カンボジアの子ども達 6 路上生活の子ども達のたくましさ

カンボジアから   金森正臣(2006.01.15.)

カンボジアの子ども達 6 路上生活の子ども達のたくましさ

写真:この子ども達の集団は、今年になってから同じ付近で数回見かけている。何時もほとんど同じ集団構成だ。あちこちで空き缶やペットボトルを拾い、お金を稼いでいる。兄弟なのか、集合集団なのか不明の6人組。ガソリンスタンドに併設されたコンビニの脇の日陰で休んでいたが、従業員に追い立てられていた。コンビニから出てきた人が、ビンや空き缶を捨てるのを拾う目的でたむろしている。1時間ほどして、通った時には、近くの他の日陰で休んでいた。

 カンボジアでは、様々な理由で路上生活をしている人が多い。その中には、この子ども達の様に、子どもだけで集まっている集団もある。博物館の廻りには、何時も数組の子ども集団が居る。夜になっても子どもだけでいる集団もあるので、親とは一緒に生活していないと思われる。

 この様な子ども達は、なかなか逞しい。あちこち歩き回ってお金になりそうな物を拾ったり、ゴミ捨て場を巡り歩き食べ物を探したりしている。また、NGOの主催する集会に参加して、なにがしかを貰う例もある様だ。彼らは、幼い子どもでも何がお金になるかを知っていて、的確にものを集めている。何処に持って行けばお金になるかも知っている。自分の才覚で生きている。

 ガイドブックなどには、子ども達のひったくりや窃盗に用心する様に書かれているが、彼らが物取りをするところを見たことがない。追いかけられて逃げ回っているところも見たことがない。確かに通りかかる人に、物乞いはしているが、執念深く付きまとうわけでもない。博物館付近の子ども達の物乞いは、やや執念深い。窃盗などを全くしないとは言い切れないが、カンボジアの子ども達は、穏やかな様に思われる。

 この様な子ども達がどの様な人生を歩くかを、私も時々心配はするが、彼らは逞しく生きて行くであろうと思っている。
 孤児の施設をしている方に伺ったところでは、一度自由生活をした子どもは、施設での定着率は1割以下になってしまうと言う。その施設では、地方の子ども達で両親を失った(子どもを置いて出稼ぎに行ってしまう。エイズで両親が死亡など様々な例がある様だ)、祖父母と一緒に生活していて面倒が見られなくなったりした子どもを引き取っていると言う。それでも、故郷が懐かしくて逃げ出したりする子どもが、行方不明になることもある様だ。

 子ども達が、空腹や不便さと戦いながらも、自由を求めて生活する姿に、何か共感を覚えたりする。子ども時代を振り返ってみると、空腹はかなりの圧迫感があるはずである。その恐怖に負けずに、自由生活を求めるところはあっぱれである。勿論安定した生活のチャンスがないだけかも知れないが。勿論この子ども達の人生が、幸福であると思っているわけではない。しかし、自分の人生を歩くには、逞しさを持っていなければならない。日本の子ども達のひ弱さを見ていると、何とも心配になる。
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