katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ユ-ミンママのポストの扉の下絵

2014-03-26 05:48:50 | モザイク作家
まずは支払いを済ませて、アトリエに戻るも中々進展しない、ユ-ミンママの扉の下絵。
原因の1つは、資料不足って言うのがある。

例えば、この作品を描くに当たって、何を見ている?となると、いつもの本・・・ここ。
このいつもの本・・・。俺は花を描くに当たって、例えばバラって言われたら、図鑑で

バラを調べるから、図鑑・・・つまりアップが載っているもので見る。もっと言えば、
バラだのランだの数点は、花の本じゃなくて、専門の本があるから多彩に見られる。

じゃ今回は?と言うと、特に花は決まっていない。だから図鑑の中からチョイスして、
ネットで調べ直す。ただね、同じ品種だけなら特に問題無いんだけれど、

フラワ-アレンジメントみたいにしようとすると、要するに絵を鉛筆で描くだけなのに、
ここにこの向きの花を描きたいのに、その向きの写真が無い・・・って事になる。

大抵、図鑑はこっち向きで、あっちやそっちは向いていないでしょ?イメ-ジとしては、下手でも本物があれば、そっちに向けたり、あっちに向けたりして、活ける事が出来る。

つまり今、やっている事は、有りもしない花を他の花を見て鉛筆で活けている・・・・・
そんな感じ。しかも、同じ本だったりすると、もうそれは以前やっちゃった・・・になる

そうね・・・何か使い回しって感じになるのね・・・気分が。それで以前、かぐやがいた頃は、何回か使うとあげたりして・・・・入れ替えたりしたんだけれど・・・。

それがいつしかネットで検索なんて出来るようになった事もあり、それはそれで便利になったんだけれど、結局それも同じ場所が気に入っちゃうと、そこばかり見てしまう。

例えば、いくら漫画が好き、サッカ-が好き、勉強が好き・・・って人がいても、そんな大きなくくりじゃなくて、作家さんで選んだり、ガンバとかマリノスとかってチ-ムを

限定したり、数学とか、英語って科目を選んだりするでしょ?あれと同じで、ネットで検索しても、文字として説明が多い人もいれば、画像が多い人もいる。

しかも、いつもここから撮る・・・って人それぞれ癖があって、正面からの時はあそこで良いんだけれど、角度を付けたい時は、あっちで、景色として・・・って場合はあっち。

みたいな使い分けをしたりする。けれどそれでも、一体何ペ-ジくらいまで見る?って、
決めないと、もはやカラオケの曲選びみたいになる・・・。

つまり調べているのか?観ているだけなのか?みたいな、ミイラ取りがミイラ・・・みたいな話になっちゃうので、例えば30ペ-ジまで・・・みたいな決まりを作るのね・・・。

ただそれがまた、何度もやっているとお気に入りみたいな事になり、さっきの話と同じになったりする・・・・ただネットの場合、常に更新していたり、人気があったり、

いずれにせよ、それ相応の理由があって、いきなりヒョッコリ新しいようなものは、上位の方には来ないから、ある程度経って見ても変わりが無かったりする。

例えば、歌の場合だと今っぽいとか、古臭いとかって、たった何分の時間の中で、演奏や歌声に個性を持って・・・ってやるじゃない?だから、新旧ってのがある。

じゃ図鑑は?ってなると、桜は桜のまま。これがみかんなら?ほら新種が出るじゃない?
でも食べないと味は判らないでしょ?でも俺の必要なのは味じゃなくてフォルム。

つまり図鑑の場合、画像が昔より良くなった・・・そんな感じでしょ?凝った撮り方されても、それが何か?であって、キノコ図鑑だとしたら、キノコ狩りした時に、これって毒

?って、知りたかったりする訳だから、個性なんて事よりも、きちんと・・になる。
これが封建的なんて表現をするのなら、音楽なんてのは個性だから、常に新しく革新。

じゃ今回の花は?って言うと、要するに活け方・・・本来、封建的と言うのなら、花柳流みたいな歴史、格式みたいなものが良いだろうが、俺が今から習うには間に合わない。

じゃ假屋崎先生のような感覚で、花って置いても綺麗でしょ?って感じでやるしか無い。
まっそれにしても、先生は勉強をして崩しているのだから、俺とは全然違うが、

あくまで、・・・のような・・・である。あくまで。じゃそっちで・・・となると、感覚モノってのは、簡単そうで難しいのね・・・。何しろそれもそれで、認められた人って

前提で活けるから、素敵に見えるだけで、本当に自宅であの活け方をしたら?友達が遊びに来て見られたら、ちゃんとした花瓶に活けようよ・・・って言われそうでしょ?

つまりある程度、きちんとよりの方が、ちゃんとしているよりになると、思われる・・・。そんな事も考えたりもする。

そんな事を考えると、花柳流でも無く、仮屋崎さんほど自由でも無く、・・・となると、
絶対数の多いのは、フラワ-アレンジメントって言うのは、何処にでもある。

勿論、それとてみんな習っていたりもする。けれど、絶対数は多い。しかも1点モノと言いつつ、何百円の世界。格式って言う点では低い。つけやいばと言うのならこっち。

そうね、寄り道した話なら、格式って言うのなら中々無いから、モザイクとして、高い1点モノ・・・個性と言うのなら、名のある作家さん、そして何処にでもある安さが、

タイル屋って感じかな?何処にでも落っこちているから。まっ、世の中とはそんなもん。
すべて同じな訳が無い。甲乙丙丁、ピンからキリまで色々ある。まっ余談。

それで、それがせめてそれっぽく見えてくれると、モラルに見える・・・。ただそれとて、インチキな浅い知識でやっているのだから、それをよりちゃんと見せるには?って、

考えると、いかに黒のラインが、ア-ルヌ-ボ-みたいなきちんとラインじゃなくて、
凄くインチキになると、こっちが余りに観た事の無いインチキさが増せば、

ラインが凄いインチキで、それが余りに・・・だから、一応ちゃんとやろうとした花が、
よりちゃんと・・・に見えたら良いな・・・って感じにしたかったのね。

しかも、假屋崎先生が言う、花自体が綺麗でしょ?って言うのなら・・・これもありか。ってね。この考え方は、刺身と創作料理って話みたいなもんで、素材が良ければ、

醤油に生の刺身で何もしなくて美味しい・・・って考え方と、板前の腕と自分の1点モノを・・・と凝るやり方の違い。白い巨塔とかと同じ。お客の為、患者の為・・・。

確かにそれもそうなんだけれど、死にたくないから助けてくれ・・・なら、熱意がある。
けれど、俺はまだそこまで名医師じゃないし・・・なれたら良いなでしょ?

ただ、それも簡単に2つ両極端にやるから判り易いだけで、じゃ新鮮じゃない魚だったら?
お金が無い患者だったら?死なない重病人だったら?焼いたり煮た方が美味しかったら?

どんなに美味しくてもアレルギ-だったら?ほらもう何が正解なんて判らない。
つまり何の病気であるか?とか、解決策みたいなものがあるものと、貪欲に良いものが、

良いに決まってる・・・では、果てしなさ過ぎる事になる・・・。結局、そうしたくてもこのケ-スでは、ここが落とし所・・・みたいな見極めになる・・・。

勿論、それには経験値を増やし、名医だ、腕利きの板さんだみたいになれたら良いな・・

ん・・・いや、なりたいな・・・いや、なる・・・ん・・・なろう・・・・ん・・・・。
ならせてもらう・・・にすっか。あははははは。まっ、人が認める話だからねっ。

そんなこんなで、流石に行き詰まりを感じてね、フリ-ジアとスイ-トピ-とかすみ草を買ってしまった・・・・まぁいつもながら、敷居が高い場所である。

ただそれだけ恥ずかしい思いをしただけはある。まぁ、向きは自由に変えられるし、良い匂いはするし、テンション上がるのね・・・・やっぱ生は。

50男がキュンってしそうなんだから、聖子ちゃんの歌声でやられちゃっても、年頃なら誰でもやられちゃうわな・・・あはははは。

流石に先人が題材に選ぶだけはある。フリ-ジアにスイ-トピ-・・・可愛いわっ。
でも今回急上昇になったのは、グラジオラス・・・何かとても気に入った・・・。

スタイリングがとても・・・。


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