katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

・・・・・・

2012-01-25 02:13:48 | モザイク作家
何も無かったと言えば、何も無かったし、あったと言えばあった・・・・
本来ならば静かなる威嚇とか、過去への終焉とか・・・色々タイトルはあったはず。

でもこの時間では疲れてしまったので、やめる事にした。
いずれにせよ事実としては、随分前からかぐやはブログを読めなくなったらしい・・・

読まなくなったのなら自力で何かを探しているのだろうが、読めなくなったでは拒絶。
それでは単なる意固地。これでは見つかる所か置いてきぼりになるだけ・・・・。

次は孤独がやって来て、やがてその寂しさは優しさに変わるだろうが、優しいだけでは
何も生まれず、強さを持たないとならない事に気が付く・・・。

強さは横暴にも繋がり、本当は何が必要なのか・・・?本末転倒にならないと良いな・・
今、奴は何処にいるのだろうか・・・?

俺は奴が追い掛けても追い付かない、果てしなく見えなくなるまで走るつもり。
こうして声だけは届けるがね・・・。

抜け出せれば追い掛けて来るだろうし、潰れればそれまでの人。
いくらでもいたし、これからもいるだろうし、必要ならいるだろうし決めるのは自分自身

何より意固地よりも素直。それしか道は無いのは紛れも無い事実。
その差は歴然。奴は一体どんな景色を見て彷徨っているのだろう・・・・。

いずれにせよ追い掛けて来る身・・・所詮、俺が観た事のある景色を観ているはず。
何処に気付き、何処に視点を置き、何を見て、何を頼りに歩いて来るのか?

走ってくるのか?戻るのか?立ち止まるのか?・・・声が届かなくても声は出していないと
聞こえるから話して、聞こえないから話さない・・・それでは指導者とは言わない。

いついかなる時も、そこにいつもいてその人が聞いている・・・そう思って話せば、
人は言葉も選ぶし、言葉にも重みも増す。いるから、いないから・・・と使い分けをする

そんな事を出来る・・・そんな思い上がりをしているようでは、人として最低。
常に落ち着き何事も素直に、何を信じて、何処へ行こうとするのか?そう考えれば、

自ずと答えは導かれる・・・そうして自分を取り戻す事が出来たのなら、それを
次へ・・・と伝える事が出来るだろうが、見つけられないのなら先人は辞める事だな。

自分が見つけられないものが年端の行かないものに押し付けても無理だし、
言わないから、言わないで・・・とおままごとみたいな生き方はいつまでも続かない。

やがて終焉は来る。後姿を見せるとは?そうした悩み、もがき、苦しみ、耐えて、
その中で見つけて見えたものが何だったか・・・であって、楽しい事だけ探しても

そこに何があるか?は時が経てばすぐ判る・・・何故ならそこに何も無いから。

そもそも芸術なんてものは、哲学や思想みたいな宗教染みたものにも近い。
生き様なのだ。生きている間は常に向上であって休む事など無い。

そして伝えたい者へ己の思いのたけを伝えて朽ち果てるものであり、身に付けたもの
すべてを置いて行く・・・できればきちんと伝わるように・・・。

それにはある程度年齢は必要で、ある程度距離も必要で、本当に届く時って言うのは、
本当に必要とされなければ届かないもので、信頼や信用なんて目に見えないもので

繋がる訳で・・・一夜にして出来る事では無い。双方の努力が必要なのである。
一方的では常に上の者からのエゴでしか無い。

しかも向上しようとしている素直な者と後向きに意固地になった者の開きは歴然で、
何も見なくとも判り易い。昨日成立していた関係もあくまで昨日まで成立していたもので

向上と言うのは日々進化して行くもの。油断などありゃしない。
成長して来る者の方が老いて行く者よりも歩幅が大きいのだから・・・。

しかし、いついかなる時も前にいてやりたい・・・と思う。必要とされるまで。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする