katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室

2011-08-05 02:57:31 | モザイク教室
そうね、結果から言えば、近頃では赤丸急上昇の出来栄えに見えるだろうね・・・
何しろトラ、文鳥、そして今回の猫・・・・毛並み系の仕上がりには結果が出ている。

つまり俺の得意としている点で描くってスタイルにほぼ完成形に入ったとも言えよう。
まっ細かい事を言えば、もう少しピンセットの使い方が上達すれば・・・だが。

そこが上手くなればタイルの表面を汚さず張れて、途中経過としてもとても上手く見える
そこを除いて考えると、まずこの作品の猫部分に心配は無し。安定感がある。

そこで良く考える・・・・細かくモザイクが出来る権利を得ている状況なら、
以前よりも小さい作品が出来る・・・・って方向性を手に入れたとなる訳だ。

ならばもう細かくの方向に行く必要性を感じ無い・・・えっだって最後は米粒モザイクを
作るつもりなのか?・・・・でしょ?だから、大きいスペ-スで作る事で何を得に行くか?は

いかに大きいパ-ツを使いこなせるか?になって来る。つまり逆も真なり・・・
より細かく見せる演出として、1cm大の大きさをいかに上手く使う事が出来るか?なのね。

その練習としてもこの座布団は良い練習となる。しかも猫が茶、サボテンの花がピンクと
赤の座布団が作りづらいだろう・・・と考えての赤のガラスタイルの使用・・・

しかも1cmのガラスタイル・・・使った者にしか判らない難易度の連発なので、
それも考慮に入れれば、たった1色の赤、切るのが初めての1cmのガラスタイル・・・と

ここに勉強する事が山積み・・と考えると、どう切るか?・・・は悩み所となる・・・
その状況下の中で良くしのいでいるのも事実。だけれど・・・・

今日はこんな話から切り出そうと思う・・・

例えば野球で例をあげると、走攻守が揃った選手・・・・走ってよし、打ってよし、
守ってよし・・・これは素人が見てすぐに判る・・・上手いなぁ・・・ってね。

ではそんな選手が一流とすると、足は遅いが、打力はある・・・しかし・・・
守れない・・・・この選手の評価はいかがなものか?

ならばサッカ-では?スタメンではなくス-パ-サブとなると90分出場しない・・・
それでもFWなら替わって数分で点を取れば素人にも判り易い。この選手の評価は?

判りにくい例えかも知れないが、もしト-タルとして考えるのなら、今のみどりの場合、
切る。って腕はかなり上がって合格点とするのなら、張る。って腕はそこから考えると

やや落ちる。しかもそれも先を急ぐ・・・って考えを捨てて、上手さとは?・・・・に
執着すれば、どうするべきか?の答えは1つ・・・ピンセットにボンドを付けない工夫が

必要となる。ここを気にすれば更なる上達感があるだろう。・・・とこんな指導となる。

では何故最初に赤丸急上昇・・・って表現になるのだろうか?こんな初歩的な事を
注意される人が・・・・と本人は思うのである・・・。実に安易である。

確かにそこそこほって置いても、この作品だけの事を言えば安定感のある毛並みものを
作っている部分がある限り大崩れはしない・・・つまり完成は上手く見える。

ならば指導する事は減っても良い。しかし、新しい事にチャレンジする事でまた新たな
指導が増える・・・これの繰り返しなのだ・・・・上手くなるって事は・・・

しかし個人レッスンは一歩ズレが生じると立ち直れないものなのである・・・・
何故なら立ち直るきっかけが見つからなくなるからである。

その原因は何故か?・・・本人に手ごたえが生まれれば、当然上手くなった・・と感じる
それが普通である。がしかし、ズレを起こす人はそれすらを認めないようになる。

つまり謙虚が美徳・・・こんな考えからである。そもそも何度と無く反復練習をすれば、
上手くなって当然。しかし何が上手くなっているのか?と掘り下げれば良いものだが、

上手くなった・・・・と褒められた事で引き締めなきゃ・・・と感じるものの、
心の中ではこんなに言われなくても・・・・と葛藤してしまう・・・。

この繰り返しを数度やり続ければ、気持ちの限界がやって来る・・・・本来ここからが
作り手の真価が問われるべき所なのだ・・・

本来は上手くなった・・・・の評価は一体何処なのか?と考えれば、毛並みのような
表現力は・・・ね。と簡単に答えは出る。そこは評価して貰った・・・とね。

ただそれを基準に考えると、劣っているのは何処?と掘り下げれば簡単なのだが、
指導って部分が、また怒られた・・・と取る様になると人は卑屈になって来る・・・

これも簡単。つまり上手くなった・・・と言われた事で心の中は全体を・・・と
とらえたか?あるいは逆で、何回言われても、そんな事は無い、そんな事は無い・・・と

追い込み過ぎた・・・自分自身を・・・とこんな具合である。

つまり、受け入れられると自信になったり、受け入れられないと卑屈になったり、
人って言うものは感情の生き物なのである・・・・

しかし本気で自分自身と向き合う・・・・本当の意味のモノ作り・・・つまりオリジナル
を作ろうとすれば妥協を許さず・・・の姿勢で臨めば臨むほど追い込まれる・・・

当たり前の事である。所がその苦しさは大作を味わった者のみぞ知るのだ・・・
そしてそれが曲がりなりにも最後までたどり着いた者だけが賞賛を得る可能性を生み出す

そこの評価が高ければ浮かばれる・・・そんなもの・・・勿論、評価はいつも良いとは
限らないのである・・・

こんな事の繰り返しなのだけれど、さっきのスポ-ツの例は、打つだけでも、サブでも
そこを磨けばそれも一流ではあるけれども、もしすべてに平均を求めるのなら、

常に見劣りする部分に関してはお小言が減らない・・・ただそれだけ。
そもそも切る事に関しては、ほぼ何も指導していないのだから・・・

最近のみどり教室は精神論のみ。心がしっかりしていれば、技術は乱れない。
反復練習で勝ち取ったものは、体にしみ込むものだから。

だからこそスポ-ツは練習・・・勿論、目的意識を持った練習が必要なのだ・・・・
ただスポ-ツが練習・・・ではなくて、本当は手の代わりに道具を必要とするものすべて

・・・なんだけれどね。慣れる為の練習って意味なのだから・・記憶を無くしたとしても
道具を渡すと体が動く・・・って具合にね・・・・。

脳の指令を必要としなくなるまで・・・・。あはははは。

そもそも簡単な事。この作品の趣旨。そして誰にプレゼントするのか?何を作っているのか?妥協出来るのか?・・・・・と掘り下げれば、涙が枯れるまで追い込まれるくらいで

丁度良いはずなんだけれど・・・・。そうすれば必ず貰った人は喜び泣くよっ・・・・
先生として保障しよう。その位の意気込みでやって欲しい。

それが貰ってくれる人達への感謝となるはずである・・・・伝えるとは?そう言うもの。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする