katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室と新モンゴル日馬富士学園の額の是正

2020-02-16 07:40:18 | モザイク教室
今日はかぐやが帰って、午後からキウイ教室。その間は新モンゴル日馬富士学園の額の上部の下絵・・今の状況は日本色の部分だけで、これからはモンゴル色を出して、いかに溶け込ませていくか?になる。最初のモンゴル大学では、あくまで額だから・・と、出展の先生側で考え更に、校長先生が韓国の方だから・・・ハングル

文字を入れて見たりした。その流れを汲んで2回目は、正面だった事もあり、華やかさも欲しかったんで、コロで桜の花で色を付けたりもした。ローマの時は、日本色を濃い場所と言う話だったんで、金魚なんかも入れたりもした。そしてまたモンゴル・・・その時は、美術館って事で、初の試みでモンゴル一色だった。

そんな事を踏まえての今回は、恐らく同じような大きさの額なのに、一番タイルを張るスペースを多くなっていて、完全に日馬富士に関係している相撲を取り入れている。そうね、確かに今までとは違って、日馬富士って言うワードが日本語で感情移入しやすい事もある。ただ逆にでもモンゴルの人でもある。ここが重要であって、

今までもそう言う事に寄せては来たんだけれど、今回のワードの相撲は今までの遠慮気味の寄せ方では、貧弱なものになり勝ち・・・そうなると、それを踏まえて文字にすると、ドーンと相撲色って言うと、ドーンな分だけ日本色になるって事なのね。それではバランスが悪いのね。何せモンゴルの人なのだから。つまりドーンに

負けないモンゴルのドーンが欲しくなる。ただドーンでバランスを取ろうとするには、それと同じ分の面積が必要になるのね。例えばこの話を料理とするのなら、日本食と同じ量のモンゴル食を・・になれば、お腹一杯って感じになる。それをメインに日本食と言うのなら、前菜と飲み物やデザート、サラダをモンゴル食で・・・とか

いや、店の雰囲気をモンゴルにするか?とか、ご飯の部分を半々にするハーフ&ハーフなのか?要するに融合とか、合体とか、そのたどり着きたい言葉の意味する所は何処か?でニュアンスは変わって来る訳で・・・。そんな事を踏まえて、残りの額縁部分のスペースでいかにモンゴル色を出すか?になっている。

ただここまでの話はそれでも単純な事であって、本当は、日馬富士や学校の先生、生徒さん、出展の作家さん、美術会社、そして俺・・・みたいな人がいて、その人達に感情移入をして貰うには?みたいな事が大事で、相撲を使えば、相撲好きには解決するし、モンゴル色を入れれば、モンゴルの人達も解決する。こうして、

解決って言うような回収をどうやってするか?となると、難しいのはお金を出してまで出展なさった作家の先生や美術会社をどう回収すれば良いか?になると、美術会社さんは先生方が喜んで下さり、趣旨として賛同を得られれば、解決するのなら、先生方の回収となるだろうし、ではどうしたら良いか?になる。

こうして全てが回収出来るとは思わないが、1人でも多く感情移入出来るような意味を持つ額にするには?・・・は単純作業では無く、しかもそのテーマが大きければ大きい程、お前ごときに言われたくない・・・って人もいるはず。これがテーマを持たず、単に可愛いとか、派手とか地味とか、きらびやかとか、見たまんまの

表現だけで済む事は単なる見た側の好みで決まってしまうが、テーマがあるって言うのは、その人その人の解釈で重みが増したりする訳で・・・感情移入と言うのはそう言うものだったりする。ただ反面、薄ら面倒な話で、立派な人が言えば通る話も、俺ごとき・・・と取られれば、その意味すらも判らないし、鬱陶しい。

要するにそこに意味を持たせるって言うのは、単なる額とは違うもので、それを超越すれば、凄い・・・となり、賛同を得られるが、逆に主張をした分、反動として受け入れられない人もいるはずで・・・今回はある意味、かなりのリスクを負った制作気分ではある。ただ決まれば主張した分、得られる事も大きいはず・・・。

そんなこんなでキウイ教室。今切っているガラスタイルはほぼ切って使うものでは無いが、上手く切れると、透明な分、水面のキラキラ感がリアルになる。今はそこばかりなんで、目立っているが、緑のガラスタイルが囲まれて、馴染む事になれば、かなり効果は期待出来ると思うんだけれど・・・。ただひたすら大変。

何しろ地味な事は後になって報われるものだったりするから、華やかな部分のメインな場所からすると何しろ目立たない。しかも果てしないしね。ただここまで来ると、今更・・・って話なんで、いつもの分終われば、また先に進めた訳で・・・その繰り返しなのね。そんな後は、前半の下絵とは違い、現状の是正。

昨日までかぐやとやっていた場所が、果たしてこのままで大丈夫か?となった時、連日遅くまでやっていたので、当然疲れもある。その中でやった事・・・果たしてセーフなのか?となった時、目と口に違和感を感じ、少しだけ手直しをした。ただ大幅に全面撤回って話では無く、数mm多いとか少ないとか・・・ただそんな事が

かなり大きく変化するものなのね。でもね、夜中の制作って言うのは、何か夢中で終わったぁ・・・と駆け抜ける感じになり、朝見ると違っているな・・・と感じる事が多々あったりもする。しかしかぐやと2人で、その時は納得していたのだけれど、最後は責任者としてこれで良いのか?って思った時、是正を選んだ。

弱々しい眼も嫌だが、威嚇するようなのも嫌。何せ子供達にも見せるのだから。しかもどうだ・・・と言わんばかりにも見えてしまったりもするはずであって、半信半疑・・・こっちの眼は上を目指したい・・・でもこっちの眼は戸惑い・・・みたいな、2つの眼が意味する事が違っている方が、両目の大きさを揃えて補修とは違い

難しく、果たしてそう見えるのかな?出来るのかな?は直して見ないと判らないし、是正前をしっかり確保しないと、元には戻らなくなる・・だから本当に難しい。勿論、直す腕も、気持ちも・・・。何しろ剥がすのだから。その時は最善と思ったものを・・ただ、だからこそとても大事な事であって、勇気もいる。ただ、逃げ切れれば

良くなった訳で。少し安心もする。何しろ下絵も考える、是正も考える・・・では結構きついが、直して良かったって言うのは、緊張の緩和になる訳で。もしそれが僅かな余裕を作れれば、それで下絵に取り組みたい訳で・・・。まだまだ果てしなさがある。




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