katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

何しろ今日が過ぎれば・・・・

2012-01-04 05:09:19 | モザイク作家
そう世間は3日を過ぎればお正月気分は徐々に薄れて行く・・・・そうなれば何と無く
この憂鬱感から開放される・・・・そう単なる気分なだけだから・・・。

貧乏やら孤独やら何でも大して変わらないが、弱い気持ちになるって言うのは、
すべてが条件が揃う時に起こると思うのね・・・

つまり自分だけが・・・と思うような時にね。例えば夏より冬、春より秋に寂しいと
感じたりしないかな?暖かいよりも寒い時に感じ無いかな?こんな感じなのね・・・

つまりあくまで気分。そんな感じ・・・って感じてしまうから。単なる思い込み。
けれど俺は何故そう感じるのかな?って考えてしまうのね・・・脳が勝手に・・・

そうすると多分そうじゃないかな・・・?って所の行き止まりまで答えを出そうとする。
そんな答えが、俺は大型連休に弱い・・・なのだ。そして何故?となる。

それも簡単。幸せが苦手だから。幸せがあると認めると不幸せがある事になる。
幸せを感じるといつかその終末が来る・・・そんな不安がやって来る気がするから。

そして今度はその幸せを感じられる権利を失うと、今度は人をねたむ気持ちになったり
羨ましかったり、そんな卑屈にも思える気分になったりする。

あればあったで不安で、やきゃ無いで卑屈に・・・何とも愚かである。
そしてこの性格を持っている前提で、今の生き方になってしまうと・・・・

こんな感じとなるんじゃないのかな?つまり世の中のシステムみたいなもので、
正月を例に取れば、休む人がいる。働く人がいる。休む人は寝るだけでは済まない。

だから遊びたいし、買い物にも行きたい・・・となる。だからそれを引き受ける場所が
必要となる。だからお店が開かれている。けれどただ開いているから便利・・・とは

ならない。そう便利は利便性とか機能性であって、そこに美しさ、楽しさ、愉快痛快、
と言う娯楽感は無い。そうなると娯楽・・・つまり楽しみなんて事を売る店が必要となる

刺激とでも言うのかな?田舎の人が都会を、都会の人が田舎を・・・でも良いし、
日常と非日常の交換とでも言うのかな?・・・・。

そしていつの間にか気が付くと、その非日常を売る側に立つ事になったのね・・・俺。
そうなると人が休んでいる時に働く側となった事になる。

こうして1つ1つ自覚すれば、何故そうなるのか?何故そうしなきゃいけないのか?
はっきり答えは出る。ただそうして突き詰めた時に強い気持ちが無いと、

その答えを受け入れる事が出来ない現実を思い知る事になる。
優しくなりたいのなら、強くならなきゃいられない・・・・けれど強いとは?

頑固であるとか、横暴であるとか、そんな単純なものなら簡単だが、俺の考える強さは
しなやかに折れない柔軟な心だったり、踏まれても生き続けるたんぽぽのような比喩。

つまり貧乏人的発想。そうハングリ-な生き方となる。ただこれはよもすれば、
卑屈にもなる。なにくそ・・・なのだから・・・いまどきね・・・。

戦後ならまだしもね。この時代にね。ただもしかすると本来、今そんな事が必要で
あるのかも知れないが・・・・。今だから・・・。

おっと話を戻して、そんな志を持って・・・じゃ頑張ろうってやっていたとして、
人に見つけられて生きる場所が出来れば出来たで、嬉しくて・・・しかし結果が

出ないと卑屈にもなったりして、この繰り返しをすればやらない・・・なんて選択も
あったりするのが普通なのだが、きちんと志が持てるとそう簡単に折れなくなる。

するといつしかいつも通りにしか出来ない自分に気が付く。何しろ気持ちだけでも
折れないようにしのいで明日を待つ・・・・これが貧乏人の生き様である。

他人の畑は青く、成功だの裕福だのお金があるとはしゃいで、無くなると卑屈になり
人のせいにして、自分の至ら無さを鍛えようとはせず、喉元を過ぎるのを待つ・・・

これでも時間で解決出来る場合もあるが、理想には全く届かない。努力を惜しんだから。
一流とか成功者とかすべてそう言う苦難を渡り切った人なのだから・・・。

ただあくまでこれは貧乏人の成功者のサクセススト-リ-であって、裕福な成功は
これとは全く違う。ガツガツしていないのね。俺が俺が・・・と前には出ない。

スマ-トである。有り余っているから人に分け与える事がいとも簡単で、その絵は
神からお慈悲を頂いている者達にも見えるがことくスマ-トな優しさとなる。

・・・・こんな掘り下げると良いなぁ・・・そんな優雅にスマ-トに仕事してみたいなぁ
・・・そんなスマ-トで生きられればなぁ・・・そうすれば彼女でも出来て、

家族が出来て・・・おっと泥沼に入る所だった・・・それじゃ一家心中になるだろっ。
自分も綱渡りで食っているのに・・・・。さっみんなとは違うんだから、やれやれ。と

叱咤するのね・・・自分で・・・。悔しかったら抜け出せば良いんだから・・・ってね。
ちゃんと向き合えないと逃げるだけとなる。・・・けれど・・・それでも時々、

でもなぁ・・・・そうは言ってもなぁ・・・って時がある。それが大型連休なのね。
今の俺には大型連休に必要とされる力は無い・・・残念ながらね。

ア-チストなんて娯楽は結果が出た人しか、認められないと、結果を出さないと、
忘れ去られて行き、存在さえ否定されるような掃いて捨てるほど沢山いる、そんな生き物

生き残るには、強い生命力・・・貪欲に・・・・だから俺は絶滅種・・・あはははは。

そんな中、珍しく人がやって来る・・・・さくら。けれど、さくらじゃ珍しい話には
ならない・・・・何しろ弟子で、何しろご贔屓さんで、初めて出会った年から、

年始のお参りと題して、必ず俺に会いに来てくれる何とも奇特な人なのである。
全く不思議な生き物なのである。この不思議な生き物の俺に言われるのだから、

相当なものである。こんな付き合いになると不思議な生き物同士・・・会話って言うのも
明けましておめでとうございます・・・今年もよろしくお願いします・・・と

普通の日本人と同じなんだけれど・・・・そんでどうなの?あはははは・・・・って
この質問もどうかな?と思うが、あははははって笑い方1つですべてを悟れってかっ?

けど大体判るのね。しかも正月の生態行動を知っているから、この生き物の調子は
大体把握しているのね。それを踏まえて会話に入る・・・。

会話とは?簡単な話でほとんどが確認して、老婆心。そして諸注意などして、
受け入れられるか?否か?を表情や口調などで読み取る。

いくら内容を口にした所で、本音かどうか?なんてのは、声質、動作、目の動き、
一目瞭然。徹底的に見れば人には癖がある。

まっここまで来れたのだから、まずまず余力はあると判断。
しかも相手も俺を分析してくれて、ご贔屓さんの目で、まずまずの1年katsu・・・と

言って貰えた。何よりである。説明が要らない分、楽である。

俺はこの生き物の飼育は無理だが調教なら、いつか火の輪くぐりくらい軽くやれちゃう
ようには出来るんだけれどなぁ・・・・あはははは。きっと奴も同じ事言ってるだろうな

・・・・あははははは。また同じ事が出来て嬉しいのね。


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