katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとお母さんの相席教室

2019-08-22 07:10:26 | モザイク教室
今日はキウイとお母さんの相席教室。ここは特に何も言う事は無いのね。趣味って言う楽しい部分も持っているし、その上上手い。


だから、これだけの結果が出るのは当たり前と言えば当たり前で、継続は力なり・・・って言葉があって、それが本当なら続ければ力になる。こんな事は誰でも知っている事なんだけれど、当たり前の事が当たり前に出来ないから、そう言う言葉がある訳で・・・。だから工夫が必要。

そこに至るには1つは楽しむって事は重要になったりする。ではその楽しむって何を?になると、モザイクをしに来てるんだからモザイクでしょ?って言うのなら、その人はそれで良いのね。ただそれだけでは無理な場合、何か他のモノが必要になったりするのね。それは何か?となると、

それは上手さだと思うのね。人に評価をされた時に上手いね・・・と褒められたりすると嬉しさを感じたりする。勿論、自分で上手いと感じるのも良いだろうけれど・・・ここではひとまず、自分で感じるも良い事にして進むと、いずれも嬉しさを感じるだろうから、そこから楽しいに

繋がる事にもなる。ただそれも慣れてしまうのね・・・味覚視覚聴覚・・どれもこれも感じるって事は当たり前になって行くものだから。所がここに至るにも簡単じゃなくて、1つ完成した時は、出来た事で嬉しさは簡単に手に入る。けれどそれを2つ目、3つ目となると、出来栄えとして

もっと上手くなりたい・・・なんて思うと、1つ目が基準となり、もっと・・・とハードルが上がる。向上心ってもので、とても良い事だけれど、何作目からとは言えないが、果たして楽しいだけで上手くなるだろうか?・・・となると、それはとても難しいのね。

だって楽しい・・・はたのしいとも読むが、ラクとも読める訳で。つまり紙一重なものだから。それから抜けると、本気になる。当然本気になれば、これじゃ嫌、ここも違う・・・ん・・・失敗した・・みたいに自分と向き合えば、それで良いやと許すのも自分だし、許さないのも自分

なのね。これで1つ進歩したのね。楽しむだけから、多少苦しんでも・・・って制作に。そうなると、進み具合も悪くなる。その姿勢は早く完成したい・・・では無く、質を気にして全てが、それ美しいですか?と自分に問う形になるもので。ただここまで来ると辛いなと感じる事がある。

しまいには、何でこんな事やっているんだろう・・・なんて気持ちになれば、そこが分かれ道。そこで辞めてしまう人もいれば、そこも乗り越える人もいる。そこを乗り越えられた人の1つの例は、キウイとお母さんのような関係だろうね。それはライバルにならない・・・ここ。

普通は同じような年齢で一緒にやると、ライバルのように競う関係性が生まれたりする。勿論、お互いに負けないって強い意志があれば相乗効果も生まれて、そのライバル性がお互いの力を引き出し合う事もあるし、それを刺激を受けたなんて言う事もある。しかしながら、大抵は悲観

したり、優しさ故に声を掛けたつもりが、余計に差を感じさせたりしてしまう事も多々ある。つまり相席と言うのは、大きな差があった方が過ごしやすいもので、上の立場ならお兄さん、お姉さんのような面倒を見るような気持ちで教えられると、以前の自分と出会えたりする。

それによって初心を忘れる事無く、それもまた自分の戒めにもなったりする。逆に下の者は上手い人の腕を生で見れるし、先生とマンツーマンで息苦しいなぁ・・・と思う人ならワンクッションあったりして、居心地も楽になるし、プチ先生がいる感じで2人の意見が聞ける事になる

・・・そんな環境がお母さんが上手くなった原因でもある。その2人が高洲に行けば、そこには以前アトリエに来ていたタピオカもいるから、上手い人が3人もいる訳で・・・つまり、そんな環境なら上手い人が満遍なくいるんだから、のりちゃんやなおみぃぃが必ず横には、上手い人

に挟まれている事になる訳で・・・何処にでも目は光っている事になる。しかもその人達と会う事も楽しい・・・となれば、モザイクはこだわりを持って作れるし、辛くなっても私達も同じだったよ・・・って悩みを解消してくれる訳で。その部分に救いがあるから楽しいに繋がる

もので・・・。それがとても上手く行った例なのね。しかもお母さんと年齢の差があるから、みんなが優しいし、けれど腕はみんなに負ける所か上手かったりする矛盾にも、素直に受け入れる人達に囲まれている。しかもそのプレッシャーを感じる事も無いように、まだキウイが

いると、お母さんがいくら上手くなっても、自分よりも上手い人がいるって言うのは、何でも聞ける事で安心にも繋がる。つまりお互いに上手いのにライバルでは無く刺激を受けられる・・・絶妙な関係性なのね。それはいたわる気持ちにも繋がる年齢差は大きいのね。

ただひとたびモザイクになれば、えーお母さんもうおしまいですか?ってハッパを掛けたり、逆にさっ、そろそろやらないと・・・ってキウイが言われる事もあったり、話題も価値観も似ていたりして・・・そこが楽しい部分だったりする訳で・・・。つまりモザイク以外の魅力が、

そこにあったりするから、メリハリは付けやすいのね。当然ここまで来るには、相当な量のタイルを切って来た訳で・・・切る事に困らない2人くらいになると、十分楽しめるスタイルになる。ここまで来ると、自分の判断でやり続けていても大きな失敗は無いし、逆に質問は相当に

困っている事だろうから、本気で見ないと俺とて危うい訳で・・・。上手い人への指導って言うのは、ながら・・・では出来ないのね。それ相応のプレッシャーを受けるし、責任も負うからね。まっ、いずれにしても、こうして文字にすると固くなるが、実際は緩い話なのね。

そんな時間は永遠には続かないし、わずかな時間そんな場面がある・・・そんな話。そんな後は、かぐやと問い合わせのあった件についての相談・・・建築系の話が何件かあって、概算の請求があったり、納期だったり、下絵があったりすると、実際にどの位掛かるか?何でやるか?

等、来る来ないに関わらず、見積もりらしき事はやらないとならず、ほぼ流れる事の方が多いが、その中でどうしても・・・って話になった時には、かなり色々と無理もしないとならない事もあり、モザイクの認知って点ではまだまだな発展途上の分野だったりするのね・・・。

例えば既製品のモザイクなら、メーカーが作り置きしているから、発注のみで納期も短縮出来るだろうが、俺の所に来る話は全てオーダーメイド。話が完全に決まった時点のスタートなので、1.2週間で完成なんて事は有り得ないのね。しかも、その仕事のみをしている訳じゃないから・・・。そもそも既製品にしても、納期まで1か月掛かります・・・って話なのだから、当然それ以上は掛かる訳で・・・。

それでも・・・って熱意のある仕事なら、受ける事も可能だけれど、そんなに掛かるのか?って場合、大抵は流れる。しかしながら、全て一応調べないと結論を伝える事は出来ないので、それ相応の労力と時間が掛かる訳で・・・。それが本当に必要とされる場合、労作展の子達なら

お願いします・・・って簡単に決まり、後は日程のみ。それはここでしか難しいと感じて貰えるからであり、逆に建築系の話は、きっと何処か他にあるだろう・・・と思われているんじゃないのかな?まっ、まだまだだな・・・って話。いずれにせよ、問い合わせがあるって事は、

見られている・・・って言う事で、知られる場所にいるって事な訳で。それはそれで何よりなのね。勿論、やれればやれたに越した事は無いが、最初から何も無かった事なんで、やる事だけやったのなら、後はまな板の鯉。準備だけして置けば・・・ってただそれだけ。

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