katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

のりちゃん親子の金魚教室とアイフルさんの看板終了

2013-04-16 23:51:57 | モザイク作家
結果から言うと、のりちゃんは完成したのね。お疲れ様でしたなのね。
良く頑張りました。好きでも無いお題をこれだけの完成度で作れるとは・・・・。

この作品で得た事は必ず次に生かされるはずなのね。必ず・・・。

さてそんな中、お母さんはと言うと、後は顔だけ・・・そんな所まで来ているのだけれど
相当へこたれたらしく、正直参った・・・やりたくないなぁ・・・って感じになった・・

そんな状況だったらしい。上手く行かないし・・・・ってね。

そこでこんな話をしたのね。そうその上手く行かないし・・・・それが実は上手くなっている証拠の発言なんですよ・・・実はね。

良く考えれば判る事なんです・・・作品を観なくてもね・・・・それは何故か?
では考えて下さい。・・・・今までの作品は自分の気に入ったお題ですべて完成させた。

今回は俺に決められた金魚、明らかに比べるまでも無く作りたいお題じゃない。
では過去の作品はどんなものをどう作って来たか?・・・となる。

まずあやめとか菖蒲みたいなリアルな作品憶えているかな?あれは本体3のバック7の
ようなバランス・・・ほら感の良い人ならここで気が付いたはず・・・・

次はぺきぺきでクマの時計・・・・これは逆転して本体7のバック3くらいとすると・・・
今回の金魚はバック無しの本体10なのね。つまり逃げ道無しのそれのみ。

だからこそ逆に言えば余計な時間は必要無い分、早くも終わるはずなんだけれど・・・・
つまり、バックがあると言うのは、悩んだ時、行き詰った時に、目先を変える・・・

そんな時にバックなんかを進めていた・・・そうも考えられるのね。
つまり気分転換の場所と言わんばかりにね。もしそうだとしたら、逃げ道が無かった事に

なるでしょ?実は今回のお題はそこにも意味があったのね。好きでも無いお題だからと
言う良い訳出来る・・・それも付いていたはず。なのにきちんと向き合った人のセリフ、

つまり上手く行かない・・・なんて言っている。ただここにも逆も真なり。
上手く行ってないと思っているのは誰?・・・・つまり自分自身。

もうここを直そう・・・なのである。作成時の向き合って悩むのは大いに結構。
けれど、真の評価は自分じゃない。観る人にある。ここ。

もう作り手の自分自身を納得させるだけ・・・そうただの自画自賛から離れる事。
ここまで上手く作れるようになったら、一体、人はどう見えるんだろうか?・・・・

これを覚える事。この気持ちを覚えると作品が変わって来る。何しろ過去の2作品で、
素材もお題も違うもので結果は出ている。つまりもう自画自賛なら十分超えている。

十分にね。ならば何を習う・・・この先、俺に・・・。
そこで出て来るキ-ワ-ドになるのが、人の眼になる事・・・

一体、どう見えているのだろうか?・・・・人は?・・・と自分自身の中に客観的な眼を
持てる様になる事なのである。それを自画自賛出来る人に必要なのは、その客観的な眼を

教える事になる。ただ完成を喜ばない・・・どう完成しているのか?ってね。
と言うと、きっと、だから完成を喜ばないから、上手く行かないって言っているって

話に戻りそうだけれど、上手く行かないって表現は自分自身であって、上手く行っている
ようには見えないのは何故かなぁ?・・・何処かなぁ?・・・こんな表現になると、

随分と是正された事になる。もし上手く行かない・・・こんな表現をした人が、
あの過去の2作品を作った人で結果を残しているとしたら?

誰がそれで何か助言を出来るだろうか?・・・相当上手い人じゃないと無理だね。きっと
・・・何故なら上手い人だと思われるからじゃないかな?

つまり上手いと思われる作品を残しているからなのである。だからこそ自分自身の評価が
いつも自分自身とする人は常に安定して自分のようだが、それでは良いか、悪いか?の

2つに1つしか無い・・・しかしながら評価と言うのはそんな短絡的なものでは無い。
常に100点を目指して作るけれど、ここは良かったけど、ここがなぁ・・見劣りするなぁ

・・・とか、色々と自分の中にはあるんだけれど、人は意外とそうでも無かったりもする
要するにこんな事から判るのは、自分の眼が激しく厳し過ぎるだけなのである。

過去の2作品で評価を受け満足した自分がいる。もっと言えばそれ以前のお母さんは、
拾ったパ-ツをラッキ-って入れて作ってもいたのである。

観なくても違いが判るでしょ?こだわり方が変わったから作品も変わった。
ならばその上って言うのも、こだわり方を変える事になる。

だから作品の良し悪しでは無くて、きちんと今どうなっているのか?を客観的に観る自分自身を作る事。まずその眼を作る事なのである。

それには、きちんと今までどうなって、そして今どうなっているのか?と向き合う。
お母さんの場合、まだ10本体って場面に出くわしていなかった・・・だから未知数。

こんな気持ちでスタ-ト出来たとしたら、上手く出来るの出来ないのってな話じゃなくて
出来たら良いな・・・なんじゃないのかな?新しい事にチャレンジしていたのだから。

何せ好きでも無いお題、規制された時間、娘と一緒、みんなとの展示・・・そして本体
のみの10割・・・知らぬ間のプレッシャ-だらけだったのね。

何故なら、上手く作りたいから・・・そりゃそうだけれど、ほらもうどんなに嫌でも
拾って作ってはいないじゃない。きちんと作る姿勢は出来ているじゃない。

その上にはね、きちんとした眼を持つ事・・・じゃこんなのを見て貰おう。


お母さんが作ったのね。そこでその眼って、喜怒哀楽のどれに見える・・・?
そんな質問をすると、えっ?・・・何が?・・・もう質問の意味さえ判らない・・・

じゃ、俺には悲しいとか、困ったとかそんな風に見えるんだけれど・・・・
これなら?って1つ変えて見た・・・



これで憂鬱くらいにはなったと思うけれど・・・・。

実は作っている本人は全く意識せず作っていたのね・・・こんな高度な事をね。
表情なんてもんをね。これを赤のみ、黄色のみにすれば、表情もこんなには出ないのに、

色だけを気にしていたから、勝手に表情まで作れてしまっていたのだけれど、
悲しいとか困っている表情に見えていても、色のみを気にしているから、お母さんには

眼に入らない・・・実はさっき言ってた意味は全部これ。こっちから観た時、あっちから
観た時・・・これが大事なのね。

すべてやったのは自分なのに、そっちばかりを気にして、こっちを気にしていない・・・
結果ばかりを気にして、まるでその結果が正しいと言わんばかりに気にして・・・・

それよりも今どう見えているのか?ここまでどうなっているのか?ってやって来た事を
振り返りつつ、今と向き合い、何がどうなっているのか?が大事で、いかに修正するか?

いかにそのままキ-プなのか?いずれにせよ、作り手の気持ちに左右すること無く、
きちんとした眼で冷静に今どうなって見えるのか?まずはその第三者的な眼を覚える。

これが次なるステップ。そんな話の中、先生の意図は途中から判ってました・・・・
ってお母さんが言ってくれて、しかもまた金魚が作りたい・・・今度は納得出来るって

・・・・だから、次はダメ・・・次は遊びの程度のバラです。って言う話をした。
そんな金魚何回も続けたら金魚作家になっちゃうから・・・あはははは。

何しろ次の大作のお題をバラにしているので、遊び感覚でいちりんだけで良いんじゃないのかな?・・・しかもぺきぺきでも良いし・・・・何しろ大作への気持ちの切り替えに

なればただそれだけで十分なのだから。しかしいずれにせよ、それだけ2人共に、
上手くなったって事なんだけれど、上手くなった自覚が無い分、方やのりちゃんは、

本当にぃぃぃって素直な感じで、方やお母さんは、いやまだまだ・・・とまるでさくらの
ようで、かたくなな感じでもあるが、もうちょっと肩の力を抜いて、上手く作りたいって

よりも、今どうなっているの?って言う余裕を持つ事なんだけれど・・・お母さんが
また金魚を作りたいって言ってくれた言葉1つで、何か伝わった感はある。

いずれにせよ、もう少し・・・・そんな中、えっ・・・・デジカメが壊れた・・・
ズ-ムが戻らない・・・・ただ夕方なんとか元には戻ったけれど・・・。

そんな中、アイフルさんがペンキを持って来てくれて、お教室の後、塗っていると・・・


げっ下地が溶けているじゃん・・・と言う訳で、アイフルさんに連絡・・・・
折角溶けてしまったので、色を変えますので・・・・となる。

折角って言うのはどうかと思うのだけれど、前向きでしょ?神様が違うよ・・・って
教えてくれたのね・・・きっと。そんな事を時より思ったりもする。

以前ならヒカルの碁を観てたから、saiが降りて来たって言ってたけれど・・・。
そんなこんなで下地補修に色変えすると・・・・



と水色に変わったのね。こうなると、より大きく見えるだろうね・・・ベ-ジュよりも。
青い看板になったのだから、特に違和感無し。

そんな中、次回作のユ-ミンママに連絡をする。近々、打ち合わせをしてスタ-ト。
その後、かんすけの事務所に行く事になる。移転してから初めて・・・。

その足で、初めて自宅にも伺った・・・奥さんとは結婚式に出た時以来である。
せがれも娘も久しぶりで、娘は幼稚園の頃に年始の挨拶に一緒にアトリエに来た・・・・

せがれも幼稚園の頃に一緒にファミレス行って、パフェこぼしてたのを覚えている。
それが娘は5年、せがれは中2・・・大きくなったもんだ・・・。

何しろ、かんすけに貰ったプリクラがアトリエに張ってあるんだけれど、もはや別人。
そんな中、昔話をしたのね・・・

俺が修業した先のタイル屋が取引していた問屋にかんすけの父がいて、担当者だったのね
・・・後からするとね。それはこっちに置いといて・・・。

妹が高校の時に同級生でね、タイル屋の娘がいた・・・偶然にも・・・・
って話が出て、親父が、あぁ奴の娘かぁぁ・・・って知り合いだったのね。

それで妹が遊びに行き来があったから、名前も知ってたのね・・・・
それがさっきの修業が終わって、独立した頃に、その名前の看板の付いたタイル屋の

トラックとすれ違ったので、ご挨拶すると、あぁ古谷君のせがれさん・・・
ちなみに俺が古谷君。

そんなこんなで、遊びに来なよ・・・って言われて、のこのこ付いて行って、今度仕事
やってくれよ・・・って言われて、何度か自宅に伺っていると、かんすけがやって来て、

材料屋紹介するから・・・って言われて、紹介されたのがかんすけ。それで良く良く聞くと・・・かんすけの親父さん、俺知っているよ・・・って話に繋がるのね。

それで俺はかんすけと取引するようになって、俺はみ-ちゃんと2人でやってたから、
結構目立っててね・・・年齢も近かったし話しやすかったんだろうね。

結婚してタイル屋辞めた後も、み-ちゃん家族とかんすけ家族は仲良くしてたのね。
だってそもそも、み-ちゃんに子供が出来たって話をかんすけから聞いたくらいだからね

俺よりもみ-ちゃん情報知ってたのね・・・あはははは。そんなこんな付き合いだから、
かんすけの結婚式も親父くらいの歳のあのタイル屋さんと一緒に出席したのね・・・・

そんな頃からの付き合い・・・そんな話をかんすけの子供達や奥さんにね・・・・
きっとそんな事をもう話す事は無いし・・・きっと・・・・

でもまたきっと会う事もあるだろうし・・・・きっとまた・・・。





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