katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ワンちゃんとみどりとかるびの相席教室

2017-12-29 02:14:28 | モザイク教室
今日は年に1.2回、台湾からやって来るワンちゃんに、みどりとかるび親子の相席教室。そんな中、良く見ると椿の花がやってあって、雪もチラホラあったのね。そこでこんなアドバイスをしたのね。そもそも一体何が作りたいのか?となった時、椿じゃなくて、

寒椿じゃないのかな?って思うのね。だって雪がチラホラあったから。そうなると、絶対に雪が必要になるから、その時点で、ただ椿を作るんじゃなくて、冬の椿みたいな限定されていて、じゃどの位の雪が必要か?ってのが大事になって来ると思うのね。

ただ、ここが問題でチラホラ・・・つまりこの時点でワンちゃんは余り雪が多いのは嫌だ・・・って思っているのね。それについては確認もしたけれど、やはりそうだったのね。つまり椿が作りたいんじゃなくて、寒椿が作りたいのだから、雪は受け入れないと・・・

それを雪は入れなきゃ・・・と思っているから入れてあった・・・・こんな表現に当てはまる場合、やる前から入れたくない側に立っているから、そもそもが消極的に入れているだろうね・・・つまり椿を作って白いパーツを乗せた・・・って感じにね。

ほら、椿は椿に見せようと努力しているから、椿に見える方向に向かっているからこそ、結果も付いて来て申し分が無いでしょ?けれど、雪はそんなに作りたくない・・・だから椿のテンションでは無いから、雪をつくるって感じが椿よりも見劣りがするのね。

しかし寒椿は椿も雪も同等に主張しているもの・・・なのに作る前から比較にならないテンションの違い。ここを防ぐには、虎穴入らずんば虎児を得ず的発想で、寒椿を作りたいのなら雪を受け入れる姿勢になり、そっち側に立つ。

すると入れる側だから、入れなきゃ・・・じゃなくて、何処まで受け入れられるか?じゃなくて、入れる前提なのだから、どこが限界なのか?って気持ちになるでしょ?つまり心持ちが大きく変わる訳なのね。つまり入れたく無いと消極的になり、受け入れると大胆に。

と同じ入れるにしても結果は大きく変わって来るのね。ただ入れたくないな・・・って人が、急に入れようとしても、入れたくない前提だから、じゃ入れる・・・と急に反対勢力側についていきなり大胆に入れると思える?でしょ・・・無理なのよ所詮。

でもね、頑張って入れようとするでしょ?だって入れなきゃ・・・なのだから。つまり消極的な人が大胆になろうとしているだけなのね。つまりバランスとしては、その位の心持ちで丁度良いんじゃないの?最初から・・・って話なのね。

それが、きちんと出来た人は、白を入れれば良いんでしょ・・・じゃなくて、雪を作ろうとするのね。つまり椿を作ろうとして椿になった人よりもちょっと見劣りはしたとしても、きちんと雪を作ろうとするのね・・・だから寒椿になる。

けれど、受け入れないで上っ面の場合、入れたくない前提で入れなきゃの場合、椿は椿を作っていながら、雪は雪を作っている意識よりも入れたくない・・・が勝ってしまって、結局白い色を切って当てはめているだけになりがちなのね。

これで結果がどう出るのか?は見なくても判るのね。でもね、入れたくない人がそう簡単には変われないとしても、変わろうとすれば、意識の無い時よりはいくらかマシになる。そのいくらかマシの心持ちでやると、いくらか雪っぽくなるのね。

さぁこれでやっと椿のグレードに見合った雪らしきものが付いた・・・そうなると一転、結果が付いて来た事で、受け入れる姿勢が変わり、もっと入れよう・・・って確実に気持ちが変わって来るものでね・・・。

つまり受け入れた人には今度はストップの心持ちが必要になるのね。同じ人でも受け入れる前は背中を押すような指導になり、受け入れた様子から今度はストップの掛け方みたいな話になる・・・それはアクセルの踏み方を知らないからなのね。

受け入れなかった人はブレーキばかりを踏んでいたのね・・・だからアクセルの踏み方を知らない。こんな事が全てに置いて問われるもので、好きなものならアクセルのみで進もうとするから、辞め時を失いこれでもか・・・になりがち。

全てが同じ人なのに心持ち1つでこうも変わる・・・って話。これが作品は自分自身のからくりなのね。ただ流石にワンちゃんは弟子になりたい・・・って人だから、ブログを隅々まで読んでいるから、中々の受け入れ方だし、遠方でも指導を受けているように

・・・だから、きちんとチャレンジもして、きちんと空欄を作り、悩んだ場所がしっかり判るようにしてあって、行き過ぎも無ければ、何もしないって事も無く、短い時間でも大きく吸収する姿勢が整っているのね。それは1年に数回しか来られない・・・。

そんな気持ちはいつでも来れるって感じとは全く違うものなのね。それが定期的に来られるみどりなら月に3回とすれば、年間36回となるのだから、意味は全く違うから良い意味で余裕も出るし、悪い意味では慣れ合いにもなる。

それがかるびなら12回。三者三様なのね。そうね・・・薬の服用みたいなもんで、飲みなれないと効き目は歴然だし、飲み慣れればより強いものが欲しくなる・・・あははははは。まっ、いずれにせよ、上手くなりたいって思った瞬間、変わるのね。

服用の仕方がね。ただ良薬口に苦しとも言うから、俺が良薬かどうか?は別にして、少なくとも薬は甘くは無い・・・って話。


ただこうした事を踏まえて3人の作品を見比べた時、何も変わらないように見えたのなら、来られなくても十分ブログから読み取ってくれているから、指導が文字なのか?声なのか?の違いしか無いだろうね。ただコンサートとCDの違いはあるだろうけれどね。

それと生はアドリブ的なものもあるし、CDは聴き直しても同じ事の再生。そんな違いはある。いずれにせよ、そんな違いはあるにせよ、見劣りしない・・・って言うのは、気持ちに傷が付かないから、相席してもすんなりとなるけれど、場合に寄っては、

何回も来ててこれなの?って思われれば、成立しないし、たまになのにこんなに上手いの?って思われれば、それもまた成立しない。そう考えると、全く問題が無かったと思うし、当然ワンちゃんがこの3人の相席では時間を多く取る事になる・・・。

相席の場合、これがご理解されないと中々成立しないんで・・・そう言う点では、向き不向きもあったりするのね。確かに個人レッスンにしてあげたいとも思ったりもするのね・・・何せたまにだから。でも遠く離れて1人で作るのが普通なら、人と作るって、

経験はここでしか出来ない事でもあったりして・・・最初はそんな事を意識していたけれど、今は特に意識せずにどちらでもすんなり・・・これなら日程に余裕も出来るから、難しい事は無くなったりもして・・・どちらにも勉強になるのね。

そんなこんなで、これがアトリエの今年最後のお教室だったのね。まぁ、しかしどれもこれも見事な作品だったなのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする