katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピータ―さん教室と店舗の打ち合わせと・・・

2020-03-22 08:04:10 | モザイク教室
今日はリピータ―さん教室。自宅でパーツは切ってあり、張るだけにしてあったんだけれど、何しろそのパーツが1作前と違ってかなり精度が上がっていたのね。もうそれだけでもグレードアップに繋がるのに、中心部の赤の花びらパーツを見たら、もはや言う事無しなんで、デザインが決まり次第張って貰ったのね。これが例え

ば、中心部って言うのはメインな部分で、しかも赤。一番目立つ色。そこの部分がマチマチのパーツなら切り直して・・・ときっと言ったと思うのね。でもこれだけの精度・・・つまり一番目立つパーツがしっかりしているのだから、仮に他のパーツが見劣りしたとしても、大きくグレードが下がったようには見えないと思うのね。だから

何の問題も無いだろう・・・と判断するんだけれど、1cmタイルの4分の1の段階で綺麗に切れているなぁって思えているのだから、脇役のパーツに問題が無く、メインがとても綺麗・・・もはやパーツに一切問題が無い事になるのね。そうなると問われるのは、それを生かしたデザインとなるのだけれど。普通ならそこでち

ょっと戸惑ったりするものじゃない?だって美術の学校とか出たみたいな人じゃ無いと、何かちょっとこんな感じぃぃ・・・位の思い付きとかみたいな事で始まるものだったりして・・・。つまり俺の考えでは、そう言うデザインや絵みたいなものは基礎みたいな事を問われると、モザイクがして見たい・・・って言う前にへこむでしょ?

じゃそもそもモザイクって何?って各々に質問したとするじゃない?すると、大抵の人は切る事を全く考えていなくて、既存のタイルを並べたものを思い浮かべるのね。そこにハートや丸やクローバーや葉っぱのタイルみたいに形になっているものを入れれば、誰でもそこそこに見える・・・それはデザインらしきものを問われな

いからなのね。何しろ形が安定しているから、きちんと並べられれば、左右対称も作りやすい。そして切るって事をしない事でその技術は問われない。つまり切らないと言うのは、デザインの良し悪しのみの追及になるのね。しかも切らない以上、既存のタイルで続けるには限界があるのね。だって簡単に真似されちゃうから。

しかもその真似は残酷で、材料は一緒だから、同じデサインなら、張り方が均一な人の方が上手く見える。ではそこも同じレベルだったとすると、今度は目地。何しろ仕上げだからね。ここで大きく変わるのは、デザインはみんなも言うようにセンスなんて言葉になると思うのね。つまり誰にでもの権利が無い気がするのね。

所が目地も切る事も反復する事で誰にでも権利がある。そこは技術なのね。しかもデザインや絵は今更・・・って言う気分になるが、モザイクとして切る張るって行為はそう簡単にみんなが誰でもやった事がある・・・ってもんじゃ無く、ほとんどの人が1から・・・ってもの。ほら今更って気分にはならなくて済むのね。だから、

俺は技術は裏切らない・・・って教え方をしたくなるのね。つまり例え張っただけのモザイクだったとしても、目地は技術。比べれば一目瞭然になるものでね・・・何でも仕上げ方ってものがあるのね。それと、何でもそうなんだけれど、何事も起きない前提なら、マニュアルを作ればその通りになるだろうが、そうは行かない。

それは、例えば目地を何グラムに水を何グラム入れて練る・・・なんて書いたとしよう。まず無理なのね。何故なら、みんな大きさも張り方も、下地の木の種類やボンドの種類、天候、エアコンや暖房器具・・・そんな事1つで大きく変わって来るし、誰が言ったか知らないが、耳たぶの硬さ・・・何だそりゃ?なのね。判る?それ?

つまり、大抵の本に載っている説明って、結局やった事のある人が判るだけで、取扱説明書を読んで何でも出来る人みたいな感じの人用みたいなものなのね。それを全くやった事の無い人への説明なら、目地の粉をコースター1枚分で大匙3倍位?足りなきゃまた作れば良いし、少し練るって難しいから、何枚か溜まって

からやるとして、そこにガサツな男の子が手を洗って拭かないで、パッパッってやる・・・あれ。あんな感じで、その粉に振り掛ける。その時に入れた器を横に振りながら・・・ほら遊園地の船の大きいのが右左に揺れるあれ。あれをなるべく高速で・・・何も変化が無かったら、またパッパ・・・その間、ずっと振る。すると、カサカ

サって音がするのね。粉がダマになるから。そうしたらちょっとだけパッとやって、100均で売っているケーキのクリーム塗るシリコンのヘラ・・・これ大き目よりも小さ目の方が使いやすいのね。それで練るんじゃ無くて、潰す。料理的にはこすなのね。そうするといくらか滑らかになって来る。そしたら、もう一度振るのね。

するといくらかトロッとするのね。それを1分位置くと、ヘラですくった時に、トロッとすぐ落ちるようでは柔らかい。ちょっと頑張って落ちる位が丁度良い。それが頑張り過ぎて落ちない・・・では固過ぎ。みたいな目安。みたいなのが俺の説明。まぁ本にはなりにくいけど、子供にも伝わると思うんだけれどね。おっと別に目

地のやり方を説明したかった訳じゃ無くて、要するにセンスなんて言葉でつまづかなくても、技術で始めましょ・・・なのね。そこで切る張るの技術が会得出来ると、どうなるか?が今回の方の作品なのね。今回の作品は手のひらサイズ。こんな小さな下地では切らないと収まらない。ほら切る技術が必要でしょ?これがもし

既存のタイルだけなら?いつも大きさは決まって来るし、もっと言えば段々大きくなっても、張るだけならあっと言う間・・・限界があるのね。所が、この作品、張るだけでも3時間・・・既に自宅で切ってあったモノだから。次回目地って・・・そりゃ質が良くて当然なのね。張るだけとは意味が違うのね。ただ更に先があって、この

方、手とかに絵を描く方で、デザインを自分なりに持っている・・・つまりデザインには困らない。と言う事は、切る事が上手くなれば、一挙に素敵な作品になる可能性があって、既に提案しているのは、これを例えば30枚とか、50枚とか作って正方形に並べたりすれば、タペストリーになったり、連で繋げて見たりすれば、

小物とは言え、大作になってしまう・・・そんな事も出来るのね。ただただ量産しても質を落としては意味が無く、全てを並べた時に、人に見せて1票も入らないようなものは作らないイメージ・・・それと必ずデザインは変えて・・・色違いに手を出すのは、デザインが枯れ始まったら・・・そんな感じ。そうするとかなりの完成度

になる。このグレードで何十枚も並んだら、相当な威力があるだろうし、それだけで見た事の無いモザイクになると思うのね。そんなこんな後、店舗の打ち合わせで、渋谷に行って工務店さんに会ったのね。4月初旬にアップって事らしいが、もう1回ここに来て、確認しないとならない事が出来て・・・とは言え何とかなると

思うんだけれど。そんな中、道中、銀座とか渋谷を通ったんだけれど、情報よりも人が多く、マスクをしている人はいるものの、花粉?って思える程だったのね・・・。
そんなこんなでアトリエに戻って、

ボンド落とし

側面のはみ出たものだったり、タイルの表面だったり・・・その後はいつもの新日馬富士学園の額。

丸は終わって色に入ったのね。モンゴルカラーが赤、黄、青なのね・・・だから青。ちなみに白いタイルの黒い点は数えたしるし・・・。

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