マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

ブライアンジョーンズ ストーンズから消えた男

2006-09-01 10:14:26 | 映画ー劇場鑑賞
2005年 イギリス スティーヴン・ウーリー監督 レオ・グレゴリー 、パディ・コンシダイン 、デヴィッド・モリッシー 、ベン・ウィショー 、ツヴァ・ノヴォトニー

【解説】
ローリング・ストーンズの創始者である、ブライアン・ジョーンズの短い一生に迫るサスペンス。酒と麻薬に溺れたカリスマスターの謎の死と人生の明暗を描く。『バック・ビート』のスティーヴン・ウーリー監督が、10年もの歳月をかけてブライアン・ジョーンズについて調査を実行。『フーリガン』のレオ・グレゴリーは、まるでブライアン本人が乗り移ったかのような熱演をみせる。ある天才の死を通して、60年代という時代を垣間見ることができる。

【あらすじ】
1969年7月3日、ローリング・ストーンズのギタリスト、ブライアン・ジョーンズが、自宅プールで水死体となって発見される。享年27歳。彼は19歳でロンドンに移り、ミック・ジャガー(ルーク・デ・ウルフソン)やキース・リチャーズ(ベン・ウィショー)とバンドを結成。その後ローリング・ストーンズのリーダーとして活躍していたが……。(以上yh00映画)

【感想】
私はローリング・ストーンズは一度来日コンサートに行っただけで、詳しくはないのですが、今もバリバリにロックをしていることに敬意を払いたいと思っています。
そのストーンズの創始者ブライアンの伝記というので見に行くことにしたのです。

もっと、過激な映画かと思っていたら、サスペンスタッチの普通の映画でした。
彼が亡くなった1969年に、イギリスではストーンズは成功して、大きな家と、浪費できるお金を持っていたことにまず驚きました。
本当に大邸宅でした。
小さな山ひとつが彼の屋敷でした。
大きな洒落た家があって、坂を下ると大きなプールがあって…。

ストーリーは薬に溺れてグループの活動にも参加できなくなったブライアンが、自宅のプールで亡くなるまでが描かれてあります。
ブライアンと関わってしまった一般人の男の狂気。
ちょっとアマデウスを思い出しました。

ブライアンが亡くなって3ヶ月後に行われたブライアンの追悼コンサート「ハイドパークのストーンズ」は50万人の人を集めた歴史に残る大イベントとなりました。
「ブライアンのいないストーンズは1年後には名前も消えている」と言った人もいたようですが、事実はみんなの知っている通りです。
ストーンズはそこから、世界進出を果たし、唯一無二のロックグループとなりました。

音楽は、ストーンズのオリジナルはほとんど使われていません。
でも、なかなかよかった。
ドラッグのシーンではまたジェフアーソンエアプレーンの「ホワイトラビット」がかかりました。
定番ですね。

春の雪

2006-09-01 10:11:24 | 映画ーDVD
2005年 日本 行定勲監督 妻夫木聡 、竹内結子 、高岡蒼佑 、スウィニット・パンジャマワット 、アヌチット・サパンポン

【解説】
『世界の中心で、愛をさけぶ』の行定勲監督が、妻夫木聡と竹内結子主演で描く大正時代を舞台にした切ないラブストーリー。三島由紀夫の“豊饒の海”シリーズの第1作「春の雪」を映画化した作品。共演に『パッチギ!』で注目を浴びた高岡蒼佑。本作でもその素朴なキャラクターを生かした演技を見せる。撮影監督に『花様年華』『夏至』のリー・ピンビンを迎え、日本の貴族の華やかな生活を見ごとな映像美で映し出している。

【あらすじ】
侯爵家の子息、松枝清顕(妻夫木聡)と伯爵家の令嬢である綾倉聡子(竹内結子)は幼なじみの仲だったが、聡子はいつしか清顕に想いを寄せるようになっていた。しかし、不器用な清顕はその愛情表現に対してうまく応えることが出来なかった。(以上yahoo映画)

【感想】
はじめは、清顕は三島作品特有の頭でっかちの鼻持ちならないガキだなあ、と思って見ていました、
でも、聡子の描写が始まると、それと対照的な清顕像が具体的になっていって、物語の流れ、顛末も納得できるものになりました。
私はこの作品、とても良かったと思います。

あらすじに、「不器用な清顕はその愛情表現に対してうまく応えることが出来なかった」とありますが、そう見てしまうと、この映画はつまらないものになってしまいます。
清顕は、友人に「完全な男」と評価されますが、自分では全くそうは思っていないのです。聡子にふさわしい男だとは思えない人なんだと思います。
そこに三島の美意識を見て、そんなものをふんと鼻で吹き飛ばしてしまうような、聡子の現実的な行動を評価したいと思いました。

竹内結子が脱がない、性描写が足りない、とのレビューもありましたが、私はあれくらいで十分だったと思います。
そこに焦点が当たりすぎるのも困りますから。
聡子は聡子で潔く責任を取り、清顕もあれが精一杯の愛情表現だったのでしょう。
私は純愛悲恋の映画として成功したと思います。

宇多田ヒカルのエンディング曲は、確かに違和感がありましたね。