河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

Macの最新OS「macOS Sonoma」

2023-09-29 | 大学
Macの最新OS「macOS Sonoma」を早速インストールした。

まず、デスクトップの美しさに驚かされた。

世界各地の美しいスローモーション映像を表示するスクリーンセーバーがセーバーの状態からアクティブになる際に、そのまま壁紙へと反映される。

それからウィジェットが、デスクトップの好きな位置に配置できるようになった。

ちょうど研究室の壁掛け時計が壊れて買い換えようかと思っていたところなので、時計のウィジェットをデスクトップの左上に配置してみた。

これでもうリアルな時計は必要なくなった。

ちょっとMacでの作業がたのしくなった。
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高さ日本一の超高層ビル

2023-09-27 | 大学
現在、高さ日本一の超高層ビルは今年6月にできた森JPタワー麻布台ヒルズであり、写真は今年7月に私がそうとは知らずに撮影したものである。

やけに高いビルだなとは思ったけれど、その時参加した学会の会場が東京の虎ノ門ヒルズフォーラムだったので、最近は東京には高層ビルが増えているのだなとしか思わなかった。

三菱地所が今日、2028年3月末の完成を予定する超高層ビル「トーチタワー」(東京・千代田)の着工式を開いたそうである。

森JPタワー麻布台ヒルズが高さ330mであり、トーチタワーは390mで現在よりも60m高くなる。

イメージ図を見る限り、東京駅前の新たなシンボルとなるようなトーチのような斬新な形状になっている。

着工式で三菱地所の中島篤社長は「人々の熱量を結集し、日本の、東京の未来を熱く灯していきたい」と語ったそうだ。


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783(ナヤミ)と810(ハイレ)

2023-09-27 | 大学
今朝の日経に興味深い数字が出ていた。

783とは2012年の全国の大学総数であり、810は2023年5月1日現在の大学総数である。

2012年は設置基準が緩くなって大学が激増した頃であり、大学関係者にとってナヤミの種であった。

現在はそれよりさらに増えて大学全入時代となり、誰でもハイレという状況である。
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新島襄の高梁での講演

2023-09-26 | 大学
『福西志計子と順正女学校』という倉田和四生(くらたわしお)先生の本に、明治13年2月に新島襄が高梁を訪れ、旧交を温めるとともに、キリスト教の演説を行ったことが書かれている。

以下その抜粋。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本の国が富国強兵でないのを心配する必要はありません。
それよりも第一に『文明の基』を立てることこそ心配すべきです。
外国人がわが国を軽蔑している、と怒る人がよくいますが、それは転倒した考え方です。
もし一国にしっかりとした基礎があり、国力も優っていれば軽蔑されることはありません。

その場合、ちょうど同じ重さ同士ならば秤が均衡するように外国と対等にやっていけるからです。
均衡を得ようと思うならば、まず自分の国の重さを増す努力をすることです。
家を建てるのに土台が必要なように国の場合にも基礎をしっかりと据えるならば、自由が得られ文明も期待できるのです。

それでは文明の基礎はどうしたら立てることができるのでしょうか。

まず神を知ることです。
神を敬うことは知の第一歩なのです。
神を知り、敬い、畏れ、そして信じ、愛することが人間にとってもっとも大切なことです。
それが欠けると人間は迷いに陥り、あるいは物質の奴隷となり、決して自由人となることはできません。

(中略)

次に日本に文明の基を築く第二の道を考えてみたいと思います。
それは日本人を改良すること、すなわち人心改良をすることです。
それにはなんといっても教育が重要です。
今や1日もゆるがせにせず、教育によって人心改良に取り組むことこそが、国を盛んにするうえで一大急務です。

この急務を果たす際に注意すべき事は、次の点です。
すなわち、脅えることなく自由の心を持ち、見識と愛情をもった女性が育っていないところにこの国の深刻な問題があることです。

教育、なかでも女性が抑圧されてきたこの国では女子教育を充実させることが必要です。
昔文王の母は悪しき風俗を注意深く避けて胎児を育てました。
孟母は、子育てのために三度も転居して孟子を教育しました。
このような母のもとですぐれた人物が生まれたのです。

自分の子を教育するのに誰が卑屈な女性や教師に託すでしょうか。
人にへつらうような卑屈な教師に預けたがる親はいません。
また奴隷のように自主性のない女性に我が子を託す親もいないでしょう。
卑屈の悪循環を断ちきり、日本を文明化するためには男性はもちろん女性に対してもキリスト教に基づいた教育を充実させることが何よりも急務です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この講演は福西志計子がこれまで育ててきた信念体系を全面的に肯定し勇気づけることとなった。

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倉敷市旧柚木家住宅 西爽亭

2023-09-25 | 大学
倉敷市旧柚木家住宅 西爽亭に快風丸の模型があると聞いて調べたら、確かに存在することが分かった。

同志社大学の創設者・新島襄にゆかりがあることから、同志社玉島新島研究会から寄託されたとのことである。

是非見に行ってみたいと思う。


https://kuratoco.com/saisotei/#google_vignette より
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福西志計子

2023-09-23 | 大学
本日、令和5年度順正学園教育後援会総会が行われた。

順正学園は福西志計子が岡山県初の女学校である順正女学校を設立し、その跡地に大学が作られたことから順正の名前をもらっている。

高梁キャンパス内には、順正女学校の寮として使われていた順正寮の修復保存工事を行った順正記念館がある。

現在、山陽新聞に山田方谷を主人公にした「孤城 春たり」が連載されており、この中にも福西志計子は〝お繁〟として度々登場する。

7歳のとき、父親を失い母の手一つで育てられる。母子家庭で育ったわけだ。

女子の学問は考えもつかなかった時代であったが、母親はお繁を密かに山田方谷の門に出入りさせて漢学を学ばせた。


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私の書が、オカナガンカレッジにて展示・公開

2023-09-20 | 大学
6月20日にアメリカのフィンドレー大学とカナダのオカナガンカレッジより夏期短期研修団が本学にやってきて、学長主催アフタヌーンティーでおもてなしを行った。

その時、学長の揮毫(書のパフォーマンス)をすることになり困り果てたのだった。

今日、オカナガンカレッジのサクラさんから写真が届いた。

私の書が、オカナガンカレッジにて展示・公開されることになったそうである。

冷や汗が出る。


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秋季学位授与式

2023-09-20 | 大学
秋卒業の卒業式が本日行われた。

高梁キャンパスの学生がほとんどで、学部生・大学院生合わせて34名が卒業となった。

今回は式典の間はマスクを外して、以前のように行われた。
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快風丸

2023-09-19 | 大学
今回、澤田瞳子さんの講演で、同志社大学が快風丸の模型を製作していることを知った。

2010年、同志社創立135年を記念して製作された快風丸1/30模型(同志社大学のホームページより)


同志社大学ではこの模型以外にも、快風館と名付けた研究施設も持っており、快風丸に重きを置いていることが分かる。

同志社大学を創設した新島襄は若き日に2回快風丸に乗船している。

1回目の快風丸乗船は備中松山藩が購入した快風丸の試運転に乗船し、1862年(文久2)11月から翌年1月までの江戸と玉島(現在の岡山県)まで往復航海を経験している。

2回目の快風丸乗船は1864年3月の江戸から函館への航海である。
以前快風丸に同乗した塩田虎尾を通じて快風丸乗船を果たしたのである。
江戸を発った新島は4月21日函館に到着し、密出国を敢行する6月14日までの約2カ月間函館で過ごした。

新島襄はその後、アメリカに渡り、約10年にわたる米欧での学びを終えて、1874年(明治7)帰国し、翌年同志社英学校を設立することになる。
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特別講演会「山田方谷を書く」 

2023-09-18 | 大学
高梁市文化交流館において、「孤城 春たり」を楽しく読む会 特別講演会 澤田瞳子氏 ~演題~「山田方谷を書く」が行われた。

直木賞作家の澤田瞳子さん執筆による山田方谷をテーマにした小説が、2023年初めから山陽新聞朝刊で連載されており、今回著者による講演会が行われたのである。

澤田瞳子さんは同志社中学・高校から同志社大学文学部ヘ進学し、同志社大学大学院にまで行ったということである。

山田方谷と澤田瞳子さんの結びつきは、同志社を設立した新島襄が備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗って開港地の箱館へ行き、それからアメリカへ密航したという史実による。

8年ほど前から澤田瞳子さんには山田方谷をテーマにした小説を書いてくれないかという打診があったそうである。

ウィキペディアには以下の様な記述があった。

(新島襄は)明治13年(1880年)から大学設立の準備を始める。
同年2月17日に快風丸での旧知を訪ねるため、かつての備中松山藩であった岡山県高梁町(現在の高梁市)へと赴き、滞在中に中川横太郎の勧めで伝道と文化改革を目的とした演説を行う。
この時の演説は、のちに備中松山の地で高梁基督教会堂の設立発起員の一人となり女子教育に注力する事になる、同地の婦人部会の代表であった福西志計子に深い影響を与えた。


福西志計子はその後、吉備国際大学を運営する順正学園の由来となる順正女学校を開設する。











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原発避難者

2023-09-13 | 大学
東日本大震災が起こって12年が経過しても、福島県では2万人以上が県外で避難生活を送っているという。

今日、私が所属している高梁ロータリークラブの事務局員を務めてくれているFさんもその一人であるということを初めて知った。

ピンチヒッターで卓話を引き受けてくれたのだが、その卓話で初めて知ったのである。

元々岡山県には親戚も何もなかったのだが、ご主人がネットで検索して高梁市が移住者の支援をしていることを見つけたのだそうだ。

岡山県は温暖で自然災害が少なく交通の便がよいため、西日本でもっとも避難者が多い。

Fさん一家も高梁市を頼って、縁もゆかりもない土地にやってきたのだそうだ。

卓話では震災前の福島のきれいな写真をたくさん見せて下さったが、引っ越してきて3年くらいは辛くて福島時代の写真を見ることが全くできなかったそうだ。

来たくてきたわけではないが、高梁で子育てをするうちに、今ではもう高梁を離れたくないと思うようになったとか。

報道でしか知らなかった原発避難者が、すぐ身近にいたのだということに気づかされた。


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交通安全講習会

2023-09-12 | 大学
学長挨拶

今日は、高梁警察署 地域課 企画指導係長 警部補 末田信弘様 に大学まで出向いていただき交通安全講習会を開催する機会に恵まれました。

交通安全は、私たち全員にとって極めて重要な課題であり、社会的責任を果たす一環として、これに取り組むことが必要です。

車の安全装置が発達してきている現代においても、交通事故は未だに多くの犠牲者を出し、家族、友人、同僚、そして地域社会に大きな悲嘆と損失をもたらしています。

私たちは、教育機関として、また教職員として、学生や地域社会における交通安全の意識向上に努力しなければなりません。

今日の講習は、交通安全に関する知識と実践的なスキルを向上させ、より安全な交通環境を築く一助となるはずです。

この機会を通じて、交通事故の予防と安全な運転・移動について学び、自分自身だけでなく他の人々にも良い影響を与えることができることを願っています。
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生存者バイアス

2023-09-08 | 大学
昨日、産業医研修会に参加して定期検診後の事後指導の講義を受けた。

その中で、意外だったのは健康指導を行っても効果があるという科学的根拠はないということであった。

この話を聴いて、思い出したのはYouTubeで見た安芸高田市の市議会のやりとりであった。

財政逼迫を受けて何とか効果的に予算を使おうとしている市長に対して、これまで市が行ってきた健康運動指導の予算を減らすとは何事だとある市議が責めていたのだった。

市議が話を伺った90代のおばあさんはこの健康教室に参加して長生きできたという。

これに対して安芸高田市長が反論したのは生存者バイアスというものであった。

生存者バイアスというのは、例えば尾翼を打ち抜かれて帰還した戦闘機を見て尾翼を強化すれば生き残れると判断することをいう。

実際には尾翼ではないところを攻撃されて墜落した戦闘機は多数いたわけだから、強化すべきは尾翼以外の部位というわけである。

健康長寿の住民が健康教室に参加していたから健康教室には効果があると判断することはできない。

何故なら健康教室に参加しない圧倒的多数の高齢者がいるからである。

限られた予算は、こうした健康教室に参加しない大多数の高齢者の指導に当てた方が効果的と考えられる。

さすが安芸高田市長は頭脳明晰である。
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ホームページ更新

2023-09-05 | 大学
ブログに比べてホームページを更新するのは手間なので、5年ほど更新していなかった。

自分でもあまり見ることがなかったのだが、いつの間にかトップページに貼り付けてあった入浴エクササイズの動画へのリンクが切れていて、非常にみっともないものになっていた。

今日、やっと思い立って、このリンク切れの動画を削除して、最近作ったIsokinetic CKC Exerciseの動画を貼り付けた。

手順を思い出すのに少し時間がかかったが、まずYouTubeに動画をアップして、次にホームページの編集画面でYouTubeへのリンク情報を貼り付ける。

しょっちゅうやっていればどうということもない作業なのだが、何年も中断しているとすっかり忘れてしまっている。


思い返すと自分のホームページに動画を掲載するために、私はかなり早くにYouTubeのアカウントを作成して利用していた。

それからもっと積極的にYouTubeを活用していれば今頃はユーチューバーになれたかもしれない。
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井上一先生を偲ぶ会

2023-09-03 | 大学
今年3月に亡くなられた岡大整形外科第3代教授井上一先生を偲ぶ会が、ANAクラウンプラザホテル岡山で開催され、参加させていただいた。
私は井上教授がまだ講師だった1985年に整形外科に入局し、新人の頃に大変お世話になった。

井上教授の経歴が『キャリアの軌跡』というHPにご自身の言葉で掲載されている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1964 岡山大学医学部卒業
1969 岡山大学大学院博士課程修了
1970 フィンランド・英国に留学
1973 岡山大学医学部附属病院 整形外科 助手
1984 岡山大学医学部附属病院 整形外科 講師
1987 岡山大学医学部 整形外科 助教授
1990 岡山大学医学部 整形外科 教授
2000 岡山大学医学部附属病院長(1期2年間)
2001 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 教授
2003 岡山大学副学長・(兼)岡山大学図書館長
2004 国立大学法人岡山大学理事・副学長
2005 国立大学法人岡山大学理事・副学長退任
    ・岡山大学名誉教授
    独立行政法人労働者健康福祉機構香川労災病院長
2010 同定年退職、同名誉院長

医学部卒業後インターンを経て臨床医を希望し、ほとんど迷うことなく整形外科(児玉俊夫教授)を選んだ。直ぐ大学院に入ったが、児玉教授のもとでリウマチの治療に直接タッチさせていただくかたわら関節病学を始めた。関節機能の不思議さに魅せられ第2解剖学教室に出入りし、関節の微細構造の研究に従事できた。当時、走査電子鏡の生物学分野への応用にも取り組んだ。しかし、臨床医学の面白さには勝ち難く、リウマチを中心とした破壊関節の再建に情熱が移った。その頃(1970年)リウマチ外科分野で著名なK.Vainio教授(フィンランド)のもとに留学し、リウマチ外科の修練とリウマチ病態学の研究も継続できた。翌年ロンドンのケネディー・リウマチ研究所(D.L.Gardner所長)の研究員となり、関節軟骨破壊の病態研究に取り組むことになった。帰国後は関節再建術の開発と関節病態の研究に明け暮れた。職の最後の方は、附属病院長、副学長など管理職としての組織経営に努めた。
私は医師として特にターニングポイントを意識してなかったが、その折々に力一杯仕事に取り組んだことであり、その間幾人かの師と仰ぐ方々にめぐり合う好運に恵まれたことである。
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