お葬式事情 4 家で行われる葬式

カンボジアから   金森正臣(2006.01.24.)

お葬式事情 4 家で行われる葬式

写真:普段は何か商売をしている角の家で葬式があった。3日間ほど行われたが、これはその中間の日の朝で、火葬のあった日に当たる。早朝から多くの客の出入りがあり、7時頃火葬場への移動を開始する直前の写真。家の脇に霊柩車が寄せられている。

 町中でも時々葬式を目にすることがある。「化野(アダシノ)の煙、消えること無く」と昔から述べられているように、人は何時の世も、絶えず死に行くものである。カンボジアでも当然であるから、時々目にするところとなる。

 この霊柩車は、前回に紹介した霊柩車に比べるとかなり派手に彩られている。これは中国の影響と思われる。商売をしている人に中国人が多いことや(彼ら本人は、カンボジア人と思っていても)、車の前方に掲げられた額は、中国語で書かれている。また横断幕(下方に僅かに覗いている赤い幕)にも中国語が書かれており、幟も中国語である。この本人がどの程度中国を意識しているかは不明であるが、葬儀の仕方は、中国式と思われる。霊柩車も、前回のものよりは立派な作りで、施主の経済的豊かさが伺える。

 前を歩いている年配の婦人達が(頭を剃っているが、カンボジアには尼さんは居ない。しかし出家して、お寺に住むことは許されており、この葬儀の家の近くには、女性専用のかなり大きな寺がある)、着ている服装は、クメール式である。
 これから火葬のために、家を出るところで行列を整えようとしている。やはり並ぶ順序があるようで、それを世話する係も決まっている様だ。
 左側の人の頭より高い位置には、黒白の幕が付けられたテントが見られる。このテントの下では、早朝からお坊さんが来て読経があり、その後先ほどまで朝食が取られていた。十数個のテーブルが設置されており、1テーブル10人前後としても、食事をした人は、150人から200人ぐらいと思われる。この食事をした組は、霊柩車の前方に並ぶので、行列全体は、最低でも400人以上になろうかと思われる。

 付近には、参加した人の車が路上駐車されているので、全体的に渋滞していて、写真に通行人を入れないようにすることは出来なかった。ご覧のように丁度通学・通勤時間と重なり、車などは身動きできないほど混雑した。前にも紹介した様に、とにかく我先にと割り込む文化だから、身動きできなくなるのは当然である。この通りは、大きな通りではなく、比較的道幅も広いので、普段の散歩の時に渋滞するところは見たことがない。

 この日(2006年1月11日)は、葬式には向いた日であるのか、散歩の間に3組の葬式の行列に遭遇した。十二支の影響を中国から受けているカンボジアでは、日本と同じように十干(ジッカン)の影響もあるかも知れない。

 この葬式の本人が、どの様に人生の終末を迎えたかは明らかではない。しかし葬儀の盛大さとは、無関係であることは確かだ。死こそは、人生の総決算で、人生を生きた様にしか、死ぬことは出来ない。
 終末医療を担当している医院長さんと話すことが時々あるが、インテリは死に方が下手であるという。医者、先生、弁護士はなかなか上手には死ねないという。苦しんだり、未練や恨みを持ったり、色々だという。それに対して、お百姓さんは死ぬのが上手だと言う。身近な人を混乱させることが少ないし、感謝の心を持って、あっさりと死んで行けるという。勿論全てがそうだと言うことではない。
 ごもっとも。インテリには、人生の実体がないのだから。口先だけでは、本当の人生にはならない。自分が認識している以上に、人生の実体が少ない。如何に経済的に恵まれても、自分の脚で自分の人生を歩かなければ、自分の人生にはならない。周囲から認められることで、自分の人生が上手く行っていると思うのは、錯覚である。死ぬことは、人生そのものであり、そんなに甘いことではない。
 皆さんはどの様にお考えだろうか?
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