katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

タイル職人さん教室とトラックの玄関ポーチ

2021-06-26 03:33:00 | モザイク教室

今日は仁科タイルさん教室から。まぁ世の中広いと言えど、タイル職人さんにモザイク教室をしている人ってそうそういないと思うのね。ただそれならそれで、教える事はある・・・とも思ってはいるのね。

そもそも先日も言ったけれど、モザイク先生としての指導なんて、眼に見えるものだけを教える。けれどそれなら、タイル職人に一体何を教えられるの?40年近くタイルを張っている人に、今更タイルを切ったり張ったりなんて必要無いのね。

でも例えばもし、その先生が美大なんて出ているのなら、デッサン力があるだろうから、それならタイル屋さんは、大抵絵なんて描けないだろうから、そこを教えるんだろうね。つまりまた目に見える事なのね。でもそれはモザイクを教えているのでは無くて、絵を教えているのね。

じゃお絵描き教室なのね。勿論、それはそれで出来ない人が出来れば良いのだから、満足すればお金を支払う価値があるだろうが、俺はそんな価値のある絵は教えられない。しかも美大も出ていないしね。そうなると、何を教える?って事になる。

俺は最初からそうなると、眼に見えない事だろうな・・・と思っていたのね。俺に出来る事、それは具体的に何か?となると、仁科タイルさんは組合の役員さんで、イベントなどでモザイクを教えたりもしているのね。さぁそれを知って更にどうする?・・・

まぁ簡単な話で、タイル屋さんって言うのは、タイルを張る事が上手なのね。でもね、教える事はプロじゃ無いのね。だってそもそもが教えるもんじゃ無いのね・・・だって腕は盗むものって言う人達なのだから。

つまり教えるんじゃ無くて、小僧に自分の腕を見せつければ良いだけで、己が上手ければそれで良いスタイルなのね。そうなると簡単な話で、説明の比喩として同じ職人として寿司職人さんなんて言うのが判りやすいのね。

例えば板前さんは、頼まれた寿司をきちんと握れば良いのね。別に楽しい話も、愛想も要らないのね。ほら上手ければ腕だけで良いでしょ?でもね、花板さんってのは、ただ握れれば良いだけじゃ無いのね。板って字の上に花が付くのね。

花って何だ?って事になると、人寄せはパンダなのね・・・集まんなきゃいけないのね。人が。花が無いと駄目なのね。そうなると、見せるって技術が必要なのね。楽しい話術ってのも技術なのね。それ無くして、マグロなんて解体しても、

世界で一番の腕があっても見栄えがしないのね。つまり見せる切り方ってのがあるのね。つまり普通の板さんとは全く違うものなのね。かと思えば、ジャパネットみたいなテレビショッピング。家電1つでも、電気屋さんと商品は一緒。

でも、売り子の腕次第で億の販売をするのね。ほら全く違うでしょ?実店舗で億の販売する売り子なんて何処にもいないのね。でも、テレビじゃ無くても、レジェンド松下さんは、実演販売でその実績を持っていたりもする。それが技術。

欲しいな・・・買いたいな・・・と思わせる技術。ここまで理解して貰うと、ここからが難しくなる事で、ここからエリートと叩き上げって話になるのね。このエリート側ってのが、タイル組合なんて大きな組織が主催の・・・ってイベントは、

肩書きとして組織が大きい分、後に国や東京都なんてもんが付いて来るから、条件がとても良い所でしかやらないのね。つまりエリートって側は、予選には出ない言わばシードなんて思って貰うと判りやすいのね。

そんな場合、条件の良い場所・・・そうね。例えばビックサイトとか、国際フォーラムとか幕張メッセこんな感じね。じゃ何人集まる?ほら集客に努力なんていらない感じがするでしょ?所が逆にそんな会場いくらなの?なんて話になれば、俺のような三下にはご縁が無いのね。

そうね、月とすっぽんとか、デパートと個人経営みたいな差があるのね。でもね、こんな卑屈な比喩にするとドラマチックに話が進めやすいのね。つまり良い事と悪い事は背中合わせなのね。そんな事を踏まえると、そんなエリートの場所に悪い事って何?

逆に三下に良い事なんてあるの?こんな風に考えられると、活路が見えたりするのね。つまりエリート側ってのは条件が良いのだけれど、その条件の良さには気が付かないのね。だって親方日の丸なんだもの。しかもそれをなりわいにはしていないから、努力する気持ちは一切無いのね。

ここが三下の付け入るスキになるのね。まぁ油断だらけ。つまり自信が過信になり、おごり側にいるのね。でも三下側は、叩き上げなのね。エリートでは無いからね。まぁ例えで言うと、ガラスの仮面の北島マヤ。

ラーメン屋の娘はラーメン配達してろ・・・って感じ。それが大女優の姫川歌子の娘のあゆみはエリートなのね。こんな2人が女優として主役を競うなんて話・・・まぁどっちが勝っても残酷な話なんだけれどね。

つまりなりわいなんかで、先生なんて側になると、赤字続きでは継続出来無くなるのね。ほら必死な訳よ。タイル屋さんはしょうがなく組合のお付き合い的なモノで、その日が終われば、タイル屋さんで一儲けって話なのね。

全く相交わらない所なんだけれど、仁科さんはハイブリッドなんだろうね・・・まぁ厄介な人なのね。海イグアナなら海にいれば良いし、陸イグアナなら、陸にいれば互いの領地を荒らさなくて良いモノを・・・あははは。

水陸両用イグアナなのね。わざわざ俺のような三下にご興味深々なのね。それなら遠慮なく丸裸で教えてしまおうって話。つまり仁科さんに教える事って言うのは、群れの中のルールは群れしか通用しない。一歩外に出たら・・・。

これも簡単な比喩として、進撃の巨人なんて良いのね。自分が正しいって思えば思う程、相手を敵と判断する。しかしながら、相手サイドからモノを考えると、自分の正義は相手には悪になる。簡単な話なのね。つまりここに来た仁科さんは受け入れ姿勢があるから浸透しやすい。

きっと受け入れる姿勢が無ければ、単なる三下の話は、卑屈な話と簡単に流れるものばかりだが、今までの比喩の話、どれ1つとして誰かに聞いたものでも無く、全部自分の考えたネタなのだから、教える事がタイルを張れれば何とかなるって思っている事自体がナンセンスなのね。

指導1つでも、タイルを張る技術と同じように修業がいるし、イベントの話術1つでも、ただ人前で話すだけなら、披露宴のスピーチかっ・・・って位、つまんないものになる。ただ、エリートの場所ならそれで充分成立するけれどね。

叩き上げの場所ってのは、浅草のストリップ劇場で漫才をするようなものなのね。誰も聞く気は無い中での漫才。そこで腕を磨くと、良い会場になった時に生かされるのね。ただ三下は満員のお客さんの前で上がるかも知れない。

逆にエリートは常に満員の中、上がらなくなる練習が積めるのね。徳を積むなんて言葉みたいに、積み重ねみたいに反復すればある程度は、積み木じゃ無いが積める。がしかし欲張れば倒れるし、後先を考えなければ1段目からグラグラ。

修業をしてタイル屋になったのなら、修業もせずに教えたり、話したり、イベントしたり出来る事自体が不思議な事は一目瞭然なのね。こうした厳しい話もして、じゃどうする?って改善策を考えれば良いだけなのね。受け入れる人への指導って言うのは、すんなりで早いのね。

同じ群れの中の同じような話は予定調和になりやすく、新しい事は一切生まれないもので・・・ワクチンはウイルスから作る・・・ただ基礎体力が劣っていると命取り・・・だから健康で受けてねなのね。あははは。

それにしても今日の話の中で1番ビックリしたのは、タイル組合の70年の歴史なんて本を持って来てくれたのね。そしたら俺の名前が載ってて・・・2001年に江戸川支部の会員の・・・って。テレチャンで優勝したって。

そんな事載せて良いの?こんな三下・・・でも、ここは素直に有難うございますって事にして置こう。まぁ仁科さん以外、そんな興味を持っている人はいないだろうけどね。それも、今は必要の無い事だからであって、必要とされるようになれば、立ち位置は簡単に変わって来るもので。

まっ、ただ将棋の歩みたいなもんは、頑張っても、赤い、と、って平仮名くらいしかなれないのが常。でも何処まで行けるか?って言うのは、誰にも判らないから面白いのね。そんなこんな後は、トラックの玄関ポーチ。

 

 


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