河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

北緯39度

2010-02-28 | 旅行記
メリーランド州ボルチモアはほぼ北緯39度に位置する。
日本では東北地方の緯度である。
ボストンやニューヨークは緯度では北海道と同じである。
アメリカ東海岸の都市は、意外と北に位置しているのである。

ネットで検索していると北緯39度というタイトルのアメリカ人のブログを見つけた。
著者は東北に来ていたことのあるメリーランド在住の方である。
日本語は少し怪しいが興味深い。




15年前のアメリカ留学中の真冬のフロリダ旅行はとても楽しかった。
アメリカは広大である。
真冬でもフロリダは夏と変わらなかった。

今では夢のような旅行であるが、このような経験ができたことは貴重な人生の財産である。
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アメリカ冬の旅の思い出8

2010-02-27 | 旅行記
マイアミから飛行機でボルチモアに戻ると、一面が銀世界だった。
一夜にして夏から冬に変わったような感じである。

冬の寒さを感じるとともに、アメリカ留学も残すところあと1ヶ月という厳しい現実に戻された。



アパート近郊の雪景色


アパート近郊の雪景色
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アメリカ冬の旅の思い出7

2010-02-26 | 旅行記
その日は日も暮れてマイアミに帰り着いた。

マイアミの滞在時間は短く余り記憶に残っていないのだが、ストーンクラブのことだけは良く覚えている。
キーウェストにドライブする前日の夜、マイアミに飛行機で到着した日の夜のことだが、ガイドブックを参考にストーンクラブで有名なレストランに予約を入れてディナーを食べに行った。

ストーンクラブ(Stone Crab)というのは石蟹と訳されるが巨大な爪を持った石のように硬い蟹のことである。
こんなに大きな爪を持っているのだからさぞ大きな蟹だろうと思うのだが、実際には蟹の本体は見たことがない。
噂によると蟹本体は意外に小さいらしい。
戦うために片方の爪だけが巨大になったのを、冬のシーズンにもぎ取って本体は海に帰すのだそうだ。
そうすると数年するとまた巨大な爪ができてくるらしい。
1匹から何度でも爪が採取できるのである。
この巨大な爪をゆでて木槌で割って食べるとものすごくおいしい。

キーウェストから帰ってきた日の夜は少し遅くなったのでレストランに行くのはためらわれた。
そこで、アメリカ暮らしにもだいぶ慣れていたので、遅くまで開いている地元のスーパーを覗いてみた。
そうすると、驚いたことに鮮魚コーナーに貴重なストーンクラブが格安でごろごろと置いてあったのである。
アメリカでもスーパーでストーンクラブが買えるのは非常に珍しい。
その夜はストーンクラブとワインを買ってホテルに持ち帰り楽しんだ。


マイアミは木の生い茂る大都会である。


海もすぐそばにある。巨大なエレキギターのオブジェがぐるぐる回っていたのを覚えている。

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アメリカ冬の旅の思い出6

2010-02-25 | 旅行記
キーウェストのシーフードレストランで昼食を取り、急いでホテルのあるマイアミに帰ることにした。
マイアミ市街は夜は物騒だと聞いていたからだ。
デザートにキーライムパイも食べたような気がするが記憶が定かでない。
キーライムパイとはフロリダの名産キーライムというライムで作ったパイで有名である。

帰路は来た道の反対車線を延々と走るだけであるから、景色はもう見飽きて何の感動もない。
ただただ車を走らすだけである。


キーウェストからマイアミに向かうドライブはもはや感動がない
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平成21年度吉備国際大学共同研究報告会

2010-02-24 | 大学
本日午後、平成21年度吉備国際大学共同研究報告会が行われた。

例年であれば、中核センターの仕事としてその運営を行わなくてはならないのだが、今年度から運営委員会を立ち上げて準備と運営の一切を取り仕切っていただいた。
運営委員の皆様、ご苦労様でした。

そのようなわけで、自分の発表をするだけであとはただ発表を聴いていただけである。

社会学部の先生の発表などはおそらくこのような全学的な発表会でなくては聴くチャンスはないので、興味深く拝聴させていただいた。
研究にはいろいろなテーマと手法があるのだと認識させられた。
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第45回日本理学療法学術大会の演題採択

2010-02-24 | 研究・講演
第45回日本理学療法学術大会に私の研究室からは6演題申し込みをしていたのだが、全演題が採択された。
4演題が口述発表で、2演題がポスター発表である。
口述発表のうち1演題は主題で、ポスター発表のうち1演題は学部生が卒論の内容を申し込んでいたものである。

今年は会場のキャパシティーの関係で、かなり演題が絞り込まれると予想されていたが、全演題採択されてほっとした。

学会発表は研究活動の基本であるから、これからもどんどん発表していくつもりだ。
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アメリカ冬の旅の思い出5

2010-02-23 | 旅行記
朝早くマイアミを出発して、昼頃にやっとキーウェストに到着した。

そこは思っていたよりも小さなエリアで、ショップやレストランが建ち並ぶ観光地だった。


キーウェストのショップ。雰囲気がよい。


作家ヘミングウェイの家があった。


徒歩の観光客のためにトロッコ列車が走っていた。


町を南に向かって抜けて行くと、そこはアメリカ最南端の海岸だった。








水着で海水浴や日光浴をしている人がたくさんいた。
これが2月だなんて信じられなかった。
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アメリカ冬の旅の思い出4

2010-02-22 | 旅行記
オーランドでの学会終了後、私は飛行機でマイアミに飛んだ。
これからが本当の旅行である。

アメリカに留学して比較的時間に余裕がある人なら誰でも挑戦してみたくなることがある。
それは、一号線と呼ばれる美しい道を通り、アメリカ最南端の地、キーウェストまでドライブすることである。
ここで実行しなければ一生そんなチャンスは訪れないだろうことは容易に予想できた。
アメリカの研究室のボスには多少申し訳ない気もしたが、帰国も迫っているし遠慮していたら一生こんな旅行はできない。



マイアミのホテルに落ち着いた翌日、ついにキーウェストまでの夢のドライブに挑戦した。


マイアミに近いところでは道路のそばにこのような家が建っている。


一号線をひたすら南に向かって走る。


何時間走っても海の上である。最初は興奮していたが、そのうちかわりばえのない風景に疲れてくる。
キーウェストはまだか!!
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車椅子バスケットボール愛好会BEATのテレビ再放送

2010-02-22 | 大学
学内の連絡で車椅子バスケットボール愛好会BEATのテレビ再放送の時間変更が通達された。
日曜日の朝なので、みんな見ようね。

ちなみに、今日病院の外来で、NHKの番組を見た患者さんから車椅子バスケ愛好会のことを話しかけられました。
非常に好印象を持たれたようです。
大学にとっては大変な宣伝効果がありました。

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先日お知らせしました吉備国際大学車椅子バスケットボール愛好会BEATのテレビ放映の件、再放送が一部変更となりましたので、お知らせします。

にっぽん熱中クラブ
(変更前) 
NHK総合(岡山県のみ放送)3月12日(金)20:18~
(変更後)
NHK総合(岡山県のみ放送)3月 7日(日) 8:00~
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吉備国際大学車椅子バスケットボール愛好会BEATのテレビ放映を見て

2010-02-21 | 大学
木曜日の吉備国際大学車椅子バスケットボール愛好会BEATのテレビ放映は、大学で仕事をしていたので見られなかった。
家人に録画を頼んでおいた。
その録画を見て、正直驚いた。
その活動内容がすばらしいのは当然として、私には非常に衝撃的な内容が含まれていた。

私は、形だけとはいえ現在吉備国際大学車椅子バスケットボール愛好会BEATの顧問を務めている。
昨年の4月1日からである。
就任に当たっては、何も知らないのは問題だと思い、一度練習を見に行ったことがある。
理学療法学科2年生のクラブのメンバーから顧問を依頼されたのが直接のきっかけだが、それ以前にもこのクラブとは因縁があった。

2年ほど前に、吉備高原医療リハビリテーションセンターの院長およびリハ部長から、ある依頼があった。
入院患者さんに機能改善を兼ねて車いすバスケットボールを指導しているのだが、マンパワーが足りないので吉備国際大学の学生にボランティアをしてもらえないかという依頼だった。

私は、以前勤務していた病院からの依頼なので、何とかしたいと思い、いろいろな方面に相談したところ、学内に車椅子バスケットボール愛好会があると言うことを知った。
それで、クラブを作りリーダーを務めている田中君という学生に研究室まで来てもらい話を聞いた。
田中君はやる気満々で、ぜひお手伝いしたいという。
いろいろ話を聞いていると、身内に脊髄損傷の方がいて車いすバスケに興味を持ったのだと言うことを知った。

吉備リハからのボランティアの依頼は、活動の実施時間が日中と言うことで、授業を抱えた学生には無理だった。
残念だが、この件はお断りした。

そうしたいきさつが過去にあって、それまで顧問を務めてくれていた先生が都合が悪くなったと言うことで、私に顧問の依頼が来たのである。

クラブのメンバーには申し訳なかったが、私も多忙でなかなかクラブの活動を見に行くことはできなかった。
せめて、テレビの放映くらいは見なければと思い、録画を見始めた。
どんどん内容に引き込まれた。

そのうち、リーダーの田中君がなぜ車いすバスケを始めたのかというところになって、衝撃の事実が明らかとなった。
田中君のお父さんには17歳で頚髄損傷になった妹がいて、田中君は小さい頃から車いすの人の介護をするのが当たり前と思えるような環境だったのだそうだ。
その叔母さんがリハビリとして取り組んでいた車いすバスケに魅了されたのがそもそものきっかけだったのだそうだ。

テレビの映像がその叔母さんの写真と名前を映し出した。

「あ!」

私はテレビを見てこれほど驚いたことはない。

その叔母さんとは、私が研修医の頃、主治医として受け持った患者さんだったのである。

もう20年くらい前のことである。
私は設立されたばかりの吉備高原医療リハビリテーションセンターに赴任を命じられ、何も分からぬままリハビリテーション科医として勤め始めたばかりだった。
開院当初は150床ある中で、一桁しか入院患者がいなかった。
その中の一人が田中君の叔母さんだったのである。
叔母さんと言っても当時は20代前半で、まだまだ若い女の子だった。
彼女は17歳の時にバイク事故で頚髄損傷となり、その後は世をすねてリハビリも何もせず施設生活を送っていたのだが、西日本に本格的なリハビリテーション病院ができるという報道を見て、初めてやる気を出して入院してきたのである。

私は脊髄損傷の患者さんを受け持つのは初めてで、正直何も分からなかった。しかし、時間はたっぷりあった。
毎日いろいろな話をした。
私は何もできなかったが、リハスタッフで作業療法士のIさんが彼女にのめり込んだ。
全身全霊を込めて彼女のリハビリに当たってくれた。
当初、甘えの目立つ患者だったが、Iさんの熱意は彼女に伝わり、めきめきとリハの成果は上がっていった。
彼女の損傷レベルはC6だったと記憶しているが、いくら頑張ってもどうしようもない壁に突き当たった。
それは排泄の問題である。

C6レベルの頚髄損傷の患者が自立するには自己導尿ができなくてはならない。
自分の尿道にカテーテルを挿入して排泄するのである。
しかし、彼女はいつまで経ってもそれができない。

我々はどうしたら彼女が前に進めるか真剣に議論した。
その結果、一番良いのは彼女と同じ怪我の患者さんが実際に自分で何でもできているのを見せることだと結論した。
吉備高原医療リハセンターには当時そのような患者さんはいなかった。

結局、歴史のある兵庫リハセンターに彼女をお願いすることにした。

私は今でも覚えているが、作業療法士のIさんとリハ科部長の徳弘先生と一緒に車を運転して兵庫リハまでお願いに行った。

結局彼女は兵庫リハセンターに転院することになった。
そこで、現在のご主人と車いすバスケに出会ったのである。

数年後、結婚したとの連絡が彼女からあり、車の運転もできるようになったと知った。


そういう経緯が、テレビの画像を見た瞬間に私の頭の中を駆け巡った。

つまり、私が20年も前に田中君の叔母さんを兵庫リハに紹介したことで現在の吉備国際大学車椅子バスケットボール愛好会BEATが存在するのである。
しかも、形だけとはいえ、私は今、吉備国際大学車椅子バスケットボール愛好会BEATの顧問なのである。
こんな偶然があるだろうか。

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週末の徒然

2010-02-21 | 大学
19日(金)は、リハ学会編集委員会のために東京駅地下の会議室まで日帰り出張した。
2ヶ月毎の編集委員会を4年間頑張ってきたが、これでやっと2年2期の任期が終わる。
ところが、最後の最後になってまた新規担当論文が割り当てられたため、4月の編集委員会にも最後の挨拶を兼ねて出席することになった。
それでももう既にゴールは見えているので気持ちは晴れ晴れしている。
思い返すとこの4年間は本当に辛かった。
4年前の編集委員に就任した年には単独で地方会を開催しなければならなかったし、亡父が肺癌を発病したりして、公私ともに多忙だった。
世の中が多くの善意で支えられていることを身をもって体験した4年間であった。

深夜にのぞみで岡山に帰り着き、5時間ほど睡眠を取った後、20日(土)の朝一番に瀬戸大橋を車で渡って四国の実家に帰った。
昼には逆のルートで岡山に帰り、午後は岡山駅近くのホテルで「平成21年度吉備国際大学保健科学部理学療法学科臨床実習委員会」に参加した。
いわゆるスーパーバイザー会議と言われるもので、学外の臨床実習を委託している病院の担当PTの方に年に1度集まって頂き、打ち合わせをするものである。
昨年はORSの学会出張のため欠席したが、2年ぶりに参加して感じたのはずいぶん会議が落ち着いてきたと言うことである。
年数を経てきた分だけ、だんだん大学と実習指導施設のコミュニケーションがよくなってきているということを感じた。

医学部で医学教育を受けた身にすれば理学療法士や作業療法士の臨床実習はずいぶん変わったものに映る。
一言で言うと医師ならば卒後に行う臨床研修を、大学卒業前に行っているように見えるのである。
歴史的に、PTの絶対数が少なかった時代には卒業して就職したら即一人前として一人で働かなくてはならなかったから卒前の実習で経験を積む必要があった。
しかし、これだけ絶対数が増えてきた今日では臨床実習のあり方も医学部式にした方が良いのではないかと個人的には感じる。
要するに卒前の実習は見学を中心としたものにして、卒後研修を充実させるという方向である。

来週は研究所補助金予算の最終調整を済まさなければならない。
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アメリカ冬の旅の思い出3

2010-02-18 | 旅行記
オーランドのダウンタウンにレンタカーで出かけるとチャーチストリートステーションという所がある。
ディズニーワールドだけではもの足りずに、ここまで遠出した。
昔のアメリカの面影が残っておりムードがあるエンターテイメントスポットである。
レストランやショップがたくさんあり、ショーなども楽しめるらしい。


チャーチストリートステーション
この列車は飾ってあるだけで、実際には駅の機能はない。


チャーチストリートステーション
ショップとレストランやバーがたくさんあり観光客で賑わっている。
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3期生天野が通信制大学院卒業式代表に内定

2010-02-18 | 大学
先日、3期生の濱田太朗の活躍が伝えられたが、今回は同じ3期生で、今春通信制(修士課程)保健科学研究科(理学療法学専攻)を卒業予定の天野君が卒業式の代表に内定したとの連絡があった。
多くの卒業生の中で、ただ一人大学院在学中に論文を発表したと言う実績が評価されたものである。

変形性膝関節症患者の歩行速度に影響する因子
天野徹哉、玉利光太郎、河村顕治
運動療法と物理療法 Vol.20 No.3 218-224, 2009

りっぱなものである。
本人も自覚しているように、学部生の頃の彼を知っている者には信じがたいような快挙である。
これで彼もこれからはまっとうな人生を歩んでいけるのではないかと期待している。
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アメリカ冬の旅の思い出2

2010-02-17 | 旅行記
エプコットもすばらしいが、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの中心はやはりマジックキングダムだろう。
同じようなテーマパークはいまや世界中あちこちにできているが、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの大きさは、JR山手線内面積の約1.5倍もあり、その中にあるマジックキングダムはやはり特別である。

子どもにしてみれば魔法の国に迷い込んだような気持ちになるだろう。
当時、阪大整形外科から留学してきていたM先生がご家族で一緒に学会に来られていたが、そのM先生の小さな娘さんのエピソードが忘れられない。

いよいよ学会も終わってボルチモアに帰るという日になって、もっとディズニーワールドにいたいとだだをこねだしたのである。
子どもだから誰でもそうだろう。
M先生はぐずる子どもにこう言ったそうだ。

「パパは貧乏でもうお金がないから帰らなきゃいけないんだよ。」

「パパ、トウチョクに行ってお金稼いできてよ。」

大学勤務を経験した医師には身につまされる話であるが、給料が安いので当直アルバイトで稼ぐしかないのである。
日本でそういう親の会話を聞いていたのだろうが、アメリカでは残念ながら当直はできません。




マジックキングダム



当時はアラジンやビューティー&ビーストなどがはやっていた。
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河村ゼミ3期生濱田の活躍

2010-02-16 | 大学
卒業生から3期生濱田太朗の新聞記事が送られてきた。
野球のことはよく分からないが、日本ハムの中田翔選手のトレーナーも務めているとある。
ゼミ生が卒業後活躍しているのを知るのはとても嬉しい。


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