はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ダイヤメ禁止

2016-09-22 20:59:24 | はがき随筆
 若いときから夕方、農作業後の風呂上がりにダイヤメ(晩酌)の生活習慣を50年。休肝日を設けるよう指導を受けていますが、なかなか実行できない。
 去る7月、胃カメラで胃の中になんとピロリ菌が見つかった。ドクターの指示で1週間薬をのみ続け、そしてこの間、薬の効果を上げるため禁酒しなさいとのこと。これには参った。いろんな治療法もありますが、初の人生体験。毎晩水とサイダーを飲み、楽しみもなくつらい1週間を過ごした。そして8日目の夜、久しぶりのダイヤメ。これぞ心の底にシミルうまさ。貴重な健康づくり体験でした。
  湧水町 本村守 2016/9/13 毎日新聞鹿児島版掲載

モモの教え

2016-09-22 20:45:52 | はがき随筆
 ウサギのモモは針金のカゴの中にいる。晴天の日は畑の草をいっぱい食べるとフンをして畑作りに協力する。時々、ピッと声を出した。
 ある朝、モモがいない! 入口のフックが外れている。「モモ! モモ!」と呼んでいると生垣の下から現れ、ゆっくりと私の足元に来て止まった。思わずモモを抱き上げた私――。
 「返事はしないけど呼ばれているのはわかるの」
 きっと毎日の声かけはモモに届いていたのだ。返事はなくても毎日声をかけ続けることはとても大切なことなのだ、とモモは教えてくれた。
  出水市 中島征士 2016/9/11 毎日新聞鹿児島版掲載

遠い南の空

2016-09-22 20:36:41 | はがき随筆
 ニュージーランドに近い小さな島国の高校に留学して2年になる孫がホームステイ先の家族にもなれ、やっとパパ、ママと呼べるようになったと思っていたところ、不幸にもそのパパが40代の若さで亡くなったとのことである。孫にとって初めての身近な人の死であり、日常の生活はもちろん、文化も習慣も全て違う所で人間の最悪の場面に接し、どんな振る舞いをしたのか気になって仕方がない。が、我が孫ながらよく気の利くいとしい子だったから涙の一つもこぼしてくれたであろうと思いながら、遠い南の空に向かって合掌するジジとババである。
  曽於市 新屋昌興 2016/9/10 毎日新聞鹿児島版掲載

奇跡!

2016-09-22 20:29:53 | はがき随筆
 電車の中、前の方の席に座っていた私の前に、幼い子供さんを抱っこした妊婦さんが乗ってこられた。すぐに席を立ち「どうぞ」と声をかけた。「ありがとうございます」と席に掛けられたとき、その隣の30代くらいの女性がパッと立ち上がり、私に「替わりますから、どうぞ掛けてください」と言われた。「あらら、嬉しいけどどうしよう……」と思った途端、乗っていた方々が少しずつつめてくださり、あっという間に2人分の席ができた。ほんの一瞬の出来事だったが、この夏最高にうれしい、幸せな気持ちになれた、私には「奇跡」だった。
  鹿児島市 萩原裕子 2016/9/9
毎日新聞鹿児島版掲載

Tさんに大感謝

2016-09-22 20:23:07 | はがき随筆
 6月4日のこの欄で田中健一郎さんが映画「ヨーロッパの夜」を取り上げておられた。
 中・高生の頃、ミュージカル映画「最高に幸せ」と「心を繋ぐ6ペンス」を見て、トミー・スティールが大好きになった。英国にファンレターを出したところ、サイン入りの写真が送られてきて感動したことは忘れられない。その彼が若い頃ロカビリー歌手として「ヨーロッパの夜」に出ていたと知り、ずーっと見たくてたまらなかった。
 田中健一郎さんのおかげでビデオの存在がわかり、長年の懸案事項がやっと片付きそうだ。ありがとうございます。
  鹿児島市 種子田真理 2016/9/8

夏の花

2016-09-22 19:42:38 | 岩国エッセイサロンより
2016年9月21日 (水)
   岩国市   会 員   片山清勝

 「来年もこの朝顔を咲かせたい」 
 体調を崩した妻の夏の一日は、起きがけにカーテンを開け、朝顔に話し掛けて始まった。早朝のすがすがしい空気と一緒に花から元気をもらうようだった。
 花が終わると、種を取り春にまく。苗を育てプランターに移植する。ネットを張って咲くのを待つ。これを繰り返して10年近くになる。
 今年の夏は、これまでにない、いやに大きな一輪がついた。不思議に思い、咲き具合を観察した。なんと、円すいでラッパ状に咲くはずの花が、らせん状に咲いた。もしや途中でちぎれたかと調べるが、自然にらせん状になっていた。花の周りに特に変わった様子は見当たらなかった。
 思えば、この春、種をまきながら妻と話したことがある。
 「そろそろ新しい品種と入れ替えるか」
 その会話を聞いた1粒が、驚いて変異したのかもしれない。いじらしくて、今年も採種を約束した。
 朝顔は夏の風物として古くから栽培されている。つるは細くても暑さに負けず、懸命に伸び続ける。そんな姿に人を癒やす力が備わっているのだろう。
 花は夜明けに咲き、日差しには逆らえず、夕方には花の形を保てていない。花びらを巻き込むようにして短い半日の生涯を終える。
 それでも、代え難い和みをくれる朝顔だ。私がしてやれるのは、今年も朝夕の水やりしかなかった。
 夏を過ぎて夏を思う。

     (2016.09.21 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

母からの宿題

2016-09-19 18:54:05 | 岩国エッセイサロンより
2016年9月17日 (土)
山陽小野田市  会 員   河村 仁美

母が亡くなり、実家のあちこちから出てくる整理されていないむき出しの写真を持ち帰った。改めて見ると自分の知らない母の一面を発見し、一緒に撮った写真はその時のことを鮮やかに思い出させてくれた。
アルバムに整理すれば一緒に眺め母のことを語りながらしのぶ役割をしてくれるはずだ。そう思い、母の歴史の詰まったアルバム2冊を作製し、四十九日に実家に届けた。残ったのは社交的で忙しく飛び回っていたので日付の分からない旅行写真の山。思い出に順番はないと整理している。
彼岸までには宿題をやり終えたいな。
(2016.09.17 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

復活の小糠踊 活気を

2016-09-15 00:39:48 | 岩国エッセイサロンより


2016年9月14日 (水)
   岩国市   会 員   片山清勝

 子どもたちの2学期が始まり、元気な声が通学路に戻ってきた。夏休みにはどんな思い出を残したのだろうか。私は、地域に残る伝統芸能に参加した子どもらの姿を思い出す。
 それは小糠踊。太鼓と笛の音に合わせたゆったりした踊りで、基本は「差し手引く手、出る足引く足」と上品な振り付け。藩政の頃から岩国城下の子女の間で親しまれ、錦帯橋周辺で踊られてきた。
 昭和半ばを最後に、路地での踊りは一時途切れていたが、昨年、地域を活気づけようと応援隊が結成されて復活。夏の一夜、錦帯橋近くの小さな通りいっぱいに踊りが繰り広げられた。
 復活2年目の今年は、小学生の「子供こぬか連」と 「中学生連」も結成。地元の児童生徒が継承の担い手を志し、練習を重ねてきた。
 子どもらが浴衣を着て保存会メンバーと歩調を合わせて踊る姿に、地域芸能の良さを改めて思いつつ、受け継いでくれる連の踊り子らにエールを送った。

    (2016.09.14 中国新聞「広場」掲載)

恩送り

2016-09-11 22:30:17 | 岩国エッセイサロンより
2016年9月11日 (日)
   岩国市   会 員   山下治子

 病院へ健康診断を受けに行くと、顔見知りで保健師のNさんも受診されていた。
  「どこか具合でも」
  「しっかり健診を受けましようと言っておきながら、勧める側の者が受けてなかったら、物申せないから」
 真面目な彼女らしく、きっちり仕事を踏まえてのことだった。感心していると、手帳に挟んだ新聞の切り抜きを取り出された。
  「あなたのこの文章、集会などで使わせてもらっていますよ」
 それは、広場欄に掲載された「母の日には『恩送り』」という私の投稿だった。
 辞書に「恩返し」はあるが、 「恩送り」はない。お世話になった方へ親切を返そうにも返せない場合、代わりに誰かにその恩返しを受けてもらう。送られた次の人がまた次の人に送り、たくさんの人たちで送りつないでいく、という意味を持つらしい。
 親代わりのような姉が5年前、教えてくれた。その時、母の日に送り続けた感謝の鉢植えを断って、「その分、義援金として被災地に」とのことだった。以来、私は東日本大震災と先頃の熊本大震災の被災地へ、つもり貯金やつり銭貯金でためたわずかな分を送らせてもらっている。
 私の投稿に共感してくれた人が身近にいたと知って、驚いた。恥ずかしくて、うれしくて、大きな励みになった。

     (2016.09.11 中国新聞「こだま」掲載)

郷愁誘う風景 残して

2016-09-11 22:28:37 | 岩国エッセイサロンより
2016年9月10日 (土)
    岩国市   会 員   角 智之

 「赤い花なら曼珠沙華・・・」。歌にも歌われているように、ヒガンバナは秋を代表する赤い花である。
 この花は、浄土と現世をつなぐと言われ、お釈迦花、天蓋花、ろうそく花など仏教に関する別名が多いのも興味深い。
 田舎で暮らしていた小学生の頃、近所の幼なじみと花束にしたり、花茎を小さく折ってちょうちんを作ったりして遊んだ。
 会社勤めの頃、通勤電車から眺めた水田の石垣に群生した風景は見事で、市街地では見ることのない情景に郷愁を覚えた。
 わが家の近くに群生する場所があったが、団地造成と道路拡張工事でコンクリート整備され、数少ない自生場所が失われた。
 最近、新聞やテレビで報道されているように、小規模集落は村ごと消滅の危機に直面している。
 人々の暮らしと密接に関わったヒガンバナが咲き乱れる棚田の風景を、ぜひ残してほしいと思う。

    (2016.09.10 中国新聞「広場」掲載)

一雨1億円

2016-09-07 21:51:11 | はがき随筆
 連日熱い。猛暑だ。日本列島が南下しているのではと思う異常気象だ。それに夏特有の夕立すら降らない。
 畑の作物は可哀そうだ。野菜も一雨も二雨も欲しがっている。焼け石に水だと思いながらも、毎日夕方1時間余りかけて水を掛けている。成長はほとんどないが、生きているので掛けないよりましだ。
 ここで一雨降れば野菜も息を吹きかえし、喜んでグッと伸びる。一雨は1億円の価値がある。一雨欲しいのは私だけではあるまい。
 「天の神様お願いします」と雨ごいしたい。
  出水市 畠中大喜 2016/9/7 毎日新聞鹿児島版掲載

著作権フリー

2016-09-07 21:44:44 | はがき随筆
 江戸川乱歩が亡くなってから昨年で50年がたち、作品が著作権フリーになった。電子図書館で著作のデジタル化が進められ。処女作「二銭銅貨」を皮切りに無料作品がアップされている。
 小学校時代に毎週楽しく見たテレビドラマ「少年探偵団」で乱歩の名を知った。しかし、親に「乱歩の本が読みたい」と言うと、一種名状し難い表情を見せた。彼独特の猟奇・幻想趣向の作品に、子供の私が手を出さないかと案じていたのだろう。
 そんなこともあり、いつか全作品に触れてみたいと思っていたが、運よく彼の著作権フリーと私の定年退職が重なった。
  鹿児島市 高橋誠 2016/9/6 毎日新聞鹿児島版掲載

あの夏

2016-09-07 21:36:38 | はがき随筆
 短大の卒業は昭和30年3月。母の裾模様の紋付きにサージ新調の袴を着けた。「おおきに卒業できました」と母へあいさつすると「勉強は一生すいもんじゃ、終わりはなかど」と一喝。半年してやっと勤め先の右左がわかりはじめたので通信教育を受けることにした。もちろん東京のである。既修単位の認定が済んで入学許可になった。次の夏スクーリングに行き、品川の会社の寮からお茶の水まで歩き、YMCAの店に入ってカレー注文。やたら水をのんだ。カレーが出る頃はもう心身ともに水に満ちあふれてしまった。東京、夏の初日の思い出だ。
  鹿児島市 東郷久子 2016/9/5 毎日新聞鹿児島版掲載

十九の春

2016-09-07 21:27:01 | はがき随筆
 沖縄メロディーを集めたCDがある。「十九の春」の歌詞をじっくりかみしめて聴いた。そうだったのか……。
 恋仲の2人の物語と思いきや、道ならぬ恋の歌だ。1銭のはがきは全国どこへでも届くのに、同じ町に住みながらなかなか会えない身の上を嘆いている。なんだか誰かに似ているぞ。
 19歳は遠い遠い昔の事だが、人が人を思う気持ちは幾つになっても変わらないのでは?
 「昔はものを思わざりけり」と権中納敦忠も詠んでいる。何もなかった状態にリセットできないのが人生であり、恋ではないだろうか。
  鹿児島市 本山るみ子 2016/9/4 毎日新聞鹿児島版掲載

待つこと

2016-09-07 21:18:16 | はがき随筆
 鉢物を露地植えにしてこの数年楽しんでいたが、1月の思わぬ寒波で枯らしてしまった。それぞれの半分を処分した。ところが芳香を放って咲いていたシンビジウムは、枯れた葉の中から新芽を6月に出してきた。根は生きていたのだ。デンドロビウムも節々が膨らみ、その先に芽を出してきた。赤紫の包葉が美しいこの時期に、やっと根元に芽をだしてきたブーゲンビリア、それぞれが生きていたのだ。処分した株が惜しまれた。もっと気を長く待てばよかったと後悔した。思えば早合点して失敗したことも多かった。ゆっくり待つことの大切さを学んだ。
  出水市 年神貞子 2016/9/3 毎日新聞鹿児島版掲載