katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとお母さんの相席教室

2018-07-18 06:50:12 | モザイク教室
何だか昨日の今日でまた同じメンバー・・・・デジャブかな・・・って位、3人で笑ったそんな朝。ただ昨日は出張教室の手伝いで、今日はお教室。意味が違うのね・・・そんなこんなのお母さんは、とうとう完成したのね。後は額のペンキ塗りのみ。中々の大作なのね。

そうね、お母さんはこれで自分の名刺になる代表作が出来たし、何よりなのね。これを持っているか?いないか?は大きいのね。これを持っている事で、もし第三者にキャリアを聞かれた時に、こんなの作った・・・って見せられればご納得される事もあるだろうが、小物だらけでは・・・ね。

それが証拠にキウイはこんなのを帰省のお土産に作ったんだけれど・・・・


確かに小物と言えど侮れない。それ位、上手いと思う・・・けれど、それはモザイクをやっている人の意見であり、第三者ではこれでは可愛いぃぃって反応で終わってしまうのね。それを大作を見せられたら?終わってもいない作品なのに、凄い・・・と言ってしまうだろうね。

つまりあの大作を作っている人の小物作品って見せ方をしたら?・・・感謝の度合いも変わって来るだろうね。他の角度から見ると、例えばお母さんの作品の大きさでキウイが作ったとする。果たしてこのお母さんの作品と比較した時に、どれだけの差があるだろうか?となった時、もしかすると、この作品

に圧倒的な差を付けられないかも知れない。それが大作のキウイとの比較になると、お母さんにあの大きさには無理だし、つまり比較対象にはならない。だからそこははっきりした差が出る。では小物は?となった時、小物は体験の人にも比較出来る権利が発生する。じゃキウイと比べて見ると・・・。

つまり簡単に説明すると、この作品の大きさのお母さんには、キウイと言えど簡単には差を付けられない程のグレードになる。つまり本人は意識はしていないだろうが、実は実力が発揮される大きさでもあるのね。ただもしこれがバラ1輪だとしたら?確かにそれでも上手いだろうが迫力は無くなる。

しかもこの大きさでバラ1輪ではスペースが持たないだろうから、小さくなる。小さくなればなるほど、今まで通りにはならない。例えばバック。このタイルを使えたのはこの大きさだからであって、果たして小さなスペースになったら?果たして合っていただろうか?ってな話になる。

恐らく本人も言うように、これが最後の大作って言ってたから、今後は小さめな作品となるだろう。その時にメインになるモチーフには恐らく問題は無いだろうけれど、課題はバックをどう見せるか?・・・って事になる。それと、小物のデザインやらアイデア・・・ここね。

生徒のエースであるキウイの上手さはそこにもある。この小物作品でも、キウイらしさって言うのが出ていて、何人かの温度計をここで紹介したけれど、こんなデザインの人はいなかったし、こんなわずかなスペースで自分らしさを出せるって言うのは、中々のテクニシャンでもある。

例えばわずかなスペースで・・・・って言う部分を音楽やら、スポーツなどで例えれば、わずかなスペースで・・・ほんの少しの小節のソロで聞かせる腕がある・・・とか、わずかなスペースでドリブルとか、わずかなスペースを突いてシュートとか、テクニックを持っている人にしか出来ない事なのね。

つまり言い方を変えると、この大きさのお母さんは侮れないし、キウイに至っては、この小物でも油断なんて出来ないし、場合に寄っては見劣りするかも知れない位、素敵なものを作る・・・そんな気になる。逆な言い方なら、キウイと比較されるなら、今の大作位の大きさが無いと、難しいかも。

その位の腕がある。2人の作品の完成はこんな事を感じさせる位、中々の仕上がりであって、刺激になったのね。そんな中、先日の体験の方の目地も。


その2人がこの作品良いですよね・・・可愛いし、体験にとても良いって。確かに初心者らしさがあるし、その割に完成度もとても良い。何よりもこの2人の技術を持ってして、良いですよね・・・・は信憑性がある。シンプルではあるが、良い勉強になる事が入っているし・・・。

ちょっと考えて見るだけの価値あり・・・なのね。目地の色も良いのかも・・・そんな気もする。

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