金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
お寺の仏様 2 仏像2
カンボジアから 金森正臣(2006.01.11.)
お寺の仏様 2 仏像2
写真:この仏様は新しい。まだ金ピカ。目もっとぱっちりの超美人。他にも大小様々な仏像も含めて5体が安置されている。色彩が美しく大分県国東半島の仏像を連想させるが、かなり派手。
カンボジアでは、お寺の復興が始まってまだ日が浅い。仏像を作る技術も絶えていたと思われる。見様見真似や覚えていた人が作り出し、それが広がっているらしい。技術も高くないし、同じ形の物が多い。
この仏像の安置されている祭壇に注目あれ。コンクリート作りのただの打ち放しである。何の装飾もなく、ただ平面である。多くの新設された寺は、同じ様な祭壇である。貧しさを象徴している様に思われる。お寺の造りも、極めて簡素な建物で屋根と壁だけの感がある。がらんと広く、人々が集まる時以外はまるで空き家だ。
仏像の周辺には、金色に塗られた木と葉をイメージさせる飾り物がある。手前に並んでいるピンクの花の蕾は、ハスの生花である。誰かが毎日世話しているのであろう。
このお寺は、集落から1kmぐらい離れた水田の中の小さな森に建っている。周囲に僧坊が有り、数人の修行僧が住んでいる。毎日村に托鉢に出て、食を賄う。勿論寺を訪れてお布施を行う人もいる。日本の寺と異なり、檀家を持たないカンボジアの寺は、何処もかなり貧しい。
カンボジアでは、かつて全ての男子が一生の間に何年かは、お寺に入って生活したと言われている。シアヌーク前国王も、お寺で修行したことがある。お寺は、社会の規範を学重要な場所であったと言われている。女子の社会的規範は、家庭で教えるものであったが、男子はお寺で生活することで教育された。現在のカンボジアでは、この制度が崩れ半数以下ぐらいしかお寺の経験がない様だ。
最も、貧しい家庭が子どもを食べさせきれない場合にお寺に修行に出す傾向もあり、就学以前からお寺に入る例も少なくない。
カンボジアの仏教は上座部仏教で、僧は仏様側の存在である。従って、僧になったばかりで年端の行かない僧であっても、お寺に来た人々に戒を与える。一定の様式があって行うが、日本の様に僧が民衆と共に修行する立場にある大乗仏教とは、イメージが異なる。カンボジアの僧は、教典を覚え、規範を覚えて、還俗して社会人となる。年を経てから再び僧になる人もいる。勿論生涯僧で通す人もいる。ポルポト時代の影響もあって、年配の僧は少なく、指導者不足は否めない。仏像の貫禄無さと重複して見える。
お寺の仏様 2 仏像2
写真:この仏様は新しい。まだ金ピカ。目もっとぱっちりの超美人。他にも大小様々な仏像も含めて5体が安置されている。色彩が美しく大分県国東半島の仏像を連想させるが、かなり派手。
カンボジアでは、お寺の復興が始まってまだ日が浅い。仏像を作る技術も絶えていたと思われる。見様見真似や覚えていた人が作り出し、それが広がっているらしい。技術も高くないし、同じ形の物が多い。
この仏像の安置されている祭壇に注目あれ。コンクリート作りのただの打ち放しである。何の装飾もなく、ただ平面である。多くの新設された寺は、同じ様な祭壇である。貧しさを象徴している様に思われる。お寺の造りも、極めて簡素な建物で屋根と壁だけの感がある。がらんと広く、人々が集まる時以外はまるで空き家だ。
仏像の周辺には、金色に塗られた木と葉をイメージさせる飾り物がある。手前に並んでいるピンクの花の蕾は、ハスの生花である。誰かが毎日世話しているのであろう。
このお寺は、集落から1kmぐらい離れた水田の中の小さな森に建っている。周囲に僧坊が有り、数人の修行僧が住んでいる。毎日村に托鉢に出て、食を賄う。勿論寺を訪れてお布施を行う人もいる。日本の寺と異なり、檀家を持たないカンボジアの寺は、何処もかなり貧しい。
カンボジアでは、かつて全ての男子が一生の間に何年かは、お寺に入って生活したと言われている。シアヌーク前国王も、お寺で修行したことがある。お寺は、社会の規範を学重要な場所であったと言われている。女子の社会的規範は、家庭で教えるものであったが、男子はお寺で生活することで教育された。現在のカンボジアでは、この制度が崩れ半数以下ぐらいしかお寺の経験がない様だ。
最も、貧しい家庭が子どもを食べさせきれない場合にお寺に修行に出す傾向もあり、就学以前からお寺に入る例も少なくない。
カンボジアの仏教は上座部仏教で、僧は仏様側の存在である。従って、僧になったばかりで年端の行かない僧であっても、お寺に来た人々に戒を与える。一定の様式があって行うが、日本の様に僧が民衆と共に修行する立場にある大乗仏教とは、イメージが異なる。カンボジアの僧は、教典を覚え、規範を覚えて、還俗して社会人となる。年を経てから再び僧になる人もいる。勿論生涯僧で通す人もいる。ポルポト時代の影響もあって、年配の僧は少なく、指導者不足は否めない。仏像の貫禄無さと重複して見える。
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