katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとローラの相席教室

2019-10-01 08:24:32 | モザイク教室
今日はキウイとローラの相席教室。そんな中、ローラの娘さん夫婦がお店を出したって事で、クッキーの差し入れを頂いて・・・ただ何種類か入っていて、でもそんなにバクバク食べる様な感じのものでも無いような・・・判らないながらも雰囲気は紅茶に2.3枚って感じに思えたのね・・・

だからチョコモナカジャンボって感じには食べられなかった・・・そんな訳で明日にも持ち越し。そうね、これがリバティさんなら、飴を一瞬でバリボリッバリ・・・ごっくんって人だから、ひと口で瞬殺しちゃったろうけれど・・・。そう言う男前感が一切無いし、高級そうなものへの、

ビビリ感は昔からなのね・・ん・・そうね、例えば、そうね仮に焼き魚が高級だったとしても、これは仕方無いけれど、普通に食べる。けれどこれがお寿司だったとしたら、ひと口で食べられる100円寿司とは違って、それ以上の場合、流石にひと口って訳には行かず、もっと言えば、何処を

そしゃくのおしまいにする?・・・っていくらか考えちゃう。だから、ガストのハンバーグならバクバクって感じだけれど、ブロンコビリーだったら、あっ・・・あっ・・・って若干、どうしようチックになるのね。貧乏ってこんな感じね。若干引くわっ・・・って思われるだろうけれど。

そうかと思うと、仮にご飯を食べ終わった後に、パフェみたいな感じのデザートを食べるような機会があったとして、仮に食事は瞬殺で食べられたとしても、デザート的なものは贅沢品な感じがするのね・・・そうなると、さっきのような瞬殺では行けない。伝わるかなぁ?

ん・・そうね、例えばバーミヤンで食事としてのチャーハンや、ラーメンは瞬殺でも、オーギョーチーだっけ?とか、杏仁豆腐はゆっくり・・・って感じ。まっ、どうでも良いって言えば、どうでも良い話なんだけれど、実はこれがとても大事な事なのね・・・。要するに違いの説明だから。

そう感じる・・・って伝える練習になるのね。表現はちゃちいんだけれど、少なくとも微妙に違っていて、最終的には食事は生きる糧としてのものだから、がっつき感が出るけれど、デザートは食べなくても良いものと判断すると、ゆとりみたいな感覚だから、ゆっくり・・・みたいな。

でもその食事のくくりでも、庶民的なものなら、ガツガツって感じになるけれど、同じものでも高級そうだと、そしゃくの回数が増える・・・そんな感じ。これを前半はコントのような感覚で伝えたのと、後半は違いの説明って感じで、どちらも同じ事なんだけれど、どちらが伝わるか?

これが小説なら起承転結みたいに進むのだろうし、お笑いならオチは何処?って事になるし、ここにここにと前半に散りばめて置いて、最後に回収して行く、篠原涼子さんのアンフェアだったり、ナイツのお笑いネタの寿限無はもはや芸術的。前半一切お笑いなのに笑い無しで、最後の数分で

一挙に回収して行く恐ろしい作業はもはやお笑いとは言えないし、たった1人で話のネタも最初からバレバレでも感動させたり、笑わせたりする落語の凄さや、弾き語りとして数分歌っただけで観客を泣かしてしまうアーチストだったり、たった1本のホームランで劇的な感動を生んだり・・・

そう言う事全ては、そうなるように作り手側が操作しているのね。あえてスポーツを入れたのも、確かに相手のいる事だから、阻止されてしまう事もあるが、こうする事で裏をかき、こうして・・・こうして・・・と自分なりのシナリオにはまると、激的な逆転に繋がったりもする。

それをお客さんが見て感動する訳で。話は反れるが、先日の労作展でも、そんな事を感じる話を思い出したが、書道。これは俺とは生き様の違う分野で、一瞬のパフォーマンス。華道、茶道なんかにも通ずるものだろうけれど、完結まで数分のもの。花火なんかも一緒だしお祭りも一緒

・・・はかないものの美しさなんだろうね。それを美術家の展覧会なら納得しやすいと思うのね。けれど1枚だけ掛かっていたとする。その横の制作日誌一体何を書いたらいい?・・・勿論、教える身としては、答えは自分なりにあるけれど、昔はいなかったが見事な子がいたのね。

それは失敗したようなものが積み重なっていたのね・・・何枚も書いたと。一発で数秒でおしまいだった訳じゃ無いと。説得力あったのね。あれは書道を持って行く子には良いお手本だったと思うのね。ただこれがネットの話と同じで、瞬時に広がってしまうのね。

最初にやった子は凄いのね。けれど、見られたら単純に簡単に真似しやすい。それでは誰もが同じスタイルになる。見慣れた先生の評価はどうなるんだろうか?なのね。いかにそこから変化出来るか?なのね。見てしまった人は、その上を行かないと、へぇ・・・で終わられるのね。

だからこそ先人は最初だから凄いのね。とは言え、最初は評価を受けられずらいもので・・・これ何?もはや、技術の前の何物?って理解不能。ただそれとてその上を行くものは、判らないながらも凄いと感じるし、そうね、感じるって言うのは出来なくても感じる事が出来るものなのね

そんな話が長々と枕になるのだけれど、やはり労作展の子達の作品の完成の話になるのね・・・アトリエに来ている人だから、そりゃモザイクって話なんだから、興味があって当然なのね。そこで完成を見せると、初めてなのに・・・中学生なのに・・・凄いってなるのね。

これが子供特権やら、最初特権なのね。つまり子供は下手でも良いし、初めてなら上手く無くても仕方無い・・・良く出来たで済む。こんな表現になる。それなのに・・・凄い。ではそれを踏まえてキウイ。


子供でも無ければ、初めてでも無い。つまり特権無し。更に言えば弟子でも無い。つまり生徒。だからローラと同じ土俵の人になる。つまり目指すのなら・・・追い掛ける事が出来る同じくくりの人なのね。ただ、ただキウイと同じ時間しかやらなかったら、まず無理なのね。

つまり労作展の子達も、日頃の生徒さんと同じ時間の中でやった訳じゃなくて、最低100時間超えしていた訳で。だから子供でも無く、初めてであっても3時間の体験じゃ無かった訳で・・・これこそが人は見掛けで判断の良い例なのね。騙されちゃ行けないのね。身なりや年齢に。

そんな時に私も・・・と刺激を受けてやる側へ行く人もいれば、私はちっとも上手くならない・・・って若干卑下にも思える表現をする人もいるのね・・・毎年。だからいつもこの説明をするのね。ローラにはこの作品は、丁度良いって言ったんだけれどね。その意味は簡単なのね。

例えば、人に何年やってんの?って聞かれた時・・・こんな事を前提に、キウイにそれを聞ける?仮に聞いた時に、10年じゃきかないかな?って言われたら・・・恐らくやっぱりね。って言う人が沢山いると思うのね。それは何故?きっとこの作品を見て、昨日今日の人じゃ無いなと感じた、

って事なんじゃないのかな?感じるって言うのはそう言う事なのね。勿論これを絵画と比べる人もいるのね。恐らくちょっと絵心を持っていたりすんだろうね・・・そうすると、軽くそうなんだ・・・と表現したりするのね。この場合、多くは大した事無いな・・・こんな感じなのね。

つまりモザイクとして見ている訳じゃ無くて、絵画としての見かた。つまりデッサン力しか見ていない事になるのね。そもそもタイルを切った事が無い人の意見なのだから。まっ、人に見られるって言うのは、こんな事の繰り返しなんで、まっ慣れるしか無いんだけれど。

さて、そんな事を踏まえてローラの作品を見ると、これが1年位の人の作品・・・どうかな?それを俺は丁度良いと表現をしたのね。体験の人の作品には見えない。つまり比べられても見劣りしないどころか、上手く見える。ではこれが3年、5年、10年だったらどうかな?

そうなると話は別になる。一体どの位までならセーフに見えるか?・・・・それは見た人や自分の判断。甘くすれば何でもセーフだけれど、辛く見れば、これで5年?これで10年?・・・ってな事になるだろうね。残酷だけれどモノ作りは作ったものが残るのね・・・。

だから最初は出来ただけで楽しい・・・楽しいからもっともっとになる。でも楽しいのはラクとも読む。つまりラクなら楽しい。けれどそのまま3年、5年、10年・・・続けられるかな?大抵の人はそこまでやらないのね。つまり簡単、お手軽の所で飽きちゃうのね。だってその先に行く、

チャレンジしないんだもの。そこの位置のままでいるから。でもね、チャレンジするとラクでは無いのね・・・だって失敗が付き物だから。そもそも失敗無しなんてあると思う?・・・その時に出来れば自己流じゃなくて習っているのなら、大きな失敗はしなくて良いと思うのね。

そこは先生が防ぐと良いのね。いずれにせよ、チャレンジをすればラクからは離れる事になる。それを捨てるのだから、その引き換えに手にするものが無いと詰まらないでしょ?だからその引き換えが、凄いとか上手い・・・って表現だと思うのね。それは誰にでも手に入るものじゃ無い

からなのね。逆にラクを取るのなら楽しいが全てなのだから、飽きたら次へ。そんな人は家の中に色んな分野の体験したものが山ほどあるはずなのね。だからまた新しい分野の体験をすると良いと思うのね。そうね、そろそろハーバリウムも流行りを過ぎたから、またきっと新しい分野

が出て来るだろうから。このスタイルは映画鑑賞や音楽鑑賞と同じで、常に新しいモノを刺激として求める側の人だから、新しいモノを求められなくなったらそこでおしまい。逆にモザイクなんて古典芸能みたいなものだから、全然新しい分野じゃないし、時間も恐ろしく掛かる。

けれどそこに耐えられると凄いだの上手いだのって作品に、誰でも到達出来たりする。ただ凄いモノや上手いモノはたやすくないだけ。だからローラの作品は1年の人にはたやすくない・・・中々のチャレンジ作品だって事。だから丁度良いのね。耐える時間と大きさと引き換えの出来栄えを考えるとね・・・しかも娘さんの絵・・・思い入れとしても十分あって、完成した時のたどり着いた感は、一言で丁度良いのね。

まっ、単純に育てて行くもの・・・位に考えると、一夜にしては完成しなくて良いんじゃないの?って話。今日の分進めば・・・。

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