来です。
だから、14,15年ぶりといったところでしょうか。
…おっと、「多崎つくる」も大体同じ時間軸だ。それは置いといて。
久しぶりに読んで、あれ、と思ったのが、
小説の中もすっかりIT環境が整ってしまったことだ。
自分にとってはちょっとした浦島現象だった。
「グーグルとかフェイスブック」が遠慮なしに
飛び出してくる。グーグル片手に見知らぬ土地を歩く主人公。
高校時代以来会っていない友人たち(小説の中では
大学2年以来ということになるが)の消息は、
1週間もしないで調べつくすことができる…
それこそミクシィやツイッターやインスタを駆使すれば
いましがたの情報だって手に入るでしょう。
そんな「便利だから不便」な時代だから、
小説の展開もあまりに早くて、唐突で、あっけなく進展する。
もう「ねじまき鳥」のように分厚い3冊で語らなくてもいいのだ、
ググればいい。
ネット社会は小説の展開すら変えてしまったのか…
それが悪いとか寂しいと言うつもりはなくて、むしろ
面白い世の中になったなと読みながらほくそえんでいました。
話の筋よりも、そういうところを面白がる癖があります。